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【吉野炎上―南大和の戦い―】

一三四八年一月二十五日、高師直は大和国・平田荘を発し、橘寺に入った。

辺りが暗くなった酉の刻(午後六~八時)、師直は吉野の方角に火の手を見た。幕府軍の先鋒がやったか、敵の一部が寝返ってくれたか。師直は首をひねったが、ともかく吉野方の敗北は明らかであった。師直の陣からは、また万歳の歓呼が起きた。


二十六日師直は軍を吉野に向け、二十八日吉野に入った。

『吉野、悉く没落し、全分無人、矢倉少々相残る』(園太暦)

“吉野方は、ことごとく没落し、全く人がいなく、矢倉が少々残るだけであった”

三十日、拍子抜けした師直は、吉野の殲滅を指示した。まもなく、各所に火が放たれた。

皇居。蔵王堂。蔵王権現。神輿。ことごとくが燃やされていく。

 洞院公賢は京でこの報に接した。

『冥慮尤も怖るべき事歟』

“帝の御先祖らは(この暴挙を)どう思われるだろうか。怖ろしい”

この瞬間、高師直は都の貴族らを敵に回した。高師直は吉野でやった暴挙を、都でも行うのではないか。帰って来た高師直を実力者として迎えるのは危険ではないか。


この時、南朝の後村上天皇はすでに阿弖河入道の城に落ち延びている。吉野では、高師直によって二月七日まで、残敵の掃討が続けられた。

その様子を北畠親房は見つめる。四条畷の勝利。吉野の陥落。これで、師直は名声を上げる。男子が生まれた足利直義を、尊氏は積極的に後押ししない。直義は、師直の復権に焦って攻撃する。直義が勝てば、足利尊氏は直義と対決せざるを得なくなり、幕府は分裂する。

―直義を一度勝たせるためには、ここで師直軍の中核を弱らせる必要がある―

 八日、宇智郡に進む幕府軍を南朝方が突いた。

『宮方群勢并野伏等数千騎出現及散々合戦云々』(貞和四年記)

“(道中・山岳から)宮方と野伏数千騎が出現し、激戦となった”

今頃になって、こんな大軍勢が動かせるあたり、親房の腹黒さが窺える。

『佐土判官入道之勢、多以被討留云々、則佐土判官入道并嫡子新判官等数箇所被庇云々』

“佐々木導誉の軍勢が多く討ち取られ、判官と嫡子秀綱も数ヵ所に傷をこうむった”

風森かぜのもり、巨勢河原、水越。師直軍は引きずり回され、終には平田荘へ撤退に追

い込まれた。水越で佐々木導誉の子秀宗が戦死している。十日、南都に着いた佐々木勢は四

五百騎だった。十二日、南都に還った師直軍は、勝ち戦の後だが、元の一万騎を号した。

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