第十一話 何もせずに後悔するより
魔導学院の訓練場のすぐ近くまでやって来た俺達は、大きな岩の陰に身を隠した。
息を詰め、岩の縁からそっと顔を覗かせる。
訓練場にいる魔導学院の生徒達が、上空に浮かぶマンティコアへ向けて次から次へと魔術を放っていた。
呪文の詠唱が幾重にも波紋を広げ、辺りに反響する。
「……」
凄いな。
場違いにも、その壮絶な光景に思わず見入ってしまう。
どれだけ修練を積んでも、俺がまったく使えなかった「魔術」をいとも簡単に。
魔導学院の生徒達なのだから、魔術が使えるのは当たり前なのだろう。
それにしても、ああも易々と魔術を行使する姿を見ると、己の無能さが嫌でも身に染みてくる。
「間近で見ると、やっぱ、すげぇ迫力だな……」
すぐ隣で同じように顔を突き出していたデュオが、ゴクリと喉を鳴らした。
「だけど……魔術の攻撃は、マンティコアにはまったく効いてないみたい」
頭上で浮遊するマンティコアへ厳しい視線を向けるタチアナ。
確かに彼女が言う通り、生徒達が放つ魔術はマンティコアを覆う赤い魔力の膜に触れた瞬間、すべて霧散している。
いや、違う。
あの赤い魔力に、魔術が吸収されているように見える。
それに、気のせいでなければ、マンティコアの躰が徐々に大きくなっているような……
「え? マジ? あいつらの攻撃効いてないの?」
「うん。マンティコアは幻獣だから。幻獣は、魔力を餌として動くの。多分、彼らの魔術は全部吸収されている」
「お前、そんなことよく知ってるな? それにマンティコア? だっけ? 俺、そんな名前の魔物、全然聞いたことないんですけど」
デュオが不思議がるのは当然だろう。
実は俺も気になっていた。
幻獣の存在については、幼少の頃、何かの書物で読んだ記憶がある。
しかし、実際にその名前で知っているのは、リヴァイアサンやバハムート、ハジリコックなどの有名どころだけ。
マンティコアも、その名を聞けば分かるが、すぐに姿と一致させるのは難しい。
「まあ……昔、ちょっと好きで勉強しただけ」
タチアナは、ごにょごにょと誤魔化すような早口で言うと、
「それよりも! 今はあいつをどうするか考えないと」
やや強引に話を逸らした。
その態度に、俺はやや不自然さを覚えたが、あえて黙っておく。
理由は知る由もないが、誰にでも人に知られたくないことの一つや二つはあるだろう。
デュオもどこか納得できないような表情を浮かべていたが、結局それ以上は何も訊かなかった。
「タチアナ。あの幻獣は魔導学院の生徒達の魔力を吸収していると言ったな?」
「うん。そうだよ」
「じゃあ、あいつの躰が大きくなっているのは、魔力を吸い込んだせいか?」
マンティコアの躰の輪郭は、刻一刻と膨らんでいる。
見間違いなどではない。
特に腹部はこんもりと盛り上がり、まるで子を宿しているようにさえ見える。
「たぶん……そうだと思う。魔力がどうやって躰に蓄積するかは知らないけど。一度にたくさんの魔力を取り込み過ぎれば、ああなっちゃうのかも。……ごめん、はっきりしなくて」
「……いや」
珍しく自信なさげな眉尻を下げるタチアナに、俺は「それだけ分かれば十分だ」と、軽く片手を上げた。
(魔力を吸収して躰が太っていくか……。あのまま魔術の攻撃を続けていても、到底、魔導学院の生徒達ではマンティコアを倒せそうにない。かと言って、俺達にもまともに戦う術はない。一か八か、やってみるか……)
それは多分に危うい賭け。
そう言えば、つい先日も、街の裏道で魔導学院の生徒相手に無茶な暴挙に及んだばかりだ。
状況を考えれば、今、目の前に横たわる危険性はあの時より遥かに高い。
というか、失敗すれば死ぬ可能性が大だ。
まあ……でも、悪くはない。
後生大事にするような命ではないからな。
誰かを守ろうとして果てたなら、多少は両親とオリヴィアに顔向けも出来るというものだ。
「デュオ、タチアナ。ひとつ試したいことがある。もし、上手くいかなかった場合、お前達はここから逃げるんだ」
「え? 何するつもりだよ。っていうか、あの魔物とやり合うつもりか? やめとけ、無理だって。お前は魔術とか使えないだろ」
「そ、そうだよ。珍しくデュオの言うことは正しいって。オグマ、死んじゃうよ」
血相を変えたデュオとタチアナが必死に俺を押し止める。
どうやら、二人は本気で俺の身を案じてくれているようだ。
自然と、唇の端に笑みが浮かぶ。
