01 お祖父さんの形見分け
喪服をまとった若い女が2人並んで、揃って畳の上に手をついて苦しげな表情を浮かべる。
「あらあら、脚が痺れちゃったのね」
苦笑を浮かべた老いた女は、平気な顔で立ち上がり仏壇の前の僧侶に香典の包を差し出した。
ありがとうございました、と深々と頭を下げた女はまだ真新しい遺影を見上げる。
「もう四十九日なんですねぇ……」
「そうですね。今回、合わせて一回忌の法要も行いましたので、次は三回忌法要になりますか」
僧侶は香典の包と一緒に差し出されたお茶をうまそうにすすり、穏やかな声で話しながら振り返った。
「皆さんもお疲れ様でした。喜英さんはまぁお茶目な方でしたからね、ひょっとしたらその辺にいて『ほう、自分の法事はこんな感じか』と見ておられたかもしれませんね」
広い仏間に居合わせた者たちは明るく笑い声を上げる。
遺影の主、大草喜英は遺影の中で快活な笑みを浮かべていた。僧侶がおちゃめな方、と言うのが納得できるような表情だ。
「美幸ちゃんも美貴ちゃんも、立てる? 大丈夫?」
老いた女は、ほぼ最前列にいた若い女二人に話しかける。
美貴と呼ばれたショートカットの女は、すぐとなりの若い妹、美幸の脚をちょんとつついた。
「あっ!? ちょ、お、お姉ちゃん?」
「あははは、ごめん」
まだ痺れの引かない脚を突かれたせいか、美幸は苦しげな表情でううぅ、とくぐもった苦しそうな声を上げた。
「美貴ちゃんは相変わらずだな、美幸ちゃんも」
遠縁の大叔父に当たる老人は、祖父とよく似た顔でニコニコと笑う。
「二人とも、子供の頃から変わらんなぁ。仲も良くて、喜英も安心しとるだろ」
「あはは、まぁ私が出戻っちゃいましたけどね? 今は一人暮らし満喫中ですよ」
ショートカットの美貴は悪びれもせずそう言うと、親戚の男たちといっしょに笑い声を上げる。
長い髪を三つ編みにした美幸は膝立ちになったまま仏壇の前に進み出ると、改めて新しい位牌と遺影に手を合わせる。
美幸と美貴の祖父、喜英が脳溢血であっさりとこの世を去ったのは2ヶ月ほど前のことだった。正月に実家の両親とともに訪れたときはピンピンしており、孫娘の来訪に大喜びしてやれ寿司だやれ鰻だやれ焼き肉だと、散々もてなそうとしては妻である幸子に嗜められていた。
「急だったよね、お祖父ちゃん」
「そうねぇ。でも苦しまなかったみたいだし、最後に美幸ちゃんにも美貴ちゃんにも会えて、満足だったと思うわよ?」
「……そっか……」
法事が終わったのち、遠方からやってきた伯父や大叔母などは『じゃあそろそろ』と言って立ち上がり、祖父の家の前で待機していたタクシーに乗り込んで行く。
法事が終わって30分後には集まった親戚は引き上げていき、広い家の中には美幸と美貴の両親と祖母の幸子だけが残ることとなった。
「ねえお祖母ちゃん、お祖父ちゃんの部屋見ても良い?」
「良いわよ。何か持っていきたいものがあったら、形見分けで持って行って良いから」
快活な性格の美貴は慣れた様子で祖母の家の廊下を進む。美幸も仕方なく、という様子でその後ろに続き、亡き祖父の書斎へと足を踏み入れた。
美幸は、幼い頃はここで祖父に『おはなしして』とせがんでは、若い頃は貿易に携わっていたという祖父から遠い国の話を聞くのが好きだった。海外で買ってきたという様々な珍しいものを見せて貰ったのも、幼い日の思い出の一つだ。
「へぇ、これカメラだ」
美貴が取り出したのは、黒い箱にレンズがふたつ縦に並んでいる、奇妙な機械。
「知ってる? これね、二眼レフっていうの。私いまカメラにハマっててさぁ……良いなぁコレ。ローライコードっていう凄い良いカメラだよ。使えるかわかんないけど」
「そんな古いカメラ、いまも使えるの?」
