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【天の夢 地の道】  作者: ヒデキ


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【一合一会】

一三三一年十二月、幕府は討幕計画を密告した吉田定房を、院評定衆に推挙した。

『累家の仁として、召し仕はるべきか』(花園天皇宸記)

しかし、翌一三三二年二月二日に開かれた院評定に、定房は出席しなかった。

『参るべからざるの所存』

“評定に参加するつもりはない、とも聞いている”

定房は、幕府の仕置に怒っていた。

確かに密告はした。だが、それは“帝”を護るためである。亡き法皇から委ねられた大覚寺統のためである。“帝”を六波羅に押し込め、自分を持明院統に推挙するとは。

定房はその後も出仕を拒み続けた。花園上皇は、そんな定房に好感を持った。


三月七日、隠岐へ流される事が決まった先帝が都を出た。出家は拒否したので、姿は以前のままである。車寄せは、西園寺公重(公宗の弟)が行なった。

隠岐での生活を共にするのは、寵妃阿野廉子と千種忠顕らだけである。

護送は、数百騎の武士が行なった。その中に気になる名が二つある。一つは「名和長年」、もう一つは「佐々木道誉」。護送役に選ばれるくらいなのだから、幕府の信任は厚かったのだろう。幕府の信任は、後日、見事に裏切られることになる。

佐々木道誉は名門近江源氏である。以前、行幸で護衛役を務めた事があった。

淀の渡し場で、先帝は道誉に和歌を下した。

『しるべする 道こそあらず なりぬとも 淀のわたしは 忘れじともせじ』(増鏡)

“こたびは行幸の道ではないが、昔そなたが護衛を務めてくれたことを朕は忘れておらぬ。そなたも、忘れてはおらぬだろうな”


一方、道誉のような例外を除き、多くの武士は、この道中ではじめて“先帝”を見た。今、道中の小屋で休息する人物は、北条を討とうとした先帝。かつて善政を称えられた帝王である。がっしりした体からは圧倒的な精力が窺える。

『あはれとは なれもみる見るらん 我民と 思ふ心は 今もかはらず』

“そなたらは朕を哀れと思うているようじゃが、そなたら我民を思う朕の心も同じじゃ。配流の身とはなっても、朕の心は都にいた時と何ら変わっておらぬ”

歴代でも、“後醍醐天皇”ほど民想いの天皇は少ない。先の乱でも、内裏を捨て、京の民を戦に巻き込む事を避けた。その点においてのみ、先帝は後鳥羽上皇を上回っていた。 

先帝は、無事隠岐へ送り届けられたが、後日、護送役の一部は宮方に馳せ参じた。

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