同時に、一切の迷いが晴れた。
「デュオと同じで、俺もマンティコアについてはよく知らないが、相当に強いんだろ?」
「そりゃ、幻獣だからね。かつて、悪魔族の魔導技術の粋を集めて生み出された超生物兵器だもん。本来なら、あの生徒達を一瞬で消し去れる力があるはず」
「なら、なおのことここで何とかするしかない。この場所からシャルルロワの街までさほど離れてはいないからな。次の標的にされることは間違いないだろう」
つまり、ここで対処しなければ、街が甚大な被害を受けることになる。
仮に、シャルルロワとは別の場所へ行ったとしても、それはそれで後味が悪い。
却下だ。
魔導学院の生徒達の詠唱が次第に止んでいく。
おそらく、魔力切れを起こしたのだろう。
力を使い果たしたように、バタバタと地面に倒れる生徒達。
上空にいるマンティコアはほぼ無傷だ。
その体躯は、今や二回り以上も巨大になっている。
「……グルㇽゥゥッゥゥッッ!」
まだ腹が満たされないのか、マンティコアが獰猛に喉を鳴らした。
魔力を寄こせと、催促しているようだ。
口や鼻から炎の混じった息を吐き出す。
躰を覆う魔力の膜が、一層赤い輝きを帯びていた。
生徒達の魔力を体内に取り込み、我が物としているのだろう。
「コオッォォォォォォォォォォォ………!!」
マンティコアが全身を大きく膨らまし、鋭い息を吸い込み始めた。
大気が唸りを上げ、ゾロリと牙の覗く口蓋へと吸い込まれていく。
「何を始めるつもりだ?」
俺達三人は腰を低く落とし、油断なく状況を注視した。
「何か攻撃を仕掛けてくるつもりか?」
「いや……それとは違う」
目線を地上へと戻した俺は、驚きに目を見開く。
生徒達の身体から、細長い線のようなものが上から釣り出されるようにして漏れている。
それは、空中を漂うようにして上へ上へ――マンティコアのほうへと引き寄せられいた。
あれは、魔力。
生徒達の身体から、強制的に魔力を吸い取ろうとしている。
「どうやら、これ以上は悠長にしていられないようだ。マンティコアはさらに生徒達から魔力を奪うつもりだ」
ただでさえ魔力切れを起こしている生徒達から無理に魔力を引き出せば、魔力欠乏症になる。
下手をすれば、そのまま命を落としてしまうかもしれない。
「お前さ……まさか魔力が視えるのかよ?」
「ああ」
「……まじか。どんだけ真の力を隠してるんだよ。何か、オグマは救国の英雄様か?」
何故か、本気であきれたような表情でデュオが突っ込んでくる。
言っている意味がよく理解できない俺は首を捻る。
「いや、別にそういうつもりはないが……」
魔力が視える人間は確かに希少だ。
けれど、絶無というわけでもない。
あえて自分から打ち明けるような真似はしないが、知られたとしても多少珍らしがられるだけだ。
「ほんとお前って、無欲っていうか慎み深いっていうか。まあ、らしいっちゃらしいけどな」
「ちょっと二人とも、今はそんな話をしてる場合じゃないでしょ。確かにオグマは凄いし、魔力が視える件については、後できっちり事情聴取させてもらうけど」
そうなのか。
後から事情聴取を受けるのか、俺は。
どうも、この二人に対してはなるべく隠し事はしないほうがいいらしい。
「それで、本当にいい案があるの、オグマ?」
上目遣いのタチアナの視線を受けて、俺は小さく首肯する。
「……ただの思い付きだから、上手くいくかは分からない。ただ、俺達にはマンティコアと戦うすべはない。やるだけの価値はあると思う」
「分かった。私はオグマを信じるよ」
「まあ、俺も、お前なら何かやってくれそうな気がする」
タチアナとデュオの声音には、俺に対する信頼の響きが含まれていた。
これは、失敗ができないな。
正直、あまり自信はないのだが……
「さっきも言ったが、もし俺がやられるようなことがあったら、すぐに逃げてくれ」
言ってみれば、デュオとタチアナは俺の無謀な行動に巻き込まれた形になる。
そもそも、俺達はただの穴掘り屋なのだから、マンティコアと対峙しようとするほうがおかしい。
「分かった。遠慮なく俺はそうさてもらうよ。お前の最後をしっかりと見届けてな」
おどけたようにデュオはニヤリと頬を歪めた。
「……無理はしないでね」
タチアナは俺の手をそっと握ると、消え入るような声で呟いた。
「ああ」
俺は二人に笑いかけ――実際にそうなったか分からないが、岩場の陰から走り出した。