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目が覚めると、そこには地獄があった。
無数に転がる人の死体と、真っ赤に染まった街並み。
電柱には臓物がぶちまけられ、人だったものが路上に散らばっている。
喫茶店の窓ガラスには赤黒い肉片が幾つも張り付いており、肉がズルリと滑り落ちると、血のカーテンの隙間に、腰まで伸びた黒髪を持つ少女の姿が映っていた。
コロニーの天井から、投げ飛ばされたのであろう人の欠片が目の前に落下してきた。
べちゃりと音を立てながら肉の山が築き上げられ、真っ赤な湖が広がる。
「……」
かつて見た光景。
そして、何度も何度も見続けている悪夢。
何度「これがただの夢だったら」と考えたかは分からない。
遠くからは誰かが嗤っている声と、無数の羽音が聞こえてくる。
「……」
いつもの様に近くの建物の裏路地へと入る。
すると、そこには見慣れた誰かがいた。
「……」
目の前には建物の壁に力なく背をあずけ座っている一人の少女がいた。
そして、その少女には顔が無かった。
物理的に無いわけでは無く、モザイクがかかったかの様に潰れてしまっていて見えない。
しかし、私は彼女の事を知っている。
より厳密に言えば、記憶として覚えているのでは無く、記録として情報が残っていたから知っている。
そう、知っているんだ――――彼女が私の親友である事を。
右膝を地面に付けるようにしてしゃがむ。
少女は何かを必死に伝えている。しかし、何一つ聞き取ることが出来ない。
痛む胸を左手で押さえながら、右手で少女の手を取る。
すると、菖蒲水仙の様に美しい黄色いリボンを手渡された。
「……必ず思い出すから」
そう伝えると、顔の無い少女からは何処か安堵しているような雰囲気を感じられた。
【終末ノ獣】に喰われた人間は記憶ごと持っていかれる。本来であればここまで鮮明に覚えているはずはない……何故、私がここまで覚えているのかは分からないし、かつての自分はどんな返答をしたのかも今となっては分からない。
だけど、これにはきっと意味があるのだろう。
疑問が胸に霧を張る。
そして、いつもの様にそこで意識が途絶えた。
=====
「……」
見慣れない天井。
けたたましく鳴るスマホのアラーム。
ずっしりと重く、少しカビ臭い毛布。
妙に気怠い体を強引に動かし、枕元にあるスマホを手に取る。
画面には「7:31」と表示されており、設定していた時間よりも1分ほどが過ぎていた。
「……はぁ」
深い溜息を吐きながらゆっくりとベッドから起き上がる。
ひんやりとした感触が足裏を伝う。
ふと、部屋を見まわすと、設置されている姿鏡に一人の女の姿があった。
腰まで伸びた黒髪に、濃い茶色の瞳。
ピクリとも動かない仏教面は何処か人形のような不気味さがあり、冷たさを感じられた。
なんとかしようと両手の人差し指を口の端に当て笑顔を作ろうと試みるが……。
「これじゃ……駄目だね」
笑顔を諦めて、さっさと朝食の準備をすることにした。
今日は大切な試験の日。
昨日、筆記試験を終えて、今日は『技能試験』と『細胞適合試験』がある日だ。
体長管理は完璧――――だけど、夢見は最悪。
「……こうなったら」
そう、こうなったらカツ丼戦法で運気を強引に上げるしかない。
冷蔵庫から合成豚肉と卵を取り出す。
棚から取り出したボールを台所に置き、流れるような動作で卵をぶち込みかき混ぜていく。
フライパンに油を引き温めている合間に、衣となるものを探すべく下棚の扉を開け中を覗き込む。
「……あっ。何にもない」
そこには醤油と塩/胡椒があるだけで、小麦粉や片栗粉といったものは見当たらなかった。
仕方がないので、フライパンで『焼き合成豚肉』と『玉子焼き』を作った。
あとついでに隣のコンロで玉子スープも作った。
食卓の上に作った料理を並べていく。
普段から保存食ばかりを食べているせいか、ちゃんとした料理の匂いに唾液が過剰分泌しているのを感じる。
椅子に座り両手を合わせる。
「いただきます」
まずは玉子スープを頂く事にする。
味付けはたいへん簡素で、ただの塩と胡椒な訳だが――――
「……美味しい」
圧倒的な料理感。
油で固めたブロック状の保存食では決して味わえない熱。
この熱こそが力となる。
そう思わせる程の偉大さがそこにはあった。
続けざまに合成豚肉に手を出す。
肉と卵というタンパク質のフルコースに私の胃が耐えられるのか? そんな一抹の不安が一瞬、脳裏を過りはしたが、今の私はスープの熱によって強化されている。
つまりは無敵なのだ――――いけるッ!!!
