第124話 朝霧の戦い
永禄四年(1561年)、五月。
近江国、愛智郡、小椋道。
小椋道を抜け、朝霧まであと少しというところで、実治が馬を寄せてきた。
「御屋形様。此度の百済寺の動き、やはり裏で右衛門督様が糸を引いておられるのではございませぬか」
日野から百済寺へ使者が入り、その後で武具と兵糧が動いた。さらに千ほどの兵が朝霧へ向かったとなれば、偶然で片付けるには出来すぎている。だが、俺が確かめたいのは、もうそこではなかった。
馬上で前を見たまま、俺は実治に答えた。
「おそらくな。だが、右衛門督が命じたのか、百済寺が勝手にその気になったのか、今さら確かめる必要はない。百済寺は自分から朝霧へ兵を向けた。それで十分だ」
実治は、すぐには返さなかった。臣従したばかりの小倉西家にとって、昨日まで仰いだ六角当主・義治の名は、まだ簡単には切り捨てられないのだろう。
しばらく間を置いてから、実治が問い直した。
「では、百済寺はどうなさいます」
「潰す」
六角から離れた以上、いずれ百済寺にも手を入れるつもりではいた。寺領を抱え、兵を持ち、武具まで蓄えている勢力を、朝霧のすぐ近くに残しておく気はない。
内務軍を入れて武装を解かせ、寺領も整理する。それさえ受け入れるなら、寺そのものまで潰すつもりはなかった。
だが、従わないなら話は別だ。俺の知る歴史では、百済寺はいずれ信長に焼かれる。それを信長がやるか、俺が先にやるか。違いはそれだけだ。
実治とのやり取りは、後ろから馬を寄せてきた秀吉の耳にも届いていたらしい。
「いずれ、こうなるとは思うておりました。百済寺が大人しく武具を差し出すとも思えませなんだので」
政基が、前方へ目を向けたまま応じた。
「されど、向こうから朝霧へ兵を向けてきたとなれば、こちらから寺へ押しかけたのとは訳が違いますな」
その横で、重治が俺と秀吉の顔を交互に見ていた。近くを進む忠次は黙って話を聞いていたが、忠勝は気になったらしく、俺へ問いかけてきた。
「寺とも、戦をするのでございますか」
「当然だ。兵を向けてきた以上、寺だからといって別に扱う理由はない」
「では、兵だけでなく、寺そのものへ攻め入ることも」
「必要ならやる。一つ焼くのも二つ焼くのも同じだ」
重治の顔が固まった。秀吉と政基に驚いた様子はなく、忠次がその二人の顔を見比べる。そこへ、後ろから利家が馬を寄せてきた。
「三嶽寺と同じに申されるには、随分と大きゅうございますぞ」
「だから何だ」
「いえ。御屋形様なら、そう仰るだろうと思っただけにございます」
「なら、わざわざ言うな」
「それもそうですな」
利家の後ろには長頼と永福も続いていたが、二人は話に加わらず、前を向いて馬を進めている。やがて兵の列がわずかに詰まり、木々の向こうに幾筋もの煙が見えた。ほどなく、その方角から鉄砲の音も届いてくる。
朝霧だ。俺は前方へ声を飛ばした。
「急ぐぞ。百済寺の始末は、朝霧を取り戻してからだ」
列の進みが速まり、村へ近づくにつれて焦げた臭いが濃くなった。見慣れた畑の向こうでは、何軒もの家から煙が上がっている。村口には百済寺の兵が立ち、奥でも槍を持った者が行き交い、朝霧砦の周りにはなお大勢が群がっていた。
だが、砦はまだ落ちていない。塀の上の兵が、大手へ寄る百済寺勢へ矢と鉄砲を浴びせている。間に合いはしたが、敵は村の中まで食い込んでいた。頼政は六百で千ほどを相手に砦まで退き、それでも持ちこたえていたのだ。
俺は村口の手前で馬を降りた。家と畑の間の狭い道へ、これだけの人数に騎馬まで入れれば身動きが取れない。後続の者にも、馬を村口の外へ下げさせた。
それから、家次、親正、光泰、清興を呼び寄せた。
