【円心の進言】
一三三六年二月三日、足利尊氏・直義は摂津の兵庫に到着した。この地で、援軍の到着を待ち、再度京に侵攻しようと目論んだのである。
この間、足利兄弟の安全を確保したのは、赤松円心だった。円心は、護良親王の失脚で播磨の守護職を剥奪された後、領地で逼塞していた。建武政権は、かつての功労者に、失脚をもって報いた訳である。円心が建武政権を見限ったのは、そうした事情による。
まもなく、周防の大内・長門の厚東に率いられた船団が、兵庫湊に到着した。足利方は、貴重な増援を得た訳であるが、そこに新田義貞・北畠顕家・楠木正成が迫った。
『十日於摂州西宮大手致軍忠』(近江衆徒等軍忠状東京大学史料編纂所所蔵、山本「新田義貞」二〇二頁)
“(近江寺衆徒は新田軍に属し)十日、摂津西宮で足利と戦いました”
十一日、摂津国打出豊島河原でも足利方は苦戦した。
周防・長門の援軍を得ても攻めきれぬ。ここに、足利の劣勢は、明らかとなった。
その夜更け。宮方との対峙に疲れる本陣に、赤松円心が参上し、尊氏に進言した。
『御方疲て大功をなしがたし。しばらく御陳を西國へ移されて軍勢の氣をもつげせ。馬をも休。弓箭干戈の用意をも致して重え上洛有べき歟』(梅松論)
“御味方は連戦に疲れ、戦果は望めません。しばらく、本陣を西国に移し、軍勢を休息させて下さい。馬を休め、軍備を整えたうえで、再度上洛するのです”
『凡合戰には旗を以て本とす』
“およそ合戦とは、掲げる旗によって、善悪が決まります”
『官軍は錦の御旗を先だつ。御方は是に對向の旗なきゆへに朝敵に相似たり』
“宮方は錦の御旗(天皇の旗)を先頭に立てています。しかるに、お味方にはこれに対抗する旗がないため、まるで朝敵です”
『所詮持明院殿は天子の正統にて御座あれば』
“持明院統こそ、天皇家の正統であらせられます”
『急に院宣を申くだされて錦の御旗を先立らるべき也』
“速やかに、持明院統から院宣を賜わり、錦の御旗を掲げるべきです”
しかし、ここの宮方は誰が抑えるのか、という顔をする尊氏に、円心はこう言った。
『中國攝津播磨兩國をば圓心ふまゆべきなり』
“摂津・播磨は、この円心が踏み止まります”
十二日夜、尊氏を乗せた船団は、兵庫を出港した。向かうは、西の果て九州である。