第8話 ドレスなんて着たくない(物理的に)
そして迎えた、運命の卒業パーティー当日。
私は自室で、人生最大(?)の戦いに挑んでいた。
「お嬢様! 息を止めてください! コルセットが閉まりません!」
「むーりー! 死ぬ! 内臓が破裂する!」
マリーが鬼の形相でコルセットの紐を締め上げ、私はベッドの柱にしがみついて抵抗していた。
貴族令嬢の正装、ドレス。
それは、美しさと引き換えに機能性を極限まで犠牲にした、一種の拷問器具だ。
重たい布地、きつい締め付け、歩きにくいヒール。
こんなものを着て数時間も立ちっぱなしなんて、正気の沙汰ではない。
「あーもう、やめた! 着ない!」
「なっ!? 何を仰るのですか! 今日は晴れの舞台なんですよ!?」
「晴れの舞台も何も、私は今日、婚約破棄されに行くのよ? どうせ振られるなら、ジャージでいいじゃない」
「ジャージって何ですか! とにかく駄目です! ローゼンバーグ家の恥になります!」
マリーは譲らない。
まあ、彼女の言うことも一理ある。
腐っても公爵令嬢。TPOはわきまえないといけない。
……仕方ない。
また「アレ」を使うか。
「分かったわよ。着ればいいんでしょ、着れば」
私は観念して、ドレスに袖を通した。
そして、マリーが背を向けた隙に、指先で小さく印を結んだ。
(術式展開。対象:ドレス全域。付与属性:重力操作・形状維持・空間拡張)
頭の中で複雑な魔法陣を構築する。
ただ軽くするだけでは駄目だ。生地の質感を損なわず、かつ防御力もさりげなく上げておく必要がある。
私は10重の術式を編み込み、ドレスに定着させた。
(よし。重量マイナス80%、通気性200%向上、コルセットの圧力を分散させる斥力フィールド展開)
一瞬、ドレスがふわりと光った。
次の瞬間、鉛のように重かったコルセットが、まるで羽毛布団に包まれているような柔らかさに変化した。
見た目はコルセットで締め上げられた細いウエストだが、実際には魔法のクッションが間に入っており、呼吸も楽々だ。
さらに、ヒールの靴には「転倒防止」と「衝撃吸収」のエンチャントを付与。
「……お嬢様? なんだか急に晴れやかなお顔になられましたが……」
「気のせいよ。さあ、行きましょうか」
私は扇子をパチリと開き、優雅に部屋を出た。
帝国の魔術師が見たら卒倒しそうなほどの、無駄に高度な技術の結晶。
これぞ、魔法科学の勝利だ。
◇
玄関ホールに降りると、そこには異様な光景が広がっていた。
父やお母様、そして使用人たちが……ガタガタと震えている。
「アリス! お前、いつの間に帝国皇帝と知り合いに……!?」
父が助けを求めるような目で見てくる。
聞けば、1時間前に突然現れ、「アリスのエスコートに来た」と宣言したという。
その中心にいるのは、漆黒の正装に身を包んだジークハルトだった。
「……あ、アリス。来たか」
私を見つけた父が、縋るような目で見てきた。
どうやらジークハルトの放つ覇気に当てられて、一言も発せなかったらしい。
可哀想に。あとで胃薬をあげよう。
「遅いぞ、アリス」
ジークハルトが私に歩み寄ってきた。
その手を取り、恭しく口づけを落とす。
「……美しい。やはり貴様にはその色が似合う」
私が着ているのは、深い群青色のドレスだ。
「悪役」らしく地味な色を選んだつもりだったが、彼に褒められると調子が狂う。
「……どうも。で、なんであんたがここにいるの?」
「エスコートだと言っただろう。私のパートナーとして会場に乗り込むぞ」
彼は当然のように腕を差し出してきた。
黒い軍服風の礼服に、真紅のマント。金髪をオールバックにして、その美貌の破壊力は通常の三倍増しだ。
こんなのと一緒に会場に入ったら、目立って仕方がない。
「お断りよ」
「何?」
「なんで婚約破棄されに行くのに、他国の皇帝と腕組んで行かなきゃなんないのよ。余計にカイル王子の機嫌を損ねるじゃない」
「損ねればいい。あんな小物」
「駄目だってば。私は『哀れな捨てられ令嬢』として、ひっそりと退場したいの。あんたと一緒だと計画が台無しよ」
「計画? 貴様の計画など知らん。私の計画では、貴様を世界一の女として全世界に見せつける予定なのだ」
え、何その怖い計画。
私は全力で首を振った。
「絶対駄目! 私の言うことが聞けないなら、もう一生こたつ禁止にするから!」
「……!」
「こたつ禁止」という言葉に、ジークハルトが怯んだ。
よし、今のうちに逃げよう。
「分かったら、あんたは大人しくしてて! 絶対に変なことしないでよね!」
私は彼を置き去りにして、一人で馬車に飛び乗った。
御者に急ぐように命じ、馬車を出させる。
窓から後ろを見ると、ジークハルトが不満げな顔で見送っていた。
……大丈夫だよね?
なんか「準備がある」とか言ってたけど、まさか本当にやらないよね?
一抹の不安を抱えつつ、私は戦場――学園の大講堂へと向かった。




