第一話 運命の追放
その日――
俺は早朝から父に呼び出されていた。
予感。
いや、そんな曖昧なものではない。
ほとんど確信に近い思いが、胸に兆す。
ついに、恐れていたこの日が来てしまったのだ。
細部まで掃除の行き届いた長い廊下を歩く俺の足取りは、当然重かった。
まるで、刑場へと歩みを進める死刑囚のようだ。
――何を大袈裟な。
そう自分自身を嘲笑ってみても、凍りついたように俺の唇は動かなかった。
「……来たか」
父の執務室へ入ると、異物を遠巻きにするような視線が身を突き刺す。
背の高い椅子に深々と座る父の顔には、さながら能面のように感情らしい感情が浮かんでいなかった。
父の隣に立つ母にいたっては、俺と目線を合わせようともしない。
貴族の家、それも国を支える五大公家ともなれば、当主とその夫人が子育てにまったく関与しないのは特段おかしな話ではない。
自分はこの両親の息子である前に、あくまでマイロード家の嫡男であることを、俺は物心ついた頃より理解していた。
「兄さま……」
父を挟んで母の反対側に立つ妹のオリヴィアが、おそらく無意識なのだろう、俺を呼んだ。
黒目がちな大きな瞳に涙を一杯に溜め、それが零れてしまわないように必死に唇を噛んでいる。
およそ甲斐性も愛想もあるとは言い難い、こんな不肖の兄の俺を慕ってくれた、オリヴィア。
家族の中で、誰よりも本当の家族でいてくれたのがオリヴィアだった。
そんな妹に辛い思いをさせていることが、何よりも悲しい。
誰のためでもない、ただ、オリヴィアにとって誇れる兄で在りたかった。
「今日、何故お前がここへ呼ばれたのか、分かるな?」
父は、いつもこうだ。
多くの言葉を語らず、ひたすら相手に理解を強いる。
要は、鈍間な人間が嫌いなのだ。
一を聞いて十を知らなければ、この父の側にはいられない。
「はい」
直立不動の姿勢を取ったまま、俺は小さく返す。
事ここに至っては、もはやどんな弁明も無意味なことは分かっている。
せめて最後ぐらいは、マイロード家の嫡男として潔くいたい。
それが、唯一の親孝行に思えた。
「ふぅ……」
父は、聞こえよがしに大きな溜息を吐くと、脱力したように肘掛けにもたれ掛かった。
汚物を見下ろすような、その目で続ける。
「よもや、お前がまったく魔術の使えない役立たずに成り果てるとはな。いやはや、人の運命とはまったく分からいものだ」
ゆるゆると頭を振った父の口元に、苦い笑みが浮かぶ。
母は相変わらずつまらなそうな横顔で、窓の外を眺めている。
一刻も早く、このくだらない茶番が終わって欲しい。
そんな気配を漂わせながら。
「思えば、お前は早くから卓越した才覚の片鱗を見せてきた。生まれた直後に計測した魔力の量は破格。三歳にして早くも多くの言葉を覚え、五歳の頃にはすでに難解な魔導書を読み始めていた。計算の能力にも長け、記憶力も抜群。剣術もめきめきと上達し、同年代の子どもでは、まともに相手にならなかった」
遠くを見つめるような父の眼差しに、ほんの僅かに親としての情愛が滲む。
いや、そう見えたのは、単なる俺の願望に過ぎない。
きっと。
「それだけに、わしはお前に過剰な期待を寄せずにはいられなかった。お前も知っていようが、我がマイロード家は、現在、魔導騎士団の精鋭 <聖十三> にたった一人の魔導騎士も出しておらん。五大公家で唯一な。これは恥だ。由々しき事態なのだ。わしは右腕を失い <聖十三> の座を追われ、先日には、兄上が魔導騎士を引退した。建国以来、武の一門として連綿と国王と騎士団を支え続けてきたマイロード家は、今まさに存亡の危機にある」
だから――と、父は射竦めるように俺を睨む。
「お前に期待していたのだ。それなのに、まさか……まさか、魔術がまったく使えないとはな……」
消え入るような語尾の後に、打って変わって父の哄笑が室内に響き渡る。
「これが、笑わずにいられるか。なあ、オグマ、そうだろう? ハァーハッハッ! ハァーハッハッハ!」
不甲斐ない息子を嘲っているのか、それとも不運な己の境遇を嘆いているのか、俺には判然としなかった。
「……」
血が滲むほど強く奥歯を噛み締め、俺は腹の底から湧き起こる想念を打ち払う。
たった一言の抗弁さえも、許されるはずがない。
父の言はもっともであり、すべての責任は俺にある。
「魔導騎士の道が閉ざされたお前など、もはや役立たずの家畜と同義。このまま、この家に留め置くことなどできん。せめてもの親としての情けゆえ、身の振り方を考えるために六カ月の猶予をやった。しかし、それも今日までだ。即刻、この家から出ていけ!」
「お、お父様ッ!」
「黙れ、オリヴィア!」
たまらずに声を上げたオリヴィアを、父の大声量が一喝する。
びくりと全身を震わせたオリヴィアを一顧だにせず、父は言い放った。
「よいか! お前の兄はクズ同然の出来損ないなのだ。栄光ある我がマイロード家には相応しくない。そもそも、オグマなどという息子は初めからいなかったのだ。そして、もうこの家には、オリヴィア、お前しかおらん! もはや、女であることなど些末に過ぎん。これからは、お前がマイロード家の未来となるのだ。よいな、オリヴィア。安穏の時は、今日までだ。明日からは、苛烈な鍛錬の日々が待っていることを覚悟せよ」
「……ッ」
顔を真っ青に変じたオリヴィアが押し黙る。
救いを求めるように、その視線が俺へと彷徨う。
苛烈な鍛錬。
父の言う鍛錬とは、まさに地獄に等しい訓練の日々。
あれを、オリヴィアに?
