破綻せし盤面、北塔の影と舞い戻る聖薔薇
リヒトが身を挺して一席ルーグの神域の暴威を食い止めている、まさにその広場の別方面――。
そこではルシウスが、戦場の全容を冷徹に把握しつつ、残されたジャッカル兵をメーガスの遺した大転移魔法陣へと必死に誘導していた。
すでに半数以上のジャッカル兵は転移を完了させ、安全圏へと離脱している。残る兵の数は「千未満」というところまで漕ぎ着けていた。
だが、そのすべてを撤退させ切るには未だあまりに時間が足りず、広場の戦況は混迷の極みに達していた。
撤退の足を鈍らせている要因は、大きく分けて三つ。
一つは、リヒトとルーグの激突によって発生している、定期的な地震とすさまじい衝撃波だ。ただの余波でありながら、並の兵士であれば足元をすくわれ、防戦を強いられるほどの圧。
それが轟くたびに、兵たちの進軍が物理的に止められてしまう。
二つ目は、もともと飛鳥の率いる軍と交戦していた帝国兵の、思いのほか執拗な残存勢力による抗戦。
地下からの増援は一之瀬兄妹が完璧に遮断してくれているため心配ないが、広場に元からいた手練れの帝国兵たちが、退路を断とうと泥泥の白兵戦を仕掛けてきている。
そして三つ目――これが最も致命的だった。
拳聖ロックと、一時的な共闘関係にある武闘会組の凄絶な死闘が、あろうことか『転移魔法陣の目と鼻の先』で繰り広げられているのだ。
全リソースを戦闘に回したロックの拳と、それを殺しにかかる四人の連撃。
その余波の渦へ迂闊に近づけば、一般兵など一瞬で巻き込まれて肉片へと変わりかねない。
とはいえ、あの拳聖ロックを相手に、自分たちの命を保ちながら「戦場を魔法陣からずらす」などという器用な真似ができるはずもなかった。
兵たちは、まさに命がけで怪獣たちの隙を伺いながら、匍匐前進を強いられるような有様で撤退を続けているのが現状だった。
ルシウス(くっ……! とはいえ、いつまでも時間はかけていられない。この戦力差だ、リヒトの魔力だって無限じゃない。……。そういえば、先ほどまでロックと交戦していたジャックはどこへ行った……?)
混戦の中で姿が見えなくなっていた狂戦士の行方を案じ、ルシウスが思考の糸を飛ばした刹那、かつてないタイミングで念話が繋がった。
リュド(――ご心配なく、ルシウス様。飛鳥様の避難を終えた私が、限界を迎えていたジャック様をすでに戦場から回収し、影と共に闘技場へと移動しております)
ルシウス(リュドか……! いつの間に……。いや、重畳だ。無事ならそれでいい)
リュド(闘技場では、メーガス様やギーク様を中心に、着実に帝都外への最終撤退準備が進んでおります。……ルシウス様たちも、どうかお急ぎください。長を、よろしくお願いいたします)
ルシウス(わかった。――切るよ)
リュドとの短いやり取りを終えたルシウスは、即座に思考を現在の広場の盤面へと引き戻す。
冷静な軍師の頭脳が弾き出した結論は、あまりにも過酷なものだった。
ルシウス(……。おそらく、目の前の剣聖たちをここで肉体ごと足止めし、自力でこの帝国を脱出する『囮』がいなければ、この事態は全滅という最悪の形で収拾がつかなくなるところまで来ているな……)
千の兵を逃がし、転移陣を維持し、ルーグとロックという二大最高武力を縛り付ける。
となれば、誰がその命を賭した役割を担うかだ。
順当にいけば、頭数としてはリヒトとルシウスの二人。
しかし、リヒトはともかくとして、ルシウス自身の現在のスペックでは、あの2ndを解放しルーグや、本気になったロックを止めるだけの力は到底持ち合わせていない。
ルシウス(僕の盤面予測が、ここまで力負けするとはね……。クソっ……!)