「全軍を押し込むな。村の中で詰まるだけだ。百済寺勢を寺の方へ押し出せ。火矢は使うな。鉄砲も、敵の後ろを確かめてから撃て。朝霧を壊しては意味がない」
四人が頷くのを見て、俺は言い添えた。
「村に残って抗う者は排除しろ。寺へ退く者まで追い回すことはない。ほかへ散らさず、寺の方へ追い立てるんだ」
四人は、それぞれ自分の兵のもとへ散っていった。家次と親正は別の入り口へ兵を回し、光泰は後続を村の外へ広げて、脇から抜けようとする敵に備えている。
正面を受け持った清興は、まず村道の幅を目で測り、先頭の兵だけを前へ出した。
「先に入るのは三分隊だけでいい。後ろは待て。この道に詰め込んでも、槍が振るえん」
清興の兵が村内へ入り、忠次と忠勝もその後に続いた。援軍に気づいた百済寺勢は、砦へ向けていた兵の一部をこちらへ振り向け、道幅いっぱいに槍を並べて押し出してくる。
清興は迫る槍先から目を離さず、前列をその場に踏み止まらせた。
「そこで受けろ。後ろは動くな」
忠次は敵の槍列から家と家の間へ目を移し、忠勝を呼んだ。
「平八郎。兵を連れて脇へ回れ。あの槍列の横へ出ろ」
忠勝が分隊を率いて家の間へ消えていく。百済寺勢は押せると見たのか、さらに前へ詰めてきた。こちらの前列も穂先を合わせ、柄と柄が打ち合わされる。後ろに兵がいても、この道で一度に槍を振るえる数は限られていた。
その間に家の間を抜けた忠勝が、敵の槍列の横手へ出た。蜻蛉切を構え、兵を引き連れて飛び出していく。
「行くぞ!」
横腹を突かれた百済寺勢の列が乱れ、正面を向いていた穂先が次々と忠勝たちの方へ振り向けられた。清興はその隙を逃さず、前列へ命じた。
「今だ、押せ」
正面の槍兵が、一斉に前へ踏み出した。横へ向き直ったところを押された百済寺勢は先頭から崩れ、後ろも踏み止まれないまま、狭い道を押し戻されていく。
その背を追おうとした兵を、清興が鋭い声で引き止めた。
「追い回すな。寺へ退く奴は行かせろ。戸口と塀の陰を確かめて、残った敵だけを倒せ。道は塞ぐなよ」
兵が道の両側へ分かれ、その間を次の分隊が進んでいく。清興が前線を押し上げる頃には、家次と親正の兵も別の道から村へ入っていた。あちこちで槍のぶつかる音が続き、怒号に混じって、時折鉄砲の音が響く。
俺も政基、継潤、重治らと後続を率いて村へ入った。戦いが先へ移った場所では、兵の一部がすでに消火へ回っている。
火の残る家へ水を掛け、燃え移りそうな屋根や板塀を先に濡らしながら、軒下の薪を離していく。空になった桶が後ろへ返されると、代わりの水桶が次々と運び込まれてきた。
道端には履物や籠が取り残され、戸口を開け放したままの家もあった。慌てて逃げた跡を目で追いながら、継潤が道の両側を見回した。
「これだけ村へ入り込まれている割に、民の姿が見えませぬな」
「砦だ。昔の夜襲以来、半鐘が鳴れば皆そこへ逃げ込むようにしてある」
頼政が百済寺道からここまで退いてくる間に、村人を逃がしきれたらしい。
その時、右手の道から百済寺勢がまとまって飛び出してきた。先頭の一人がこちらを見るなり鉄砲を構え、後ろでも何本かの筒先が上がる。
俺は、前にいる兵へ叫んだ。
「伏せろ!」
兵が地に身を伏せた直後、銃声が続いた。土が跳ね、板塀に弾が食い込む。後列で一人が倒れたが、すぐ隣の兵がその腕を掴み、道脇へ引きずっていった。
こちらの鉄砲兵も反射的に筒を上げたが、敵の後ろには家が並んでいる。俺は鉄砲兵を制し、槍兵へ手を振った。
「撃つな! 槍を出せ!」
政基も、敵と家並みの間へ素早く目を走らせ、兵へ指示を飛ばした。
「正面は槍で止めろ! 一分隊は家の裏へ回れ! 横から追い出せ!」
