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8、申吉と戌吉の話

長い('Д')

 車を走らせ、三人は戌吉の通う高校に向かった。今日は部活もなく、と言ってもしばらく彼自身は部活にはいかないと言っていたが、授業自体も早くに終わると聞いていたので少し早めに向かった。ちなみに戌吉は剣道部らしい。

 近所の喫茶店に車を止めて高校の正門まで向かうとちょうど戌吉が門から出てくるところだった。近くに行こうとしたとこで彼が三人に気が付く。友人に一言断りを入れて歩いてきた。少し不安そうな顔をする戌吉に笑いかける。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 母親に似て色の白い戌吉だが、年相応の勝気な瞳が目を引く。緊張はしているが必要以上の警戒はしていない。それにほっとしたのもつかの間、後ろから声をかけられた。


「刑事さんと探偵さん?」

「やあ、申吉くん」

「申兄!」


 大学に行っているはずの申吉だった。大学生である彼なら時間はいくらでも融通はできるだろうが、この事件で大学の授業も遅れがちであろうかと、彼に関しては事前に明日行くと伝えてあった。だが弟のことが気になったらしい。

 戌吉の通う高校と申吉の大学では一駅分しか離れていない。来ようと思えばいつでもやってくることができる。


「大学の方はいいんですか?」 


 瞳の問いに申吉はあわてて頷いた。それに瞳は苦笑する。どうも奥手の性質らしく、瞳に話しかけられると必要以上に慌てるのだ。


「大丈夫、です。今日は講義が突然休講になったので」

「そうでしたか」


 ひとしきり照れてから申吉は気遣わしげに戌吉を見た。だが彼が何か言う前に戌吉が唇をとがらせて言った。


「申兄は心配性なんだよ」

「だって」

「別に俺一人で刑事さんたちの質問くらい答えられるよ」

「それは、そうだろうけど……」


 微笑ましい兄弟のやり取りに三人は微笑んだ。この二人の兄弟仲は間違いなく良好だろう。申吉が多少世話焼きとうつらないわけではないが、それくらいはご愛嬌だろう。現に戌吉も別に兄のそんな態度が嫌いなわけではない証拠に、嬉しそうに口元が緩んでいる。


「まあまあ、けどちょうどよかった。二人いっぺんに話を聞いてもいいですか?」

「え、まあ」

「僕らはいいですけど、探偵さんはそれでいいんですかそれで」


 進はそれに肩をすくめた。


「まあ二度手間になる可能性もありますが、そちらの方がお二人とも落ち着くでしょう?」


 それは否定できなかった。緊張しているからこそ話してしまうこともあるが、この兄弟にはそうした部類の話は期待していない。どちらかと言えば、家族の状況。そして事件当時の行動が知りたいのだ。

 無言でうなずく兄弟に微笑み、進は「行きましょう」と言って歩を進めた。


 向かったのは車を止めた先の喫茶店。店員には事前に言ってあったのでそのまま奥の席に向かった。

三人はソファーに、申吉と戌吉は通路に面した椅子に腰かける形だ。窓を背にして右から瞳、進、浩一の順に座っている。兄弟はちょうど瞳と半分向かい合うような形で申吉が、浩一とこれも半分向き合うようにして戌吉が座っている。


「好きなの頼んでいいよ。ここは僕もち」


 変わらずの笑みでメニューを渡す進。

 どうしようかと顔を見合わせたが、結局進からメニューを受け取った申吉と戌吉。ランチタイムは過ぎたので、主なメニューは軽食や甘味、そして飲み物だ。

 それを眺めながら、そうそうと進は言った。


「僕のことは水月でいいよ。探偵はまた別だから」


 進の言葉に早々と注文するものを決めたらしい申吉が顔を上げて答えた。


「あ、そういえば、そんなことをおっしゃっていましたね」

「うん、そのうち探偵もやってくるからね、分けておかないと色々めんどくさいでしょう」

「まあ、そうですね」


 それもそうかと申吉は納得したが、ちょうど注文が決まり会話に参加する気になった戌吉は少し疑問が残ったらしく、顔を上げて進に問いかけた。


「水月探偵じゃだめなの?」


 それに対して申吉と瞳は確かにと頷いた。


「ダメだよ。僕は探偵を名乗る資格はないから」

「免許制なんですか?」

「うーん、まあそんなところかな」


 曖昧に進は笑って答える。右手で左肩を抑えるしぐさをさりげなくしている進。それを一瞬悲しげな眼で浩二が見たのに気が付いたのは瞳だけだった。申吉と戌吉は進の方に意識が向いているし、なによりそれは一瞬のことだった。

