第十七話 恋と愛と、さよならと(中編)
アークライトの屋敷はアーデンバウムの郊外にある。
商業の中継地としては美味しいだろうが、騎士にとってはどうだったのだろうか。
整備はされているので住みよい街なのだろう。山もあるし、町中に水が通っている。
セシル氏の心はいかに……なんてのは、僕の知るところでは無かった。
死んでしまった人間に話を聞くことは出来ない。もっとも彼の持ち物が手に入れれば絶対能力で読み取れるかもしれないが。
ふと「モノの記憶を読み取る能力」というのは探偵向きな能力なのでは無いか、と思った。
死んだはずの人間の訴えを聞けるし、語らない人間の気持ちを知ることも出来る。
現に、もしコーネリアの愛用しているものの経験を読み取れれば、何かが分かるかるだろう。
だが、実際にやるか否かは……微妙なところだ。
必要なことだろう。だが、必要だからやれるというわけでもない。これはまさしく「人の心をこじ開ける」行為でもあるからだ。他人の気持ちを知るために使うのは、なんだか気が引けた。
屋敷はアマルフィ家よりは小さいものだった。屋敷も無駄に広くない。
それもそうか。アークライト家は財力があるわけじゃないようだし、生活に必要最低限のものを手に入れられれば……という考えで作られたのだろう。
それに話を聞く限り内向的なコーネリアという女性にとっては、このくらいが丁度いいのかもしれない。
そういう人間にとって、家は自分の箱庭でさえあればいいのだ。
屋敷の玄関に入ると、ドレスを来た女性がいた。
ドレスと言っても、そこまで華美なものでは無い。
きっと、客に対する最低限のもてなしなのだろう。
「ようこそいらっしゃいました。わたくし、コーネリア・アークライトと申します」
今まで散々心を悩ましてきた存在に、ようやく出会えた。もはや感慨深さすら感じる。
が、そんなことを気取られないように、冷静に挨拶を返した。
「初めまして。フー・フィリップスです。こちらが使用人のリーシャ・マキア―」
メイに叩き込まれた付け焼刃の挨拶を披露する。どこかで無礼が無いか、と冷や冷やものだ。一方のリーシャは優雅な所作で挨拶を返した。毎日の鍛錬は伊達ではない、ということか。それに幼いということは覚えこむのも早い。
「よくいらっしゃってくださいました……ささ、ミスタ・フィリップスはこちらに。リーシャ、アナタはフレデリカに付いて行きなさい」
というわけで、直接コーネリアさんに案内してもらう。
通されたのはガラスハウスの庭だった。
椅子と机があり、コーネリアさんは先に座って、僕を手招く。
「失礼します」と断って席に着いた。
「綺麗な庭ですね」
小奇麗に整理されている庭だ。だが、咲き誇るというほどは咲いていない。
寂しい庭だと思った。
「本当はもっと綺麗な季節があるのですけれど……少し前なのですが」
「いえ。これはこれで風情がある。侘びってやつですかね」
「ワビ……?」
「ああ、いや。僕の故郷じゃ、こういう寂しさもお茶を飲むには打ってつけってだけですよ」
言いながら、リーシャが来るのを待つ。
彼女の本来の目的はリーシャだった。ローウェルさんも、彼女に大きな屋敷での仕事の仕方をさせるために呼んだのだから。なのに割って入ってしまって、なんだか申し訳ない気分だ。
「本当に申し訳ない。僕の我儘でお茶会なんてしてもらって……」
「いえ。わたくしも最近はめっきりやっていなかったので、丁度いいくらいですわ」
おもてなしはしばらくしないでいるとぎこちなくなってしまいますのよ、と笑いながら言った。だが、寂しい笑いだと思った。まるでこの庭のようだ。
「あの子……リーシャ、でしたわね?」
「はい。やっぱり今日は彼女が目当てでしたか」
「いえいえ。フレデリカから可愛らしいお嬢さんがいらっしゃると聞いたので、一度会ってみたいと思っただけですわ」
「フレデリカさん、リーシャについてどんなことを言ってました?」
「『覚えがいい』。『水が染み込む真綿のよう』。『志の高い』。ほかにも色々ありましてよ。フレデリカがそこまで言うのなら、一度見てみたいと思いましたの」
「それはそれは……」
なんというか、リーシャはかなり良くやっているようだった。僕のことじゃ無いのだが、なんだか照れくさく感じてしまう。
「フレデリカはいいメイドですわ。本当に、よい人。そんな彼女が褒めるのだから、リーシャも良い素質を持っているのでしょう」
「僕なんかにはもったいないかも知れませんが……」
