第三話 前世での恋
「う、うーん……」
言葉につまる彼女。だいぶ困惑しているようだ。
しかし、少しの時間がたつと。
「ご、ごめんなさい」
と彼女は頭を下げた。
「え、え、な、なんで……」
俺は予期していなかった言葉を聞いて、全身から力が失われていく気がした。
「あたし、好きな人がいるの。だから、ごめんなさい」
と言うと、彼女は、屋上の入り口に向かって走っていった。
一人取り残される俺。
こ、こんなことって。彼女は俺のこと、好意を持っていたんじゃないのかよ……。
俺は、その場でただ呆然としていた。
それなりに会話をしていた彼女と俺だったが、それ以降は、あいさつさえもしない関係となってしまった。せっかく近くに好きな人がいるというのに、会話もできなくなるのは、とてもつらいことだった。
三学期になっても、席順は変わらず、つらい状況は続いた。
中学校三年生になって、彼女とは別のクラスになったので、ようやくその重圧から離れることができたが、ほぼ半年近くの間、苦しみ続けたことになる。
この苦しみを経験しているので、俺は女性にモテない、という意識が強くなった、ということは言えると思う。
ではその時の彩織さんとの関係はどうだったか、と言うと。
クラスが違ったこともあり、日常的にそんなに話す機会はなかったと言っていいだろう。
顔を合わせたとしても、怒られるだけ。
もちろん、彼女からすると、顔を合わせると、俺はいつもボーッとしているので、言われてもしょうがないとは思うが、もう少し言い方があるとは思う。
彼女への呼び方も、小学校のときは親しみを込めて、彩織ちゃんと呼んでいた。しかし、中学校に入り疎遠になるにつれ、水田さん、と苗字で呼ぶようになっていった。
彼女の方も、海忠ちゃん、と小学校のときは呼んでくれたが、今は、伊駒くん、だ。
ただ、それはお互い子供ではなくなった、ということではあったし、中学校に入ってからは、親しい関係とはいえなくなっていったので、自然な変化だと思っていた。
こういう状態なので、異性として意識するということは、全くなかった、と言っていいかもしれない。
中学校のころまでは、好き、どころか、好意を持つ、という気持ちになったことはなかった、と言っていいと思う。
心の底から嫌いだというわけではない。
ただ、恋愛の対象にはどうしてもならないところがある。
特に中学校二年生のときは、鈴林さんのことで頭が一杯だった。鈴林さんのことは意識をする方が難しかったと思う。
高校も一緒にはなったものの、相変わらず彼女を異性とはほとんど意識してはこなかった。
高校一年生の時までは。
だが、最近、俺の心は揺れ動き始めている。
中学校の時までは、そこまでかわいいとは思わなかった。それは高校一年生になっても変わらなかったのだが……。
高校二年生の始業式の日、彼女と再会した時、俺は彼女にドキドキした。
初めて思う気持ちだった。
春休みは一度も会わず、始業式で久しぶりにあったのだが、ここまでかわいくなるものなのか、と思った。
容姿だけならば、俺の好みに近いと言えるだろう。
ポニーテールの髪、
以来、彼女の姿を見るたびに少しずつ彼女のことが気になっていく。
ただ、依然として、俺に対しては怒るだけ、という状態なので、だんだん俺としてはどうすればいいのかわからなくなってきたところではあった
俺以外の人に対しては、優しくて、困ったことがあったら力になる、頼もしい女性だという話は聞いている。もし、それが俺の方にも向いてくれたら、もう彼女の夢中になるだろうなあ、と思う。
でもいつもそれは淡い期待に終わってしまうのだが。
それでも、彼女のかわいらしさには心が動いてしまう。
ただ、彼女の方は俺のことをどう思っているのか。
今までの経緯からすると、あまり好意を持っているようには見えない。
付き合ってください、と言ったところで、断られるだけのような気がする。
いや、断られるだけならまだいい。怒られる可能性もあるだろう。
「なんで、あなたのようなだらけた人と付き合わなくちゃいけないの!」
という風な感じで。
でも彼女の気持ちも聞いてみたい。その気持ちも大きくなってくる。
そうした時に、唯一郎が背中を押した、ということになった、ということが言える。
「水田さん。ちょっと話があるんだけど」
「うん? 話って」
彩織さんは、唯一郎の呼びかけに対し振り向く。今は誰ともしゃべっていない。
「俺じゃなくて、伊駒が話をしたいんだって」
俺は小さくなりながら、彩織さんに近づく。
「なに、話って!」
ついつい口調が厳しくなる。
「まあまあ。ちょっと相談したいことがあるようなんだ。聞いてやってくれない?」
唯一郎は、彩織さんにウインクをしながら優しく話しかける。
