第78話 宿野攻略
天文二十四年(1555年)、五月。
伊勢国、三重郡、江野、江野城。
宿野攻めを前に、江野城の評定場へ政虎、善住坊、一益、秀吉、新九郎、継潤を集めた。中央の絵図には宿野城、その西の宿野西城、金渓川を挟んだ福村館が記されている。いずれも大きな城ではなく、宿野の地侍が館と二つの詰城を押さえているだけだ。
一つずつ攻めれば、残った城へ兵も兵糧も集まる。一族を逃がせば、後からまた担ぎ出されるだろう。俺は絵図の三か所を指した。
「三つとも、同じ刻に攻める」
絵図の脇には四枚の木札が並んでいる。可成、利家、成政に続き、四枚目には秀吉とある。この二ヶ月で増やした三百を第四大隊としてまとめ、秀吉に預けた。
俺は宿野城の印へ指を置いた。
「総大将は彦九郎。千種、杉谷、切畑の三百を預ける。宿野城を落とせ。善住坊は彦九郎に付いて、道と周りの地形を教えてやってくれ」
「承知いたしました」
善住坊が宿野城の周りを指でなぞった。
「道なら任せてもらおう。杉谷から何度も通っておる」
俺はその指先を追ってから、政虎へ向き直った。
「杉谷の者は飛騨守に任せろ。切畑の者は親父殿に預けて後ろへ置き、千種の兵はお前が直接使え」
「父には後ろの差配を頼んでおきます」
「前へ出すなよ」
「自分の腰がどこまで動くかは、父も承知しております。ただ、口だけは前まで届きますので」
「それは止めなくていい」
政虎が笑った。俺は一益の前へ宿野西城の印を寄せる。
「久助は西城だ。菰野の三百を使え。宿野城へ逃げる者も、助けに出る者も通すな」
「正面へ兵を出す前に、宿野城との間と西へ抜ける道を塞ぎます。儀太夫と弥左衛門にも兵を分けましょう」
「使い方は任せる」
一益へ付城普請のために貸していた直轄の三百は、土塁と柵が使えるようになった時点で江野へ戻している。その後も一益は菰野に残り、村や道を確かめながら新たに兵を集め、三百にまで増やした。
その傍で働く者も増えていた。甥の滝川儀太夫益重と、この二ヶ月の間に召し抱えた長崎弥左衛門尉元家だ。兵を集める時も村を回る時も、一益は二人を連れていた。
最後に、俺は秀吉へ福村館を示した。
「藤吉郎。第四大隊三百で福村館を落とせ」
「わしに、三百を」
「もう預けているだろ」
「調練と、館を一つ任されるのとでは違います」
「今度は戦で使ってみろ。攻め方もお前に任せる」
秀吉は福村館と金渓川を見比べた。
「でしたら、先に村から出された者や奉公人を外へ出してみます」
「好きにしろ。七郎左衛門も連れていけ。落とした後に人を分け、荷を運び出す役目を任せる」
「それは助かります。兵を後始末に残さずに済みますな」
俺は三人へ、共通の命令を伝えた。
「宿野の一族郎党は逃がすな。ことごとく討て」
秀吉が少し考えてから尋ねた。
「先に降伏を勧める使者は出されませぬか」
「出さん。雑魚ごときに時間を掛ける必要はない。一か所へ使者を出せば、残り二つにも戦支度をする暇を与える」
「では、攻め始めてから降る者には、その場で武器を捨てさせます」
「ああ。村から出された兵や奉公人まで斬る必要はない。武器を捨てれば外へ出せ。ただし、宿野の一門と郎党は別だ」
新九郎が三か所の印を順に確かめた。
「今夜のうちに我らの者を各軍へ入れます。攻め始める刻は、日の出で揃えます」
「それまでは敵が出てきても勝手に始めるな。一つでも早く動けば、残りへ知らせる時間を与える」
「刻は違えませぬ」
秀吉は絵図から顔を上げた。
「落とした後は、どうされます」
「宿野城と西城、福村館は壊せ。材木も板も戸も金具も、外せる物は全部持ち出せ。石も運べる物は運べ。武具や道具も残すな。菰野城の普請に回す」
「残すのは、久助殿の付城だけでございますか」
「ああ。三つも四つも守れば、それだけ兵を取られる。久助の付城を菰野城として残し、亀山から上がってくる敵はそこで止める。宿野に守兵は要らん」
俺は福村館から杉谷へ指を動かした。