「そんなことはありませんわ。若いのに、あちこちを飛び回っているとか。弁護士の見習い、でしたか?正直、素晴らしいと思いますわ。その強さが羨ましいくらい」
嘘の経歴を褒められるのは申し訳ない。こればかりは素直に受け取ることが出来ない。
かと言って面と向かって否定すればすべてがご破算だ。
「いや、そんな……」
だから、こんな曖昧な言葉で返すしか無かった。
が、彼女はそれを謙遜と受け取ったのだろう。
「正直、もっと強そうな方を想像していましたの。野心家というか、自信家というか……でもあなたは……そうね、優しい方みたい。……失礼かしら、こんな言い方」
「いえ。知人にも言われました。『まるで子犬みたいだ』と」
「あらあら」
コーネリアさんは笑っていた。だが、弱々しい笑顔だ。
……こんなものを見てコンラッド氏は「綺麗だ」と思ったのだろうか。
きっと違うだろう。心にむち打ち、辛うじて笑っているように見える。
やがて、リーシャとフレデリカさんがティーセットを持ってきた。台車にティーセットやスコーンのような茶菓子が載せられたお盆が乗っている。
それをフレデリカさんは慣れた手つきで、リーシャは緊張しつつも僕の前に差し出した。お茶会の始まりである。
アークライトの屋敷に招かれることが決まった日のこと。
「お茶会ってのは、ようするに世間話よ。これ以上、情報を聞き出せる機会は無いくらいだわ」
「何聞けばいいんだ?うまく誘導できる気がしない」
「上手くやろう、とは思わないことね。とりあえず、会話を続けなさい。続けて続けて、話題を提供し続けるの。流れの中で、ここだ、というところで聞きたいところに持っていけばいいわ。肩の力を抜きなさいな」
メイに相談したところ、そのようなことを言われた。
『肩の力を抜きなさいな』
至言である。何の気なく、世間話を続けるくらいの心持ちでやっていった方がいいかもしれない。
さて、そういう心持で会話を続けてみはしたが、一向にこちら側に話が向かない。
とりあえず前日にメイと相談して徹夜で決めた「弁護士フー・フィリップスの華麗なる法廷」について色々と語った。
故郷での家族に抑圧された日々、生涯の師匠と仰ぐ女性、メイリンとの出会い。圧政にあえぐ市民を守るため、公式の場で大物貴族に逆転勝利し名声を、多くの人々の信頼を得た栄光の光。
そして最後に訪れる、権力の狗となった最愛の師匠との戦い。メイリンを討ち果たしたフー・フィリップスは、自分を見つめなおすために放浪の旅にでる……
はい、全部嘘である。が、コーネリアさんは深夜のテンションで決めた適当なシナリオに対して、逐一反応を返してくれていた。重ね重ね申し訳ない。
「波瀾万丈の人生でしたのね、ミスタフィリップスは」
「あははー……」
くすぐったい。
小学生のころ、演劇をやったら、しばらく友人たちにその演劇の設定でからかわれ続けたことを思い出す。あれは完全に悪ふざけだったが、こちらは本気でそう思われているのだからたちが悪い。
「いや、しかし。師匠には感謝しているのですよ。右も左も分からない僕を、彼女は助けてくれた……」
メイリンはお察しの通り、メイがモチーフだ。設定交渉にノリノリになり始めた彼女が調子に乗って設定を追加し始め、フーの師匠として作り出した。最後もメイの案だと
「師匠のメイリンは越えられず、負けてしまったフーは自分探しの旅に出る」
だったのだが、流石にそれだとフーが可哀想である。
もしこれが週刊連載だったとして、見続けてきた読者が納得しない。
ということで
「メイリンに勝ったフーは世界の儚さを思い、自分探しの旅に出た」
に変更させて貰った。別に僕が負けず嫌いなわけではない。
変な設定をぶっこんで台無しにしようとするメイが悪いのである。
と、それはさておき。
「彼女は僕にとって、星のような人です」
「星、ですか」
「ええ。道が分からなくなったら見上げる星。ふとした時に、思いを馳せる星。それがメイです」
……恥かしいこと言ってるな、僕。
だが、嘘ではない。今の僕にとっては導き手だし、いつかの僕にとっては思いを馳せる存在になる。
そうだ、いつになるか分からないが、僕は元の世界に帰る。
その時なったら、メイは本当に忘れたくても忘れられない星になるかもしれない。
「羨ましいですわ。そういう人がいるというのは」
「いないのですか、アークライト夫人には」
ようやく、ようやくコーネリアの話に持って行けた。
確かな手ごたえを感じる。これならば……!