「使えるよ。フィルムなんかもヨドバシで売ってるし、現像もしてもらえるみたい」
好き放題に古そうなカメラを弄り回しているところに、祖母の幸子がやってきた。美貴の様子を見て『あらあら』と苦笑のような表情を浮かべて、かつて祖父喜英が愛用していた椅子に腰掛ける。
「ね、お祖母ちゃんコレちょうだい」
「それ? 良いわよ。でもお祖母ちゃんも使い方わかんないわよ?」
「大丈夫、私こういうの得意だから。持って帰って良いかな」
「そうしてちょうだい。そういうの、ちゃんと価値がわかる人が使ってくれたほうが良いと思うから。美幸ちゃんは? 何か持ってかなくていいの?」
「えっ? 私? ……えっと……どうしようかな」
美幸はきょろきょろと祖父の書斎の棚や机の上に視線を移す。
その視線が、小さな金属製のケースをとらえた。
「これ……開けても良い?」
「えぇ、良いわよ」
美幸が手にとった金属製のケースはいかにも古そうではあったが、不思議と錆びてはいない。真鍮製のずっしりとしたケースだった。
蓋をあけると、そこにあったのは一本のペンだ。
落ち着いた色合いの木で造られた軸に、美しい銀色の大きなキャップがつけられている。キャップには恐らくメーカー名であろうか、小さくアルファベットでファーバー・カステルと刻印されていた。
「……万年筆……?」
真鍮のケースの内側にはベルベットの生地で覆われた上質な詰め物が入れられており、美しい光沢を放つペンを優しく支えている。
美幸も見た事のないペンだった。だが、ペンそのものやケースの美しさから、祖父が特別に大切にしていたものであろうことは、十分に読み取れた。
「あら、そのペン……そんなところにあったのねぇ」
まるで宝物でも見つけたかのように嬉しそうな笑みを浮かべて、幸子はペンケースを覗き込む。
「美幸ちゃん、そういうの好きだったわよね? 良いわよ、使ってあげて?」
「えっ、良いの?」
「もちろん」
幸子は嬉しそうに頷いて、金属製のケースを持った美幸の手をそっと取ると、蓋を締めてケースを握らせる。
「そのカメラも万年筆も、使う人がいないとただのゴミになっちゃうけど、使ってくれる人がいれば道具として生き延びられるの。ふたりとも遠慮しないで、使ってちょうだい。お祖父ちゃんの形見だと思って」
嬉しそうな笑みを浮かべた幸子がそう言うと、美貴は本当に遠慮のカケラもないように『じゃこのカメラも! あっ、ここにもある!』と古いカメラを幾つも手に取り始めた。
孫娘の姿に『あらあら』と笑みを浮かべた幸子は、まだペンケースを握ったまま立ち尽くしているおとなしい美幸を見上げる。
「美幸ちゃんは? それだけでいいの?」
「う、うん。私、機械とか苦手だから、このペンだけで良い。ありがとう、お祖母ちゃん」
手早く喪服から普段着に着替えて、5つ年の離れた姉妹は再び祖父の書斎に戻ってきた。
「ねぇお姉ちゃん」
「んー? なに? どした?」
少しばかり年齢が離れてはいるものの、美貴と美幸は大変に仲が良い。
二人ともに就職して独立し、親元を離れ一人暮らしをしている。お互いの家が電車で5駅と微妙な距離にあるが、よくお互いの家に泊まっては一緒に買い物に出かけたり、車を持っている美貴が美幸をドライブに誘ったりしている。
「お義兄さん、呼ばなくて良かったの?」
「良いよ別に。離婚したもん。呼ぶ義理なくない?」
「そっか……」
美貴は1年半ほど前に離婚している。
原因はお互いの仕事が多忙になったためのすれ違いと、子供を持つか否かという重要な意見が食い違ったためだ。
子供が欲しい美貴に対して『まだいらない』という元夫の意見は、ついに妥協点を見出すことはなかった。