 進が気にしている場所は服に隠れて見えない。何か傷でもあるのだろうかと瞳は首を傾げた。だがさすがに聞くわけにもいかない。だがその謎はそれからしばらくして分かった。そして気にしていたのは肩でなく首であったことも。


「じゃあ、注文してしまおうか」

「あ、う、はい」

「敬語はいいよ」


 申吉は戌吉の進への気安さに若干感心しない風情だった。柳眉を上げて弟を見るが当の弟はメニュー表のモンブランに釘付けになっている。それに再びため息をついた。その間に進に呼ばれた男のウェイターがやってくる。


「本当に何でもいいの?」

「いいよ。あ、僕レアチーズケーキを珈琲のセットで」

「じゃ、じゃあ、俺はモンブランを紅茶のセットで!」

「戌吉!」


 少しは遠慮をしろと小声でたしなめる兄に戌吉は唇をとがらせて不満げな顔をした。それを見て浩二が少し笑って口をはさんだ。


「お気になさらず、どうせ私らもこいつにたかる気ですから。それに店員さんをお待たせする方が」

「そうだぞ申兄!」

「お前は少し黙ってろ」


 こつんと頭を殴られた戌吉は少し大げさなくらい痛がる。それを微笑ましげに見ていたウェイターに小さく会釈してから、進に問いかけた。


「えっと、ほんとにいいんですか?」

「うん、どうぞ」

「じゃあ、アップルパイを珈琲で」


 その注文に戌吉が少し戸惑った顔をした。兄の顔を見て何か言おうとしたが、しかし店員を待たせていることに気が付き口を閉ざす。きっと注文し終わってからの方が話やすであろうと思い、瞳と浩二もそれぞれケーキセットを注文する。

 進が浩二の時だけ若干恨めしげな顔をしたのは気のせいではないだろう。無言でそこは遠慮しろと訴えている。


「それで、アップルパイがどうしたの?」


 店員が下がってからさりげなく進はそう問いかけた。それに兄弟は目を見合わせる。先ほどまで威勢がいいと言わんばかりの様子だった戌吉だが、少し気落ちしたように見えた。申吉はそんな戌吉の頭を撫でながら進を見て言った。


「父が好きだったんです」

「そうなんだ。……意外だな、写真でみる限りでは甘いものとか嫌いそうな人だと思っていました」

「あははは、そう思いますよね」


 申吉と戌吉は苦笑して頷いた。お冷を飲みながら浩二も目を丸くしている。瞳もだ。彼女は驚きながらも微笑ましいと苦笑した。


「申兄と父さんの数少ない共通点だよね」


 泣きそうになったのをごまかすために無理やり笑みを浮かべた戌吉。


「そっか」

「僕と父はあまり似ているとところがなくて」

「そういえば、こういっては失礼かもしれないけど、兄弟であんまり似ていないね」


 進の言葉に申吉と戌吉は苦笑した。その言葉通り、何となく雰囲気は似ているのだが顔立ちなのはあまり似ている部分が少ない兄弟だ。

 長男の寅吉は少し全体的に線が細く、女顔というほどでもないが、あまり男らしさとは無縁の顔立ちであるのは否定しようがない。

 そしてそれは申吉も同じだった。彼の母親である美奈子と目元と口元がよく似ており、彼女自身がなかなかな美人であることもあって、凛としたたたずまいがある。逆に唯一戌吉は明らかに父親似であった。

 写真で見る限り亀吉は釣り目で、日本人にしては高い鼻と厚ぼったい唇をしていた。少々取っつきにくい風貌だが、戌吉にその特徴がよくあらわれていた。釣り目と高い鼻、ただ口元と色白さは母親に似ている。つまり口元は申吉と戌吉で共通点はあるのだ。


「変なこと聞いてもいい?」

「はい」

「うん」

「二人は、その寅吉さんのことは?」


 長男とは腹違いだということをどれだけ知っているのか不安だった進の問いはいささか曖昧さをはらんでいた。しかしその問いに申吉ははっきりと答えた。


「知っています。十年ほど前に母親の年齢と兄の年齢差に気が付いて聞いたらあっさり教えてくれました」


 ちょうどその時ケーキと飲み物が運ばれてきた。戌吉と浩二のモンブランと申吉のアップルパイ、そして進のレアチーズケーキと瞳のチョコケーキが机に並ぶ。そして今度はそれぞれの飲み物が置かれた。量が多かったので二回に分かれたらしい。紅茶がポットに入っているのはよく見るが、ここの珈琲も紅茶と同じように別の容器に入っていた。