槍兵が道へ出ると、その脇から分隊が家々の間へ入っていった。百済寺勢が次を撃つより早く、こちらの槍兵が間合いを詰め、正面から押し始める。家の裏へ回った分隊が横から姿を見せると、敵は道を捨てて下がり始めた。
勢いのまま前へ出ようとする兵を、俺は声で抑えた。
「追い込みすぎるな! まず、この道を確保しろ!」
前列が足を緩め、その後ろから次の兵が入ってくる。落ちた槍や鉄砲を脇へ寄せる間も、火の残る家では消火が続いていた。三千近くいても、この村では一度に動かせない。取り返した道から、順に兵を通していくしかなかった。
家次の兵が一本の道を取り返し、親正も別の筋から百済寺勢を押し戻している。光泰は村の外へ散ろうとする敵の前を塞ぎ、百済寺へ続く側だけを空けていた。
利家のいる方でも、家の間へ入り込んだ敵との戦いが始まっていた。利家は槍を振るいながら、兵へ声を飛ばす。
「前だけ見るな! 家の間にもおるぞ!」
長頼が右手の家の間へ踏み込み、突き出された槍を払いのけた。
「こっちは任せろ!」
反対側では、永福が後ろへ抜けようとする敵の前へ回り込み、近くの兵を呼び集めていた。
「そこを抜かせるな!」
左右から押された百済寺勢は、砦の方へ下がっていく。大手前にはなお敵が密集し、門へ取りつこうと槍を突き出していた。砦からも鉄砲が撃ち下ろされるが、敵味方の間合いが近い。倒れた者と折れた槍が重なる場所へ、さらに兵が詰まっていく。
あそこへ押し込めば、味方同士が邪魔になるだけだ。俺は継潤に命じた。
「大手前へは集めるな。左右から回れ。寺へ退く道だけ残して、ほかは塞げ」
継潤が左右へ伝令を走らせると、百済寺勢の一部が背後へ向き直った。それでも門を攻める者は離れず、塀から落とされた石で一人が下がれば、すぐに次が前へ出てくる。
俺も十文字槍を手に、前列のすぐ後ろまで出た。隣に並んだ政基が、早速釘を刺してくる。
「御屋形様。前へ出過ぎますな」
「分かってる」
「分かっておられる時ほど出られますので、申しております」
「今はいいだろ」
「よくはございませぬ。ですが、止めても聞かれますまい」
前列が百済寺勢とぶつかり、穂先が絡んで柄が打ち合わされた。敵も簡単には崩れない。横へ抜けようとする者の前には別の隊が回り込み、空いているのは百済寺へ続く側だけだ。それでも大手前を離れず、こちらへ槍を向けてくる者がいた。
一人が間合いを詰めて突き出した槍を、前の兵が柄で払う。その横から伸びた別の穂先を、俺は十文字槍で引っ掛けて外へ弾き、一歩踏み込んで男の胴を突いた。穂先が食い込む手応えがあっても抜かず、さらに押し込む。
柄へ縋りついた男ごと槍を捻り、崩れた身体を横へ振る。迫ってきたもう一人とぶつかり、二人がもつれた隙に槍を引き抜くと、後ろの男へ続けて突き込んだ。
隣で槍を構えていた政基が、また声を掛けてきた。
「御屋形様。そこから先へは、出られませぬよう」
「分かってる」
「先ほども、同じお返事を伺っております」
返事の代わりに槍を引き抜き、前へ目を戻した。次はどいつだ。そう思った矢先、右手で大きな声が上がった。
清興の兵が、百済寺勢の側面へ食いついたのだ。村内の敵を排除しながら進んできた隊が、砦の横へ回り込んでいた。蜻蛉切を手にした忠勝が先頭近くまで斬り込み、その後ろから忠次が分隊を順に送り込んでいる。
反対側からは家次の兵も迫っていた。左右から橘の兵に詰められ、正面だけを向いていられなくなった百済寺勢の槍列から、穂先が左右へ散っていく。
そこへ、光秀が兵を連れて駆けつけ、俺の脇へ並んだ。
「こちらは某が引き受けます」
「寺へ逃げる道だけは残せ。それ以外へは散らすな」
