第1話 先祖の領地は田舎すぎる!!!
前世の俺は、歴史とミリタリーが好きな、しがない個人事業主だった。
ミリタリー用品やアウトドア用品を仕入れては売る。売れ筋は大手のECサイトへ出し、動きの鈍い品や細かな品はフリマアプリへ回す。片方だけで食っていけるほど、この商売は甘くない。
朝一番の仕事は注文の確認だった。売れていれば棚から商品を出し、注文がなければ奥へ押し込んだ在庫を引っ張り出す。長く置いてある品は、ついでに広げ直して状態を確かめた。
前にも確認したはずなのに、そういう時に限って傷が見つかる。タグの擦れ、袖口の汚れ、裾の薄い染み。撮影する角度や照明を変えただけで、それまで気づかなかった傷が浮かび上がることもある。
「……写真じゃ分からんな、これ」
見つけた以上は、面倒でも説明欄へ書き足す。黙って売ったところで、後から揉めれば余計に手間がかかる。書き漏らした傷一つで、その品の儲け以上の時間を取られることもあった。
スマホには、いいねや質問、取り置きの相談が溜まっていく。その割に、売れたという通知は少ない。代わりによく届くのが、見慣れた文面だった。
『コメント失礼いたします。購入を考えているのですが、こちらの商品はお値下げ可能でしょうか?』
「まず希望額を書けよ……」
口から出た言葉とは別に、返信欄へはいつもの文章を打ち込む。
『申し訳ありません。現在価格でご検討ください』
送信して終わり。こういうやり取りの後は、そのまま返事がなくなることも珍しくなかった。
それでも、売れれば次の仕事がある。今度は梱包だ。箱に隙間を残せば中で品が動いて擦れる。かといって緩衝材を増やし、箱を一回り大きくすれば送料が上がる。百円、二百円の差でも、月に何十件と出していれば馬鹿にはできない。
棚の奥には、値を下げても動かない在庫が残っていた。季節を外したもの、写真を撮り直した方がよさそうなもの、単品よりまとめ売りへ変えた方が動きそうなもの。理由は違っても、売れずに場所を取ることだけは同じだ。
捨てれば仕入れた金がそのまま損になる。残せば棚を塞ぎ続ける。だから品物を手に取ると、まず数と状態と値段を考えるようになった。どこへ出せば目につくか。いくらなら売れるか。それでも動かなければ、いつまで抱えるか。
商売を続けるうちに、物を見ればそんなことから考える癖がついていた。
仕事の合間に遊ぶのは、戦国時代の歴史シミュレーションゲームだった。
強い大名なら楽だ。米も金も兵も武将も揃っている。多少失敗しても立て直せるし、周囲へ攻め込む余裕まである。だが慣れてくると、そんな勢力では物足りなくなった。
「この家、弱すぎるだろ」
名前もろくに知らない弱小大名を選ぶと、本当に何もない。米がない。金もない。兵も武将も足りない。内政へ手をつける前に隣国が動き、城へ籠もったところで援軍も来ない。
それをどうにかするのが面白かった。
もっとも、画面の中なら負けてもやり直せる。
そんな家の名前ばかり覚えていたくせに、自分の家が昔どうだったのかは、ほとんど知らなかった。
きっかけは、昔の法事だった。親戚が集まって酒が入ると、誰がどこへ嫁いだだの、昔の家はどこにあっただの、今となっては確かめようのない話が始まる。その席で、親戚の一人が何かを思い出したように言った。
「うちの先祖は、近江の土豪やったらしいぞ」
「土豪?」
「大名とか、そんな立派なもんやない。山の方におった、ちっさい武士みたいなもんやと聞いたな」
「名前や家系図は」
「知らん。古い村の名前だけは聞いたことがある。けど、今さら調べてもなあ」
「やだねえ。こんな酒飲みの言うこと、真に受けるんじゃないよ」
横から叔母が呆れ、親戚たちが笑った。「じゃあ、うちも武家か」と誰かがふざけ、話はそのまま酒席の笑い話で終わった。
鎧も刀も残っていない。感状も古文書もない。手がかりらしいものは、古い村の名と、酒の入った親戚の曖昧な記憶だけだった。
それでも、歴史好きには十分だった。
家へ帰ると、さっそく聞いた村の名を検索した。近江、土豪、戦国。思いつく言葉を足し、自治体のサイトから古い地名をまとめた個人ブログまで辿った。
だが、出てくるのは断片ばかりで、酒の席の話を裏づけるようなものは見つからない。役場へ問い合わせてまで確かめようとは思わなかった。
最後に地図アプリを開いた。