「藤吉郎は館を落としたら、後始末を七郎左衛門と人足に任せ、第四大隊を連れて俺に合流しろ」
「十兵衛様は、宿野には来られませぬか」
「宿野はお前たちに任せる。俺は第一から第三大隊と本部を率いて杉谷へ入る。終わり次第、そちらへ来い」
政虎が絵図の北へ目を移した。
「田光へ向かわれるので」
「ああ。梅戸と話をつける」
継潤が田光から員弁へ続く道を指でなぞった。
「道が開けば、次は員弁でございますな」
「ああ。三郎左衛門にも来てもらう。向こうへ入った後、村の様子と荷を通せる道を確かめてもらいたい」
俺は絵図から顔を上げた。
「以上だ。皆、頼む」
政虎たちが一礼して立ち上がり、それぞれの支度へ散っていった。
翌朝、江野の主力千は北へ向かった。先頭を可成の第一大隊が進み、その後ろへ利家、成政の隊が続く。本部には政基、新九郎、継潤、忠治が付き、玄以は継潤の傍で帳面を抱えていた。
親正は各大隊を行き来する使番の動きを確かめ、光泰は成政の第三大隊、牛一は荷駄の列に付いている。荷車に積んだのは、三日分の兵糧と矢、鉄砲の玉薬、火縄、弩の替え弦、予備の槍だ。牛一は出発前から荷札と書付を照らし合わせ、杉谷で下ろす荷と、その先へ運ぶ荷を分けていた。
杉谷へ入ると、兵は村外れで止めた。田光との約定を変えるために来たからといって、話が決まる前から兵を入れるつもりはない。俺は政基と新九郎、護衛八人だけを連れて田光へ向かった。
* * *
その日の朝、日の出とともに宿野城の前でも兵が動いた。盾を持つ兵が正面に並び、その後ろへ槍兵が続く。大野飛騨守は杉谷の兵を右へ寄せ、政虎の父は後ろで、替えの盾や矢を置く場所と負傷者を下げる場所を決めていた。
善住坊が城の西側を指した。
「向こうに細い道がある。山へ入る者が使う道だ。二十か三十なら上げられる」
「今回は使わぬ方がよかろう。三百の兵を、わざわざ細道へ分けることもない」
「では、正面から押すか」
「うむ。裏へ抜ける者がいれば知らせてくれ」
政虎は前へ並ぶ兵を見渡した。
「飛騨守、杉谷の者は右を頼む。前へ出すぎぬようにしてくれ」
「承知した」
「父には後ろを任せる。怪我人と替えの盾はそちらへ回そう」
城から矢が飛び、盾へ突き立った。先頭の歩みが鈍ると、政虎が声を張った。
「足を止めるな。そのまま進め。後ろから押すなよ」
列が再び進み、門へ取り付いた兵が丸太を扉へ打ち付けた。一度目では動かず、二度目で金具の周りが軋む。上から落ちてきた石が盾へ当たり、腕を押さえて下がる兵が出た。
政虎は後ろの兵へ指示した。
「怪我をした者は親父のところへ下がれ。空いたところは後ろの者で埋めろ」
政虎の父は下がってきた兵を受け入れ、使える盾を別の兵へ渡していた。割れた物は脇へ除けられ、代わりの盾が前へ送られる。その間に丸太が三度目の衝撃を加え、片側の金具が外れて扉が傾いた。
政虎が門前へ声を飛ばした。
「開いても駆け込むな。盾から入れ」
盾兵が扉へ取り付き、その後ろへ槍兵が詰める。隙間から突き出された宿野方の槍を盾で受け、後ろの槍兵が突き返した。扉が内側へ倒れると、政虎は飛騨守へ向き直った。
「右から入ってくれ。こちらは左へ進む。奥へは追わず、先に出口を塞げ」
「分かった」
兵が二手に分かれて城内へ入り、ほどなく槍や弓を置く者が出始めた。政虎は門を押さえた兵へ命じた。
「村から出された者と奉公人は、武器を捨てさせて門の外へ出せ。宿野の一門と郎党は逃がすな」
降った者が順に門外へ出される一方、奥からは刀を手に斬り込んでくる者もいた。槍兵が向き直ると、政虎はその場で受けるよう命じた。
「列を崩すな。向こうから来るなら、追う必要はない」
揃えた槍に押し返され、宿野方が奥へ退く。その背後の動きに気付いた善住坊が声を上げた。
「裏へ出るぞ!」
政虎は飛騨守へ呼び掛けた。
「そちらはどうだ」
「もう塞いである!」
「なら、そのままでよい。外へ逃がすな」
