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まふらーといっしょ  作者: KEITA
番外編
18/21

さっちゃんとぼく 7【終】





「さっちゃんいないの、どうして?」


 今年四歳になったばかりの妹が、大きな瞳で秀郎を見上げて言った。手にしているのは、美少女キャラクターの絵柄がついたミニコンパクトだ。

「マアちゃんとさっちゃん、約束したよ。マアちゃんのおたんじょうびのあと、いっしょにあそぶの」

「ごめんねマアちゃん。さっちゃんはね、お父さんとアメリカに行くことになったんだ。しばらく帰ってこれないんだって」

 ぱこぱこ、と赤いオモチャの蓋を開け閉めしながら、妹は唇をへの字にする。マアちゃんが大好きなキュアムーンのグッズは、つい数日前に年上のお姉さんから誕生日プレゼントと一緒に譲られた。「これぜんぶ、マアちゃんにあげるね」と言って。マアちゃんはとっても喜んだが、今になって何かがヘンだと気付いたらしい。

「あめりかって?」

「日本じゃない国。海のむこうの遠いところだよ」

「帰ってこれないの、どうして?」

「さっちゃんはね、いろんなことがしたいんだって。日本じゃできないことを、たくさん。それに、お父さんとも一緒に暮らしたいんだって。だから、アメリカに行くんだ」

「さっちゃんのお父さんが、にほんに来ればいい」

「おしごとだから、ムリなんだよ」

「おしごと……」

「そうだよ。だから、さっちゃんはお引越しするんだ。明日、空港までお見送りしにいくから。マアちゃん、その前にばいばいしようね」

「ばいばい……」

 ぱこん、と蓋が閉じられる。

「……ヤだ。さっちゃん、あめりかに行くのヤだ」

 ばいばいするのヤだ、と妹の目が潤む。小さなコンパクトをぎゅっと握り締めて、小さな顔が見る間に歪んだ。

「ばいばいするの、ヤだぁ~~ッ」

 高い声を上げて、顔をくしゃくしゃにさせて妹は泣き出した。おっきな口を開けて、ぼろんぼろんに涙を零して、鼻水まで。まるで笛付きのヤカンが沸騰したかのような騒ぎだ。最近背が伸びてきたけど、こういうところは赤ちゃんだった頃と変わらない。

 身体中で目いっぱい感情を表現する妹を宥めながら、秀郎はひっそりと思う。羨ましいな、と。

「マー坊、うるせー!」

「ヤぁ~~ッ」

「うるせーっての!!」

育郎いくお、今マアちゃんに説明してるんだからちょっと黙ってて」

「フンっ」

 一人カード並べをして遊んでいた弟が声を上げる。が、兄の一言で鼻を鳴らしてまた背を向けた。普段やんちゃな弟も、いつもよりしょぼんと元気が無い。

 秀郎は知っている。その眼下に並べられたドッキリマンチョコのシールカードは、いつもより一枚足りてない。姫キャラを大好きな近所のお姉さんにあげたためだ。事情を説明したその日、弟の育郎はしかめっ面で宝物の一枚をさっちゃんに差し出した。「アメリカ行ったときのお守りやるよ」と。「だからって失くすなよっ」と念を押して。レアカードを手放すこともさっちゃんとさよならすることもイヤなくせに、一丁前にかっこつけたい年頃なのだ。

(それでもぼくより大人だな、育郎は)

「マアちゃん、」

 ぴいぴい泣く妹にティッシュを当て、涙を拭いついでに鼻チーンさせる。されるがままになっている辺り、兄妹の関係は慣れたものである。徐々に落ち着いていく瞬間湯沸しのちっちゃな顔に、秀郎は笑いかけてやる。

「さっちゃんもね、きっとマアちゃんとばいばいするのヤだよ。だから、お手紙を書いてあげよう」

「おてがみ……」

「うん。そうすれば、ばいばいしても寂しくないよ。ずっとさっちゃんとお話できるよ」

「……」

 さっきまで泣いていた顔がきりっとしたものになる。たたたっと家の中を走っていき、しばらくして画用紙とクレヨンを手に戻ってきた。オモチャのパクトは置いてきたらしい。

 でかでかと覚えたての文字で「さつちやんへ」と書き始める姿に、秀郎は感心する。普段はおっとりしているのに、目標が出来たとたん意識を切り替え一直線になる辺り、妹は強い。いや、女の子は、と言うべきか。

