2 予知が実現するとき
***
「問題は誰がマリア様を……という点ですよね」
資料室の椅子に着席すると、マリア様が棚から十冊の本を持ってきて、「頭に叩き込め」と語尾にハートマークをつけて机に置いた。
時折、わたしが読んでいる本のページをいじりながら、マリア様は言う。
「そうねぇ、事件性強そうだけど、花瓶が落ちてきただけならただの事故かもしれないわよね」
落下物が割れたときの映像からして、おそらく一輪挿しの花瓶だろうとわたしたちは仮説を立てた。
花瓶より小さい瓶だったと思うが、じゃあ何かと問われれば思いつかない。やはり花瓶が一番近いように感じた。
窓辺に花瓶が置いてある部屋なんて、わたしもマリア様も把握できていない。そんな部屋ないかもしれないし、あるかもしれない。
マリア様が歩いていた場所も、周りの風景では特定できなかった。
「まぁ、とにかく上に気をつけるわ。室内にいれば大丈夫でしょ」
「確かに……予知では敷地内とはいえ、外でしたからね」
「じゃあ、私は自分の業務があるからこれで。診察室にいるから、何かわかんないことあったら呼んでね」
そう言って、マリア様は資料室を出て行った。
彼女の背中を視線だけで見送ってから、わたしは目の前に積まれた分厚い本に向き直る。
「まずは簡単な応急処置からですわね……」
擦り傷、切り傷、熱中症など、身近な怪我や体調不良に対する処置についての本だった。
知識として、なんとなくわかっていたつもりだったが、意外と勉強になる。
「えぇと、切り傷は止血を……」
包帯の巻き方が図解されているが、少々わかりにくい。実際の包帯を手にしながら実践したほうがいいかもしれない。
さっき別れたばかりで多少気が引けるけど、診察室にいると言っていたから、包帯はすぐ借りられるだろう。
椅子から腰を上げたのと同時に、ノックの音がした。
「エリザベス? ちょっといいかい?」
この声は──ナヴァロ様!?
「どうかされましたか? 聖療院に用なら、一階の診察室にマリア様がいらっしゃるはずですが……」
慌てて立ち上がり、ドアを開ける。にこやかなナヴァロ様が立っていた。
「あぁ、違う違う。君に用があるんだ」
「わたしに……?」
「さっき、ルカが君を探してたよ。今頃、聖療院の近くまで来てるんじゃないかな。なんか、話があるって」
「えっ!? ルカ様が!?」
ルカ様とは昨日、喧嘩別れのような話の終わり方をしてしまった。
話があるというのはなんだろう……? 婚約破棄とかじゃないといいけれど、言うことを聞かずに怒らせてしまったし、有り得るかも……!?
とにかくお話ができるならありがたい限りだ。
「ありがとうございます! わたし、行って参ります!」
「うん、そうしな」
ナヴァロ様に礼をして、わたしは階段を駆け降りた。聖療院から出て、左右を見渡す。ルカ様のような人影はいない。
近くに来てるって仰っていたから、もっと辺りを探してみよう!
わたしは聖療院をぐるっと周ってみることにした。さっきまでいた資料室の下あたりまで歩くと、誰かが聖療院から出てきた。マリア様だ。
「エリちゃん、血相変えてどうしたの!?」
「マリア様! ルカ様が来てるって聞いて……」
「ルカ様が聖療院に? そんなはずない、だってあの人は聖療院に近づきたがらないはずだもの」
「えっ……?」
言われてみれば、聖女という役職を毛嫌いしているルカ様の嫌がりそうな場所だ。そもそも、直々に探すよりも使用人に言伝を頼むはずだ。忙しいルカ様がわざわざ出向くのは、あまりにも非効率的すぎる。
……じゃあ、ナヴァロ様が仰っていたのは?
「……エリちゃん危ない!!」
マリア様が叫ぶと同時に、わたしに向かって走ってきた。
そうか、ここは外だ。
落下物に気をつけるのは、マリア様だけじゃなかったんだ。
わたしは自分の不幸を予知できない。
視線を上に向けると、無表情のナヴァロ様が、資料室の机に置いてあった空の薬瓶を、わたし目掛けて放り投げていた。落下する瓶がやたらスローモーションに見える。
予知の落下物は花瓶ではなく、薬瓶だったのか──
「エリちゃん!!」
空き瓶が眼前まで迫ってきた瞬間、わたしはマリア様に抱き抱え込まれ、後ろに倒れた。
カシャッ!
空き瓶は誰にも当たらず、地面で弾けた。
助かった、の……?
今更、心臓がバクバクと高鳴り始めた。わたしたちが仮説付けた一輪挿しの花瓶よりも、ずっと小さい空き瓶の欠片が、レンガ調のタイルの上に散らばっている。当たっても死に至る確率は低そうなサイズだ。
「あ〜あ! もう!」
ナヴァロ様は慌てて逃げるでもなく、ガシガシと自分の頭を掻いていた。
「エリちゃん、大丈夫!?」
ガバッとマリア様が起き上がった。わたしは彼女の肩を掴み、顔を覗き込む。
「大丈夫です。マリア様は!?」
「私は無傷よ」
「よかった……」
マリア様の無事を確認して、わたしは再びナヴァロ様を睨みつけた。
第一王子とはいえ、さすがに一線超えてるんじゃない……!?
「……っ!」
非難するつもりで睨みつけたのに、わたしは息を呑んでしまった。ナヴァロ様があまりにも感情のない表情をしていたから。
「……またお母様に怒られちゃうじゃないか」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で言い残し、ナヴァロ様は窓から姿を消した。
お母様……って、王妃シャーリーン様のこと? どうして今、シャーリーン様が出てくるの?
クエスチョンマークが浮かんでは消えていく。ナヴァロ様への怒りよりも、何か事情があるんじゃないか、という謎のほうが大きくなっていた。
とにかく、ナヴァロ様を問い詰めなくては!
「痛っ……!」
立ち上がろうとして、足に鋭い痛みが走った。見れば、ふくらはぎがパックリ切れている。瓶は直撃しなかったが、割れて飛び散った破片で足を切ってしまったようだ。
「……止血が先ね」
マリア様は呟くと、白衣のポケットからガーゼを取り出し、どくどくと血が流れる患部にガーゼを強く押し当てた。
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