退路を塞がれた者たちは城内へ押し戻された。政虎の兵は包囲を狭め、抵抗する者が残る場所へ順に兵を進めた。昼になる前に、宿野城で武器を振るう者はいなくなった。
* * *
同じ頃、宿野西城では、菰野から集めた三百が正面と左右の道へ分かれていた。西側から戻った益重を、一益が呼び止めた。
「儀太夫、伏せた兵は道から見えぬか」
「道を通る者からは見えませぬ。兵も配置に付きました」
「なら、そのまま待たせろ」
元家も宿野城へ続く道から戻り、一益へ報告した。
「宿野城との間は押さえました。西城から出ても、向こうへは通れませぬ」
「弥左衛門は、そちらへ戻れ。こちらが城へ入っても、道を塞ぐ兵は引くな」
「分かりました」
攻撃開始を知らせる合図が届くと、一益が手を上げた。
「進め!」
正面の兵が動き、西城から矢が飛んだ。先頭が盾を構え、その後ろから槍兵が門へ近づいていく。正面へ兵を寄せられた城内では、裏へ走る者が出始めた。
やがて西側の木立から怒鳴り声が上がった。益重の兵に行く手を阻まれ、逃げた者が城へ引き返してくる。宿野城へ向かう道にも元家の兵が並び、通り抜けようとする者を押し戻していた。
一益は正面へ使番を出した。
「武器を捨てれば、村の者と奉公人は外へ出すと伝えろ。宿野の一門と郎党は逃がすな」
しばらくすると、門の内側から槍や弓が放り出された。武器を置いた者が兵に連れられて城から離れていく。城内に残る人数が減ったところで、一益が正面へ手を振った。
「門を押さえろ。中へ入っても追い散らすな。残った者を一か所へ寄せろ!」
菰野兵が門を越えると、最後まで武器を持っていた者たちがまとまって押し返してきた。一益は前へ出ようとする兵を止めた。
「盾を前へ出せ! そこで受けろ!」
盾が宿野方を止め、左右の兵が槍を突き出した。抵抗が途絶えると、益重が兵を連れて城内を改め始める。元家の隊は、宿野城へ続く道を塞いだままだ。
一益は使番を呼んだ。
「弥左衛門へ伝えろ。彦九郎様から城を落としたとの知らせが来るまで、道は開けるな」
* * *
福村館でも、同じ刻に第四大隊が動いていた。秀吉はすぐには兵を門へ寄せず、金渓川側と道側へ回して館を囲ませる。後ろでは家次が、館から出てきた者を集める場所と、後で運び出す荷の置き場を決めていた。
家次は秀吉へ声を掛けた。
「出てきた者と荷は、別々の場所へ集めます」
「頼む。誰が村の者で、誰が館の者かも確かめておいてくれ」
塀の上では弓を構える者がいる一方、奥へ下がる者もいた。秀吉は兵を待たせたまま、書付を弓兵へ渡した。
「矢文を入れろ」
書付には、村から出された者や奉公人は、武器を捨てて外へ出れば斬らないと記してある。矢が館の内側へ落ちてしばらくすると、怒鳴り声が上がり、人の動きが増えた。秀吉は兵を進めず、そのまま待った。
やがて門脇の戸が開き、武器を持たない者が一人出てきた。その後ろにも人が続くのを見て、秀吉は兵へ命じた。
「出てきた者は南へ回せ! 武器を持つ者とは混ぜるな!」
兵が左右から誘導するうち、戸の内側では、外へ出ようとする者を押し戻す動きが始まった。秀吉は門前を指した。
「今だ! 戸を押さえろ!」
兵が駆け寄り、閉じきる前の戸へ取り付いて押し広げた。外へ出る者を左右へ逃がし、その間から槍兵が館へ入る。奥にはまだ武器を持つ者が残っていた。
秀吉は続く兵へ声を張った。
「宿野の一門と郎党に、これ以上降伏を勧める必要はない! 逃がすな!」
槍兵が奥へ押し込み、裏へ回った兵も、塀を越えようとする者を館内へ押し戻す。村の兵や奉公人が抜けた宿野方に、包囲を破る人数は残っていなかった。
抵抗が止まると、家次は外へ出した者たちのところへ向かった。秀吉もそこまで来ると、家次が今後の手順を伝えた。
「村から来た者と奉公人を分けます。人足にも手伝わせますが、蔵はまだ開けさせません」
「それでいい。中を改めてからにしろ」