「心得ております」
光秀の兵が左右へ回って脇道を塞ぐ頃には、大手前でも槍を捨てて走る者が出始めていた。一人が寺の方へ逃げると、その後に何人も続く。俺はその背を追わず、まだ槍を向けてくる者へ向き直った。
抵抗する者は次第に減り、最後まで踏み止まった者も押し寄せる兵に呑まれていった。砦へ向けられていた槍は消え、村のあちこちで鳴っていた銃声も途切れている。
しばらくして大手門が開き、先に出てきた兵の後ろから頼政が姿を見せた。具足は泥にまみれ、袖にも血が飛んでいたが、足取りを見る限り大きな怪我はなさそうだ。
俺が近づいて声を掛けると、頼政は足を止めた。
「父上」
「遅かったな」
「これでも、急いだんですが」
「砦が落ちる前には来た。それでよい」
頼政の後ろから、政澄、高晴、重尚、政忠も姿を見せた。高晴の具足には、乾きかけた血がこびりついている。それを見た途端、江野で聞いた報せが脳裏をよぎった。
俺は高晴の前へ進み出て、声を掛けた。
「茂兵衛。倅のことは、聞いた」
「戦にございます。あれも槍を持ってここに立った以上、覚悟はできておりました」
高晴はそこで言葉を切り、砦の脇へ運ばれていく手負いの者たちへ目を向けた。
「死んだのは、某の倅だけではございませぬ。今日、身内を失った家はほかにもありましょう。どうか、そちらの者たちのことも、お気に掛けてくだされ」
「ああ、分かった」
高晴は頭を下げ、手負いの者が集められた方へ向かった。声を掛けてくる兵がいれば足を止め、担がれてきた者の顔を一人ずつ確かめていく。
砦からは、避難していた村人も出始めていた。女や子供、年寄りが兵の間を抜け、自分の家があった方を見つめている。
その中に、春の姿を見つけた。傍らには惟丸と初音がおり、少し後ろから秀長も続いている。高治ら後藤の一族の姿もあった。
春は俺の前まで来ると、具足の上から足元まで、確かめるように目を走らせた。
「怪我はしていませんね」
「ええ、大丈夫です」
「それならよかった。十兵衛まで担ぎ込まれてきたら、砦の中がもっと騒がしくなるところでしたよ」
「帰ってきて、最初に言うことがそれですか」
「無事なら、それでよいのです」
惟丸も、俺の具足へ目を向けていた。
「兄上。江野から、そのまま来られたのですか」
「ああ。途中で又左衛門や藤吉郎たちとも合流した」
「では、まだ一度も休んでおられませんね」
「お前まで、母上みたいなことを言うな」
「母上が休めと仰らないので、代わりに申し上げているのです」
春が何も言わずに惟丸を見やる。その横から、初音が俺の袖を引いた。
「兄上。お屋敷が……」
「ああ、見えてる」
初音は屋敷のある方を一度見たきり、それ以上は何も言わなかった。
周りでは、手負いを運ぶ声に交じって、焼けた材を片付ける音が聞こえ始めている。火の残る家へは兵と村人が水を運び、砦の負傷者は順に外の手当て場へ移されていた。折れた槍や捨てられた武具も、道を塞がないよう一か所へ寄せられていく。
そこへ、おはつが書付を手に歩いてきた。後ろには村の者が二人ついている。
「十兵衛様。家は一軒ずつ、住めるか確かめてる。今夜戻れない家の者は、砦へ戻した方がいい」
「ああ、そうしてくれ。食べる物も砦へ運んでいい。建て直すのは、百済寺の始末がついてからだ」
「じゃあ、そうする」
おはつは後ろの二人に指示を出し、一人を砦へ、もう一人を村の奥へ走らせると、自分も次の家へ向かった。入れ替わりに、おたまがやってくる。
「十兵衛様。手負いの方は、動かせる方から外の手当て場へ移しています」
「家族とはぐれた者も、いるだろう」
