【魔心】
某日、夢窓疎石は、いつになく足利直義に苦言を呈した。
『今我が朝の武将として、万人に仰がれ給へる』(夢中問答)
“直義殿は、今天下の武将として万人に仰がれておられる”
『元弘以来の御罪業と、その中の御善根とをたくらべば、何れをか多しとせむや』
“(しかし、)北条を滅ぼして以来の罪と善行を比べれば、どちらが多いでしょうか”
『御敵とて、滅ぼされたる人幾何ぞ』
“敵として、如何ほどの者を滅ぼされたか”
『御方とて、合戦して死にたるも、皆御罪業となるべし』
“味方にしても、合戦して死んだ者は、皆貴殿の罪となる”
『子は死にて、父は残り、その父は死にて、子は存せるもあり』
“子は死して、父が残り。父は死して、子が残り”
『その身大名にもあらず、強縁も持たぬ人をば、御耳に入るる人もなければ、訴詔も達せず』
“(それでも)大名になれず、有力者に縁もなく、その耳に訴えることもできなかった者達”
『目出たきことのあると聞こゆるは、御敵の多く亡びて、罪業の重なることなり』
“めでたきことがあると聞けば、南朝方を多く滅ぼし、また罪を重ねたという”
『都鄙の間に神社仏寺、旅宿人家、或いは破損し、或は焼亡せること、幾何ぞ』
“全国を見渡せば、神社仏閣・旅の宿・人家はあるいは破損し、あるいは焼失し”
『武士ならぬ人は、所領あれども、知行し給ふことかなはず。宿所をだにおしとられ』
“武士でない人は、所領を治めることができず、宿所さえ押し盗られている”
『世上の静謐せぬことは、偏にこれこの故なり』
“世上が静謐にならないのは、ひとえにこのためです”
一三四九年八月十九日、光厳上皇が動いた。夢想疎石が招かれ、勅命が与えられた。
『武家沙汰成敗、元のごとく直義卿その沙汰を致すべし、執事、元の如く師直沙汰申すべき』(園太暦)疎石は各方面を説得し、政治は元通り直義が、執事は二十一日から元通り高師直が行うことになった。直義を擁護し、幕府の解体を防がねば、世が戦乱に戻る。師直の「御所巻(将軍邸包囲)」で、将軍邸北隣にいた崇光天皇は、父光厳上皇のもとに避難している。折しも、十二月に即位式を控えた時期である。師直は朝廷を敵に回した。
かくして二十五日、直義の三条坊門邸で評定が開かれた。奇妙な光景であった。先日敵対した直義と師直が同じ席に臨んでいる。夢想疎石なくば、室町幕府はこの頃崩壊しただろう。