【天下の将軍】
『よき細工は、少し鈍き刀を使ふ』(徒然草)
一三五一年二月二十七日夜、足利尊氏は佐々木導誉を伴い、京に戻った。その日は、上杉朝定邸に泊まり、翌日将軍邸に入った。直義も八幡から帰陣し、錦小路第に入っている。
三月二日、雨。尊氏と直義の会談が始まった。直義は七日前息子を失い、覇気に欠けた。
『將軍不快氣散了』(園太暦)
“将軍(尊氏)は、あからさまに不快な様子を見せた”
『隨順忠節軍勢恩賞事可有沙汰』
“(将軍である)わしに最後まで従った忠義の軍勢に恩賞を沙汰せよ”
直義は、兄の異変に気付いた。先日までの、師直と自分の間で、板挟みだった兄ではない。
『又師直以下誅戮上椙修理亮罪名』
“また、師直を殺した上杉能憲の罪だが、”
直義はようやく兄に口をはさんだ。
『禪門種々誘申之間、可流罪之旨治定』
“直義はさんざん将軍を宥めて、(死罪のところを)ようやく流罪に落ち着けた”
しかし、尊氏はまるで様子を変えない。
『給務事、宰相中將不可堪之間、辭謝』
“政務のことだが、議詮では任に耐えぬ、辞退させよう”
直義はいよいよ慌てた。直義は子を失った。兄の子義詮の面倒をみる他ない。
『禅門同心扶佐之上者、不可有子細之旨落居』
“直義殿は義詮殿の補佐を行うと約束し、それには及ばないということになった”
翌三日、晴れ。もはや尊氏の独壇場であった。
『將軍隨遂粉骨武士四十二人先有恩賞』
“将軍に従って粉骨砕身した武士四十二名がまず恩賞に預かった”
その後になって、ようやく直義派諸将の論功行賞が行われた。
『將軍和悅之氣有之』
“将軍は本当に嬉しそうになさっていた”
『又聞鎮西探題事、可爲直冬旨治定』
“また、足利直冬の鎮西探題就任が決まった”
本会談で直義派が面目を保った成果は、これのみであった。