 あまり見ない形式に少し驚きながら五人はそれぞれカップに珈琲と紅茶を注いだ。その間に店員が来て中断していた会話を再開した。


「寅吉さんはそれをそれまで知ってたのかな」

「知ってたと思いますけどねえ」


 早々とケーキに手を付けていた戌吉がそれを裏付けた。


「母さんと父さんが再婚したときには五歳だったからさすがに分かってたって、虎兄が言ってた」

「お前、兄さんに聞いたのか?」

「うん、それがどうかした?」

「いや、勇気あるなと思って」


 いまいち申吉の言わんとすることが理解できないのか彼の言葉に戌吉は首を傾げる。戌吉はそのままケーキに意識がもって行かれた。それにため息をつきながら、戌吉のカップに紅茶が注がれていなのに気が付いて申吉は弟の紅茶を入れた。浩二は苦笑しながら申吉に言った。


「まあ、下手に気を使うほうがぎくしゃくすることもありますしね、とくに兄弟は」

「刑事さんもご兄弟が?」

「……ええ。まあ、兄が一人」


 珈琲を飲みながら浩二はそう言葉を濁した。これから探偵である彼の兄も来ることがあるだろう。その時その見た目の年齢のギャップは必然的に起きる。なんといっても見た目は十歳前後の愛らしい少年なのだ。中身がどうであろうと。

 無駄な先入観を植え付けるのは得策ではない。それにその話の流れでどうしても進の話題にもなる可能性もある。まだ彼はごまかしがきくのだ。下手なことは言わないに越したことはない。


「それじゃあ、兄弟仲は良好なんですね」


 浩二の微妙な立場を重んじて進は少し強引に話題展開をした。急ぐわけではないが、それでも色々と聞かなければならないこともある。


「俺は、申兄とも虎兄ともなかいいぜ」


 意味深な戌吉の言葉に三人は申吉を見た。すると彼は苦笑しながら言葉を選びながら答えた。


「僕は、まあご存知のように、父の会社のことで、ちょっと。ただそこまで仲は悪くないですよ。兄としても一人の人物としても、僕としては慕っているつもりですし」

「ああ、お兄さんではなく申吉くんが継ぐんですよね」

「兄は、そういっているみたいですけどね」

「じゃあ申吉さん自身はあまり積極的では……?」

「積極的だったのは父と兄だけです」


 申吉はため息をついてさくりとアップルパイにフォークを入れた。一口食べると思ったよりも美味しいそれに顔をほころばせた。コンポートされたリンゴの甘さと、パイ生地にしっかり練りこまれたバターとほのかな塩味がちょうどよい具合に合わさっていた。


「そもそもなんで寅吉さんは申吉くんに会社を継いでほしいんだい?」


 上に乗っているチョコレートのプレートを外しながら進は問いかけた。同じように戌吉もモンブランの上に乗っている栗をわきによけている。好物は後で取っておくタイプらしい。逆に浩二は一番初めにてっぺんの栗を食べている。


「それが分からないんですよ。戌吉、お前なんか聞いてるか?」

「全然。寅兄って、この話になると妙によそよそしいんだよ」


 モンブランを食べながら眉間をしわをよせながら戌吉は言う。実母の話を直接聞くだけのことはあって、やはりこれも直接聞いているらしい。もちろんどちらが会社を都合があまり関係ない立場であるからこその行動かもしれないが。


「よそよそしいっていうのは?」

「んー」


 どう説明したものと戌吉は悩みながら、申吉がポットからカップに注いでおいてくらた紅茶にミルクを注いだ。琥珀の液体に白が混ざる。スプーンでかき混ぜればその色の境界も消え薄茶色の液体がカップを泳いでいる。それをこくりと一口飲み、言葉を選びながら戌吉は自分が感じたよそよそしさを説明した。


「よそよそしいっていうか、他人行儀っていうか、なんか言いたくないことがあるっていうか……」

「言いたくないこと?」


 進が問い返した時、かつんという音がした。申吉のフォークが皿に当ったようだ。妙に強い音に四人は彼の方を見た。一斉に注目を浴びるがそれに気が付かず、じっとアップルパイを睨み付けるようにして考え込んでいる。その彼に瞳がそっと声をかけた。


