2-1 ソニックブームワールド
「ここは……ア、アンダージュ、なのか……?」
目が覚めた場所は見覚えがない。薄く頼りない明かり――土の壁に掛けられたランプのような照明を仕方なく頼り、軌道は解き放たれたエリアを探索することにした。
今の感じからすると、マギナの扉に引き込まれ、常闇の空間を延々落ち続けた後の時間帯、の筈だ。
結局こんなことになってしったことを落下中に嘆いたことも記憶に新しい。
――どうにせよやはり、これはやはり先に言うそういうことだ。
落下の衝撃で目が覚めたことは不幸中の幸い……なのかは分からないが、どうやらアンダージュに到着できたようである。
「しかし暗いな……やっぱ地獄に落ちたか」
希望的観測を絶望的観測で塗り替え、とりあえず暗い色の壁を触ってみる。岩や化石っぽいものがゴツゴツとせり出しており、勢いよく殴れば多分骨折では済まないと思う。
感想としては、やはり冷たい。軌道の目から見れば、この土は植物育成には向いていないと断言できた。岩が根が伸びるのを邪魔するし、先程居たツリーハウスに比べれば酸素の割合も少なめ。
地獄でないのなら、ここは地底――どこまで落ちたのかはわからないが、アンダージュとはこんな場所というわけだ。
「……こりゃどこ行ったらいいのか分からないな。何かないか……というか何もないな、ここ」
手掛かり無しに、軌道は改めて辺りの様子を観察してみる。
目の前に広がるのは恐ろしいところまで聳え立っている巨大な地石の壁。点々と突き出している石に掛かっているランプの光は弱々しく、既に目も暗黒に慣れてしまった。
背後を振り返れば、そちらの方向はとんでもない暗闇。どこまで続いているのか、何があるのか、何もかも計り知れない暗黒。
前方と後方、そんな頼りないもの二つに挟まれ、軌道が立ち尽くしている状況だ。
目が覚めた時は座り込んでいたのだから、地面は存在しているはずである。しかし、これ以上暗闇が指し示す先に進むのは危険極まりない。
軌道は薄暗すぎて見えない自分の腕を、前方の石壁に突き立てて一回深呼吸。
「……この壁の向こうに、誰か居るかも知れないっていう凄く不思議な発想」
希望的観測を確かめるべく、ランプの真下辺りに突き立てた腕を一度離し、指を握り締めて数回ノックしてみる。
カラカラ、とランプ本体と光が淡く揺れ、奏でられた音が空間の中を反響、こだましていく。中々広い場所――しかも閉じられた空間であることを悟り、ますます自分が心配になってくる。
しかし返ってくる音はそれ以外には存在せず、軌道は目を閉じて軽く嘆息し、持っていた鞄の中を探る。
「スマホは……充電は93パーで、もちろんネット関連は接続なしの役立たず。今なら毛嫌いしてた有線ランが物凄く恋しい……あんまギガ使わないから、いっつも4Gに頼りすぎたツケが廻ってきやがった……!」
一通り軌道が地下へ持ち込めた文明を調べ終え、やはりスマホ一つだけであることを確認。充電出来るかどうかは怪しいが、電波が飛んでいない状況の今、使える機能と言えばカメラかメモ帳くらいのものだ。
左手首に巻いた腕時計が指し示しているのは11時35分。
「……あれ、こいつ……動いてねぇな」
軌道の腕時計は電波で針を合わせているわけではない。
だが、気が付いた時にはその針はきっかりこっきり、動かなくなっていたのだ。
その反応から推測できるとすれば、地下ではやはり別の時間が動いている説が有力となる。地上と時間が違うなら、マギナの扉を潜りここへやって来た影響で時計が壊れても不思議ではない。
――『11時35分24秒』。それが軌道が地下へと降り立った、正確な時間である。
ならスマホは、と確認してみると、腕時計と違ってスマホの時計は寸分狂わずに動作を続けていた。
今、ちょうど37分になる――。
「――うっ、腹減った」
日本人の体内時計の正確さに今更びびり、何度目になるかわからないため息をついて鞄を漁る、が結果は芳しくなく、まともな食料品は一切合切出てこない。
何とか掘り出した棒状の駄菓子で腹の虫を収めることに徹するが、この短時間で疲れきった体に、やたら日本の駄菓子が特効薬。普通にうまい。ついでに緑念仏も加えてやれば、今ならどんな強敵にも勝てそうな感覚に包まれる。
「地面が土で、じめじめしてなかったら完璧だったのにな……――」
――軌道は何かに気付き、そっと念仏を制止。駄菓子は食し続ける。
気が付いたのは『音』だ。さく、さくとスナック菓子が砕ける音に混じって、何かが聞こえる。
音はごぉーごぉーと、巨人が呻いたような鈍く大きい振動を伴っていた。聞こえる。壁に向かって両サイドから、そんな振動を纏った音が迫って来ているのがわかった。
「――ッ!」
途端、軌道が存在する空間に衝撃が駆け抜けた。
爆音、爆風、爆裂、ありとあらゆる『爆』が『音』となって耳と皮膚に襲いかかり、染み出した不快感に脳が異常を察知する。無意識に耳を手で防いだ。
これは『音』だ。あくまでも『音』で、爆風ではない。その『音』は、只の音ではない。『声』を意識させる、やはり爆風といっていいのかもしれない音波なのだ。
『――ドォン!』
『――っぱ――落ちたか』
『にもないな――こ』
『壁――不思議な発想』
『コン、コ――』
『4Gに頼――廻ってきやがっ』
『ごいて』
『――減った』
声は高らかに地底空間へ響き渡る。
その声には心当たりがある。いや、ありすぎる。
正にそれは軌道が発した『言葉たち』だった。一つ一つ丁寧に、穴抜け問題が出題されるように所々抜け落ちた文字が、爆音と合わせて宙を舞う。
なら、一番初め、一番長く響いたあの『衝撃音』は――。
(俺が、ここに落ちたときの音……?)
