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君の記憶に俺はいない

ガタン、と乾いた音が響いた。


振り向くと、自転車がドミノみたいに倒れている。

一台、また一台と巻き込まれて、気づけば十台近くが地面に横たわっていた。


「……あ、すいません。」


倒した張本人らしい男が、慌てて駆け寄る。

一人で必死に起こそうとしているが、数が多い。明らかに手が足りていなかった。


通りすがりの人たちは、一瞬だけ視線を向ける。


けれど、すぐに逸らす。


見て見ぬふり。


足を止める者はいない。


関わらないことが、最適解みたいに。


――その中で。


俺の横を、一人の女が通り過ぎた。


迷いなく足を止める。


しゃがみ込み、倒れた自転車に手をかける。


何も言わず、ただ当たり前のように手伝い始めた。


その動きに、ためらいはなかった。


――天城比奈。


俺の中学からの知り合いだ。


ーーー


俺は、人の未来が見える。


――正確には、“会話した人間のすべて”が見える。


それは俺が会話せずとも他者間との会話だけでも有効だ。


名前、性格、思考の癖。

そしてーーそいつ自身すら知らない、未来の結果。


次のテストの点数すら、例外じゃない。


そしてその未来の結果は心理操作で変えることもできる。


つまり、学年順位をひっくり返すことも可能だ。


初めて気づいたのは、小学生の頃だった。


何気ない会話のあと、頭の中に“答え”が流れ込んできた。

最初は意味がわからなかった。


けれど、全部当たった。


外れたことは、一度もない。


だから俺は、この目を使った。


その気になれば、学年一位だって簡単だ。


……だが、俺は、高校に入ってからは真ん中の101位を取り続けている。


理由はーーあいつに...


ーーー


俺は県内屈指の進学校に通っている。


その二年生になったばかりのある日の昼休み。


ざわつく教室の中で、俺はいつも通り窓際の席に座っていた。


「なあ、黒瀬」


不意に名前を呼ばれる。


顔を上げると、相良美裕が机に肘をつきながらこちらを覗き込んでいた。


「お前ってさ、ほんとはどんなやつなんだよ」


「……どういう意味だ」


「いやさ、なんかずっと気になっててさ」


相良は軽く笑いながらも、目だけは妙に真剣だった。


「お前、運動神経ずっと“普通”だったじゃん。でも一年のスポーツ大会、あれはさすがに言い訳できないだろ」


ああ、またその話か。


俺は一瞬だけ視線を逸らし、すぐに戻す。


「たまたまだ」


「な訳ねーだろ」


即答だった。


「あとさ、テストもだよ。お前、ずーっと101位じゃん。あれも狙ってやってるだろ?」


教室の喧騒が、少しだけ遠くなる。


「もしかしてさ、本当は全部、実力隠してるとか?」


相良の言葉は冗談半分のはずなのに、妙に核心を突いてくる。


だから俺は、いつも通りの答えを返すべきだった。


曖昧に笑って、適当に流して、何も見せずに終わらせる。


――そのはずだった。


「安心しろ」


気づけば、口が先に動いていた。


相良が眉をひそめる。


「次のテストは、本気出す」


一瞬の沈黙。


「……は?」


間の抜けた声が返ってくる。


「いやいやいや、どういう風の吹き回しだよ急に」


「別に。気分だ」


「絶対嘘だろ」


食い下がってくる相良を適当にあしらいながら、俺は窓の外に視線を向けた。


空は、やけに澄んでいる。


ーーこれが最初で最後だ。


俺がテストで本気を出すのは。


「あとさ、お前」


相良が少し声を落とした。


「一年の頃からスカしてる奴だとは思ってたけど、最近……なんかもっと暗くないか?」


俺は一瞬だけ言葉を止める。


「……そうか?」


「そうだよ。前はもうちょい余裕ある感じだっただろ」


余裕、か。


自覚はないが、そう見えていたならそうなんだろう。


相良は腕を組み、少しだけため息をついた。


「比奈ちゃんとも、しばらく話してないらしいじゃん」


その名前が出た瞬間、胸の奥がわずかに軋む。


「……俺になんでも相談しろよ」


軽い口調のくせに、妙にまっすぐな言い方だった。


俺は視線を逸らさずに答える。


「あぁ、気遣いありがとう。でも気にするな。それは俺の問題だ」


「ならいいんだけどさ」


相良は肩をすくめる。


「お前ら二人、仲良かったからさ。心配してるやつ、結構いるぞ」


「……そうなのか」


教室のざわめきが、やけに遠く聞こえる。


そんなふうに見られていたのか。


相良が少しニヤけた顔でこちらを覗き込んできた。


「ぶっちゃけさ」


嫌な予感がした。


「お前、比奈ちゃんのこと好きなのか?」


一瞬の間。


隠す理由は、特に思いつかなかった。


「あぁ、好きだが」


相良の動きが止まる。


「……え?それは...」


「恋愛的にだ」


その瞬間、相良の体がバランスを崩した。


ガタンッ、と椅子ごと後ろに倒れ込む。


「っ痛ぇ!」


教室の何人かが振り向くが、すぐに興味を失って視線を戻した。


床に転がったまま、相良がこちらを見上げる。


「お前……何に驚いてるんだ? 勘付いてたんだろ?」


俺がそう言うと、相良は呆れたように笑った。


「いや、そりゃ思ってたよ?思ってたけどさ……」


起き上がりながら頭をかく。


「まさかお前が、そんな素直に答えるとは思わねぇだろ」


「なるほどな」


確かに、それはそうかもしれない。


「それは悪かった」


「謝るとこそこかよ……」


相良はため息をつきながら椅子に座り直した。


その横で、俺は何も言わずに前を向く。


好きだ。


それは事実だ。


だがそれはーー


ただの感情では終わらない。


「そういえばさ、比奈ちゃん。今じゃ考えられないけど中学の時学年最下位取ったことあるってほんとなのか?」


「あぁ、一度だけ。だけど...いや、なんでもない。」


ーーー


帰りの靴箱。


下駄箱の並ぶ廊下は、部活に向かう生徒たちの声でざわついていた。


靴を履き替えようとしたとき、聞き覚えのある声がすぐ近くで止まる。


「ねぇ、比奈ちゃん。そろそろ聞いてもいいかな?」


「……いいけど、今まで聞けなかったことなんてあったの?」


「いやさ、黒瀬蓮くんのことだよ。なんで最近、全然話してないの?」


わずかな間。


「……ちょっと待って。黒瀬蓮?誰のこと言ってるのかな?」


「え、忘れるふりまでするほどなの?もしかして、相当やばい喧嘩しちゃった?」


「いや、ほんとに私、その人知らないよ?」


短いやり取り。


十分だ。


ーーー


俺は驚いた。


この学校は県内でも屈指の進学校だ。

生徒のレベルは高い。


だが、それ以上にーーテストの難易度も高い。


それでも、


視界の奥に、確定した情報が流れ込んでくる。


次の中間テスト。


天城比奈ーー全教科満点。


この学校史上、前例のない結果。


どれだけ問題が難しくても関係ない。


その未来は、揺るがない。


ーーー


夕焼けが差し込む廊下を抜ける。


外に出ると、空は赤く染まっていた。


次のテスト。


頂点に立つのはーー


俺だけじゃない。

それじゃダメなのに。

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