29才の美貴にとって、子供を作るか否かもそうだが『いつ作るか』は極めて大切な要素になる。
「ま、しょうがないよ。お互い譲れないものがあって、妥協点がなかったんだから。美幸は結婚するときはちゃんと事前に話し合いなよ? じゃないと、あとから『こんなはずじゃなかったのに』っての、結構キツいからさ」
実にあっけらかんとした様子の美貴は、美幸とは正反対の性格と言える。
幼い頃から内気で引っ込み思案で人見知りで、大人しく気弱で人前に出るのが何よりも苦手だった美幸に対して、姉の美貴は友人も歴代彼氏も多く、明るく社交的で大変人懐っこい性格だ。
その人柄を生かしてか、現在東京都内の大手楽器メーカーで広報として働いている。元バレーボール部でスポーツも出来、長身のモデル体型にボーイッシュながら整った顔立ちからか、いまでも男から声をかけられる。
当の本人は『しばらく男は要らない』と、もっぱら内気でおとなしい妹に愛情を向けていた。
美幸は美貴と同じ学校を卒業したものの、小中学生の頃からの筋金入りの『ぼっち』である。
人との会話も苦手で、人見知りのため初対面の相手とはなかなか話すことも出来ない。大学の文学部を卒業する間近まで長引いた就職活動でも、面接でうまく話せなかったため『お祈りメール』を数十通受け取り、心が折れかけたこともある。
何とかIT企業に入社出来たものの、特にパソコンやスマホが苦手なため、もっぱら事務方の仕事に従事している。当然のように交際経験もなく、異性の友人も、なんなら同性の友人も誰もいない、という有り様だ。
「美幸もまだ24だけどさ、そろそろ色々考えといた方が良いよ。女の二十代って早いっていうし、三十代はもっと早いんだって。男みたいにのんびりしてらんないかもねぇ」
大きく伸びをする美貴と、申し訳なさそうに少し猫背になっている美幸は、服装まで正反対だ。
やや露出の多い活動的な服を好む美貴に、全身ユニクロか無印良品の、地味で露出の極めて少ない服を好む美幸。幼い頃から正反対の二人だったが、幼い頃から不思議なくらい仲が良かった。
面倒見の良い姉に、『おねえちゃん待って』とついていく妹、という構図は今でも変わらない。
「で? 美幸んとこはどう? 仕事は順調?」
「え? あ、うん……まぁ、ぼちぼち」
「美幸って毎回それじゃん。ホントに大丈夫? 何かトラブったりとかしてない?」
「うん、大丈夫」
「そっか……まぁそれなら良いんだけど、もし何かあったらいつでも言いなさいよ? セクハラとかモラハラとかパワハラとか、可愛い妹をイジメるヤツは私が許さないから」
「だ、大丈夫だよ。お姉ちゃんこそどうなの? 仕事忙しいんでしょ?」
「まぁね。私は忙しいくらいがちょうど良いかな。暇だとロクなことしないしさ」
あっははは、と大笑いする美貴は、暇になると本当に『小人閑居して不善をなす』を地で行ってしまう。
大学生の頃は暇つぶしに軽自動車で日本一周の旅に出て、車が故障して立ち往生したこともある。離婚したばかりの頃などは突然美幸を誘って旅行に行き、旅先でやけ酒を飲んで潰れてしまった。
「あーぁ、明日から仕事かぁ。ヤだなぁ」
実に正直に、呟くなどという生易しい声量ではなく豪快に言い放つと、大きく伸びをしてから祖父の書斎の棚をあさり始める。
「……お姉ちゃん、さすがにもうないんじゃない?」
「いやいやいや、あのお祖父ちゃんだよ? 絶対まだ何かあるって! ……おっ! ほぉらあった! やっぱあるじゃん! ペンタックスのカメラ! これももーらい!」
あぁもう、と小さく呟いた美幸の耳に、少し離れたところから母が呼ぶ声が届く。
この日、美貴と美幸の姉妹、それに両親と祖母の幸子は、近くの中華料理屋で夕食を食べて祖父の家に泊まる事となった。




