【凍てつく地球】
一三四七年、コンスタンティノープルにペストが上陸した。ヨーロッパ中世を終わらせた死の舞踏の始まりである。ペストがヨーロッパに蔓延し、十七世紀後半までに四千万人を侵した要因は、今日、様々に解明されている。その一つとして、「小氷期」が挙げられる。
一方、元では寒冷で、飢饉と黄河の氾濫が相次いだ。飢えと治水工事の労役。怒る民衆に、放蕩無策の順帝トゴン・テムルは、一三四八年、塩の専売強化政策を突き付けた。
漢民族は怒り狂った。元では塩の密売が横行し、まもなく江南からの税収が激減した。元の国庫は枯渇した。塩の密売人らは結託し、やがて江南各地に反乱勢力が割拠した。
地球は再び寒冷の時期に入った。
世界の各地で戦争がおこり、無数の王朝国家が衰え、各国の国境線が書き換えられていった。寒冷の中、「食うための戦場」・「生きるための戦場」である。
日本も事情は同じであった。
一三四七年八月十日、河内で楠木正行が挙兵し、紀伊・隅田城を攻撃した。九月十七日、正行は北上し、河内藤井寺教興寺で幕府方守護・細川顕氏を破った(藤井寺の戦い)。
『当時兵糧以下難儀時分也』(御教書)
“当時(一三四七年十一月九日頃)は、兵糧が難儀な時分だった”
これまで、この挙兵は、湊川の戦いで父楠木正成と別れた、正行の二十代若武者としての成長。あるいは、北畠親房ら吉野主戦派の暴走として語られてきた。『太平記』にいたっては、この挙兵から続く観応の擾乱を、仏教的な因果応報、果てはあの世に行った後醍醐天皇・護良親王一派の怨霊の仕業としている。
だが、本作に怨霊は必要ない。そんなものは存在しない。賢しらな仏教的厭世もいらない。我々は、夢窓疎石らが天龍寺船を世界に向けて送り出したことを知っている。二十一世紀に生きる我々は、花粉などのデータをもとに、過去千年の気象状況・気温の変遷すら推計・数値化し、相当な精密さをもって再現できる。
怨霊・厭世。かかる、物の見方は、当時を必死に生きた人間に対する無礼である。我々、日本人の先祖は、十四世紀、十五世紀後半~十六世紀前半、十七世紀後半の三度に亘る大規模な小氷期を生き延び、それどころか、惣村・一揆によって現代の都道府県・市町村の礎となる集落・政治的結合を築いたのはおろか、社会の風俗・風習まで現代に繋がる形に一新して日本を再生し、未曾有の繁栄導いたのである。足利尊氏も北畠親房も光厳上皇も後村上天皇も戦場に散った兵も村々の民も。彼らが行っているのは、「第二の国産み」なのである。