【兄弟】
一三四九年八月十四日、将軍邸を睨む高師直勢は、その数を増していた。千葉氏、宇都宮氏。層々たる将が師直についた。将軍足利尊氏に駆け付ける軍勢は、千騎に満たなかった。
だが、将軍尊氏は動かない。奇妙な静寂が続いた。やがて、尊氏邸から、須賀清秀が現れ、師直本陣の法成寺に向かった。これに対し、法成寺からも、将軍邸に使者が送られた。双方の遣り取りは十数度に及び、やがて、将軍邸では何やら評定が始まった。
妙だ。血が流れない。やり取りを窺う都人達のうち、最も意地の悪い者は、こう噂した。
『大納言と師直、兼ねて内通のことあるか』(園太暦)
“大納言(尊氏卿)と師直は、かねて内通し、猿芝居をしているのではないか”
幕府を一手に動かした副将軍・足利直義は、今や籠の鳥である。将軍と元執事がその処分を詰めている。副将軍は敗れたのだ。
師直陣営からは、直義派の上杉重能・畠山直宗・妙吉・奉行人斎藤利康・修理進入道某の引き渡しが要求され、重ねて副将軍の引退が強く求められた。
高師直の完全勝利である。師直は副将軍を退け、将軍に恩を売り、執事に返り咲く。高一族には栄光がやってくる。かの鎌倉幕府を動かした北条一族のごとき栄光が。
だが、相も変わらず、将軍邸は沈黙を続けた。
ここにきて、師直とその周囲も、事態の不気味さに気付いた。
―我らが、追い詰められている―
将軍が沈黙している。邸を大軍勢で囲んだのに何も起きない。将軍は我らの味方ではなかったか。弟君の張行と嫡男如意丸の誕生を苦々しく思われているのではなかったか。
師直は、ここにきて、一つの事実を思い出した。
『就若君御事、進使者被申候之条、殊目出候』(日本学士院蔵・小松茂美『足利尊氏文書の研究』)
“(小早川貞平殿、)弟の若君誕生に、よくぞ祝いの使者を送ってくれた。わしは嬉しい”
あの時。副将軍に子が生まれた時。将軍は、……………。本当に喜んでいた。
将軍と副将軍は兄弟。六波羅を攻める時も、新田義貞と戦うときも、いつも一緒だった。北畠顕家を討った後、将軍は軍勢の指揮すら、弟君に一任していた。こんな将軍いない。
そんなに弟が可愛いか。俺は家来に過ぎないか。
『関東左馬頭已成人之上者、召上可有沙汰云々』(園太歴)
“関東の若君(義詮)は既に成人された。このうえは、京に戻すべきである”
俺は北条とは違う。政治は若君がしろ。かくして、長く鎌倉にいた若君の帰京が決まった。