「申吉くん、大丈夫?」

「え、あ、はい。大丈夫、です」


 少し顔を赤らめながら申吉は頷く。だがすぐにその表情を曇らせた。きつく唇を噛み少し俯く。そうした表情に見覚えがあった進は苦笑しながら言い聞かせるように言った。


「あのね。君たちの発言だけで犯人が決まったりすることはないから、気になることはなんでも言っていいんだよ。もちろん僕たちは疑うのが仕事だから色々聞くけど、それこそ犯人を見たって話以外は参考にするだけだから」

「っ! はい」


 深く息を吐いて、申吉は顔を上げた。そしてまっすぐに進を見る。


「すいません」

「何か、聞いたのかな?」


 進の問いに申吉は頷いた。それに驚いたように戌吉は目を見開いた。そうすると釣り目特有の剣が消え、逆に幼く見えた。

 その表情、いやその眼を進は注視した。アクアマリン症候群の患者の瞳は能力を使うと不思議と青くなるが、実は少し普段からも青みかかっている時があるのだ。それは個人差があるが、こうして大きく目を開くと必ずその色が一瞬出る。それをみたかった。

 だが戌吉の眼に特別な変化はなかった。それに内心でほっと胸を撫でおろす。心情として、未成年のこの二人は無関係でいてほしかった。


「少し前、僕も兄にどうして継がないのだと聞いたことがあるんです。そうした、話の流れは忘れてしまったんですけど、なんでお前らだけって」

「その後は?」

「なんか兄さんすごく怒って家を飛び出して、その日は一日帰ってきませんでした。今考えると、何か言いたくないことがあったのかなって。ただ当時は兄さんが怒ったっていうのでびっくりしてしまって」


 戌吉は申吉の話にああと頷いた。どうやら彼も覚えがあるらしい。そして当事者でなかった故に、また別の面も見ていた。


「ああ。あの時か! あの寅兄がすげえキレてたから覚えてる」


 下のクッキー生地を苦心してフォークで切り分けながら戌吉は頷いた。紅茶でそれを流し入れるように食べながらその時の印象を語る。


「いつもは家族を怒鳴ることなんてないのに、琴美さんにも怒鳴ってたもん」

「ほんとか?」


 信じられないとばかりに細い眉を寄せて戌吉を見る申吉。兄に疑われたのが気に入らなのか、戌吉は唇をとがらせながら答えた。


「ほんとほんと。ちょうど玄関だったから申兄は聞いてないのか」


 もう一口ケーキを食べながらふむと戌吉は首を傾げた。フォークを咥えたまま腕を組むが、申吉に怒られたので肩をすくめてフォークを皿に戻す。


「そっか、あんとき申兄と喧嘩してたのか。てっきり父さんさんと喧嘩したのかと思ってた」


 その言い回しに進は首を傾げた。


「もしかてその時のことよく覚えてるの?」

「うん。三年くらい前だけど、なんか覚えてるな」


 すうと、進は目を細めた。警戒心を抱かせないように慎重にその時のことを問いかける。


「なんでお父さんと喧嘩したって思ってたの?」

「え……あーなんか琴美さんに『父さんが悪いんだからあなたが口を出さないでください!』とか言ってたかな?」


 戌吉の言葉に申吉は首を傾げた。アップルパイを食べながら首を傾げる。


「なんでそんな話になってるんだ?」

「知らねえよ」


 兄弟にはばれないように互いに目配せしながら三人は頷いた。やはり琴美には何かある。そして寅吉はそれを知っている。まだ何の確証もないが、その秘密の一端が見えた気がした。


「って、感じなんですけど……?」

「うん、まあ参考にするしないは置いておいて、寅吉さんがすごく穏やかな人なのは分かったよ」


 進の言葉に二人は顔をほころばせた。たったそれだけの出来事。それも三年近く前の話なのにしっかりと記憶していることに普段の寅吉がどれだけ穏やかな気性か見てとれる。照れ隠しのように戌吉が口を開く。


「ちょっと皮肉っぽいけどな」

「あれは兄さんなりのジョークだしだから」


 申吉は肩をすくめて、ポットに残っていた珈琲の残りと、初めてミルクを入れた。


「じゃあ、話は変わるけど事件当時の事を聞いていいかな?」


 二人はこれこそ本題かと背筋を正す。だが進が聞く前に申吉が不安そうに逆に聞いてきた。


「あの、刑事さんに話したこと以外で特別に覚えてることはないんですけど大丈夫ですか?」

「俺も。昨日一人で考えてみたけど、同じく思い当たる節はないっすよ?」


 二人の心配に進は苦笑した。事件直後に聞いた話はもちろん彼も把握している。捜査資料は事前に目を通してあるし、何か変わったことがあれば優先して知らせが入るようになっている。