軌道の口から飛び出さなくなった『声音』は、この場所よりも高らかに、清く心の中を響き続ける。
ここよりもうるさいかもしれないし、小さな小さな雑音にしかならないかもしれない、心の叫び。
――好奇心の塊と化した軌道は、一つ考察を立ててみる。
ここまで音声を拡大させるとなれば、精密に設計された空間が必要不可欠である。広がる角度、反響の方向、上部を往き来する回数等、それらを全て計算しつくさなければここまでの爆音は生まれない。
それもばらばらに聞こえるのではなく、時間差でいっぺんに音がやって来るのだ。相当細かく音を熟知していなければ、この反響を作り出すことは不可能である。
ならば、軌道は人――擬人が作り出した空間にいるということになる。否、元から気付いてはいた。人がいない場所にランプなんてかけないだろう普通。
「いや、でも何でだ……?」
この仕掛けがある意味がわからない。
そもそも、この空間がどのような形状をしているかもわからない。とにかくだだっ広く計算尽くしな場所なのだと思うが、定かではない。
そして、先に発言した台詞がそのままの形で再び軌道の耳に牙を向ける。跳ね返ってくる音に声量は関係ないとわかり、なかなか厄介だと再度思考に入る。
どうであれ、ここにずっと留まっておけないのは事実だ。動かなければ、何も始まらない。じーっとしててもどうにもならない、とヒーロー物の主人公が言ってた気がするし、件の『地底列車』や『擬人』と接触しなければ――。
――『音』がした。
それは鈴の音。それは癒しの波動。それは神の笑い声。
それらの表現が正に似合う『音』が、軌道のある空間に響き渡る。何処かで聞いたことがある、素敵と言わざるを得ない美しい音色がこだまし、反響する。
軌道はそれが――『風の音』であることを理解する。
どこまでも続く暗闇の中で神聖な風の音に感動を覚えつつも、軌道は警戒を解けずにいた。
もちろん、先程のような大反響に耐えるためである。
不幸なことに、鞄の中には役に立ちそうな物は入っていない。ドラえもんじゃねぇんだから、そう自分に言い聞かせて軌道は準備に徹する。
そしてやって来た『振動』――。
「……?」
『振動』だ。さっき自分を恐怖に陥れた『振動』。それが今、耳元まで響いている。
わかりきってきるのに、軌道は違和感を隠しきれない。『音の揺れ』ではない、『物理的な振動』が涌き出る不安感を煽っていた。
――要約、つまりさっきの揺れとは違う。
「――っ!?」
途端に、軌道は思いっきり地面に叩き付けられた。
――否、叩き付けられたのではなく、吹き飛ばされた。その直後、瞬間的に軌道は良からぬ事態を察する。
吹き飛ばされた衝撃音と、振動、そして風の音――その全てが大反響を引き起こし、空間が脳を噛み砕く音波を発生させる。それをまともに喰らえば、意識を保てる確証は――。
「ない、ってのか……! くそっ!」
もはや声を隠すことも無意味と、軌道は本心を口にする。
ここで足掻いてみせても時間と労力と知識の無駄であると判断し、即座に地面に伏せて耳を塞ぎ、硬直する。
早くこの場所を脱出しなければならないのに、なんて情けない姿なのだろうと、客観的に自らを心の中で叱ってやる。
せめて、やって来る大反響世界で意識を失わないようにと、精一杯耳を塞ぐ手に力を込めて――、
――数十秒が経過したことを、スマホの画面は示していた。
『11時39分40秒』。
軌道は恐る恐る立ち上がり、心と身体に異常がないかを確認してみる。液晶の表示から察するに、どうやらショックで記憶が飛んだわけではないらしい。
「……なんか、変だな。嫌な予感がするんだ、俺の植物勘が冴え渡ってんだよ……こんな岩しかないような所でもよぉ……!」
妙な結果に警戒を強め、軌道は身構える。
結果が結果だ。今まで軌道が小さく漏らしてきた独り言ですら拾いきったこの空間に、あのでかい音が響かないはずはない。
――何者かが、仕組みを弄った可能性すらある。
戸籍も、お金も、何もかも『地下の』という前置詞が付くものを持っていない軌道ならではの発想だ。今すぐ襲われても、不思議ではない。
『――――』
風の音が響いた。
