【太子への警告】
今や、幕府は図体ばかりが大きい、間抜けな怪物である。
金沢貞顕などは、六波羅の息子貞将に、「田楽や相撲が、たびたび催されている。いま、鎌倉でやる事と言えば、それを眺めて楽しむ事ぐらいだ」と書き送っている。
一三三〇年二月、花園上皇はこの情勢に危機感を強め、前年ようやく元服を認められた皇太子量仁親王(甥)に訓戒状をしたためた。後世、これを『誡太子書』と呼んでいる。
『余聞く。天蒸民を生じ、これに君を樹てて司牧せしむ』
(誡太子書・「日本中世史を見直す」二三四頁~二四四頁)
“私の聞くところ、天が民を生み、これを君主に統治させているのも天である”
その言葉から始まる訓戒は、『太子』こと量仁親王の日常への叱責から始まる。
父親の後伏見上皇以上に、親王を育ててきた花園だからこその叱責ではある。しかし、これを「小言」とは思わないでもらいたい。この書状は、もっと深刻なものである。
『しかるに太子宮人の手に長じ、未だ民の急を知らず』
“しかるに、太子は宮廷人の手で育てられたため、いまだ民の急を知らない”
『ただ先皇の余烈と謂うを以て、猥りに万機の重任を期せんと欲う』
“歴代の天皇が遺した功績に乗るだけで、みだりに皇位に就こうとしている”
『豈自ら慙じざらんや』
“少しは自分を恥じたらどうだ”
『諂諛の愚人以為えらく。吾が朝は皇胤一統し、彼の外国の徳を以て鼎を遷し、勢によりて鹿を逐うに同じからず、故に徳微なりと雖も隣国窺覦の危なく、政乱ると雖も異姓簒奪の恐なし、これその宗廟社稷の助け余国に卓礫する者なり』
“天皇におべっかをつかう愚か者は、我が国は皇統が一つだから、朝廷が衰退して政治が乱れても、外国のように異姓の者が天皇の位を簒奪することはない。これぞ神々の助け、我が国が他国に勝る所以だ、と考えている”
『然れば則ち纔かに先代の余風を受けて大悪の国を失うことなくば、則ち守文の良主ここに於て足るべし』
“太子についても、天皇家の威光を受け継ぐのだから、よほどの大悪行を行なわないかぎり朝廷は滅びない。代々の法を守る天皇にさえなれば、それで十分だと考えている“
『子女の無知、この語を聞いて皆以て然りとなす』
“物を知らない者は、この言葉を聞いて疑おうともしない”
『愚惟うに、深く以て謬りとなす』
“思うに、それは全く間違っている”
『太子宜しく熟察して前代の興廃する所以を観よ』
“太子よ、何故朝廷がかつて繁栄し、何故いま衰退しているのか、原因を考えて欲しい”
『今時未だ大乱に及ばずと雖も、乱の勢萌すことすでに久し』
“現在、未だ大乱には及んでいないが、乱の兆しが生じて既に久しい”
『もし主賢聖にあらざれば則ち、乱恐らくはただ数年の後に起らん。一旦乱に及ばは則ち、たとい賢哲の英主と雖も、期月にして治むべからず、必ず数年を待たん。』
“賢明な天皇でなかったら、戦乱は僅か数年後に起こるだろう。一旦、戦乱に発展すれば、たとえ賢哲の英主であっても、一ヵ月では収められない。数年かかるだろう”
『何ぞ況んや庸主この運に鐘れば則ち、国日に乱れ、勢必ず土崩瓦解に至らん』
“ましてや凡庸な天皇が対処すれば、国は日を追って乱れ、終には土崩瓦解に至る”
『近代の主猶未だこの際会に当らず』
“今の帝(後醍醐天皇)の代には、まだこの事態に直面しない”
『恐らくはただ太子登極の日、この衰乱の時運に当らんか』
“恐らくは、太子が即位する時こそが、衰乱が起こる時と重なるだろう”
『これ朕強いて学を勧むる所以なり』
“これが、私が太子に、強いて学問に励むよう勧める理由である”
後の歴史と照らせば、この警告は、大半が的中した事が分かる。
「正中の変」が起きた際、花園上皇は、自らの情報網を駆使して情勢を分析し、「帝の企ては欲に基づく(皇位の掌握が目的)」と結論付けている(花園天皇宸記)。
帝は、国の停滞を打ち破るため、幕府を倒し、皇位を掌握しようとしている。
しかし、「孟子」・「台記」を研究した花園には、その危うさが見える。
武家は、現として存在する。現実への対処なくして、停滞は打ち破れない。
公武が力を合わせねば、この国は崩壊する。
花園は、その際の「公」を担う人物として、太子を育てようとしていたのである。
『一窓を出でずして千里を観、寸陰を過さずして万古を経ん』
“(書の中で故人に遇い、聖賢と交わりを結べば、)身は御所にあっても、千里先の変に気付き、万古の時を経た知を持って、それに対処できる”
『少年の愚』から十三年。上皇はかつての少年ではなかった。