 しょんぼりとカードを見つめている弟の背に話しかける。

「育郎も、手紙書く?」

「……あとで」

「そっか」

 こういう場面で切り替えが遅く、弱いのは男のほうなのかもしれない。

ちなみに秀郎もまだ、さっちゃんへ送る言葉を決めていなかった。さっちゃんが遠い国へ発つのは明日だというのに。



 あの日、車で探しに来たお父さんに発見され、お堂の前で寝ていた秀郎らは森下家に運ばれた。そしてさっちゃんは、出張先から一時帰国していたさっちゃんのお父さんと一緒に病院へ行った。顔色は良かったので救急車は呼ぶ必要が無いだろうが、一応検査と安静治療の意味で。そして秀郎は目を覚ましたあと、心配していたお母さんにたっぷり叱られた。

 どうしてあんなところで寝ていたのかと訊かれたが、うまく説明出来なかった。さっちゃんを見つけたことは断片的に覚えているのだが、どうも記憶があやふやで、どうして石祠に辿り着けたのか、なんで自分も寝てしまったのかわからなかったからだ。きっとプール騒動に続くさっちゃん行方不明で心身が疲れ果て、目的を達したと同時に気が抜けて寝てしまったのだろう。正解である山の神様の祠に辿り着けたのは、馴染みのある場所を走り回った偶然の結果だ。そうお父さんは結論づけ、お母さんも渋々納得した。そしてもう外で寝ちゃダメ、さっちゃんを見つけたのは偉かったけど子供だけで夜に歩き回るのはダメ、などと口やかましく厳重注意された。お母さんは普段おっとりしている分、怒るとコワくお説教も長い。ただ秀郎自身、うんざりするような小言のシャワーに打たれつつ、特に反発する気は起きなかった。何やらホッとしてさえいた。一晩寝たら妙にすっきりして、気分が大変良かったせいもある。

 問題のさっちゃんの体調に変化は無く、特に異常は見当たらないとのことだった。本人の気分も良く、夏風邪もほぼ全快していたようですぐに退院できた。本人の主張である「熱が下がって安心して散歩をしていたら、ちょっと疲れて祠で居眠りをしてしまった」はもう二度としないという厳重注意で終了した、らしい。

 奇妙なことはその直後から始まる。

 さっちゃんは秀郎と逢うなり、「迷惑かけました、ごめんなさい」と頭を下げたのだ。いつもの照れ臭そうな顔でも、悪態混じりの決まり悪げな声でもない、真面目な顔と声だった。秀郎のお母さんに対しても「秀郎くんを引っ張りまわして本当にごめんなさい。もうこんなことにならないよう、自己管理をしっかりします」ときっちりした口調で謝った。お母さんに謝るのはともかく、秀郎に対しこういう態度になるのはあまり無いことだ。秀郎のお母さんは戸惑いつつ「さっちゃんも大人びてきたわねえ」と感心していた。

 それからすぐにさっちゃんはいつもの態度に戻ったけど、秀郎の戸惑いは後を引いた。さっちゃん、いったいどうしたんだろう。


 一夜明けたその日はさっちゃんの誕生日。ちょうどお父さんも帰って来てくれたことだし、少し予定よりは遅れたけど皆が揃っているうちに祝おうと森下家にてパーティーを開いた。マアちゃんに手作りの首飾りをかけてもらい、(病み上がりなので)手巻き寿司や豪華チキンをほぐしたものをちまちまと食べ、みんなからプレゼント攻撃にあったさっちゃんは本当に嬉しそうだった。傍にお父さんがいることが一番嬉しいんだろうなあと秀郎は思った。

 九本のロウソクをさっちゃんの息が吹き消して、ケーキを食べて、ビンゴゲームをして。お酒が入ったお父さんたちがつまらない話でダベりはじめたので、それを無視して縁側で花火をした。ミニ打ち上げ花火にきゃあきゃあ言って、線香花火で誰が落とさずにいられるか勝負をして。酔っ払いと化したお父さんたちが近所迷惑な声で歌い始めたのでお母さんが雷を落として。楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 そして。