かつてない歯がゆさと、実力差への無力感に胸を焦がしながらも、ルシウスは諦めることなく、なんとかこの絶望的な盤面をひっくり返す「次の一手」を模索し、必死に思考の歯車を回し続ける。
自軍の兵を一人でも多く光の中へと誘導しながら、天才軍師は、帝国の夜空へ届かんばかりの知略の罠を必死に組み立てようとしていた。
各々が全力を賭して己の目的達成のために死力を尽くしていた、まさにその時。
広場の混沌とした戦局を強引に割らんばかりの、悲鳴に似た伝令の声が響き渡る。
伝令「で、伝令ッ!! ロック様に、緊急の伝令です!!」
ロック「むぅ……!?」
武闘会組の四人を全霊で相手取り、まさにその拳をさらに加速させようとしていたロックに、急にもたらされたその最優先の伝令。
戦場の中心で放たれたあまりの異様さに、さしもの拳聖も一瞬だけ意識をそちらに取られる。
ガルナ「――そんな大隙、見逃すわけねえだろうがぁッ!!!」
その一瞬の硬直を完璧に捉え、ガルナが全霊の魔力を込めた決死の突きを放つ。
しかし、ロックは当然の如くそれを肉の手で防ぎ切ると、流れるような連撃の片手で強烈なカウンターの反撃を加え、ガルナの巨躯を遥か後方へと吹き飛ばしてみせた。
伝令「王城のグ、グァイス様からの直令です! ――北魔石塔の地下付近に、正体不明の『敵の増援』が出現! その規模および戦力、我ら帝国常備軍では完全に太刀打ちできず、剣聖でなくば対応不可!! ロック様は至急、現場へ向かいこれを迎撃せよ、とのことです!」
ロック「なんと! この期に及んで北塔にか! ……ルーグ殿!」
伝令の信じがたい報告を聞いたロックは、なおも死に物狂いで食い下がってくるソウエンらの攻撃を軽々とあしらいながら、広場の中心で輝く一席へと鋭い声をかける。
ルーグ「聞いた通りだろう、ロック。すでにこの広場に、これ以上私たちの戦局を脅かすほどの余剰戦力はもう残っていない。私一人で十分に事足りるさ。――行くといい」
ロック「かかっ! 相変わらずの豪胆さよな! ならば、そちらの不届き者の首、喜んでワシが捻り潰しに向かうとしようか!」
ミル・シャウ「――行かせるとでも、思ってんの!?!?(思ってるのか!?)」
踵を返し、その場を離脱しようとするロックの前に、ミルとシャウの二人が立ち塞がる。
行く手を完全に阻むように武器を構える二人を見たロックは、獰猛に片目を吊り上がらせて静かに問うた。
ロック「今更お前さんたちが束になってかかろうと、このワシを物理的に止められないことくらい、身を以て理解しておるはずだがのう。おとなしくそこをあけてワシを通すことこそが、お前さんたちが今日生き残るための、唯一の賢い道だと思うがなぁ?」
シャウ「へへっ……。でもさ、こんなに理不尽に強い人と、命懸けで戦える機会なんてこの先もう滅多にないんだよね。ここで挑まなきゃ、武人として損だろう!」
ロック「なるほど……。心地よいな、その純粋な武の魂は。――だがなぁッ!!!」
ドゴオオオン!!!!
刹那。
瞬間的に放たれたロックの踏み込みと拳は、夕刻からのこれまでのどの攻撃よりも遥かに速く、そして絶望的なまでに重たかった。
シャウ「かっ……はぁっ……!?!?」
シャウの身体は、正面からロックの闘気が乗った一撃の威力をすべてまともに受け止める形となり、防ぐ間もなく木の葉のように広場の隅へと凄絶な勢いで吹き飛ばされていった。
ロック「ワシに挑むには、まだ百年早いッ!!」
圧倒的な力の差を見せつけ、そう言い残すと同時にロックは巨躯を翻し、北塔方面へと凄まじい地響きを立てて歩みを進めていったのだった。
その一部始終、すべてのやり取りを視界に収めていたルシウスは、激しく思考を回転させる。
ルシウス(――北塔付近に、ジャッカルの『増援』……? 馬鹿な、そんな作戦配置、僕は絶対に指示していない。グァイスの目を欺くためのブラフか……? だとしたら一体、誰がそんな大掛かりな仕掛けを動かしているんだ……?)
ジャッカルの保有する動くべき全戦力は、すでにこの広場か、あるいはリヒトが守る闘技場にすべて集結している。ならば、北魔石塔に突如として展開しているという、あの拳聖ロックがわざわざ向かわねばならないほどの超絶的な戦力とは何者なのか。
ルシウスがどれほどの思考を重ね、戦術の盤面をめくっても、その答えにだけはどうしても辿り着けずにいた。
だが――原因はどうあれ、目の前の兵士たちを安全に魔法陣へと撤退させるための「状況」としては、これ以上ないほど劇的に好転したことに間違いはなかった。最悪の盾であったロックが消えたのだ、これなら残る千の兵を迅速に逃がし切れる。
そのはずだった、のだが。
ズゥゥゥゥン……。
不気味な、しかし狂暴極まる地響きのような「圧力」が、広場の入り口から響く。
好転しかけた盤面を、あざ笑うかのように。
この絶望の広場に、帝国の誇る最後の剣聖――三席ドルネが、最悪のタイミングで合流してしまったのだった。