 進は頷いて説明した。


「大丈夫。同じような質問があるかもしれないけど、確かめたいことあるだけだし、細かいニュアンスは紙資料だけじゃ伝わらないこともあるしね」

「そういうことでしたら」

「分かった。分かることなら答える」


 ありがとうと言って、進は頭をかいた。少し言葉を選ぶように質問をする。


「犯行があったと思われる午前三時ごろ、何か物音や気配がしたってことはないかな?」

「いえ特に。その日は十二時なる前に眠ったので」

「俺も特に気が付かなかった。そういえば俺も申兄とおんなじ位に寝たな」


 予想通りの答えに進は頷く。隣の刑事二人も、一番初めに聞いた時と変わらない答えに納得して頷いている。続けて彼は質問をした。


「じゃあその前か、前々日。何か変わったことはなかった?」


 それには二人も眉をひそめた。それがどう事件と関わるかも分からなかったし、それなりに時間もたっていて記憶があいまいなこともある。腕を組んで考えこむ。


「……そういえば、母さんが一晩帰ってこなかったのって、父さんが殺される前々日くらいじゃなかったか、戌吉」

「え、あー、そういえば、そう、かも?」


 戌吉は申吉の言葉に首を傾げるが、言われればすぐに思いあたったらしい。組んでいた腕をといて手を叩く。頷いて申吉の話を首肯した。


「そうそう! なんか突然日帰りの旅行に行って」


 その話に進は身を乗り出した。


「それ、誰かと一緒だったとかお母さんから聞いた?」

「いや、ていうか」

「母さんから一言も旅行の話聞いて、ない?」


 そういえばどこに行ったかも聞いていないと言う。さすがにこれはおかしいと思ったのか、戌吉と申吉は不安そうな顔をした。それに気が付いた瞳は穏やかな笑みを浮かべて二人を宥めるように言った。


「ずっとバタバタしていたし、仕方がないんじゃないかな。知っていることだけでいいから教えてくれる?」

「些細なことでもいいんだ。僕たちはできるだけ色々なことを知っておきたい。もしかたした家の人に気が付かれず家を出入りできる方法とかも見つけることができるかもしれないし」


 そう言いながら進はケーキを口にした。それを見て二人は何となく気が抜けたような気がした。すかさず瞳が援護する。


「あ、チョコケーキ味見してみる?」

「じゃあ俺のモンブランもどーぞ!」

「ありがとう」


 瞳のチョコケーキを一口、申吉が止める間もなく戌吉はフォークですくって食べた。瞳も戌吉のケーキを一口食べる。

 それをうらやましいそうな、あわてたような何とも言えない顔で見つめる申吉。彼のアップルパイはあらかた食べつくされていた。


「申吉くんも食べる?」

「い、いえ。僕は大丈夫です」


 瞳に話しかけられると相変わらず耳を赤くしながら答える申吉。それを浩二は静かに見つめていた。

 そのやり取りの最中、戌吉はあっと声を上げた。


「どうかした、戌吉くん?」


 進の問いに戌吉は唇を尖らして答えた。


「甘いもの食べてて思い出した。母さんお土産買ってきてくれなかったんですよ」

「普段は欠かさず買ってくれるの? いやその前に、美奈子さんはよく旅行に行くのかい?」


 ミルクティーを一口飲んで戌吉は頷いた。そんな弟にため息をつきながら補足する。


「一か月に一度くらい。父さんと一緒の時もあれば一人の時も。大抵その時はお土産を買ってきてくれるんですが」

「今回はなかったんだ」

「はい。そもそもその旅行の話だって、その日起きたら藤村さんが教えてくれたってレベルですからね」


 カップをソーサーに置いて戌吉も言う。どうやらお土産がなかったのが少々ご立腹らしい。父親の件ですっかり忘れていたが、ここにきてその腹立たしさも思い出してしまった。


「俺が高校入るまではあんまいかなかったけど、高校は入ってからよく一人で旅行に行くようになって、で、そん時はちゃんとお土産買っててくれたんだぜ?」

「なんだかいつもと違ったんだね」


 進の言葉に申吉と戌吉は同時に頷いた。変わったことではあるが、しかしそれよりも大変なことがあってすっかり失念していた。だがこうして話していると色々思い出すようで、つれづれとその時の美奈子の様子を兄弟は話してくれた。


