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初めての『ぱぁりぃ』は大盛況のうちに終わった。一本締めはなぜか三三七拍子に変更されたらしいが、きっと土産に持たせたサッパの酢漬け(壺)が喜ばれたのだろうとネネは解釈した。
「だども、金子が増えてしもうた……」
困ったことに、『ぱぁりぃ』に使った金子よりも『ぱぁりぃ』後に入った金子の方がはるかに多かった。
よもや、だだっ広いだけの不毛の大地リューゲロッタから希少な龍焼陶砂が採れるとは思ってもみなかった。加えて『ぱぁりぃ』の後、ネネの着た『鬼族風どぅれぇす』が予想外に好評で、仕立ての注文が殺到したのだ。
結果、不本意にも大儲けをしてしまった。いや、里のオジジやオババたちはほくほく顔で「さすが姫様じゃ」と褒めてくれるが。
「それで次は何をするんだ?」
今日も今日とて里に訪ねてきたシオンが問うた。
「どうしやしょう……」
無駄な買い物もダメ、『ぱぁりぃ』は成功したが、金子を浪費するという点については大失敗だ。しかも耳敏くこの大儲けを聞きつけたあのド助平王子が、アンナを養女にするための書付を用意してヤマーダ伯爵家にやってきたのがつい昨日。もう時間がない。
「なんぞ策はねぇかの……」
珍しく沈みこんだ様子でいると、そこにふらりとユーリが現れた。元々ヤマーダ伯爵家の嫡男で、婚約破棄劇場の濡れ衣を着せられた鬼族の青年だ。
「まあまあ姉さん、根を詰めて疲れたでしょう。ちょいと休みなよ」
と、消沈したネネを応接室から追い出し、代わりにシオンの向かいにヨイショと座った。
「シオン兄にこれ、あげるよ」
そして唐突に差し出したのは、根付けのような房飾りのついたモノ。
「ジュールから取ってきた。シオン兄に譲ったげる。武闘会の参加証だよ」
武闘会はこの国で年に一度開かれる武道の大会である。トーナメント戦を勝ち抜いて優勝すると、国王陛下が一つだけ願いを叶えてくれるとか。
「優勝すれば、いちゃもん無しで姉さんに求婚できるよ。過去に優勝して王女様を娶った平民剣士もいるんだってジュールが言ってた」
ちなみにジュールとは、ド助平王子の側近で騎士団長嫡男の名前である。そういえばここ数日、ユーリは里から出ていたのか姿を見なかった。
「シオン兄なら人間の有象無象くらい何てことないでしょ?」
姉さんは強い男が好きだから。
ニコッと笑って、ユーリは応接室を出て行った。
◆◆◆
一方ネネは、畳の上に寝そべって、眉間のしわを深くしていた。
「まあまあ姫様、怖いお顔なんぞせずこちらでもいかがでやんしょ」
オババが取り出したるは、里では見かけぬお粗末な装丁の薄い本。
「このババが人間の里へ行って買うて来たんでやす。なんぞ姫様のお役に立てればと思いましてな」
「ババ様……」
里の仲間はみんなみんな優しくて温かい。ホロリときたネネは、その薄い本を読むだけ読んでみることにした。なお、オババが買ってきた薄い本は長櫃山盛りの量があり、すべて読むには時間がかかりそうであった。
そして、二週間後。
「こ、これだべさー!!」
ネネは一冊の薄い本を手に素っ頓狂な声で叫んだ。びっくらこいたオババが腰を抜かしたが、そんなことネネの目には入らない。
「これ! ここ読んでみるだ!」
腰を抜かしてヒィヒィ言っているオババに、薄い本をガバッと開いて指差したのは……
「え……『王子から婚約破棄されたので慰謝料ガッポリ請求します』……??」
眼を白黒させるオババに、ネネは興奮した顔でまくしたてた。
「慰謝料だべ慰謝料! 慰謝料請求してもらえばいいだ!!」
薄い本によれば、慰謝料とは身分の高い人間に不適切な婚約破棄を突きつけて精神的ダメージを与えた時に支払う詫び代であるらしい。詫び代であるからして、その金額は膨大。儲けをチャラにするにはもってこいではないか。
「精神でも物理でも関係ねぇ。一発殴れば慰謝料が請求されるに違いないべ」
まあ、間違ってはいない。いないけれども。
「なーるほど! 慰謝料は医者料とも書けるべな!」
オババが膝を打つ。まあ、そういう書き方もするかもしれないが。
「ンダンダ」
いいのかそれで。
ほんのりお気づきの方もいるかと思うが、ネネもオババも脳筋であった。
「ババ様、ちょうど中央では武闘会なる催しが開かれるんだども、お誂え向きなことに隣国の第五王子が参加するんだと。その第五王子とやらを見っけて一発なり二発なりぶん殴れば」
「さすがですじゃ姫様。そっだら医者料ガッポリ払えるだなぁ」
すぐ支度するべ、とオババは大張り切り。痛めた腰もシャキッと伸びた。これで良かったのだろうか……。
◆◆◆
そして運命の日――武闘会開催の日になった。シオンはユーリから貰った参加証を手に出場し、
ガンッ!
「きぃやぁーーー!!」
ドガッ!