あの、風の音、鈴の音、神の声。
さっきと同様に、耳をそばだてる快音は空間に響き渡る。
軌道は――唖然とする。
――目の前に、『人』がいた。
そいつは音も立てずに、風のエフェクトを引き連れて、無音でそこに突っ立っている。
「――――」
「……誰っすか」
「――風」
「――がァッ!?」
「――――」
そいつは、軌道の肩を刃で斬りつけた。
それは『風の刃』と称するに相応しい斬撃。
その残光は、滑らかであり清らかであり、美しかった。
――衝撃で鞄を落とし、中から物が溢れ落ちた。スマホの光が見える。電源が入ってしまったのだろう。今はホーム画面に表示されている時計盤を見ることすらおぼつかない。
「が、あああああああああッ!!」
絶叫がこだまし、辺りにその残酷な歌を延々と撒き散らす。
あいつは、『やつ』は、誰だ。何者だ。何が、目的でこんなこと――。
「――『地上人』。アンダージュから、出ていけよ」
そんなの、知らない。
こいつは、知らない。
――地上への帰り方であり、軌道の信念のことだった。
「ぐっ、フッうァ――お前らを、救うために……っ!」
「――――」
「俺は……! だから俺は! ここに居るってんだよ、『擬人』!!」
ランプの頼りない明かりの隙間からひらりと、そのキャップのような帽子の隙間に、こいつの眼光が見えた。
――高校生くらいの女の子だ、しかもとびきり可愛い。キツイ視線がたまらないぜ。
だが確かに『風』なんだと思う。だって、ひっきりなしに軌道の顔に爽やかな風が吹き付けているのだ。暴風であるだけで、軌道の前髪が荒れていること以外に気にすべき点は少ない。
軌道が『風人』を『擬人』だと思った理由は幾つかに分けられる。まず、彼女が自らを『風』だと称したこと。そして、その愛らしい布を巻き付けたような服に付けられた『流れるそよ風のようなアクセサリー』。
マギナもそうだったが、どうやら擬人は自身のモチーフを象った何かを身に付ける癖があるらしい。普通に個性が出て良いと、軌道は痛みの中でぼんやり考える。
「……その有り様で、《風》を見つめるなよ。お前の品格を疑う」
「だったら、もう、ぐ、疑ってんだろ……!」
あいつの名前――名前は?
あいつが名前を言ったと、そう思っていた部分に靄が掛かっていて――わからない。肩の傷の痛さがじわじわと広がっているが、とうとう脳までやられてしまったか。
絶体絶命modeの軌道だが――また、別の変化が訪れる。今日は本当に心の来客が多い。
それは『振動』。
『振動』が近付いてくる。さっき感じた揺れと同じ――否、違う揺れだ。
「……?」
なら、また彼女みたいなやつがくるんだろうか。だとしたらごめんこうむる。傷は、肩と心だけで十分なのに――。
――そんな軌道の軌道は、良い方の裏切りに働いた。
『――!』
耳をつんざく金属音が。
『――!』
神経をそばだてる蒸気音が。
『――!」
感覚を震わせる汽笛の音が――そして。
「だいじょーぶですかぁー!?」
――軌道の安否を心配してくれる、人の声が、聞こえる。
見れば、何か大きなものから身を乗り出して軌道を捕まえようとする影が迫ってきていた。
どんどん、寄ってくる――。
「あれ、人の速度じゃねぇよな……いくらなんでも、速ぇ、よ…………」
「あぁー! ま、待ってください、今、助けます――!」
「……あ」
――途端、空間に眩しい光が満ちる。
目がくらみ、涙が止まらない。明かりがついた理由がわからないが、きちんと見たいものは見れた。
まず、『風』の全貌。やはり薄暗い中で見た通りの評価。多分怒ってる、と思う。
そして軌道を救った正体――これは二種類に分けられる。
まずは拾い上げてくれた誰か。あいつと同じく女の子で、長い金髪を綺麗に伸ばしていた。正統派ロリだ、なんてこったい。
そして、その正統派ロリが乗ってきた物体。光でわかったが、暗闇の中には『線路』が存在していた。要するに、あれは――。
きっとあの『地底列車』なのだろう。
そして、落としたスマホに映し出された事実はたった一つだけだった。
――『11時40分37秒』、軌道は『風』を前に、傷だらけで運命の切符を手に入れた。