「帰ってきてた母さんがどこがどうってわけじゃけど、なんかぼんやりとしてて。あー疲れてるんだなーって思ったんだよな」

「ああ、お前も思ったんだ」

「うん。だから土産がなくても騒がなかった」


 皿の上のマロンをフォークで転がしながら戌吉はため息をついた。申吉はそんな戌吉の頭を撫でながら苦笑した。うるさがった弟にその手を払いのけられながらもその表情は変わらない。

 飲むとはなしに珈琲に口を付けながらぽつりと言った。


「母さんが帰ってきた次の日に父さんが殺されて、そのままなんですよね」


 なるほどと、進は頷いた。そして胸ポケット手帳をとりだしさらさらと何事か書き込んでいく。


「えっと。整理していい? つまり二人の母親である美奈子さんは亀吉さんがなくなる二日前に旅行に行って、次の日に帰ってきたと。合ってる?」

「はい」

「そうそう」


 どうやら先ほどの話を手帳に記していたらしい。ペンで頭を軽くかきながら手帳をしばしにらむ。


「旅行に行った時間とか帰てきた時間とかは分かるかな?」


 それには申吉も戌吉も首を横に振った。それに浩二は首を傾げる。


「朝起きて藤村さんに聞いたりはしなかったのかい?」 


 戌吉はそれに対して視線をそらして肩をすくめた。


「その日俺寝坊して、あんまり話す時間なかったんです」

「夜更かしでもしてたのか?」


 苦笑交じりの浩二の問いかけに戌吉はほほを膨らませた。


「課題が終わらなかったんですよ。寅兄に手伝ってもらって、終わったのが一時、だったかな?」

「そうか高校三年生だったね。そろそろ課題も大変だろう」


 それに戌吉は勢いよく首を縦に振った。カップに残った紅茶を飲んで少し乱暴にソーサーに置く。それに申吉は眉をひそめた。一言注意しようかと口を開きかけるが、その前に戌吉が口を開いた。その様子が少しおかしく瞳はそっと微笑した。


「そうなんですよ!! 父さん全然その辺分かってくれなくて、だから……」

「そっか」

「うん」


 浩二は頷いた。少し泣きそうな戌吉の頭を撫でた。その大きな手に戌吉はうつむいた。ぽんぽんと数度撫でる。きっと父親のことを思い出しているのだろう。


「戌吉、大丈夫か」

「うん。大丈夫」


 頭半個分大きな申吉の顔を見て戌吉は笑った。申吉はその表情に目を細めた。末っ子であるために一番父に可愛がられているのは戌吉だった。だからこそずっと心配していた。しかしこうしてみると自分が心配しているよりしっかりしていた。


「ごめんね。辛いこと思い出させちゃうね」


 進の言葉に戌吉は首を振った。そして強気な笑みを浮かべる。


「平気。水月さんが解決してくれるんでしょ?」

「うん。そうだね。僕と、この刑事たちと、探偵がね」


 探偵と言う言葉に申吉は目を細めた。それに気が付き進は微笑みを浮かべた。いったい探偵とはどんな人物なのか。その疑問が透けて見える。

 だがそれを答えることはできない。説明できないと言うよりも、説明を禁じられている。


「……探偵はたぶんすぐに来るよ。少なくともあと数日中には」

「そしたら解決?」

「さあ、どうかな」


 肩をすくめる進。ただと、少し悲しそうな顔をした。


「けれどね。こういう事件は君たちはきついようだけど、自分たちが想像しているよりずっと悲しい終わりのことが多いからね」


 今までとは違う、重い口調で言う。申吉と戌吉はそれに戸惑いの表情を浮かべた。だがすぐに先ほどのように穏やかな笑みを浮かべた。


「ま、今回はまだまだ分からないけどね」


 浩二はその言葉に反論しようとした。下手に期待すれば傷つくのはこの子たちなのだ。もちろん十七歳と十九歳と言えばそれなりに成長し大人に近づいている。だが子どもでもある。

