第2話 案件『あなたと夏の恋を』その5
◇誤解は解けたけど……
キスの雨が止むと、聖子は菱沼の胸元に顔を埋めるように抱きしめられた。
「ごめん、聖子さん。不安にさせたのは俺なのに、連絡が取れなくて焦ったのを、怒りに転じるなんて。これじゃあ、支倉に言い訳は出来ないな」
「支倉さん? ……さっき聞こえてきた声の……」
聖子は顔を上げて、ポソリと呟きました。
「あっ、ああ。聞こえていたんだよな。あいつの声はでかいからな」
その言葉にまた聖子の目に涙が溢れてきた。途端に菱沼はオロオロしだした。
「えーと、聖子さん?」
「主任は支倉さんとよりを戻したいのではないのですか?」
「はっ?」
「主任と支倉さんは恋人同士だったのですよね」
「へっ?」
「支倉さんは離婚されたのだからもう二人を遮る障害は何もないのですよね」
一瞬動きを止めた菱沼は、ガシガシと乱暴に頭を掻いた。
「なんで、そんな勘違いしてんだよ」
「噂で聞きました」
菱沼は聖子の脇の下に手を入れると、ヒョイっと抱き上げて自分の膝の上に横座りにした。驚いて菱沼の顔を見つめる聖子と、目を合わせながらゆっくりと言った。
「あのな、支倉が旧姓に戻したのは、家の事情で支倉の家に入ることになったんだよ。だから離婚したんじゃなくて、夫ごと養子に入ったんだぞ」
聖子は驚きに目を見開くと、菱沼のことを見つめた。
「それにな、支倉の夫は俺の中学からの悪友で、その関係で支倉ともよく話をしていたんだよ。どちらかというと、あいつらの愚痴の聞き役だったけどな」
(……つまり親友の彼女で、入社前からの知り合いだったから、よく話をしていたと……)
「夕方の電話は俺が悪かった。支倉に今日の祭りに行くことを話したら、俺にも浴衣を着ろと言いだしたんだ。あいつの親戚に呉服屋がいて、レンタルもできるからって急に言い出したんだ。だから、待たせるのは悪いと思ったけど、着付けをしてもらうことにしたんだ。あと出来れば、一緒に選んで欲しかった」
(……えーと、1時間待って欲しいというのは、場所の移動と浴衣を選んで着替える時間の事だったと……)
「電話を切られた後、繋がらなくなって、そのことを支倉に言ったら『ちゃんと理由を先に話さない俺が悪い』と言われたよ。早くしろと急かしたのはあいつなのにな」
「ごめんなさい」
聖子は項垂れて、小声で謝った。理由がわかれば、勝手に疑って嫉妬した、聖子の一人相撲だったということがわかったのだから。菱沼は聖子の顎に手を掛けて上向かせると、軽く唇を触れ合わせてすぐに離れた。チュッというリップ音に、聖子の頬が赤く染まる。
「いや、俺の方も悪かったから。……だけど嬉しかった。嫉妬してくれたんだよな」
「……いつもしています。主任はかっこいいですから、仕事とはいえ他の女性と話しているのを見ると、気が気じゃありません」
真面目な顔で真剣に聖子は言った。その様子を少し目を見開いて菱沼は見つめていた。それからとろける様な笑みを浮かべ、再度聖子の唇に口づけをした。先ほどとは違う熱を伴った口づけに、聖子は翻弄されそうになった。
聖子の体を支えるようにしていた手が動き、浴衣の脇、身八ツ口のところに触れてきた。唇が離れたところで、聖子は菱沼に訴えた。
「あ、あの、主任。その、手、手が」
「ん? ああ、ごめんな。先に謝っておくよ。これだけ密着したら我慢できなくなった」
身八ツ口から侵入した手が、素肌を触る感触にビクリと体を震わせながら、聖子は言葉を続けた。
「が、我慢って……それにさっきから口調が……」
「あー、今までは自戒の意味を込めて触れないように気を付けていたんだよ。あと、この喋り方は地だよ。いつもは仕事仕様だったんだ」
菱沼が触れているところから、甘い痺れのようなものが広がってくる。
「んっ……主、主任は……ああっ……」
「あと、それな。聖子はつき合いだしてからも主任呼びだろ。せめて主任と言わなくなるまでは、何もしないでおこうと思っていたんだけどな」
シレッとそんなことを言う菱沼を、聖子は涙目で睨みつけた。
(じゃあ、今までの私の気持ちは何だったの)
再度口づけをしてから菱沼は聖子の耳元に唇を寄せた。
「聖子、逆効果だよ、その目は。誘っているようにしか見えない」
「そ、そんな、こと……してない……」
「うん、判ってる。だけどいろいろ限界だったし、その身に俺の愛を刻み込むのもいいかなと思うんだ」
色気を滲ませた声で言われて、聖子は身を震わせた。菱沼は聖子を抱き上げて歩き出した。寝室に連れていかれてベッドに下ろされた聖子は、熱に浮かされたような目で、菱沼のことを見上げた。
「お、お手柔らかにお願いします。主任」
聖子に覆い被さろうとした菱沼が動きを止めた。
「ここで、それかよ。・・・あと、忠隆。名前を呼ばなかったら、手加減しないぞ」
獰猛な光を宿した瞳を見つめ返しながら、聖子は菱沼の首に抱きつくように腕をまわした。
「はい、忠興さん。愛しています」
聖子の言葉に一瞬動きを止めた菱沼は、噛みつくようなキスをしてきたのだった。