宿野城から使番が来た。政虎が城内を押さえたという。少し遅れて西城を落としたとの知らせも届き、秀吉は第四大隊を集めた。
「七郎左衛門、後は人足を使って頼む。材も板も金具も、使える物は残すな」
「承知しました」
「こちらは杉谷へ向かう」
家次と人足を福村館へ残し、第四大隊は杉谷へ向かった。
* * *
田光城へ入ると、城内の居館へ通された。挨拶を終えるなり、高実が尋ねてきた。
「杉谷へ千を入れたそうですな」
「入れました」
「田光へ入れるつもりではありますまいな」
「そのつもりなら、兵を杉谷へ残しては来ておりません」
「以前、田光へ兵を入れぬと約されたはずだ」
「覚えております。その約定について、お話に参りました」
政基が絵図を広げ、俺は田光から員弁へ続く道へ指を置いた。
「この道を使わせていただきたい。今回の兵だけでなく、今後の荷と使者もです」
「員弁へ進まれるか」
「そのつもりです」
「我らが断れば」
「父上に頼み、朝霧の六百を鞍掛峠から入れます」
「ならば、我らの道を使う必要はありますまい」
「員弁へ入るだけなら、それでも構いません。ただ、治部殿が道を開いてくだされば、鞍掛から六百、田光から千を入れられる。二方から進めば、戦は早く終わります」
高実は絵図を見たまま答えた。
「今回の往復だけなら認めてもよい」
「員弁を取れば、その後も兵糧を運び、兵を入れ替えることになります。使者も往来する。そのたびに鞍掛へ回すのは遠すぎます」
「今後も田光を通すよう求められるか」
「はい。日取りは先に知らせ、通る道も決めます。田光で兵糧を取り上げず、勝手に宿も取りません。城へ入ることもない」
高実は返事をしなかった。前の約定を変えろと言っているのはこちらだ。簡単に頷く話ではないので、俺も待った。
先に口を開いたのは高実だった。
「こちらが道を開く利は」
「油と酒は、これまでより多く回します。量が増えれば値も下げられる。員弁まで押さえれば、そちらから田光へ入ろうとする敵もこちらで止めます」
「商いと守りか」
「それだけで話が済むなら、千を連れて杉谷まで来ておりません」
高実が眉を動かした。
「随分な物言いですな」
「治部殿と六角の御縁がなければ、某はここまで田光を避けておりません。以前、千種へ進んだ時も、今も約定は守っている。御屋形様の叔父上であることを、軽く扱ってはおりません」
「その縁があるから道を開けと」
「その縁があるから、先に治部殿と話しております」
政基も新九郎も口を挟まない。高実の返事を待ち、俺は続けた。
「道を閉じると仰るなら、観音寺へ上げます。某の一存で田光へ兵を入れることはしません。御屋形様に御判断いただきます」
「左京大夫殿に、ですか」
「治部殿と某だけで決められないなら、御屋形様にご判断いただくしかありません」
義賢が梅戸の側へ立つなら、鞍掛から進めばいい。橘の側へ立つなら、その裁定に従って田光を通る。
高実は絵図の道を指でなぞった。
「通る前に知らせること。決めた道から外れず、村へ勝手に入らぬこと。田畑も荒らしてはならぬ」
「お約束します」
「兵糧は自ら持ち、田光城へは兵を入れぬ。それを守るなら、通しましょう」
「治部殿、感謝いたします」
俺が頭を下げると、高実は絵図から手を離した。
「今度はこちらが、約定を忘れぬよう見ておきましょう」
「こちらも違えません」
館を出ると、杉谷から来た使番が待っていた。宿野城、宿野西城、福村館の三か所とも落ちたという。
報告を聞いた政基が、使者を呼んだ。
「朝霧にも知らせます」
「父上へ伝えろ。梅戸が道を開けた。鞍掛から兵を入れられるよう、支度を整えておいてほしい。日取りは改めて知らせる」
続けて、俺は宿野へ戻る使者にも言い渡した。
「彦九郎には、負傷者の手当てと降った者の処遇が済み次第、三百をまとめて千種へ戻るよう伝えろ」
二人を送り出して間もなく、杉谷から新たな使番が来た。秀吉の第四大隊が、杉谷へ向かっているという。