 パーティーが終わった夜、みんなで後片付けをしているときにさっちゃんが秀郎を呼んだ。「だいじな話がある」と。



 過ぎて欲しくないと願う時間ほど、過ぎるのはあっという間なのだ。

 父親が運転する車の助手席にて、前髪を風になぶられながら秀郎は考えていた。とうとうこの日が来てしまった。自分はなんの準備も出来ていないのに。

 さっちゃんの誕生日から、ちょうど一ヵ月後。……今日はさっちゃんが引っ越す、当日だ。

「ヒデ、」

 ぼんやりする秀郎の耳に、お父さんの声が届く。

「イクとマア坊からは手紙あずかってるけど、お前はいいのか。……何も、渡さなくて」

 お父さんが云いたいことは、うっすらわかった。なので一言だけ返す。

「……何もないから、いい」

 そうか、とこっちも一言だけ返し、秀郎のお父さんはハンドルを握りなおした。数年前、病院のベッドの上で包帯とギプスにまみれていたその身体だが、今はその面影が見当たらない。ただお風呂に一緒に入るたび、父親の腹と脚の一部に生々しい傷跡がはっきり残っていることを、秀郎は否が応でも確認させられる。

「それにしても、急だったなー。元から計画してたこととはいえ、紗絵子ちゃん夏休みが終わると同時にアメリカの日本人学校に転校するなんてな」

「……」

「泉川さんのプロジェクトもそろそろ大詰めらしい。紗絵子ちゃんが傍にいてくれれば、きっと百人力だ。紗絵子ちゃんの調子もいいみたいだし、本人の希望ってのも大きい。そういうわけだ、ヒデ、我慢しろよ」

「……してるよ」

 善いことも、悪いことも。すべてを包んで、時間は流れていく。

「……ねえ、お父さん」

「ん」

 秀郎は、ぽつりと言った。

「……ケガ、してたとき。つらかった?」

「ん? ――ああ、入院のことか」

 一時期、それなりに重傷だった時期を覚えているだけに、お父さんがここまで回復して本当に良かったと思う。今でこそ過ぎたこととして振り返れるが、三年前の今頃は本当に大変だった。

(お父さん、ケガしたとき痛くてつらかっただろうな)

「辛かったよ。ずーっとベッドの上にいなきゃならなかったもんな。ありゃーつらい。じっとしてるのが苦手な人間にとって、拷問みたいなもんだ。ヒデ達にも苦労かけたし、ああゆう状態にゃ二度と戻りたくない。病院に担ぎ込まれたことは前にもあるけど、あれだけ辛かったのは初めてだよ」

「……ケガは、痛くなかったの」

「痛かったけど、そっちは過ぎちまえばどってことない。父ちゃん昔からケガばっかりしてきたしな。逆に痛みの耐性が上がって、ある意味ラッキーだった。あの事故で何かプラスがあったとするなら、それだな」

 ときどきやんちゃな少年のような雰囲気を漂わす父親は、口の端でにっと笑う。

「……いたみのたいせい?」

「ケンカでいうなら、張られたときに――いや、それじゃないか。格闘術の例で言ったら、軽く当身されたときに感じるアレだよ。いったん経験しちまえば、これだったら俺耐え切れる、ダイジョブだなーってラインが作れる。やせ我慢も込みだがな」

「……ふ~ん。でもさ、そういうのお母さん怒りそうだよね」

「そりゃあな。うーこわこわ。これ母ちゃんにゃ内緒にしろよ」

 お母さんの雷を思い出したのか、お父さんは首を竦めた。秀郎そっくりのアクの強い顔にいつもの機嫌よさそうな、でもいつもよりちょっとだけさびしそうな笑みを浮かぶ。


「――誰だって気が滅入ると色々考えちまうからな。痛いことも辛いことも、避けられないなら少しでもプラスに受け止めるべきだ。――天国のばあちゃんもきっとそう言うよ、ヒデ」


 秀郎は声を発さず、うっすらと笑い返した。窓の外は都心近くの街中。微かに飛行機の音も聴こえる。もう少し走れば、空港に着くだろう。

(痛いこと。つらいこと)

 長いこと車の中で眠ったせいでぼうっとなっている頭で、考えた。

(どうやったら『ぷらす』に受け止められるんだろう)

――さっちゃんとさよならすることを、どうやって。



『ねえヒデちゃん、これ見て』


 蚊取り線香の匂いが漂う縁側の光の下、さっちゃんは秀郎の腕を引いた。つんのめるように差し出された秀郎の手を自分の肘の辺りに導き、手を差し出して腕をくっつけてくる。色黒の少年の腕にぴたりと寄り添う、色白の少女の腕。

 柔らかくすべすべした感触にどきりとなりつつ、秀郎はさっちゃんを見つめる。さっちゃんの綺麗な顔と声は真剣だった。

『あたしの肌の色って、ヘンでしょ。ヒデちゃん達とこれだけ一緒にいて、同じ太陽の下で過ごしてるのに、全然日に焼けてないの』

(そういえば、そうだ)

