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「みんな、ピザが焼けましたよ。食べましょう」
西の森には魔女がいる。
いまもそうだ。
小さな小屋に住んでいる。
辺境商会が山のふもとまで来てくれて、小麦とチーズを譲ってくれる。
俺たちは野菜を売る。
中でもトマトはよく売れる。
テーブルに焼きたてのピザを置いて、ナイフで切る。
よくは分からないが、切り方にもいろいろあるようだ。
「あ、待って。ネロ。おすわり! 待って! おすわりだよ!」
ピチョーネは拾ってきた黒猫にネロと名付けて飼っている。
芸を仕込もうとしているが、いまのところ成功していない。
母さんも溜め息だ。
「騒がしいですよ、ピチョーネ」
「あ、待って。ネロ、なんで先生のとこ行くの! ズルい! 私が親なのに!」
「ほら、ピチョーネ。マルコのお手伝いをなさい」
「はーい」
ネコはおとなしく母さんの膝の上で丸くなった。
うらやましくなるほど自由だ。
「ピチョーネ、先に手を洗ってきてください」
「もう! マルコまで! お母さんみたいだよ!」
「お母さんじゃないですよ」
「お母さんだよ!」
喚きながら外へ行ってしまった。
母さんの体はもとに戻ったように見えるが、あくまで魔法でそう見せているだけだ。
まだ完全ではないらしい。
実際どんな姿なのかは……知らない。
「母さんも食べますよね?」
「ええ」
何度かカエデさんを手伝ったから、簡単な料理なら俺でも作れる。
まあピザくらいは。
たまにカエデさんのところに行って、野菜を交換してもらう。
あそこはもう……なかば市場のようになっている。調味料まで手に入る。
*
夜、みんなが寝てから、俺は家を出た。
裏手へ回って、墓のほうへ。
「来たね」
「はい」
数日前、黒の魔女から手紙をもらった。
真実を教える、というのだ。
いったいなんの真実かは知らない。
ただ満月の晩にここに来いと言われた。
魔女は、脇に棒人形を置いていた。棒を紐でつないだだけのものだ。子供ほどの大きさはあるだろうか。吊り人形みたいだ。
「これは?」
ネコが来たので、俺は拾い上げて抱っこしてやった。
魔女は幼い顔に似合わず、真剣な表情だ。
「容器だよ。空のね。いまからここに中身を入れる」
「えっ? まさか俺を?」
「そんなことしたら、家にいる二人に私が殺されちまうよ」
「じゃあいったい、誰を……」
「まあ見てな」
魔女は大きな宝玉を取り出して、人形の後頭部にはめ込んだ。
すると人形の体がびくりとハネた。
ハネてから、立ち上がった。不思議そうに自分の手を見ている。
「魔女か……。私をこんな人形に入れるとは……」
男とも女ともつかない声。
魔女はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「ほら、自己紹介しな」
「星だよ」
星?
あの……嘆きの川コキュートスで会った……?
魔女は愉快そうにくすくす笑った。
「緑の魔女から聞いたよ。あんた、嘆きの川に行ったんだってね? ふん。バカバカしい。そんなものあるわけがない。最初はそう思ってたんだけどね。魔法の痕跡を調べたら、確かに妙な空間につながっていた。で、私は研究を続けて、ついに見つけたのさ。そこへ行くには、従来の転移魔法を成功させてはダメ。少々アレンジを加えないとね」
そう。
失敗によってたまたまつながった空間だったと思う。
星は……表情がないからなにを考えているかは分からないが、こちらを見ていた。
「君の母親について話せばいいのか?」
「母さんの話?」
「私が自分自身をコキュートスに封じたのは、世界に飽いたからだ。そう。いわば、ふてくされていたのだよ。子供のようにね。私の作り出した世界は、じつのところ期待外れだった。だが、そうは言っても気にはなるじゃないか。もともと興味があって作ったのだからな。そうして世界を覗こうとすると……どうしても、力のあるものに目をひきつけられてしまう」
「母さんに?」
「そう」
星は、母さんに目をつけていた。
そのせいで母さんの存在が、楔として強く機能してしまった。母さんの近くにいた俺やフェデリコさんまで。
「あの女は、みずから命を絶とうとしていてな」
「はい?」
「理由は簡単だ。私と同じ悩みを抱いていた。この社会を、本当にくだらないものと感じていたのだ。それが万人にとっての事実かどうかはともかく、少なくとも彼女にとってはそうだった」
世界がつまらないから、死ぬ?
本当に?
そんなこと、母さんが?