 こうして調査に協力してもらうのでも本当は心が痛いのだ。浩二から見れば寅吉も子どもほどの年に見える。


「えーと、じゃあ話を戻すけど、美奈子さんの帰りがいつか知らないってことは、二人が学校から帰ってきたときにはもう?」

「ああ、はい。帰ってきてました」

「ちなみにその時何時ごろ帰ってきたか覚えてるかな?」


 進の問いに首を傾げたあと申吉はそうだとカバンから手帳を取り出した。そして当日の講義の予定を調べて大体の予想を立てる。バイトも入ってないことも確認して答えた。


「僕はたぶん夕方の五時ごろには帰ってますね」

「戌吉くんは?」

「たぶん夜の八時近くなってたんじゃないかな? うん、なってた、なってた!」


 空になったカップに残りの紅茶を入れる戌吉。だいぶぬるくなってしまったそれにミルクを入れる。


「夕飯は一緒に食べたの?」

「うーん……母さんと食べたっけ?」

「いや、兄さんとお前と僕で食べた気がする。父さんも母さんもいなかった」


 手帳を確認して曖昧だった記憶がよみがえってきた申吉はそう断言した。ふとその時瞳は疑問を覚えた。チョコケーキを切り分けたフォークを皿に置いて二人に問いかける。


「琴美さんは住み込みなのよね」

「はい」

「俺たちが生まれてくる時からいたから家族みたいなもんだよ」


 その答えにやはりそうなのかと頷く刑事と探偵助手。寅吉と琴美の会話を聞いていて、ただの家政婦に対する以上の親しみを感じていたが、それなりに良好な関係であるらしい。琴美のことをしゃべる戌吉の表情からもそれは十分に伺えた。


「じゃあご飯とは一緒に食べたりはしないの?」

「七時ごろに母さんと一緒に食べることが多いかな。どうしても俺が部活の関係で遅くなることが多いし」

「その時は何となく俺と、もっと遅くならなければ兄さんが戌吉を待って夕飯食べる感じですね」


 なるほどと、それも手帳に書き込む進。しかし話を聞くと美奈子と琴美の中も悪くはないのかもしれない。ある種の嫁と小姑のような関係を想像していたが、やはりそこは琴美が雇われている側であることが関係しているのだろう。


「琴美さんと美奈子さんは仲がいいんですか?」

「たぶん?」

「そういえばあんまりしゃべってるとこ見たことないな」


 女性同士の関係はあまり男には分かりにくいもの。それは家族とて変わりない。いや家族だからこそその確執は計り知れない。それを分かっている瞳は苦笑しあえて明確は答えを求めなかった。


「そうですか。すいません、変なこと聞いちゃいましたね」


 瞳の言葉に申吉はあわてて首を振った。そんな兄をニヤニヤ見つめていた戌吉。その時ふと真顔になり呟いた。


「そっか、俺、二日くらい母さんとしゃべってないのか? いや一応は挨拶くらいしたけど、それくらい?」

「あ、僕もだな」


 なんでもないことのように言うが、それは極めて重要な証言だった。二日あれば、様々ことが変わる。変えてしまえる。

 慎重に進は問いかけた。


「じゃあ旅行から帰ってきた美奈子さんと会話したのは、亀吉さんが亡くなっているのが、発見された日?」

「そうなりますね」


 申吉は進の言葉に頷いた。それに対して進は唇に親指を当てて考えこむ。


「じゃあ事件当時のことお聞きしますね」


 そういえばその話を聞かれてると思っていたなと兄弟二人は思い出した。話が自分たちが想像していたところとは離れたところにいって、何となく忘れていた。


「あの時食卓に着いていたのは、寅吉さん、申吉くん、戌吉くん、そして美奈子さん。あとは食卓に着いていたかは分かりませんが、琴美さんで間違いないですか?」

「はい」

「あと琴美さんも一緒に朝ごはん食べるはずだった」


 捜査資料にある通りの答えに頷く。それにプラスしてさりげなく問いかけた。


「そういえばその時ミケいました?」

「「ミケ?」」


 怪訝な顔をする申吉と戌吉。彼らに進は満面な笑みを向けた。


「いえ、この二人は見たことあるっていうのに僕だけないからずっと気に合っているんですよ。ご飯とか一緒に食べるのかなと思って」

「はあ……」

「まあ、あとはね、動物を操る能力者とかもいるからその辺も心配でね」


 そんな能力もあるのかと驚く申吉と、好奇心で目を輝かせる戌吉。ある意味対照的な二人の反応に苦笑しながらも、説明をする。


「もちろんまったく関係がないかもしれない。ただ様々な可能性に対処しないといけないのが僕たちの仕事だから」


 寅吉と琴美に説明した通りのことを二人に説明する。あまり他者の能力をひけらかすのは褒められた行為ではない。ただ具体的なことは言っていないので問題はないだろうと進は考えた。


