38 勇者、話す。
控えめにドアを叩く音がした。
その音を耳にしたシェリーは膝の上で開いていた本から顔を上げて其方に目を向ける。
「シェリー、入ってもいい?」
「ええ、大丈夫よ」
ドアの向こう側から聞こえた声に返事をすれば、ドアが開いて、給仕係の制服を着ているアリアが入ってきた。
日当たりの良い窓際で椅子に腰掛けているシェリーを見て、アリアは穏やかな表情を浮かべる。
「良かった、調子良さそうだね」
その言葉を聞いたシェリーは相手に心配をかけていた事を再確認した。申し訳なさに眉尻を下げる。
「……心配かけてごめんね、アリア」
すると、アリアは目を丸くさせた。
しかし、直ぐにその目を細めて、しょんぼりと肩を落として俯いているシェリーの顔を覗き込む。
「これくらい気にしないで? 私はシェリーが元気でいてくれたら、それで良いんだから!」
「……ありがとう」
明るい笑顔で励まされて、自然と微笑みが浮かぶ。
その表情を見たアリアは頷き、柔らかな蜂蜜色の髪をよしよしと撫でた。
「それじゃ、私は仕事に戻るね? また時間があったら来るから!」
「うん、ありがとう。行ってらっしゃい」
エプロンドレスの裾を翻して部屋を出ていくアリアを、片手を振って見送る。
そうして、話し相手がいなくなって静寂が訪れた部屋で、シェリーは小さな溜め息をついた。
(……何してるのかしら、私)
アリアに魔王城から連れ出してもらって、この人間の城に帰ってきてから今日で三日目になる。
突然帰ってきたシェリーに、久々に会った国王はとても驚いていたが、親友に支えられて憔悴している姿を見ると、原因を追求せずに滞在する部屋を用意してくれた。
(このまま甘え続けていたら駄目だって、分かってる、けど……)
落とした視線の先で、指輪が輝いている。
その薬指の輝きをぼんやりと見ていれば、無骨な手の面影が重なった。
「……っ」
きゅ、と胸が締め付けられる。
シェリーは得体の知れない切なさに顔を顰めて、膝の上で両手を強く握り締めた。
《……魔王さん、浮気してるかもしれないよ》
アリアの言葉が耳に蘇る。
その言葉を振り払うように首を振ると、小さな拳を額に当てた。白くなる程に握り締められた拳は微かに震えている。
(魔王が浮気してたら、何だっていうのよ。寧ろ、それをネタに離婚出来るじゃない)
大嫌いな魔王との結婚生活。アリアの予想が当たっていれば、その生活を終わらせる事が出来る理由を手に入れられる。
それは、自分がずっと望んでいた事だった。
(そうよ……今だって私の事なんか忘れて、その相手と一緒にいるかもしれないし)
目を固く瞑る。鼻の奥がつんと痛くなって、咄嗟に上を向いた。
その時、誰かが部屋のドアを叩いた。
「……?」
シェリーは其方に顔を向けて、首を傾げる。
(アリアかしら? でもアリアはもう仕事に戻った筈だ
し……)
そうして考えている間にもドアは叩かれ続ける。
相手の予想が全く立たないシェリーは、とりあえずはこの来訪者を出迎えようと椅子から立ち上がった。
「はい、どちらさ……っ!?」
開いたドアの先に見えたものに言葉を詰まらせる。
人間には無い、金色の巻き角。
それを視界に捉えた瞬間、シェリーは思わずドアを勢い良く開け放った。
「やあ、久しぶり。シェリーさん」
しかし、ドアの向こうに立っていたのは、予想していた人物ではなかった。
拍子抜けしたシェリーだったが、穏やかな笑みを浮かべている男性の顔が、見覚えのあるものだと思い出す。
「先代魔王……!?」
「おや、覚えていてくれたんだね、嬉しいな。でも僕はディアロっていう名前があるんだ。先代魔王なんて肩書きじゃなくて、そっちで呼んでほしいな」
シェリーは目を見開き、つい相手を指さした。
そんな無礼にも先代魔王ーーディアロは怒る事なく、寧ろにっこりと笑顔を深めながら名を名乗る。
「君を魔法陣で飛ばして以来だからね。忘れられていると思っていたよ」
それを聞いて、国王の間でのやり取りが記憶に蘇る。
シェリーは半目になりながら、呑気に笑顔を浮かべているディアロを睨んだ。