「そもそも彼女は、物心ついたときから虚しさと戦ってきた。よく分からない権威。ひれふす同胞。魔法の才能。あらゆるものを有していた。だが、才能以外のすべてを、一瞬にして失ってしまった。まあ私のせいだ。私が眷属に、世界の剪定を任せていたからな。まさか彼らがあれほど妄信的に……いや忠実に続けるとは思わなかったが」
軽く言っている。
こいつのせいで戦争が起きたのに。
だが、いまは続きを聞くことにしよう。
「それで?」
「彼女には才能があった。才能というか、力だな。だが、その力とは? 他者の命を奪うことはできる。だが、世界を変えることはできない。そういうたぐいのものだ」
「それでも力は力では……?」
「たとえば、自分が蟻だったと想像してみて欲しい。そして君は、他のどの蟻と戦っても勝てる。それで? 世界を変えることができそうかな? そう。不可能だ。他の虫に食われておしまいだろう。人類は、自分たちこそ生命の頂点だと思い込んでいるが。その頂点など、世界を動かせるものではないのだよ。頭脳もそうだよ。人類でもっとも賢いものでさえ、真理には遠く及ばない。あくまで、より賢いものがいないというだけ」
母さん。
力があったのに、絶望していたのか。
力しかなくて。
「だから彼女は、ひっそりと山で暮らすことにした。そこでじっと考えたのだ。みずから命を絶とうと。だが、その前に、いちどだけ街の様子を見に行った。そこで君の母親に会った。じつに楽しそうだったよ。チェーザレが現れるまではね」
「あいつ……」
やはり殺しておくべきだったか。
いや、それでも……。
「彼女もこの世界に飽いたのだ。なにもかもがイヤになって。その後、山賊から逃げてきたベアトリーチェと再会した。ひどい環境のせいで、別人のようになっていた。そうしてベアトリーチェが死ぬと、君の母もついに絶望した。なにもかもが終わるところだった。だが、そのとき君が生まれてきた。彼女は困惑した。もう死のうと決めていたのに、生命が誕生してしまった」
おぼえている。
土から這い出したあの日、俺は魔女の尻尾をつかんだ。
なぜ尻尾だったのか?
母さんは、手を伸ばすのが怖かったのだ。だから、尻尾で様子を見ていた。その尻尾を俺はつかんだ。俺は……なにも考えていなかったと思う。ただ反射的にそうしただけで。
星は告げた。
「じつは君は、ベアトリーチェと一緒に死ぬはずだった」
「えっ?」
「私は思わず干渉してしまったのだ。君のためじゃない。魔女の未来を変えるために。私はみずからの禁を破り、世界に干渉してしまった」
「あなたは……母さんを、死なせないために?」
こいつが敵だと思っていたのに?
こいつは母さんを救ったのか?
「こんなことをするべきではなかったかもしれない。まあしてもいい。どちらでもいい。ただ、私は、私のポリシーに反する行為をしてしまった。誰かを救うというのなら、他の全員を救うべきだからな。なにをもって救うことになるのかは論じないが」
「えっ? えっ?」
「とにかく、未来は変わった。魔女は、君を育てるのに精一杯で、死ぬことを忘れた。私は満足してしまった。そうそうこれ、と。だが……」
「だが?」
表情は分からないのだが、星の口調から、躊躇しているのが分かった。
「救ってしまったのは、やはり失敗だったと思ったのだ」
「なぜ?」
「あくまで私が私に課したルールにおいて。だから、魔女には試練を与えることにした。魔女の努力で、なんとかクリアできるくらいのものだが。簡単に言えば、鈍器で頭をかち割るという試練だね」
「……」
やっぱりこいつは好きになれない。
そんな試練はいらなかった。
「かくして魔女は、見事に試練を乗り切った。まあそうなると思っていたよ。試練を用意したのは私だからね」
「納得いかないですよ。未来のことまでなんでも分かってるのに、こんな遠回りなことして。なにが楽しいんですか?」
「人間には分からないだろうね。分かってしまうからこそ、見ないようにしている。この大変さを。まあ恨んでもいいよ。私が気まぐれを起こさなかったら、君も魔女も悩むことはなかったんだから」
なんだこいつは。
救われた身でこんなことを言うのもなんだが、殺したい……。
いや、俺がどうこうする必要はなかった。
パァン、パァン、と、各パーツがいきなり四散したのだ。最後は頭部の宝玉まで。
「ああ! 私の宝玉が!」
黒の魔女が慌てて地べたを這いつくばった。
いつの間にか母さんが立っていた。
たぶん怒っている。
この目の細め方は間違いなくそうだ。
「マルコ、夜中になにをしているのですか? おやすみなさいをしたら、いい子にして寝る約束ですよね」
「はい、母さん。ごめんなさい」
そうだ。
子供のころ、そういう約束をした。
まだおぼえていたとは。
「そして黒の魔女、私のマルコにコソコソとくだらないことを吹き込まないように」
「うるさいね! この宝玉、高かったんだよ!」
「お金くらいなんですか。また人間の下働きでもして稼げばいいではないですか」
「あんまりだよ……」
確かにひどい。
昔からずっとこんな関係だったんだろうか。
ともあれ、ずっと立っていたらとばっちりを食らいそうだ。
俺はネコを抱え直した。
「じゃ、じゃあ寝ますね」
「先ほどの与太話は、すべて忘れるように」
「はい、忘れます」
「私は少し、黒の魔女とお話ししてから戻ります。ちゃんといい子にして寝るのですよ、マルコ」
「はい、母さん」
早くこの場を離れよう。
いくつになろうと、母さんは母さんだ。言いつけを守らないと怒られる。
*
朝、母さんはなにごともなかったかのように歌を歌っていた。
世界を呪う歌だ。
なぜそんな歌を作ったのかは……いまとなっては理解できる。
だけど、いい。
こうして生きている。
それでじゅうぶんじゃないか。
「おはよう、母さん」
「おはよう、マルコ。今日もいい天気ですよ」
「はい、そうですね」
今日も太陽がのぼる。
それを喜ぶかのように鳥たちが鳴く。
街にはいかない。
俺はこの世界が好きではなくなった。
だけどきっと、嫌いにもなれない。
それでいい。
生きてさえいれば。
(終わり)