「私、ですか……」
「ええ。あ、いや。少しばかし軽率な質問でしたかな。語りたくなければ、忘れていただきたい」
さらにもうひと押し。
メイ曰く「押したら、一度引いて、また来るのを待て」。
少し引くそぶりを見せるのがコツだ。
こうすると、場の空気が一気に悪くなる。そうなると相手も耐えられなくなるのだ。
そこを狙う。居た堪れなくなって相手が語るか、あるいは心にしこりを残すだけでいい。
内罰的な人間は、少しの痛みも見逃せず、ずっと気にし続けるのだ。
その心の隙に付け入る。まったく、悪人らしい手である。
「いえ……そうですね。少しばかし、誰かに聞いて貰うのも……悪くないと思いますわ」
そうして彼女は僕の狙い通り、躊躇いがちに語りだした。
これまでの身の上、つまり、彼女の結婚と、その別れの話である。
「実家では、抑圧された日々を送っていました。ある意味では、貴方と同じですわね」
「はい」
「アークライト家に嫁がないか、という話をいただいた時も、あまりうれしくはありませんでした。これまでと、大して変わらない日々が続くのだろうと……いま思えば、あれよりひどいものを知ら無かったからでしょうね」
それ以下は無いだろうが、今以上も無い。幸せを知らない人間と言うのは、あまりに哀れだ。
彼女は抗うことをしなかったではなく、抗うことを知ら無かった。
「でもアークライトは……セシルは、ミスタ風に言えば私にとっての星だったのですわ。彼は私に笑うことを教えてくれた。楽しむ余裕を教えてくれた。痛み以外に、涙を流すことを教えてくれた」
彼女の語りは、誇らしげだった。セシル・アークライトという男のことを愛していたことが良く分かる。
「……失礼ですが、その方は」
「ええ。ご存知の通りです。北方に派遣されて……死にました」
それを口にする時の顔は、蒼白だった。未だにその死を受け入れられていない、少女のような顔だった。
その顔が、リーシャのそれに重なる。もし、マリナさんがリーシャの手で死んでいたなら……こんな表情をしたのかもしれない、と。
「正直、未だに信じられないんですのよ。セシルが……死んだなんて」
「辛いことを聞いてしまいました」
彼女は答えるだけの余裕は無いようだった。
こんな彼女に、コンラッドという男は笑顔を見たというのか?
