エピローグ オカマジョと弟子は空を飛ぶ
「エンジュさん、これで良い……?」
「んー? ちゃんとアタシが言った通りにしたー?」
「うん。パウダーはたいてチークもして、色つきリップも塗ったよ」
「ちょっとー! 髪の毛がまだじゃない! ワックスをほんの少し指先につけて、全体をクシュクシュってするって教えたでしょー」
編入試験に無事合格して、初めて登校する朝。
高校“再”デビューをかけて、香月はエンジュにファッション指導をされていた。
ほったらかしにしていた髪は美容院で軽やかなボブにしてもらったし、「せっかくなら明るくしようぜ」とコウに染めてもらった。いきなり明るい色は抵抗があるし、編入早々悪目立ちもしたくなかったから、地毛と思われる程度のダークブラウンだ。
それだけでも、香月にとっては大きな変化だ。
もう廻りの顔色をうかがったり、大人の都合の良い子を演じたりしない。これからは、まず自分が思うように生きるのだ。
「ねえ、エンジュさん……まだ終わらないのー?」
香月の支度の世話もほどほどに、エンジュは鏡の前に張りついている。いつもより念入りに化粧をしているし、髪のセットにも余念がない。
「もうちょっと待ってなさい! 大事な日に手を抜くわけにはいかないのよ!」
「何でエンジュさんが張り切ってるの?」
「そりゃ、あんたの保護者だもの。テキトーな格好で行って『転入生の保護者、ダッセー』とか言われたら嫌だもの。あんたにとっても死活問題でしょ」
「えー……」
メイクも髪型もまだ納得がいかないという様子ながら、エンジュは今度はクローゼットから服を何着か選び出し、バッサバッサと着替えていく。香月の前だというのに、お構いなしだ。
そんな様子を呆れて見ながらも、いつもスマートにばっちり決めているエンジュがバタバタしているのが、香月は嬉しくもあった。
「さあ、香月。動いて、しゃべって」
着替え終わったと思うと、エンジュは次はスマホを構えて香月を撮り始めた。
「今度は何?」
「ムービー撮るわよ。スミヱばあちゃんに送るから」
「えーっ」
撮られているとわかって、香月はカメラに手を振りながら小さな声で「今日からまた学校に行きまーす」と言った。
「てか香月、新しいスマホを用意してもらったんだから、自分でもスミヱばあちゃんに連絡しなさいよー」
「うん、する……あ! もう大変な時間!」
いろいろあって長らくスマホやネットと距離を置いていた香月は、言われるまで自分が新しいスマホを持たされていることを忘れていた。そして思い出し、制服のポケットから取り出したスマホの画面を見てあわてる。
「やっだ! このままじゃ遅刻じゃない!」
「初日から遅刻なんてやだー!」
「じゃあ、急ぐわよ! パスカル、ホウキと靴持ってきてー!」
急いで部屋を飛び出すと、エンジュはそう叫んで廊下を全力疾走した。そのあとを、香月も必死で追いかける。
「はいよー。間に合うのー?」
台所まで来ると、アライグマのパスカルがホウキを手に勝手口で待っていた。一時はヨイチ共々しおしおになっていたけれど、この数日ですっかり毛艶も戻って元気になっている。
「間に合わせるのよ! さ、乗った乗った」
「えー!?」
勝手口を開けホウキにまたがると、エンジュは自分の後部をポンポンと叩いた。後ろに乗れ、つまり二人乗りして高校まで飛ぶということだろう。
エンジュが飛んでいるところすらまだ一回しか見たことがないのに、いきなり二人乗りは難易度が高すぎる。そう思うけれど、拒否権も選択の余地もなく、ためらいながらもホウキにまたがるしかなかった。それからこわごわと、エンジュの腰にしがみつく。
「香月、気をつけるのだぞ」
「う、ん――!」
パスカルの肩に乗っていたヨイチに返事をしようとしたそのとき、ギュンッとホウキは加速した。
「んじゃ、飛ばすわよー」
そんなことを言ったのは、とうに地面から離れたあとだった。
線移動ではなく点移動なんじゃないかと思うほど、香月とエンジュを乗せたホウキはビュンビュンと風を切る。山の木々の間を抜けて、国道沿い出て、あっという間に試験のときと下見のときで見慣れた高校の道のりに出た。
「……ホウキに乗る魔法は、早めに教えとこうかしらね。山からの登校、徒歩じゃなかなかにハードだろうから」
裏門付近に降り立ったエンジュは、げっそりして言う。徒歩のほうが楽じゃないかと思いながら、香月はポケットのスマホを確認した。予鈴が鳴る前だ。無事に間に合ったとわかって、やっぱり魔法を教わろうかと考える。
「魔法を教えてくれる前に、ヘルメットを買ってください。フルフェイスの」
「ヘルメットかぶってホウキに乗る魔女ねえ……可愛くないわ」
「可愛さよりも、とりあえずは安全性を。エンジュさん、魔法よりもまず人間としてちゃんと生きることを覚えなさいって言うのに」
「まあ、そうねえ」
早歩きで職員室を目差す二人は、“スピードを出さなければいい”という大前提が頭に浮かばなかった。
やはり、普通の人とはやや異なる存在だからなのか、それとも単にこの二人がズレているのか。
これはそんな、少し変わった人たちの物語。
魔法と優しさで客に寄り添う店、魔法屋オカマジョの物語だ。