「もう、わかったわ。伊駒くん、ちょっと廊下へ行くわよ」
彩織さんは怒った表情で廊下へ向かっていく。
「ち、ちょっと待ってよ」
俺はあわてて彩織さんの後を追っていく。
「うまくやれよ」
振り返ると唯一郎がウインクをして俺に微笑みかける。
チャンスをありがとう、いや、よけいなことをしやがって……、いろいろな想いが俺の心の中に浮かんでくる。
廊下に出て、人がいない方向へ行く。
「それで、なに。話って。相談したいそうだけど」
「そ、その……」
言葉が出てこない。
「相変わらずはっきりしないわね。もっときちんとしなくてどうするの」
「そんなこと言われても」
「話がないなら、教室に戻るわよ」
「いや、話はあるんだ」
「じゃあ、早くしてよ」
かわいいんだけど、どうしてこう厳しいんだろう。
「お、俺さ、水田さんにいつもだらしない、って言われるから……」
「うん? どういうこと? もっとだらしなくするってこと?」
「いや、そうじゃなくて」
「どういうことよ。だいたいあなたは、あたしの幼馴染なのに、どうしていつもボーッとしているの。 あたしだって言いたくて言ってるんじゃないんだからね」
また始まった。うんざり。
「そうじゃないんだ。そうじゃなくて、少しはきちんとしていこうと思うんだ」
「それはいい方向だけど。なんでそう思ってくるようになったの?」
心なしか、言葉が少しやわらかくなった気がする。
「それは……」
俺は心を静めようとする。
でも無理だ、付き合いたい、その言葉がでてこない。
今日はもうあきらめるしかないかなあ。
少し時間がたった後、
「水田さん」
とようやく言葉をしぼりだした。
「なによ。いつもになくまじめな顔をしているわね」
「水田さんにいつも言われてて、これ以上怒られるのもなんだしね」
あーあ。いったいなにを言っているんだ、俺は。こんなことしか言えない人間なのか。
「うん?」
彼女は、驚いたようだ。
「伊駒くん。あなたそれを言う為にあたしを呼び出したの?」
違うんだ彩織さん。違うんだ。付き合いたいんだ。
だが、その想いは言葉にはならず。
「う、うん。そうだよ」
心なしか、言葉が沈む。
「まあ、いい心がけね。話はそれだけ?」
「う、うん。手間を取らせたな」
「伊駒くんが少しでもいい方向にいけばいいわ。じゃあ戻るわね」
そう言うと、彩織さんは教室に戻っていく。
それにしてもきれいだ。もう少し優しければなあ……。
俺はただその後ろ姿を眺めるのみ。
放課後。
いつものように一人ぼっちで家に向かう俺。今日は、鬱鬱とし、悩みが深まった日だった。
彩織さんに、付き合ってください、と言えず。心が沈んでいた。
そんな時の昼休み。唯一郎に話かけられた。
話を聞いた唯一郎は、
「彼女だって、お前と長年の知り合いなんだから、お前の気持ちさえきちんと彼女に向けば、両想いになるとおもうんだけどな。惜しいとしかいいようがないね」
と残念そうな様子。
「そんなこと言っても」
「まあ今までのお前じゃ、まず難しいとは思っていたよ」
「そうだよな」
「でも話すこと自体はできたと言えるよな。これは大きな一歩だ。これから少しずつ距離を縮めていければいい」
「縮めるって言ってもなあ。そもそも俺って、自分でも彼女のことが、恋の対象として好きかどうかがわからないんだ」
「またそういうことを言う」
「いや、好きなことは好きだとは思う」
「それなら恋の対象じゃないのか?」
「うまくは言えないんだが……。俺のタイプかと言われると、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。かわいくてきれいなのは間違いないんだが」
「お前もぜいたくなやつだな。男子の間での人気はどんどん高まってきているのに」
「うーん。そうなんだろうけど。なにか、俺のタイプじゃない気もするんだよな」
「まあお前の人生だ。俺はこれ以上は言わない。どういう方向に行こうと俺は応援してるぜ」
「あ、ありがとう」
「でも彼女はお前に合うと思うんだけどな……」
「うーん」
どちらにしても悩みは深まっていく。
最初は、付き合いたい、という言葉が言えなかったことに対する自己嫌悪での苦しみだった。
俺ってなんて情けない男なんだ。
そう思うとなにもかもが嫌になってくる。
ところが、唯一郎と話をしている内に、そもそも彩織さんは俺のタイプだったのか、という思いが心の中に浮かんできた。
容姿は、タイプであるところは間違いない。
しかし、性格はどうなのか。今までは、その厳しさに、少なくともついてはいけてない。
とはいうものの難しいのは、その厳しさが全面的に嫌ではない、ということだろう。
俺のことを、それなりには思ってくれて、つまりそれなりに好意をもって対応しているのだろう、と思っている。