 秀郎は相槌の代わりに瞬きした。ヘンだと思ったことは無いが――むしろその逆だが――、不思議だなと思ったことはある。

『友達は白くていいねって言うけど、あたしはこういうのイヤだった。みんなと同じになりたいのになれない、そんな気がして』

 焼けない肌ともまた違う、ソバカスやシミさえ出来ない不可思議な白さ。

『前に「ユーレイみたいできもちわるい」って言われたこともあるし。もち、ムシしてやったけどね。それでもやっぱり、集合写真で浮いちゃうこの色がイヤだった』

 クラスの人気者さっちゃんだって、嫌ってくる人も嫌いな人もいる。コンプレックスだってある。秀郎と同じく、どう頑張っても納得いかない部分はあるのだ。

『イヤだったんだけど、最近その理由がわかったの。……あたし自身の「能力」のせいだった。あたし、自分で自分の身体を変えてたんだ』

――山の神様の、いとしご

 おばあちゃんの言葉が、蘇る。

『でもね、たぶん……たぶんだけど、これからちょっとずつ変わっていく気がするの』

 さっちゃんは何を言っているんだろう、と秀郎は首を傾げた。でも、なんでだか何も問い返せなかった。網戸越しの電灯を受け、きらきらと輝くさっちゃんの瞳。肌と同じく色素の薄い、澄んだ色の目。

『あたし、これからちょっとずつ日に焼けてく。肌の色が変わって、みんなと同じになってく。でも……でもね、』

 その目が何かをこらえるように歪み、瞬いた。ぱちぱち、さっきまで輝いていた線香花火の残り火のようであり、暗闇でちかちか光る星のようでもあり。

 きれいだな、と秀郎は思う。そういえば、こういうのは前から思っていた。

『そうなる前に、あたしここからいなくなるの』

 さっちゃんは、きれいだ。花火みたく、お星様みたく。


『ヒデちゃん……あたしね。来月、アメリカに行く。しばらく、向こうで過ごす。一月後に、引っ越す。もうすぐヒデちゃんたちとも、さよなら、するの』


 すごくすごく、きれいだ。



 季節はもう夏の終盤、暦のうえでは秋となっている。秀郎たちの住む地域も徐々に気温を下げ、早い場所では鈴虫が鳴き始めた。しかし、都会はまだ残暑が厳しいらしい。

 むわっとする暑気を避けるように入った空港のロビーは、とても広かった。ただ休日の午後ということもあり、ひと気は多い。混んでいるときの電車駅……とまではいかないが、色々な人達があっちこっちで固まっている。日本人だけでなく、外国人のグループも目立った。英語だけじゃない、色々な国の言葉が飛び交い、様々な肌の色の人が会話し、受付窓口に並び、大きな荷物と一緒に歩き回っている。

(空港ってこういうところだったんだ)

 さっちゃんの行くアメリカは、人種のるつぼとも呼ばれる大国だ。きっと、こういう光景が当たり前なんだろう。

「ヒデちゃん! おじさん!」

「お、紗絵子ちゃん」

 その中の一角、東洋人と西洋人が入り混じる団体から綺麗な女の子が走ってきたと思ったら、さっちゃんだった。伸びかけの栗毛を帽子にまとめ、細かい飾りの入ったスカートの上に晴れ着にも似た仕立てのいいボレロを羽織っている。秀郎もそれなりにきちんとした格好をしてきたつもりだったのに、なんだか気後れして俯いた。まるで別世界の人みたいだ。

「わざわざ来てくださってありがとうございます」

「いえいえ。それより紗絵子ちゃん、いつにも増してお洒落だねえ」

「これ、上着だけなんです。下は楽なの着てます。向こうに着いたとき、お世話になる方に挨拶する予定なので」

「なるほど。あ、これ、うちのチビ二匹から」

「いっくんとマアちゃんから」

「ああ。もし良かったら、飛行機の中で読んでやって。マア坊のはちょっくら字ィまちがってるかもしれないけど勘弁、な」

「うふふ、だいじょうぶですよ。ありがとうございます! いっくんとマアちゃんにも、お礼をお願いします」

「りょーかい。さっちゃんが喜んでたって伝えとくな」

 淡い色の封筒(画用紙はさすがに大きすぎたのであとで小さいものに書き直した)と小さく畳まれた便箋を受け取り、さっちゃんは嬉しげに微笑んだ。その栗色の視線が、秀郎に移される。

