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【直義と礎石2】

足利直義は己が守勢に立つ事に気付いた。欲をかいてはならぬ。それはまだしも、福を望んでもならぬ。仏教とは、そんな身も蓋もない教えだったのか。

直義は、思わず眼前に座する夢窓疎石に問うた。

『古人のごとく、木食草衣にて樹下石上にすむことはかなわぬ人、しばらく身命を助けて、仏道を行ぜむために、福を求むることは、なにか苦しかるべきや』(夢中問答集)

“我らは、古人のように木に食べ草を衣とし、樹木の下・石の上に暮らす生活はできぬ。せめて、命ながらえて仏道修業をするための福を求めるくらい、何が問題なのだ”

仏道修行のため福を求めるのは、なるほど、世俗の欲とは異なりますが。疎石は語を紡ぐ。

『たまたま一つあれば、亦一つは欠けぬ。今は足れりといへども、亦後を思ふ』

“ですが、そんな人は、結局一つ得ては一つ失い。今が満ちても、将来を憂うだけでしょう”

かような雑事に心奪われ、そうこうするうちに寿命が来て、ろくに修業もせぬまま死ぬ。今際の際になっても、修行がしたいから寿命をもう少し、とは言わんでしょう。


 この人は、達観しているのだろうか。

直義の心の声を無視して、疎石は言葉を続ける。

『もし人身命を省みず仏道を行ぜば、たとひ前世の福因なくとも、三宝・諸天の加護によりて、道行の資となるほどの衣食は満足すべし』

“そんなものを求めなくても、身命を省みず仏道修行に精進すれば、仏の御加護で、修行の助けになる分の衣食くらいは自ずと満たされます”

 信じる者は救われる、か…。これだから宗教者は。直義は憮然と切り返した。

『しかるに、末代のやうを見れば、心を尽くして祈れども、かなうことの希なる』

“御坊はそうおっしゃるが、今の世を見れば、仏を信じる民は救われていないではないか”


 疎石は心なしか表情を和らげた。若き為政者を見直したのかもしれない。

『予三十年の前にこの疑ひの起こることありき』

“私も三十年前にそう思ったことがあります”

貴殿と同じ齢の頃。あれは、常陸の臼庭という所で独り修業をしていた頃のことです。

『五月の始め、菴外に遊行す。その比久しく雨降らず、田畠みな枯野のごとし』

“五月の初め、庵の外を歩きました。久しく雨が降らず、村の田畑はほとんど枯野でした”

憐れでした。雨を呼ぶ起こす龍神は、人を憐れむ心を持たない。今、枯野を嘆く私には、雨を降らせる徳がない。仏は、龍神に心を、人に徳を与えなかった。

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