「あ~~れ~~!」
対戦相手を金棒一振りのもとにバッタバッタと吹っ飛ばし、快進撃を続けていた。
対戦相手には腕利きの騎士やら名を馳せた冒険者などさまざまであったが、皆人間。力も速さも鬼族には及ばない。
シオンはどちらかというとインドア派で鬼族伝統の金棒術は付け焼き刃だが、相手に尻餅をつかせるだけなら力と速さでゴリ押せばなんとかなる。楽に優勝できそうだとシオンはほくそ笑んだ。
あっという間に決勝戦まで勝ち上がり、もうまぶたの裏にはめんこいめんこい好いた娘の笑みが浮かんでいた。
(待っておれネネや。俺がおまえの憂いを取り除いてやるから……)
意気揚々とステージに上がったシオン。不思議なことに、目の前にその愛い娘の幻覚が見える。どうやらもう勝ったも同然と自分は浮かれているらしい。シオンは気を引き締めて、一度眼を閉じてまぶたの裏の娘にキリッと笑んでから目を開けた。
「…………ん?」
おかしい。幻覚が消えてない。それによくよく目を凝らすと、幻覚は物騒にも緋の大鎧なんぞ着ているではないか。
「やあやあやあ!」
シオンが固まっていると、その幻覚は何やら口上を言い始めた。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!」
一騎打ちお馴染みの名乗り口上である。
「我、ヤマーダ伯爵が壱の姫ネネと申す!」
少なくとも目の前にいるのは幻覚ではないらしい。
「此度! 隣国の第五王子を討ち取りぃ、医者料ガッポリ支払いとう参った次第!!」
「…………エ?」
「いざ勝負ぅー!!」
どゆこと……?
◆◆◆
すっきりと晴れ渡った空の下、国一番の強者を決める武闘会が開幕した。ド助平王子もといレオノルドも王族席から試合の様子を仏頂面で見守っていた。
(なんと間の悪い。フィービーとキャンディーとナタリーにまる二週間も会えてないぞ!)
何をトチ狂ったのか、急遽隣国の第五王子が参加を表明してきたのだ。隣国は大国であり、万が一その第五王子殿下を試合で傷つけたとあれば、どんな難癖をつけてくるか知れない。
おかげで、レオノルドは大慌てで女の子とのデートをキャンセル。書類の不備をでっち上げ、ヤバそうな強者の参加取り消しに奔走するハメになった。
ハラハラと見守るレオノルドの先で、件の第五王子は危なげなく、対戦相手を次々に打ち倒して勝ち進んでいった。よかったまるで戦えないお馬鹿ちゃんじゃなくて。この調子で決勝戦も勝つだろう。
が、レオノルドの予想は粉々に打ち砕かれることになる。
決勝戦に現れた奇っ怪な緋の大鎧。これが猪みたいに突っ込んでいって、なんと第五王子を場外までぶっ飛ばしたのである。
「おい! なんなんだアレは! 危ないヤツは出場できないようにしたはずだろう!!」
「いいいいえあのその、受付締め切りギリギリに入った選手ですが~」
「言い訳は聞かん!!」
レオノルドが部下に喚いている間にも緋の大鎧は追撃のつもりか第五王子を追いかけ回して、よろめいた王子に後ろから膝カックン。倒れた上に馬乗りになってボカスカと拳をふるっている模様……
「いいぞ! もっとやれ!」
「いけぇ! 誰だかわからん大鎧ィ~!」
今まで余裕で勝ち進んできた選手のあんまりなやられっぷりに、何も知らない観客たちはやんややんやとはやしたてる。けれど、観客席には当然、隣国から来た第五王子のお供もいるわけで。
「試合は中止だ! 観客を出せ! 早く!」
レオノルドは悲鳴混じりの声で叫んだ。
大鎧は殴るのに飽きたのか、ぐんにゃりした第五王子の足をつかんで……清流の翡翠カワセミが小魚を地に叩きつけるがごとく右にバシン! 左にベシン!
「おい貴様ぁ! はやくあの大鎧を止めろよぅ! 死ぬ! 死ぬからぁ!」
王族の威厳も余裕もどこへやら。最後は半泣きで部下に命じたものの、南無三、第五王子は全治三ヶ月の打撲と相成った。
◇◇◇
「これが、曾曾お祖父さまが曾曾お祖母さまに負けた記念すべき一回目よ」
春の日射しうららかな昼下がり、子供たちに読み聞かせをしていた女性が本から顔をあげた。
「曾曾お祖母さまはこの件で武闘会の出場永久停止処分を受けたの。でも、隣国の王族をボコボコにしたことに恐れをなした助平王子によって、不本意な婚約もボヨヨンな養女の話も立ち消えになったの」
隣国の王族に全治三ヶ月の打撲傷を負わせた一族と関わるのは、資産を天秤にかけても損だと思ったのだろう。
「めでたしめでたし?」
「えー。まだ曾曾お祖父さまと曾曾お祖母さまに何も起きてなーい!」
小さな女の子のツッコミに、他の子供たちの目が一斉に女性を見上げた。
「曾曾お祖父さまは医者料を請求する代わりに曾曾お祖母さまを国に呼び寄せたんだけど……」
女性が答えた途端、期待に目を輝かせる子供たち。しかし女性は曖昧な笑みを浮かべて本を閉じた。
「今日はここまでにしましょうか」
座学が終わったとわかるや、子供たちは蜘蛛の子を散らすように、温かな日差しの中へ駆けていった。それを見送って、女性は先ほど閉じた本を見下ろした。
分厚い本は最初の数十ページを読んだにすぎない。
つまり。
(曾曾お祖父さまと曾曾お祖母さまがくっつくまで……)
後ろの本棚を振り返ると、同じ装丁の分厚い本が一、二、三……十九冊。
(なっっが!!!)
この国を代表する古典『原人物語』や『布団の草子』と比べても、ぶっちぎりもぶっちぎりの大長編である。古き時代の様相を詳細に書き記した手記は歴史の教科書として親しまれているが、この国の民はこのクソ長い歴史書をこう呼ぶ――『世紀のヘタレ日記』と。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(ノシ_ _)ノシ