「ヒデちゃん、」

「……」

 秀郎の硬い雰囲気に出逢って、白い頬が傾げられる。やっぱりさっちゃんの顔を正面から見ることが出来ず、秀郎は視線を避けるようにそっぽを向いた。隣のお父さんは何も言わず、見守るように(いや、面白そうに)している。

 秀郎の口からは何も出てこなかった。言いたいことはあるはずのに、何も言いたくない。そんな矛盾した気持ちが渦巻いていた。

 さっちゃんはそんな秀郎を見るに、ぱちぱちと瞬いてから口を開いた。

「ねえ、「「さっちゃ~~ん!!」」

 呼びかけはそれより大きい呼びかけに遮られる。振り返ると、クラスの女子連中が保護者を背景に走り寄ってきた。

「あずさちゃん、ともちゃん、ななちゃん! お見送りに来てくれたんだ」

「そうだよぉ~」「ホントはもっと大勢で来たかったんだけど、さすがに他のお客の迷惑になるからって、わたしたち代表三人」「ハイこれ、みんなで書いた色紙!」

 友人たちにわっと囲まれ、またもメッセージの入った贈り物を抱えて。さっちゃんはまた、嬉しそうに笑った。

「……ありがとう!」

 秀郎はただ、歓送ムードの輪から外れるようにして、その様子を見つめることしか出来なかった。



 光の少ない田舎の空、満天のきらめきが視線の上に広がる。


『ヒデちゃん、あたしね……ちょっとだけ、健康になった。発作が、おさまったみたいなの』

『ほんとう……!』

『うん。もうこれから、急に息がくるしくなったり身体がうごかなくなったりとか、そういうことは無いと思う。ずっと「だいじょうぶ」になるの』

 どうしてそうことになったのか、なぜそこまで確信に至ったのか。不明な点はあったが、秀郎はたた単純に嬉しかった。もう、あの苦しげなさっちゃんを見ることはない。ぞっと胸の中が冷えるような、秀郎まで息が苦しくなってしまうような顔色に出逢うことはない。

 でも、

『よかったね!』

『うん。でもね、ヒデちゃん。あたしの寿命は、』

 でも。さっちゃんはゆっくりとした声で、こう続けた。


『あたしのいのちは……たぶん、そんなに長くない。と思う』


『え……』

 何を言われているのかわからない、そんな面持ちとなった秀郎に、さっちゃんは儚く笑った。まるで線香花火の最後のまたたきみたく。

『たぶん、あたし長生きできない。ふつうの人よりはやく、死んじゃうんだ』

 死。

『なに、いってるの、さっちゃん』

『うん。急にこんなこと、ごめんね』

 でもね、とその視線が真っ直ぐ秀郎を見つめる。潤んでいると思ったのに、その瞳はすっきりと透明だった。

『最初から、わかってたことだったの。ここに越してきた理由だって、治らない病気だったから。本当はもっとはやく、死んじゃうはずだったの。「ユーレイ」っても割りとホントのことだった。だってあたし、元々死んでたはずの人間だもの』

 さっちゃんの顔色は悪くない。けれど、その言葉にぞっと秀郎の胸が冷える。舞い降りたものを払うように、早口で言い募った。

『そんなことないよ。い、息がくるしくなったって、それだけで死んじゃうことないよ。だっていつも、そうじゃない。さっちゃん、いつも「だいじょうぶ」になるじゃん』

『……そうだね』

『だからッそ、んなこと、そんなこと、言うなよ……! そういうのダメだ、サイテイだよッ』

 滅多に無い秀郎の激昂に、さっちゃんの瞳が泣きそうに瞬く。でも、感情の昂ぶり無く静かに言葉は返された。

『そうだね。でも、ホントのことなの』

『ッ』

 秀郎だってわかってた。普段だったら「死んじゃう~」ってのは単なる冗談、ふつうの子なら軽口のひとつだ。でも、さっちゃんはそうじゃない。「病気」「命」「死」と言うものが他の子より身近であり、たくさんの意味を持っている。だから、真面目な顔になっている今は、一言ひとことが重いのだ。ぜんぶ本当のことを、言ってるから。

 本当のことを紡ぐさっちゃんの声は、どこまでも澄み渡ってなめらかだ。

『病院の偉い先生が、みんな「治すのムリだ」ってサジ投げたんだよ、あたしの呼吸不全。親父が、「じゃあ最後の時間くらい、空気の綺麗な場所で過ごさせてやろう」ってあたしを退院させてここに連れてきた。そうしてヒデちゃんたちに逢えたし、実際あたしはすごく動けるようになった。ヒデちゃんも知ってるように、「やまのかみさま」のお陰でね。このままずっとここにいて、この病気が治ったりしたら本当に運がいいな、幸せだなって思ってたんだけど……』

