【戦場からの手紙3】
一三三九年十一月、駒城を攻める幕府軍の士気は下がっていた。
『ひとはかゑりなんと申候へく候』
(「日野市史 史料集 高幡不動胎内文書編」百頁・高幡不動胎内文書 一山内経之書状)
“みんな、帰郷したいと漏らしている”
事実、帰国する者も出ていた。無理な城攻めに、被害も出ている。
『人〱これほとうたれ、てをひ候』(百二頁)
“たくさんの者が討たれ、手負いも続出している”
経之も、既に馬と兜を失っていた。
『むまをくせいのもちて候しを、ゑひとのゝもとより候て、とりてたひて候』
“今は、馬を僚軍の「えひと殿」のもとから借り受けている”
『かふともこのほとハ人のかし給て候』
“兜も、この程は、人から貸してもらっている”
時ばかりがいたずらに過ぎて行く。
『このゝちハはたさむに候』(百四頁)
“ここから後は、肌寒い季節となる”
『このしやうも□しのうちハおち候ぬへきやうも候□存候』
“城も、今年中には落とせそうもない”
冬が間近に迫っていた。
翌一三四〇年一月、小田城の北畠親房は、幕府軍の様子に目を細めていた。
『駒楯辺の凶徒、今春は以ての外に微弱散々の式に候』
(吉川弘文館・伊藤喜良「東国の南北朝動乱」一三四~一三五頁、松平結城文書)
“駒城周辺の凶徒は、今年に入って思いのほか弱っておる様子だ”
『今においては静謐程なく候』
“程なく鎮められよう”
そんな幕府軍にあって、経之は奮戦を続けていた。
『このかせんにつけ候て、三かハとのも、よろかならす悦はれ候』
(「日野市史 史料集 高幡不動胎内文書編」百八頁・高幡不動胎内文書 一山内経之書状)
“こたびの合戦について、三河殿(高師冬様)から、直々にお褒めに預かった”
だが、城が落ちる様子はなかった。