駄目だ。
絶対に耐えられるはずがない。
今しもマイロード家を追放されてようとしている俺に、何かを言う資格はないのかもしれない。
だが、それだけはとても看過できない。
「父――ッ」
「分かりました」
俺が口を開きかけたその刹那、オリヴィアの決然とした声が響いた。
凛としてその場に立つオリヴィアの表情には、つい先ほどまでの怯えの色は見て取れない。
可愛い妹ではない、何かを決意した強き者の佇まい――
「何をするのですか!? オリヴィア!」
突然、母が悲鳴を上げる。
どこに隠し持っていたのか、オリヴィアが出し抜けに持ち上げたその右手に小さなナイフが握られていた。
止める暇もあればこそ、オリヴィアの手が動き――背中まで伸びた鮮やかな金髪をばっさりと切り落とす。
父も母も、そして俺も呆然とするなか、オリヴィアが静かに告げた。
「明日から、私はマイロード家の未来のため、持てる全てを捧げましょう。ただひとつ、お父様にお願いがございます」
「な、なんだ」
何とか気を取り直した父が低く問う。
「もし、私が、お父様とお母様のご所望通りに晴れて <聖十三> の末席に加わることができたならば、どうか兄さまがこの家に戻ることをお許し下さい」
「なに?」
「私が条件をつけられる立場にないことは、重々に承知しております。けれど、この条件だけは絶対に譲れません」
にわかに重たい静寂が垂れ込める。
オリヴィアの意思の強さを察したのか、数拍の沈黙を挟んで父は不承不承に頷いた。
「……分かった。いいだろう。お前が見事に <聖十三> の一員となれた暁には、その願いを聞き入れよう」
「ありがとうございます。お父様」
父に深く頭を下げたオリヴィアが、ことの成り行きに意識が追い付いていない俺を見つめた。
「兄さま、どうか心配なさらないで下さい。私は、ずっとずっと辛かったのです。兄さま一人に、家の重責を背負わせてしまっていることが。だから、私は嬉しいのです。私たちマイロード家のため、そして兄さまのため、私は精一杯頑張ります。だから、兄さまは私を信じて待っていて下さい」
「……オリヴィア」
微笑むオリヴィアの目尻から、一滴の涙が零れ落ちた。
「さあ、これで話は済んだな。いいな、オグマ。オリヴィアがまことに <聖十三> の一員になるその日まで、この家の敷地を跨ぐことはまかりならん。オリヴィアに会うことも許さんからな。もし、約束を違えたならば、先のオリヴィアの願いはなかったものとする。よいな?」
「……はい」
「では、さっさと出て行け、オグマ」
「……長い間お世話になりました。父上、母上」
両親へ向け手短に感謝の言葉を伝えた俺は、最後にオリヴィアを振り返った。
「オリヴィア……ありがとう」
「兄さま……また逢う日まで、どうかお元気で」
こうして、俺は生まれ育ったマイロード家を放逐されたのだった。
――そして、三年の月日が流れた。
<説明>
五大公家――セントミュロンド聖王国を支える五つの大貴族。マイロード家、アスピリクス家、フォルトナ家、○○家、○○家。
魔導騎士――剣などの武器と魔術を用いて戦う騎士。
魔導騎士団――聖王国の王都メメントモリが擁する騎士団。魔導騎士百八人(定数)と従魔導騎士およそ五百人からなる。
聖十三――魔導騎士団の最精鋭部隊。文字通り十三人の魔導騎士から構成される。




