第一話 女神様のうっかりミスと私のエラー級異世界ライフ
冷たい水が、容赦なく私の体温を奪っていく。
息苦しさと恐怖でパニックになりそうな頭の片隅で、私はただ一つだけを願っていた。
(あの子、ちゃんと岸に着いたかな……)
夏休み、友達と遊びに来ていた近所の川。
そこで溺れていた小さな男の子を見つけた時、私は何も考えずに飛び込んでいた。
なんとか男の子の体を押し上げ、浅瀬に向かって突き飛ばしたところまでは覚えている。けれど、その反動と流れの速さに負けて、十一歳の私の体はあっけなく川底へと引きずり込まれてしまった。
ぶくぶくと泡が上へ向かっていくのを見つめながら、私の意識は暗闇へと沈んでいった。
◆
「……あ、れ?」
冷たさも、息苦しさもない。
ゆっくりと目を開けると、そこは果てしなく広がる真っ白な空間だった。
「目が覚めましたか、勇敢な魂よ」
不意に、頭の上から声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、空中に一人の女性が浮かんでいる。透き通るような金の髪に、真っ白なドレス。背中には光り輝く羽。ゲームや漫画で見る『女神様』そのものの姿だった。
「ここは……?」
「ここは生と死の狭間。私はこの世界を管理する女神です。あなたは自らの命と引き換えに、幼い命を救いました。その尊い自己犠牲により、膨大な『徳』が積まれたのです」
「私が、死んだ……」
「ええ。ですが悲しむことはありません。その徳へのご褒美として、特別なスキルを授け、剣と魔法の異世界へ転生させてあげましょう」
女神様は慈愛に満ちた笑みを浮かべて、大げさに両手を広げた。
剣と魔法の異世界。転生。特別なスキル。
普通の小学生ならワクワクする言葉の羅列かもしれない。でも、今の私にはそんなことよりもずっと大事なことがあった。
「待って! あの子は!? 私が助けようとした男の子は無事なの!?」
「え?」
「異世界とかスキルとか、今はどうでもいいの! あの子が助かってなきゃ、私が飛び込んだ意味がないじゃない!」
私の剣幕に押されたのか、女神様はたじろぎながら宙に指を這わせた。
すると空中に半透明の板のようなものが現れ、そこに様々な文字が流れていく。
「え、ええと……少々お待ちくださいね。今確認しますから……あ、大丈夫です。彼は無事に岸にたどり着き、近くにいた大人に保護されました。命に別状はありません」
「……っ、よかったぁ……!」
私はその場にへたり込み、深く息を吐き出した。
自分が死んでしまったのは怖いし、お父さんやお母さんに会えなくなるのはすごく悲しい。でも、あの子の未来がちゃんと続いていくなら、私の行動は無駄じゃなかったんだ。
「本当に素晴らしい慈愛の精神です。己の死よりも他者の生を喜ぶとは。では、改めてあなたに相応しいスキルを――って、きゃああああ!?」
突然、女神様が素っ頓狂な悲鳴を上げた。
見れば、私が座り込んでいる足元から、眩しい光の陣が浮かび上がっている。
「て、転生のゲートが閉まりかけています! あなたが男の子の安否なんて気にして時間を食うから、滞在時間の限界が来てしまったのです!」
「ええっ!? 女神様が確認に手間取ったせいじゃん!」
「と、とにかく急いでスキルを付与します! 焦らないで、私! えっと、初期スキルは……『身体強化』と『魔力操作』! ポイントを割り振ってレベルを設定して……ああっ、手が滑っ」
ピピピピピピピピピッ!!
女神様が操作していた半透明の板から、けたたましい警告音が鳴り響いた。
「え?」
「あああっ! ゼロの桁をいくつか間違えました! 限界突破してエラーを吐いています!」
「ちょっと、大丈夫なのそれ!?」
「修正している時間はありません! もうゲートが完全に開きます! とりあえず、異世界で元気に生きてくださいませーっ!」
「ちょっと待って、女神さまああああ!?」
足元の光が爆発的に膨れ上がり、私の視界を完全に白く染め上げた。
そして今度こそ、私の意識はプツリと途切れた。
◆
チュン、チュンチュン。
のどかな鳥のさえずりと、頬を撫でる柔らかい風の感触で目が覚めた。
起き上がって辺りを見回すと、見渡す限りの大草原だった。遠くには大きな森が見える。
服は死んだ時に着ていたTシャツと短パンのままだし、体も十一歳の私のままだ。どうやら赤ん坊からやり直しというわけではなく、この体のまま転生したらしい。
「……ほんとに異世界に来ちゃったんだ」
ぽつりと呟いた自分の声は、風にさらわれて消えた。
これからどうしよう。まずは人がいる町を探さないと。
そう思って立ち上がろうと地面に手をついた、その瞬間。
ドゴォォォォォォォンッ!!!
「……え?」
私が軽く手をついた地面を中心に、すさまじい轟音と共に大地が陥没した。
まるで隕石でも落ちたかのような巨大なクレーターが出来上がり、土煙が舞い上がる。
「な、なにこれ……?」
唖然とする私の脳内に、無機質な声が響いた。
《エラーレベルの『身体強化』を確認しました。現在、対象者の筋力・耐久力は通常の人類の約一億倍に設定されています》
「……一億倍?」
私は震える手で、もう一度そっと地面に触れてみた。
指先が触れただけで、岩盤が豆腐のように崩れ去っていく。
どうやら私の異世界ライフは、女神様の盛大なうっかりミスのせいで、とんでもないハードモードになってしまったらしい。