コンラッド氏の勘違いだったのではないか、と思うほどに。
とは言え、この場はコンラッドをなじるために設けたわけじゃない。
「しかし……こんなこと聞くのもなんですが。再婚はなされないのですか?」
「お話は頂きました。ちょうど、実家からは帰ってこいと言われているのです。……正直、帰りたくはありません。あんな痛みは沢山ですから。本当なら、受けるべきなんでしょう。でも……」
彼女はためらいがちに、その後の言葉を濁す。
僕はその後をつづけた。
「セシル氏のことが忘れられない?」
「いいえ」
しかし、僕の想像はあっさりと否定された。
……どういうことなんだ。これまで繋がっていたものが断絶する。
だったら、なぜ彼女はコンラッド氏と結婚しないのか。
「ではなぜ」
僕の質問に、彼女は「どう答えていいのか」と前置きしてから
「怖い……そう、怖いのですわ。また幸せを手に入れても、いつその幸せが消えるのか。急にまた無くなるんじゃないか。もしかしたら……それは、私のせいなんじゃないか、と」
「……そんなこと、ありませんよ」
「私もバカな妄想だとは頭では思っています。……でも、どうしても拭えないのです」
僕の空虚な慰めは彼女の心には届かない。
……まったく。メイの女の勘というのは当たっていた、ということか。
彼女の気持ちは、コンラッド氏に向いていないわけじゃない。口ぶりからすれば、むしろ好いてすらいるように思える。状況から言っても、結婚するのは不自然なわけでもない。
だが、彼女は恐れている。いつまた理不尽にその幸せが消えてなくなるのか。自分が疫病神だから、セシルは消えたのではないか。だとしたら、再婚相手も自分が不幸にするのではないか……と。
被害妄想だ、ということは出来る。だが、それは僕の役割ではない。僕にはする権利が無いと思う。彼女の痛みに、真摯に付き合う覚悟が無いからだ。
……だとしたら、その役割はコンラッド氏に預けるべきだ。この話は、これ以上するべきではない。
「すみません。不躾な話を聞いてしまったようで」
「いえ。私もこんな気持ち、誰にも言えませんでしたから。かえってすっきりしました」
彼女の言葉に甘えて、違う話に切り替えた。
「そうだ。最近、この屋敷を冒険者が出入りししているということを噂で聞きましたが。その二人は?」
「あ、えっと……そうですわね。二人は、依頼があるとかで……ええ。ちょっと出かけてますの」
失敗した。さっきの悩みと直結してる。これはヤバい。
「えっと……魔導機って詳しいのですか?」
「言うほどじゃありませんが……アークライトは騎士の家ですから」
「僕は最近気になって調べ始めたのですがね」
「一応、この屋敷にも置いてありますわ」
「へぇ。と言うと、やっぱりティーガ?」
「いえ、ヴァリアントですわ。正直、維持費がかかって大変なのですが……」
「気になります。あとで見せて貰ってもいいですか?」
「うふふ。良いですわよ。貴方も男の子らしいところがおありなのですね」
ふう。何とか誤魔化せたようだ。
とりあえず、この後も色々と話は続けた。
家の中を案内してもらったり、魔導機人を見せて貰ったり。
リーシャに休憩を出してお話をしたり。
どうもコーネリアさんがが言うには、地元で唯一の友達が亜人だったらしく、
亜人にはちょっとした思い入れがあるらしい。
夕食も頂いた。
フレデリカさんとリーシャが二人で作った料理を、みんなで食べた。
よい魚が入ったらしく、ブイヨンみたいに野菜と煮込んだ料理だった。
ほろほろとした食感と、出汁の効いたスープを堪能させてもらった。
そうして宴もたけなわとなり、帰ることとなる。
夜はすっかり更けているが、マリナさんには遅くなると伝えてあるので大丈夫だろう。
「今日はお招きいただき、ありがとうございました」
「いえ……来客があるのは嬉しいことですわ。またいらっしゃってくださいな」
「ええ。機会があれば」
「ここはいつごろ出られるのかしら?」
「そうですね……あと二週間ほどは滞在するつもりなんですが」
「では、もう一度これますわね?楽しみにしていますわ」
別れを告げて、屋敷を出る。
出るときに冒険者ふたりとすれ違ったが、気づかないふりをしておいた。
さて、と。ともかく、核心は掴んだ。
僕たちはコーネリア・アークライトという女性について、大きな思い違いをしていた、ということだ。黄金蝶を手土産に突撃しても、適切な言葉は掛けられなかっただろう。
コンラッド氏がするべきことは愛をささやくことでも、黄金蝶を見つけることも無かった。愛は充分、コーネリアさんに伝わっている。彼女はそれを煩わしくも思っていない。彼がやるべきことは、ただ一つ。彼女の恐怖心を取り除くことである。それが出来るかは……
「まぁ、コンラッド氏次第だよなぁ」
コンラッド氏に伝えて、彼がどうするかは知らないが……こればかりは彼が考えた言葉で言わなければ、意味がないことだと思う。あとは見守ることくらいしか出来まい。
自分の役割を終わりを感じながら、僕はリーシャを送り届けて、アマルフィの屋敷へ戻っていった。