琵琶湖の東には山が連なっている。平野には道も駅も町もあるのに、聞いた古い村の名から辿った場所は、そこから外れた山側にあった。現代なら車で行ける。それでも便利な場所には見えない。徒歩が当たり前だった時代なら、同じ距離でも話は変わる。
山あいの小さな土地で、どうやって家と村を残すのか。
これ、戦国なら相当に面倒な場所だろう。
そう思いながらも、なぜか地図を閉じる気にはなれなかった。
先祖が何者だったとしても、今の俺は織田信長でも、豊臣秀吉でも、徳川家康でもない。天下どころか、毎日の稼ぎを繋いで食っていくので精一杯の男だった。
* * *
ある日、俺は倉庫代わりに使っていた部屋で在庫を動かしていた。
棚はとっくに余裕を失っている。新しい棚を置く場所はなく、外に倉庫を借りれば毎月の固定費が増える。だからといって売れ残りを処分すれば、仕入れに使った金がそのまま消える。
結局、まだ置けると思ってしまう。
「……あと一箱くらい入るか」
上段に残った隙間へ箱を押し込むと、金属製の棚が嫌な音を立てて軋んだ。
手が止まった。
荷を足すたび、この棚は小さく鳴っていた。今の音は、いつもより少し大きかった気もする。それでも、これまでは何度も持ちこたえている。
今日も大丈夫だろう。
そう判断して、次の箱へ手を伸ばした。
顔を上げた時には、棚が積み上げた箱ごとこちらへ傾いていた。
――まずい。
避けようとするより先に、頭の中で棚の高さと箱の量、逃げられる場所までの距離を計算していた。
間に合わない。
長年、在庫の数と重さと置き場所ばかり考えてきた頭が、こんな時まで同じことをしている。我ながら因果な商売だった。
次の瞬間、棚と箱がまとめて落ちてきた。頭へ強い衝撃を受け、視界が潰れる。痛みを感じるより先に、体から力が抜けていった。
棚を埋めていた在庫に、最後は俺自身が潰された。
売れ残りに殺されるとはな。
そんな場違いな感想を最後に、意識は途切れた。
それが、俺の人生の終わり。……のはずだった。
* * *
天文十一年(1542年)、一月。
近江国、愛智郡、朝霧村、橘屋敷。
寒い。
最初に分かったのは、それだった。空気がむき出しの肌へ刺さり、体のどこもかしこも寒い。
ここが、あの世か。
起き上がろうとしても、体が動かなかった。腕も足も自分のもののはずなのに、まるで力が入らない。何か言おうと息を吸った途端、喉から甲高い泣き声が飛び出した。
俺は泣いていた。泣こうとしたわけでもないのに止まらない。言葉を出そうとしても、出てくるのは同じ声だけだった。
――おい、待て。これは何だ。
「おお、よう泣く」
「丈夫なお子にございますな」
「奥方様、男のお子でございます」
知らない女たちの声が頭の上を行き交っている。言葉遣いは古い。それなのに意味は分かった。
男のお子。
今、そう言ったか。
ぼやけた視界の中で灯りが揺れていた。湿った布と湯気、油、かすかな藁の匂い。現代の病院にある白い壁も機械の音も、消毒液の匂いもない。誰かが俺の背を撫で、別の誰かが布で体を包んだ。
近くで、女が長く息を吐いた。
視界の端に、ひどく疲れた顔の若い女がいる。髪は乱れ、顔色も悪い。それでも俺へ向ける目はやわらかかった。
「奥方様、若様にございます」
「……こちらへ」
差し出された手が俺を受け取り、胸元へ抱き寄せた。腕にはほとんど力が残っていない。それでも、落とすまいと支えていることだけは分かる。
「よう……生まれてくれました」
その声を聞いて、ようやく頭が追いついた。
俺は、生まれたばかりの赤ん坊になっている。
冗談だろう。在庫の棚に潰されて死んだと思ったら、次は赤ん坊か。
廊下の向こうから男の声がした。
「生まれたのか」
「殿、まだ奥方様が」
「分かっておる」
止められて部屋へは入ってこない。だが、廊下の板を踏む音が行ったり来たりしている。少なくとも、落ち着いて待っている男の足音ではなかった。
若様。奥方様。殿。
聞こえてくる呼び名から、ただの家ではなさそうだとは思った。だが、それだけでは武家なのか、公家なのか、それとも古い呼び方を残しているだけなのかも分からない。何より、赤ん坊では誰かを捕まえて尋ねることさえできなかった。
生まれた瞬間から、何もかも理解できたわけではない。
寝かされ、抱かれ、泣き、乳を飲まされる。自分でできることなどほとんどない。それでも耳は聞こえる。頭の上で交わされる言葉を聞いていれば、同じ呼び名や地名が何度も出てきた。