 薄桃色をした唇が軽く噛まれる。

『でもやっぱり、そう巧くいかない。あたし、発作はおさまったけど、代わりに自分の「能力ちから」が自分に働かなくなった。ふつうに生活は出来るんだけど、前みたくは動けない。それに、もうあの「声」は聴こえない。長生きした動物の考えてること、わかんなくなっちゃった』

 声と同じく澄んだ瞳は暗闇を仰いだ。閉じた夏の夜、草木の濃密な香りと遠くで感じる獣の気配。

『きっと、「そろそろ時間だよ」ってことなんだ』

『な、にいってるのか、ほんとうに、わかんないよ、さっちゃん』

『うん……ごめんね、ヒデちゃん』

 上手に説明できなくてごめん、とさっちゃんはもう一度謝った。

『とにかく、これでもうあたしがここにいる理由は無くなった。「やまのかみさま」のお陰でちょっとだけ健康になれたけど、代わりに今まで借りてた力を返したの。もう、それで終わり。命をほんのちょっと延ばしてもらったから、あたしはここから離れる。人生いちどきりなんだから、やりたいことをやりたい。ここにいると出来ないこと、生きてるうちにたくさんしたい。だって、命は無限じゃないもの』

――山の神様のお力は無限ではないよ

(おばあちゃん、おばあちゃん、おばあちゃん)

 心の中で秀郎は何度も呼ぶ。助けを叫ぶ。その先の言葉を聞きたくなくて。


『だからね、ヒデちゃん。一月あとに、さよなら、しよう』


 あまりにさっちゃんの表情が澄んでいたせいか、やっぱり何も言えなかった。




「今まで本当にありがとうございました、森下さん。紗絵子ともども、お礼の言葉はいくらあっても足りないくらいで……。これから、少しずつご恩を返していきたいと」

「水臭ェですよ、泉川さん。それより、ここまで協力したんですから例の『プロジェクト』なんとしても成功させてくださいね」

「もちろんです」

「ウチのも楽しみにしてますぜ。新聞眺めて『まだかしらー』って。これでなんも無かったらまず怒られるのは俺、そして次に泉川さんなんですからね。国際電話で雷落とされますよ。『あれだけさっちゃん放っといて、アンタなにやってたのー!』って」

「ははは、それは怖い。美知恵さんに叱られないためにも、ひと踏ん張りしてくることにします」


 秀郎のお父さんとさっちゃんのお父さんが親しげな会話をしているあいだ、秀郎たちはロビーの椅子に座っていた。

 秀郎はちらっと時計を見上げる。搭乗時間までちょっと余裕はある。でも、やっぱり何も言葉が出てこなかった。さっちゃんも物言いたげにしているが、秀郎の無表情な横顔を見つめて沈黙するのみだった。

「――あ、そうだ」

 不意に、ぽんとわざとらしい音を立てお父さんが手を打つ。

「空港土産をウチの二匹に買ってってやらないと。都心でしか売ってないイノシシサブレにタワーまんじゅう。でもどんなのだがわからんから、泉川さん、ちょっと選ぶの手伝ってくれませんか」

「え?」

「ホラ、お礼なんちゃら言ってたでしょう。時間もまだあるんだし土産セレクトくらい、お願いしますよ」

「それくらいのことお礼にも入りませんけど、え、え?」

 戸惑うさっちゃんのお父さんの背を押すようにして、秀郎のお父さんはその場から離れる。去り際、秀郎に口パクするのが見えた。

 か、ま、し、て、や、れ。

(かますって、何をかますんだ)

 お調子者のお父さんは、たまに家族でもよくわからないことをよくわからない理由で楽しもうとする。溜息をついて、秀郎は隣の存在を意識した。

(さっちゃん)

 言いたいことは山ほどある。どうして、発作がおさまったからといって遠くにいかなくちゃいけないんだ。どうして、こんなに急なんだ。前から決めてたというなら、なんでもっと早く教えてくれなかったんだ。そこまで病気が深刻だったことを、どうしてずっと黙ってた。なんで、どうして、ぼくに――

(だめだ)

