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【直義と礎石3】

 一三〇五年五月初め、若き日の夢窓疎石は、枯野のような田畑を前に立ち尽くした。

『かやうの厄難を助け給はぬことは何ぞや』(夢中問答集)

“仏菩薩は、何故、かような災厄をお助けにならぬ”

この時代、人は簡単に死ぬ。田畑が枯れれば、容易に飢えて死ぬからである。だが、天は応えず。雨は一滴も降ってこなかった。


 近江佐々木氏の血を引く疎石は、伊勢に生まれ、若くして南都・京に学んだ。二十六歳の頃、鎌倉建長寺の首座に上りながら、奥州松島寺に赴いた。その後鎌倉で、二十八歳のある日、書に学んだ十年の非を悟り、突然蔵書を焼いた。仏国国師(後嵯峨天皇の皇子・無学祖元の弟子)と出会い、叱咤され、修行のため陸奥白鳥へ。常陸臼庭に留まった時、三十一歳。

足利直義は、今更ながら目の前の老僧が超人的な来歴を持つことを思い出した。

『もし衆生の業拙き故に、仏の利益もかなはぬと言はば、凡夫の苦にあふことは、皆業の故』

“もし、民の業が拙いため、仏の利益もかなわぬというなら、この災厄も民のせいか”

『仏菩薩の凡夫の願を満たし給ふといふこと虚言なるべし』

“ならば、仏菩薩が人を救うなどと、虚言ではないか”

直義は固唾を呑み、疎石を見守る他なかった。


『しかれども、させる一大事の因縁ならねば、打ち捨てて、心にかけず。その後一両月を経て、いささか思ひ出づることあり』

“ですが、一大事の悩みでもなし、打ち捨ててましたが、一二ヵ月後、いささか思いました”

五月末、座禅を終え、庵に休もうとした国師は、床で転び。そのはずみで悟った。

『ただ無始輪廻の迷衢を出でて、本有清浄の覚岸に到らしめむためなり』

“仏菩薩が願われたのは、人間が輪廻の迷いを抜け、生来備える悟りに到ることなのです”

『しかるに、凡夫の願うことは、皆これ輪廻の基なり』

“ですが、我々凡夫が願うのは、欲や業のもとになることばかり”

『たとひ百歳になるとも、忉利天の一日一夜にあたれり』

“仮に長寿を願って百歳になったとして、仏の前では、一日一夜に過ぎません”

数十億年の時を生きる星や太陽を前にした場合も、同じである。

疎石がここまでの境地に到った常陸は、かつて親鸞や唯円が念仏を唱えた地である。疎石のこのあたりの発言は、どこか親鸞と同じ匂いがする。

だが、疎石曰く。そんな仏であっても、人間の積み重ねた業を簡単に覆すことはできない。

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