「若様は、ようお休みでございますな」
「泣き声もよう通ります。殿もお喜びでございましょう」
そうした言葉を繰り返し聞くうちに、少しずつ周囲のことが分かってきた。
ある日、女中の一人が戸の隙間を塞ぎながら口にした。
「近江は、まだ冷えますからな。若様に風を当てすぎぬよう」
「このような世に、ようお生まれなされたものです」
「滅多なことを申すものではありません。六角様の御威光がありましょう」
近江。六角。このような世。
三つの言葉が、頭に引っかかった。
室町の終わりか。戦国あたりか。正確な年は分からない。それでも、知らない国でも遠い未来でもなく、日本の過去へ生まれたらしい。
そこで、法事の席で聞いた言葉を思い出した。
うちの先祖は、近江の土豪やったらしいぞ。
――いや、まさか、な。
殿と呼ばれる男がいて、奥方様と呼ばれる女がいる。俺自身は若様だ。だが屋敷は古く、働いている者も多くはなさそうだった。父親らしい男が来る時にも、大勢の家臣を引き連れている気配はない。
大名ではないだろう。かといって、ただの百姓家とも思えない。
近江にある、小さな武家。
そこまで考えたところで、歴史好きの頭に藤堂高虎の名が浮かんだ。近江の土豪の家に生まれ、戦国から江戸にかけて出世した築城名人だ。
……いや、さすがに都合が良すぎる。
そう考え直した頃、女中の一人が俺をあやしながら言った。
「橘のお血筋に若様がお生まれとは、まことにめでたいことにございます」
橘。
それが、この家の苗字らしい。何度か同じ呼び方を聞いて、間違いないと分かった。
――藤堂ではない。
だが、その苗字には別の意味で覚えがあった。
前世の俺と同じ苗字だ。
――まさか、ここは俺の先祖の家なのか。
もちろん、まだ確かめようはない。有名武将に生まれたわけでもなければ、歴史ゲームで勢力として選べるような家でもなさそうだ。
それでも、近江の山あいにある小さな武家で、苗字は橘。
酒の席で笑い話にしていた先祖の話が、急に笑えなくなってきた。
* * *
それから少し日が経ち、俺は厚い布に包まれて屋敷の外へ連れ出された。抱いているのは、年配の女中だった。
「今日は陽が出ておりますからな。少しだけ外を見ましょう」
返事はできない。
外へ出ると、冷たい空気が頬へ当たった。屋敷の中にはなかった湿った土と煙の匂いが鼻へ入る。女中は布がずれないよう俺を抱き直し、そのまま屋敷の前へ出た。
まだ目はよく利かなかった。景色の輪郭はぼやけ、近くに山が迫っていることと、その手前に田畑らしい区切りが広がっていることくらいしか分からない。
――山が近い。いや、近すぎるだろう。
「ほら、あちらが田でございます」
言われて、ようやく目の前に広がる区切りが田だと知れた。冬の田に稲はなく、土と刈り跡がぼやけて見える。その脇を細い川が流れ、近くには何か建物らしい影もある。だが、この視界では蔵なのか納屋なのかまでは判別できなかった。
「若様、ようご覧になりますな」
女中が感心しているが、俺はただ必死に周囲を確かめていた。
人影は数えるほどしかない。道らしいものが林の中へ続いているものの、その先に何があるのかは見えなかった。
前世で思い浮かべていた戦国時代には、城があり、町があり、市が立ち、旗を掲げた武士たちがいる。歴史シミュレーションゲームなら、米も金も兵も数字で表示された。石高がいくつで、兵を何人集められ、城下にはどれだけ人がいるのか。知りたければ画面を開けばいい。
だが、ここにはそんなものはない。
目の前には城も町も見当たらず、市が立っている様子もない。人さえほとんど歩いていない。この田から米がどれだけ取れるのか。村に何人住んでいるのか。この家がどれほどの土地を持っているのか。
何一つ、数字では出てこなかった。
俺は喋れない。自分で歩くことすらできない。
だからせめて、心の中で叫んだ。
――先祖の領地、田舎すぎる!!!
本作は戦国時代を題材にしたフィクションです。
実在の地名・人物・勢力名などが登場する場合がありますが、主人公の家や周辺人物、細かな出来事は創作を含みます。
史実・地理・制度についても、物語として読みやすくするために独自解釈や改変を入れる場合があります。
そのあたりは「そういう世界線」として読んでいただければ幸いです。