 どう考えても、さっちゃんを責める言葉しか出てこない。どんなに「プラス」に考えようとしても、秀郎の心は反対の意見を上げる。だからこそ、黙っているしかなかった。

 ……ただ、本当はわかってる、今のうちに何か言わなければならないことも、今でしか伝えられないこともあるってことを。

 でも。

「……」

「……」

(言えないよ)

 最も伝えたいその言葉は秀郎の中で温まりすぎて、馴染みすぎて、大切すぎて。今となっては外に出すことすら、出来ないのだ。

 少し前なら、言えたのに。他人の前なら、ごまかしつつ言えるのに。

――線香花火のようにまたたくあの瞳を見てから、自覚してしまった想い。それは一ヶ月前からずっと、秀郎の胸の内側で燻っている。




 しばらく、沈黙が流れた。届くのは周りの喧騒、話し声。到着と出立の広報。電子音。荷物が引かれる音。

「……」

 ふう、と溜息をついたのはさっちゃんだ。椅子から立ち上がり、秀郎の方を向く。そして言った。

「ヒデちゃん。あたしに何か、言いたいことあるでしょ」

「……」

「ねえ、今のうちだよ。怒ってることでもなんでもいいから、話してよ」

「……」

「しばらく、逢えなくなるんだよ」

「……」

「ねえ……」

 沈黙したままの秀郎に、さっちゃんはもう一度溜息をついた。そして、「チッ」と荒々しく舌打ちをした。――え、舌打ち?

 聞き間違いかと思って見上げた秀郎の目に飛び込んできたのは、仁王立ちになったさっちゃん。お嬢様然とした格好に楚々と綺麗な顔立ち、なのにその表情は忌々しげに歪められていた。というか、完全に怒っていた。

(こ、こわっ)

 思わず仰け反った。叱る寸前のお母さん並みに怖い。


「――いっつまでもグジグジしやがって。それでも男か。タマついてんのか」


 何やら久々に聞いた、可愛い声に似合わないガラの悪すぎる言葉。秀郎の喉がヒッと鳴る。このモードのさっちゃんは、非常に危険なのである。逆らうとイノチガナイ。

「さ、さっちゃ、」

「男なら、ここで一発かませ。ぶちゅっとかましやがれ」

「か、かます? ぶちゅ?」

「こうだよッ」

 さっちゃんはそう言うなり、帽子を取って身を屈めた。白い手が伸び、秀郎の両頬を挟むように押さえる。そして――


 むちゅっと。柔らかい感触が、唇に触れた。吸い付いた。甘い匂い。さっちゃんの香り。


「……~~~~~!!!」

 何が起きたのか把握したとき、もうそれは離れていた。でも、でも。

 完全に呆けてしまった秀郎に、さっちゃんは笑いかける。白い耳たぶを、真っ赤に染めて。離した両手は、震えながら膝を掴んで。

「――ねえ、ヒデちゃん、」

 そうしてもう一度身を屈め、秀郎の耳元にある言葉をささやいた――



「ただいま~っとな。で、どうした守備は。かましたか? ん?なんか顔赤くねェか? どうしたヒデ」

 しばらくして戻ってきた父親の前で、秀郎は耳から見えない煙がぶしゅぶしゅ上がるままに呆けていた。魂はなかなか、戻らなかった。当のさっちゃんはもう照れることなく、何も無かったかのような素振りで父親に笑いかけているというのに。

 あの感触が、忘れられない。そしていつの間にか、さっちゃんとさよならすることの辛さも忘れていた。そんなもの、どうでも良かった。さっき起こったことに比べれば。

(さっき、さっちゃんが、ぼくに、)

 ぶしゅっとまた見えない煙が上がる。顔中が熱くて、たぶん真っ赤になってないところなんて無い。ああ、どうしよう。本当にどうしよう。

 お父さんと話しているさっちゃんとまた、目が合う。ウィンクされた。胸がずぎゅっと痛み、秀郎は椅子に沈む。ああ、もう本当に。

 一つだけ、確かなことは。


(さっちゃんは、いじわるだ)