「あ、で。ミケの様子分かりますか?」


 進の問いに申吉と戌吉は首を傾げた。さてどうだったかと眉を寄せる。眉を寄せて小鼻を膨らませる表情はよく似ていた。なんとなく微笑ましい光景だ。


「いたか?」

「いなかった気がするな……」

「それはよくあることですか?」

「うん、結構ふらふらしてるし、朝はあんまり起きてこないし」


 そう言うと戌吉は皿に残していたマロンをそっとすくって口に入れた。柔らかく煮込まれたマロングラッセ。ほんのりとラム酒の香りが漂う。意外と細かい所まで手が込んでいる。

 その香りが紅茶によく合う。茶葉もなかなかいいものを使っているのに気が付いていた戌吉は内心でこの店をメモしていた。


「そういえば二日ぶりにあったお母さんの様子はどうでした?」


 瞳の言葉に飲んでいた紅茶のカップを置いた戌吉。ちらりと兄をみればちょうど目があった。


「どうって……」

「眠そうだった?」

「美奈子さんって朝弱いんですか?」


 返ってきたのは肯定。見た目通りと言えば見た目の情報だった。色が薄く線も細い儚げな女性というのが初めて会った印象を持っていた。


「眠そうだった……そうですか」


 進はぼそりと呟いた。小さな声だったので申吉と戌吉は気が付かない。隣に座る浩二と瞳はちらりと進を見た。ただその言葉の意図はあまり理解できない。何となく苦しそうだなとは思った。

 特にそれは浩二には強く感じられた。軽く伏せられた瞳と、男にしては少し長いまつげにかかる陰に悲しみを感じていた。それは幼馴染の勘とも、長く一緒に仕事をする機会があったことからの経験則とも言えた。


「うーん、そっか」


 最後のケーキの欠片を口に入れながら進は手帳を閉じた。にっこりとほほ笑むその笑みに、申吉と戌吉は話が終わったのだなと悟った。残りの珈琲と紅茶を飲み干してしまう。それにつられるようにして浩二と瞳もそれと分からないようにケー

 キと飲み物を手早く処理した。と言っても二人とももうあと一口、二口を残すだけだったのだが。

 進はポケットに手帳とペンをしまうと改めて申吉と戌吉をまっすぐに見た。


「二人とも今日はありがとう」

「いえ、こんな話でお役に立てたか分かりませんが」

「ケーキごちそう様でした」


 ぺこりと頭を下げる兄弟に大人三人も頭を下げる。どちらかと言えば捜査に協力してもらっている立場だ。時計を見れば喫茶店に入って一時間は経過している。未成年を一応は親と本人の承諾があるとはいえ、これ以上拘束しておくわけにもいかない。


「また話を聞くことがあるかもしれないけど、その時はよろしくね」

「はい」

「分かりました」


 それからと、進は少し迷うようなそぶりを見せたがやはり言っておくべきだろうと口を開いた。


「もしかしたら君たちのお父さんが亡くなったことで色々と知りたくないことを知ってしまうかもしれない」

「兄さんの『言いたくないこと』ですか?」

「うん。お兄さんが言いたくないってことは、よっぽどのことだと思う。それはき二人が一番よく分かっているよね」


 進の苦笑に兄弟は神妙な顔で頷いた。大切にされているのはよく分かっている。そしてだからこそ言えないという話。もしそんなものが本当にあれば、何かしらの影を落とすだろう。


「……寅兄は優しいからなあ」

「だから今度は僕たちが兄さんを守れと、水月さんはいいたんですよね」

「そうだよ。はは、僕が言わなくても分かっているか」


 そう言いながら立ち上がり進はさらりと伝票を取る。


「ちょっと遅くなっちゃったね。この後予定はあるかい?」

 進の問いかけに二人は首を横に振った。


「じゃあ家まで送ろう。ちょっと狭いけど大丈夫かな?」

「え、いえ! そこまで甘えれませんよ」

「気にしないで。たいしたことじゃないから」


 ねっと、運転する浩二に微笑みかける進。それに苦笑して彼も頷く。

 では話は決まりだと四人を残し会計に向かった。申吉と戌吉はそんな進の後ろ姿を見てから振り返って浩二と瞳を見た。しかし彼らも笑って進と同じことを言う。


「気にせず乗って行ってね」

「そろそろ日が暮れるからな。乗って行くといい」


 それならと二人は顔を見合わせよろしくお願いしますと頭を下げた。




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