「忘れるわけないじゃないですか。あの日から私の人生は変わってしまったんですから」
「はは、そうだね……あれは少し強制的過ぎたなって思うよ。ごめんね?」
外見はよく似ているが、息子のロワと違って、脳天気で何処か掴み所の無いディアロの雰囲気に、シェリーは眉間の皺を無くす。
「……ごめんで済む問題ではありませんよ、全く」
そう言いながらも、今更責任を追及する気も起きず、大きな溜め息をつく。
そして、一歩横に退くと片手を部屋側へ差し伸べた。
「中へどうぞ。こんな話をする為に、ここまで足を運んで下さったわけではないでしょう?」
「うん、有り難う」
まるでこのタイミングで促されるのが分かっていたかのように、ディアロは躊躇うことなく部屋に入る。
シェリーもドアを閉めて後に続いた。
「紅茶でも頼みましょうか?」
「いや、いいよ。それよりほら、折角だから色々聞かせてほしいな」
「色々……?」
椅子に腰掛けたディアロに手だけで促されて、シェリーは首を傾げながらも向かい側の席に着く。
ディアロは柔和な笑みを湛えたまま頷いた。
「そうそう、例えば……ロワとはどうなのか、とか」
「!!」
不意に出てきた名前に、心臓が大きく跳ね上がる。
顔には出さないようにしつつも、内心で動揺していれば、ディアロは気付いているのかどうか分からない様子で話を続けた。
「たまにソルダが近況報告を寄越してくれるんだけど、やっぱり本人達からも聞いてみたくってね。どう?」
「え、と……」
シェリーは唇をもたつかせる。
浮気疑惑が浮上したので家出中だとは言いづらい。しかし、それではこうして自分が此処にいる事を、相手に何と説明すればいいのだろうか。
必死に悩んだ挙げ句、答えが見つからなくて唇を半開きにしたまま固まってしまう。
ディアロはそんなシェリーを見て、面白そうに噴き出した。
「はは、無理に良く言おうとしなくていいよ? 君達の仲が非常に悪いのは知っているし」
「はい……」
「でも、ソルダからの報告を読む限りだと、大分打ち解け合えているみたいだけど?」
ロワよりも濃い金色の瞳が、伺うように視線を送る。
穏やかながらも全てを見透かしているようなその瞳に見つめられて、詰まっていた言葉が自然に引き出された。
「……確かに、戦場でしか顔を合わせなかった頃に比べたら。だけど、大して変わってはいませんよ」
「おや、そうなのかい?」
首を傾げられたので、頷いてみせる。
間髪入れずに肯定したシェリーに、ディアロは毒気のない笑顔のままで口を開いた。
「君から見たロワは、どうかな?」
不意に質問をされて、シェリーは目をぱちくりと見開く。
そして、視線を下方に向けると、眉間に皺を寄せた。
「どうって……口は悪いし、直ぐに人をからかうし、負けず嫌いで……それに素直じゃないし、自分勝手だし……」
脳裏にロワを思い浮かべて、指折り数えながら感想を挙げていく。
実の息子が目の前で酷評されているというのに、ディアロは寧ろ嬉しそうに笑いながら頷いた。
「ふむ、成る程ね」
「あと……持たせるお弁当に毎回文句言うのに、全部食べてくるから言い返しづらいし、仕事で疲れてる筈なのに、私が起きてるとゲーム勝負を仕掛けてくるし……!」
話していく間に気持ちが高ぶって、徐々に語気が強くなっていく。
詰まる事なく紡がれる愚痴に、ディアロは笑顔で黙って耳を傾けている。
しかし、視線を落としたシェリーは聞き手の表情に気付かないまま、力の無かった眼差しに少しずつ光を宿していく。
「それに最近は隙を見せると、私の事を照れされては何か喜んでるし! か、可愛いとか、タチの悪い冗談言ってくるし! 本当に最悪よ、あの馬鹿魔王!」
そうして最後は罵声で締めくくったシェリーは、赤らんだ顔でふうっと息をつく。が、目の前にいるのが相手の父親だった事を思い出すと、慌てたように目を瞬かせた。
「あ、ええっと……」
「はは、気にしなくていいよ。でもそうか……君に対してロワはそんな感じなんだね?」
「……はい」
今更嘘も言えず、素直に答える。
すると、ディアロは満足そうに何度も頷いて、それから気まずそうにしているシェリーに頭を下げた。