 森下秀郎、9歳の夏。ファーストキスは、好きな女の子に奪われました。




 午後の青空にひとすじ、白い雲が這い上がっていく。

 耳鳴りにも似た轟音をまとい、またひとつの飛行機が飛び立った。


 それを見つめつつ、少年は父親に言う。


「ねえお父さん。ぼく、道場に行くよ。稽古、再開する」


「ん? ……お~そうか。でもだいじょうぶか? 門下じゃない昔はお遊びみたいなもんだったが、入門してしかも今のトシとなりゃ違くなってくる。キツいぞ」


「うん。わかってる」


 鍛えたいのは、身体だけじゃない。心も。


「強くなりたいんだ」


「……そうか」


 またあの人と、胸を張って出逢えるように。今度こそあの人に想いを伝え、あの人を抱きしめて、あの人を温めることが出来るように。

 強くなりたい。本当の意味で、強い男になりたい。


「よし。来週、師範おやっさんとこに行くか」


「うん……!」


 少年の瞳はひとすじの白い線を見つめる。青空の向こうに去っていったものを胸の奥に仕舞い、金網を握り締めた。あの銀色が見えなくなった今、自分にとっての一つの夏が終わったのだと悟った。



『さつちやんへ

 またおにいちやんといつしよに あそぼうね

 だいすきだよ

 もりした まゆみ』

『いずみ川 さえこさんへ

 お元気ですか。ぼくは元気です。アメリカに行っても、元気でいてください。ちゃんとうがいをして、かぜを引かないようにしてください。カードはあげます。なくさないようにしてください。(中略)

 それと、兄ちゃんがさびしそうなので、はやくかえってきてあげてください。

 森下育郎』



 窓の外から見える風景が、徐々に遠ざかっていく。緑の島が見る間に白い雲に包まれていくのをぼんやり眺め、少女は父親に言った。


「ねえ、親父」


「お父さんだ」


「お父さん。あたし、向こうについたら手始めに何か作ってみたいと思う」


「何を作るんだ?」


 しゃり、と少女の手元に取り出されたのは白黒の布地で作られた小さなお手玉である。膝の上に広げられた手紙や色紙と一緒に、暖かな眼差しでそれを見つめる。


「お裁縫とか編み物とか、やったことないけど。でも、これを見てたら、やってみたくなったの。お手玉……じゃなくても、何か別のもの、簡単に作れるものにチャレンジしてみたい」


 浮かんだ笑顔に想う。あなたに似合うようなものを、作ってみたい。いつかあなたが護ってくれたこと、助けてくれたことを考え、その恩返しになれるようなものを。あったかくて優しくて、やわらかくて気持ちいい、そんなものを。


「マフラーとか、どうかな」


「いいんじゃないか。で、一号はお父さんにくれるんだろう?」


「え~~それはない」


「えっ」


 くすくすと笑いながら、少女はお手玉を宙に放った。しゃり、と優しい音が鳴る。



 蝉の声も蛙の声も、徐々に消えていく。


 ここに一つの夏が終わり、少年少女の夏休みも終わった。

 来年から、また新しい夏が始まる。





さっちゃんとぼく  了


ヒデちゃん/森下秀郎もりした・ひでお・・・そんなわけで数年後はあっちゅうまに熊男になります。ただし中身はあんまり変わらず「気が優しくて力持ち」を地で行き、ギャップから女の子にモテたりあちこちから格闘スカウトが来たりと大活躍。ただ成長したさっちゃんと再会するなりさらっと道場引退して看護師道を邁進・就職と同時に結婚しちゃう辺り、とってもわかりやすい。うちの男性陣はみんなこれである


さっちゃん/泉川紗絵子いずみかわ・さえこ・・・秀郎の幼馴染で後の妻・絵里の生母。一見娘とそっくりな凶暴女子だが中身はけっこう乙女系。本来は長生きの出来ない体質だったが自身の持つ霊力で肉体を無自覚に強化、9歳までなんとか延命していた。『樫の剣』に内在霊気を分けてもらった後はしばらく体調が安定するも、絵里を産んでのち26歳で逝去。出産のせいじゃなくさすがに霊力延命が限界だったせい。本人はもちろん、人生の選択に後悔なんかしていない


おばあちゃん/森下ハツ・・・ヒデちゃんの父方の祖母。幼い頃、山菜採りをしていたら道に迷い『樫の剣』に助けられた経験を持つ。大人になってからもそのことをずっと覚えていた珍しい例で、只人なのに霊力についてほぼ正しい知識を持つこれまた稀少な人でした。お裁縫が得意


謎の白髪男/『樫の剣』・・・長生きなので番外編にも出張ってます。人型短髪は夏季仕様。謎のロックファッションは知り合いの人型種が「今の時代はこれだよ!」とばかりに薦めてきたので着てみたらしい。ヒデちゃんのおばあちゃんと逢ったときは着物着てました。そっちの方が良かったのにとかは本人に言っちゃいけない(え


長めの番外編でしたが、読んでくださってありがとうございました。

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