箸で一口サイズに切り取り、口の中へと運ぶ。
「……うん。まぁ……うん」
微妙。
まぁ、予想はしてはいたが。
塩味の効いた柔らかい段ボールを食べているような触感だ。
食べられなくはないが……別に保存食でいい。
……さてと、玉子焼き君、君は私を失望させてくれるなよ?
プリッとした身を箸で摘み上げると、躊躇なく口の中へと入れた。
咀嚼するたびに、口内で風船を破裂させたかの如く甘味成分が弾け、次第に塩味のしょっぱさと、胡椒の風味が顔を覗かせる。
「……安定だね」
玉子焼きは当然のように美味しかった。
やはり卵は最強だ。
これで今の私は最強無敵状態と言っても過言では無くなった。
ありがとう合成豚肉君。
ありがとう卵君。
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食事を終え、部屋を出る準備をする。
姿鏡の前で、髪の毛の所々跳ねている部分を抑える様に櫛を入れていく。
焦ってはいけない。焦るとプチッとして痛いからね。
さて……今をときめくJKの私的には、次は化粧をしたいところではあるけれど、残念ながらその必要性はない。
どうせ試験で汗をかくことになるだろうから要らないよね。
寧ろ試験管に怒られるまであるし、化粧をしていくやつは馬鹿だ。
当然私は馬鹿ではないからしていかない。
決して私がオシャレを知らない陰キャだから化粧をしない訳ではない。
これはあくまでも、超合理的な判断によって下された合理的すぎる合理性によって導き出された至極合理的な結論であるからだ。
「ふぅ……」
食事良し、トイレ良し、歯磨き良し、リボン良し。
準備は完全に整った。
後はもう部屋を出るだけだ。
玄関先まで移動すると、一枚の写真立ての前で立ち止まる。
視線の先にあるその写真には3人の人物が映っており、幼い頃の自分と、顔の分からない親友が肩を組んで並んでいた。
そして、その2人の後ろには酒に酔ってだらし無い顔をしている白髪の若い女性、つまりは師匠がいる。
「紗季……行ってきます」
返事は返って来ない。
まぁ、これは写真なのだから当然の事ではある。
でもなんでだろうか、いつもよりも寂しく感じられた。
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部屋に鍵を掛け振り返る。
すると、そこにはギャルがいた。
そうギャルだ。
無駄に明るい金髪を赤色のリボンでサイドテールに纏めているギャル。
筆記試験の時に一度見かけはしたが、どう考えても別世界の住人だったから避けていた。
ギャルは青い瞳でこちらを見ていた。
おそらくは同じタイミングで部屋を出たのだろう。
ぬかった……こんな事ならもっと音に注意を向けるべきだった。
「……おはようございます」
とりあえずは挨拶をしてみる。
初手挨拶は絶対に失敗しない『最強無敵の最強すぎるコミュニケーション術』だ。
さぁ、かかってこい謎のギャルッ!
「――え、好き」
「……は?」
ちょっと待ってくれ。
これは話が違う。
私が持っている『最強無敵、やや最強すぎるかもしれないコミュニケーション術』には、こんな時に使える対処方法は載っていない。
まぁ、落ち着け私。
こういう時は焦って動くのではなく、敢えて相手の動きを待つのが良い。
動かざるごと山の如し。
そう、今の私は山だ。
この程度で狼狽えていては、とてもじゃないが【終末ノ獣】になんて勝てない。
「あ、ごめん。あたし千祭 伊織。ってか左手首に巻いてる黄色いリボン可愛いね」
「……私は血野 凛音です」
「ってか彼氏とかっている?」
「……いないです」
「そっか……じゃ――付き合おっか」
「……」
待て待て待て。
彼女は何を言ってるんだ?
付き合う? 私は女だぞ?
確かに胸は若干控えめではあるが、生物学上のれっきとした女だ。
「無理です」
「なんでッ!?」
なんでッ!?
そんなの私が聞きたいがッ!?
なんでこんな事になっているんですかッ!?
と、とりあえずはこの場から離脱するのが最善か。
「じゃ、私は試験があるので」
「ちょ、ちょっと待っ――――って速ッ!?」
凛音は尋常じゃない程の“速歩き”で廊下を歩き抜け、階段の段差を全て無視しながら兎が跳躍するかの様に階層を降りて行った。
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