「はい。その方たちの居場所も確かめております。田畑は村の者が調べておりますから、私は手負いの方を回ります」
「それでいい。頼む」
おたまは近くの者に声を掛け、次の手負いのもとへ向かった。少し離れたところでは、親を探していた子供が村の女に手を引かれ、砦へ戻っていく。
砦の脇では、喜平が使い終えた火縄銃を兵に並べさせていた。すぐ使える物と修理の要る物を分け、火縄を消させ、残った火薬は別に集めさせている。
俺に気づいた喜平が、並べた銃から顔を上げた。
「十兵衛様。砦で使った物も、江野から持ってこられた物も、一度わしらで改めます。鍛冶場にも先に人をやりました」
「鍛冶場に火は回っていないか」
「道具が無事かも含めて、確かめさせております。銃の方は、わしらに任せてくだされ」
喜平が一挺を手に取り、具合を確かめ始める。俺はその場を離れ、近くにいた光秀を呼び止めた。
「逃げた兵は、百済寺まで追ってくれ。寺へ逃げ込む者は、そのまま入れていい」
「このまま攻め込みますか」
「いや。朝霧の始末が先だ。寺へ入った者は、外へ出すな」
「承知しました。寺から出る道を塞ぎ、脇道や山へ抜ける筋にも兵を回しておきます」
光秀は兵を集めながら村口へ向かい、ほどなく一団を率いて百済寺道へ進んでいった。
村から敵の姿が消えると、砦へ避難していた者たちも少しずつ家へ戻り始めた。焼け残った柱の前へ座り込む者もいれば、屋根を失った家の戸口から、持ち出せる物がないか覗き込む家族もいる。
俺は、そうした者たちの何人かに声を掛けた。
「今夜は無理に戻らなくていい。砦を使え。屋根のないところで寝る必要はない」
「ですが、十兵衛様。これをまた建てるとなれば……」
「建て直す。木も人もこちらで出す。今は手負いの手当てと、今夜寝る場所が先だ。田畑のことは、その後でいい」
男は深く頭を下げ、焼け跡に残った荷を拾って家族へ渡した。隣では濡れた布団を抱えた女が砦へ戻り、別の家では焼け残った戸板を二人掛かりで運び出している。
材木や人足の手配は明日でいい。今から建て直しまで始めれば、手負いや避難した者へ回す人手が足りなくなる。
村の一角には、戦死者の遺体も集められ始めていた。橘方の死者は政忠たちが一人ずつ身元を確かめ、家族へ知らせて回っている。砦にいた瑞照寺の僧たちも出てきて、埋葬と供養を引き受けていた。その中に、高晴の次男の亡骸もあった。
僧が遺体の前に座り、兵から名を聞いて経を唱え始める。俺はその場を離れ、村を一通り見て回ってから、橘屋敷へ向かった。
頼政も一緒だった。春と惟丸、初音が続き、秀長は少し後ろを歩いている。
見知った家が焼けているたび、春は足を止めた。惟丸は道端の武具を避けて進み、秀長の袖を掴んだ初音も、焼けた材を踏まないよう足元を見ている。
やがて見えてきた橘屋敷は、思っていた以上にひどい有様だった。表座敷の辺りまで火が回り、屋根はところどころ落ち、壁も大きく焼け崩れている。残った部分はあるが、とても住める状態ではない。
それでも、庭の形はまだ残っていた。どこに座敷があり、どこから廊下が延びていたかも分かる。それだけに、失われたものがかえってはっきりと目に映った。
隣で屋敷を見渡していた頼政が、短く口にした。
「建て直しだな」
「随分と、あっさり仰いますね」
「眺めておれば、柱が元へ戻るのか」
「いえ、戻りません」
「ならば、建てるしかなかろう」
春も、焼けた屋敷の中へ目を向けていた。
「建て直すのなら、今度は少し広くしてもいいかもしれませんね」
「母上まで、そんなことを」
「十兵衛が人を連れて戻るたびに、前の屋敷では狭かったでしょう。どうせ建て直すのなら、まったく同じ物にする必要もありません」
