80話:氷精ワイン
前話から続き、マテリアは書籍版の名称である【魔石】と作中では変更しております。予めご了承ください。
「なんで魔石を貿易するのは無理なのよ」
サンドラが、ニールの言葉に抗議するかのようにそう口を尖らせた。
「まあまあ。ですが、僕も気になりますね。魔石を海外に売る気は今のところ全くありませんが、禁止というのはどういうことでしょうか?」
サンドラを宥めながら、アレクがニールへと質問した。それは場合によっては今の商売に影響してくるかもしれないからだ。
「これはまだ、正式に決まった話ではないんだけどね。アゲート王家は魔石の海外流出を嫌がっているのさ。おそらくは国王の意向だろう」
「王様のですか?」
もうこれ以上王家とは関わりたくないというのがアレクの正直な気持ちだ。だが、魔石に関してそうした動きがあるのを無視する事は出来ない。
「今は国内での販売とレンタルのみだから、特に規制はないけどね。アレクさんが知っているかどうかは分からないが、魔石が国外へと流れている問題がある。もちろん、その数は極々少数だがね」
「……それは把握しています」
それについてはアレクも頭を悩ましていた。レンタルの場合、魔石の取り外しは出来ないが、武器ごと他所に売られてしまってはどうしようもない。
まあそれについてはベルやトリフェン達に動いてもらってはいるので、殆どの物は回収できているのだが……。
また、魔石買い取りの場合は所有権が購入者に移るので、これを他所に売られるのを止める権利はなかった。
「当然、国王もその事情を把握していてね。彼としてはあまり愉快ではないようだ。だから、当然この貿易に関しては目を光らせている。魔石を貿易なんてしようものなら、首の二つや三つで済まないだろうね!」
わっはっは、と笑うニールだったが、アレクは笑えない。
「そんな顔しなさんな、僕だって分かっているさ。魔石を貿易品にするつもりはない」
「回りくどいわね。さっさと本題を話しなさいよ」
サンドラが爪をビシッとニールへと向けた。
「たはは……手厳しい。うん、でもそうだね。僕は君の魔石を使って、他に類を見ない貿易を行いたいんだ。商品ではなく、道具や設備として、この商売に組み込みたいんだ」
「類を見ない?」
「その通り。アレク君は、〝氷精ワイン〟を知っているかな?」
「氷精ワインですか、名前だけなら」
未成年で酒を飲まないアレクは、そのワインについて名前以上の知識を持ちあわせていなかった。
「無理もない。なんせこのベリル王国北部のリーウェリング州でのみ生産、消費される超希少ワインだからね」
「リーウェリングといえば、竜骨山脈のあるところですよね。標高も高いと聞きますが、ワインなんて生産していたんですか」
「ああ。氷精と呼ばれる魔法生物の力を借りて育てる、あの地方固有のブドウ品種で作るのだが、その味はまさに極上。僕も一度飲んだ事があるが、あれほど美味い酒はこの世界のどこにもない」
「となるとよっぽど、生産量が少ないんですね……」
「いや、そりゃあ大手のワイナリーに比べれば少ないが、生産量自体はそれなりにある」
そのニールの返答に、サンドラが腕を組みながら首を傾げた。
「じゃあなんで超希少なのよ。あ、熟成に時間掛かるとか?」
「いや、氷精ワインは造り立てが一番美味いし、劣化も少ない。だが、リーウェリング州からワインが出ることはほとんどない」
「なにそれ……なぞなぞ?」
ニールがあえて答えを言わずにいると、アレクが閃いたように顔を上げた。
「――温度、ですか」
「その通り! 流石だよアレクさん。素晴らしい」
「温度……?」
サンドラがピンとこずに、首を傾げすぎてコテンと横に倒れた。
「氷精ワインが造られているのは年中雪に閉ざされた山の上だ。そして氷精の加護によって生育、醸造されたワインなので、とにかく熱に弱い。どれぐらい弱いかと言うと、山の下では一週間ぐらいで腐ってしまうぐらいには弱い。厳密に言えば腐るのではなく酢みたいになる、だがね」
「だから……リーウェリングでしか消費されないんですね」
「そう。あの過酷な環境である竜骨山脈を登らなければ、飲めないワインなんだ。魔物もいるし、それがなくても危険な道中だ。だからこそ、超希少なのさ」
「それをまさか……海外で売る気ですか」
今、この話をするということは、そういうことだろう。
「それが可能になれば、おそらくかなりの金額で取引される。なんせどこかの国の王族はそれを飲みたいが為だけにわざわざお忍びでリーウェリングを訪れたほどだ。その手間を考えれば、いくらでも金は積む」
「ようやく、僕の仕事が分かりましたよ。つまり、その氷精ワインの輸送および保存を……魔石で何とかできないかってことですよね」
「出来るかい? 氷点下のリーウェリングの環境を常に再現しつつ運ばないといけないうえに……船旅に耐えられるほどの長期間の保存方法も必要だ。実は一度、氷結魔術に定評がある魔術師に運ばせたことはあったんだがね……途中で魔力が尽きて、全て腐ってしまった」
アレクが考え込む。それはかなりの難題だった。ある程度冷やすぐらいなら可能だが、氷点下の環境を常に維持し続けるのは魔石だけではかなり難しい。
「厳しい……というのが正直なところです。ですが、挑戦してみたい気持ちもあります」
「だと思ったよ。セラフィ王女も、きっとアレクならそう返答するって言っていたからね」
「あはは……彼女には全て見抜かれていますね」
「羨ましいよ。王族にそれだけ目を掛けてもらえるのは、商人として、とても鼻が高いことだからね」
ニールは本心からそう、その言葉を口にした。
「反面、プレッシャーでもありますけどね……」
「そんなものに潰されるような奴じゃないさ、アレクさんは」
「ニールさん、この話は一旦保留させてください。僕なりに方法を検討してみます」
「もちろんだとも。船の完成は間近だが、最初の航海まではまだ時間はある。もし氷精ワインの貿易が実現すれば……当然それなりの報酬は用意するつもりだ」
「期待していますよニールさん。では早速帰って、取り組んでみます」
「時間を取らせたね。帰りは馬車を用意するから使うといい」
そうニールが提案したが、アレクは丁寧にそれを辞退した。
「いえ、歩きます。僕、歩く方が良いアイディアが浮かぶので」
「なるほど。もし進展があればここに来るといい。僕はもうずっとこの事務所に寝泊まりしているからね」
ニールが冗談っぽく肩をすくめた。
「分かりました。それでは……また」
「ああ。朗報を待っているよ」
こうしてアレクはバガンティ商会の難題である、氷精ワインの貿易に取り組むことになったのだった。
本文中におけるワインとは、この世界におけるブドウという謎の果実を使った果実酒のことです。氷点下では葡萄は育たない~ワインは冷やしたら云々~などという感想は的はずれなのでご遠慮くださいな!
というわけで、一筋縄ではいかない依頼をアレクはどう解決するのか……乞うご期待!




