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【舞台は倒れた】

一三四九年六月十一日、四条河原勧進田楽で三・四階建の巨大な桟敷が倒壊した。即死者百余人、負傷者数知れず。にわか物盗り・斬り合いが起きた(師守記)。

その場には、足利尊氏・関白二条良基・梶井宮尊胤親王が臨席していた。


閏六月二日、足利直義の三条坊門邸の周辺で騒動が起きた。近辺の邸が壊却され、差し押さえられ、直義の部下達が配置された。都には、直義と高師直の間で合戦が勃発するという噂が流れ、人々は大騒ぎし、東西を駆けた。かの『夢中問答』の刊行に携わった大高重成(高師直の一族・しかし直義派)も邸を直義に差し押さえられ、吉良満義邸に移ることを命じられた。粟飯原清胤(幕府奉行人・直義派の筈だった)などは邸を差し押さえられた末に何故か逐電した。かねて、上杉重能・畠山直宗・妙吉(夢窓疎石の兄弟弟子)らが、直義に高師直の排除を進言していたという。三日、何故か妙吉も逐電した。十五日、直義は兄尊氏に迫り、師直の執事職を罷免させた。代わって、二十日、高師世(師直の甥)が執事に就任した。

三十日、直義が光厳上皇のもとを訪れた。何が話し合われたのかは分からない。

だが後日、これを不審に感じて問い詰めた洞院公賢に、上皇はこう答えている。

『さしたる申し入れの篇目なし』(園太暦)

“なに、たいしたことではない”

『少々沙汰致す事あり。定めて御不審あらんか。よって申し入る』

“直義殿が「少々沙汰をしたいことがあるが、院に心配をおかけしては」と話をしに来た”

これを聞いて顔色を変えた公賢に、上皇は慌てて言い添えた。

『ただ一箇条申し入る』

“ただ一箇条だけだ”

公賢は直感した。

『師直・清秀等退くるの由か』

“(直義殿は)高師直とその一党の排除を申し入れたか”


八月、これに対して師直は、河内の楠木正儀への抑えに出陣したままとなっていた弟師泰を急きょ京に帰国させ、十三日、直義邸に兵を向けた。その数、少なくとも数千騎。驚いた尊氏は、直義を復興したばかりの将軍邸(土御門東洞院)に避難させた。その際、直義は女装して将軍邸に移り、島津時久・和泉忠頼が垣根を乗り越えて飲食を届けたという(山田聖栄自記)。だが、師直は追撃の手を緩めなかった。あろうことか、十四日尊氏邸を包囲した。

ここに累代の家臣が主家に刃を向けるという事態が生じたのである。

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