「もう、新しい屋敷の話になってるじゃないですか」
「焼けてしまったものは仕方ありません。それより、次に住む家のことを考えた方がいいでしょう」
つられたように、惟丸まで自分の部屋があった辺りを見回し始めた。
「兄上。私の部屋も、残っていません」
「だから、建て直すと言ってるだろ」
「では、前より少し広くしていただけませんか。兄上には江野城がありますが、私はこちらにいることの方が多いですから」
「お前まで、広さの話か」
惟丸は、後ろに控えていた秀長を振り返った。
「小竹は、どう思う」
「俺なら、まず今夜寝るところを決めます。部屋の広さは、その後でいいのではありませんか」
「……それも、そうですね」
初音が、焼け残った柱の一本を指さした。
「兄上。あれ、残せないの?」
「使えるかどうか、調べてもらってからだな。危ないから、近づくなよ」
「うん、分かった」
春が、初音を少し後ろへ下がらせた。柱の向こうでは、昔からの庭石が煤を被ったまま残っている。惟丸はまだ自分の部屋の辺りを見つめ、頼政は使えそうな材へ目を移していた。
春が焼け残った蔵まで歩き、戸の具合を確かめ始めたところで、頼政が俺へ向き直った。
「百済寺は、どうする」
「九郎に、寺から出る道を塞がせています。今日は攻めません」
「追わぬのか」
「寺へ閉じ込めてしまえば、急ぐ理由はありません。まず朝霧の始末をつけて兵を休ませ、手負いの手当てと、火薬や玉の残りを確かめます」
「それなら、よい」
頼政はもう一度屋敷を見渡してから、春たちを連れて引き返し始めた。普請の話は、焼け残った材や蔵を調べてからでいい。俺もその後を追い、屋敷を後にした。
引き返す途中で、おはつがまた書付を手にやってきた。今度は、田畑を調べた者たちの報告をまとめたものらしい。
「十兵衛様。村口の辺りは、兵が通ったところがかなり荒れてる。全部じゃないけど、このままにはしておけない」
「家と手負いを先に片付けたら、畑へ回せる人は残るか」
「今日は、家と手負いの方へ回した方がいい。畑は明日もう一度調べてから、どこから手を付けるか決める」
「なら、それで頼む」
おはつは書付に書き加えると、近くの男に明日もう一度畑を確かめるよう言いつけて、別の家へ向かっていった。少し先では、おたまが手負いを運ぶ人足を振り分けている。喜平のいる方からは、早くも槌の音が聞こえ始めていた。
日が傾いても、人足を呼ぶ声や水桶のぶつかる音、焼けた材を運び出す音が、村のあちこちで途切れることなく続いていた。
砦の前へ戻ると、政基が百済寺方面からの報せを手に待っていた。
「御屋形様。寺へ続く道には、順に兵を置いております。逃げ込んだ兵はおりますが、まとまって出てくる動きはございませぬ」
「外から、寺へ加勢に入ろうとする者はいないか」
「そちらにも、見張りを付けております」
「九郎は、何と言っている」
「今夜のうちに、見張りをさらに増やすとのことにございます」
「なら、あとは九郎に任せよう」
砦の前では、炊き出しの支度が始まっていた。手負いを運ぶ人足の間を、米や薪を抱えた者たちが行き交っている。江野から来た兵も、持ち場を離れられる者から順に具足を解き、思い思いに腰を下ろしていた。
政基もそちらへ目を向け、言葉を継いだ。
「善祥坊殿と半兵衛殿が、兵糧を置く場所と手負いを休ませる場所を分けております。夜番の割り振りも、向こうで始めております」
「それも、二人に任せておけ。今日はもう兵を休ませろ」
「左様にいたします」
政基が砦へ戻っていく頃には、家々から立ち昇っていた煙も薄れ、代わりに炊事の火が幾つも灯り始めていた。俺も、砦の大手へ足を向けた。




