一匹目
母さんの命は救うことができた。
あとはもう、やりたいことだけやりながら生きればいい。
そう考えると、なにもする気が起きなくなってしまった。
愚かな人々に復讐したいという衝動もなくはなかったが、それよりも、関わりたくないという気持ちのほうが上回ってしまった。
「え、マルコ、なにぼうっとしてるの? お出かけしようよ」
廃墟の広間でぐったりしていると、ピチョーネがそう声をかけてきた。
この子はなぜこんなに前向きなんだろう。
「一人で行ってきてください」
「犯人さがし、しないの?」
「そのうち……」
「そのうちっていつ?」
「そのうちはそのうちですよ」
「もー」
ふくれてしまった。
そして一人で外へ。
カエデさんと会話しているのが聞こえる。
魔法で植物を育てるなどと提案して、拒否されているようだ。どうやら魔法で育てると、うねうね動く野菜になってしまうらしい。それは俺も……さすがに食べたくない。
「マルコ、まだふさぎ込んでいるのですか?」
「はい……。えっ?」
急に誰か来たと思ったら、母さんが普通に歩いていた。
飾りのない地味なローブを着ている。
だけど、優しい話し声も、ほっそりとした顔立ちも、少し暗い目も、どれも記憶の中の母さんのものだ。
「か、母さん……身体が……」
「どうですか? これも魔法ですよ」
「魔法……。すごい! じゃあ、もう普通に暮らせるんですか?」
「いえ、それが……」
喋っている途中で、ふっと姿が消えた。
かと思うと、べちゃりと眼球が地面に落ちた。
「うわあ!」
(あまり長くもたないようですね。マルコ、また瓶に戻してください)
「えぇっ……。まあ、はい……」
いったい、なにをしに出てきたんだ?
いくら大好きな母さんでも、思いつきで出てきて、眼球のまま転がらないで欲しい。さすがに心臓に悪い。
*
俺は母さんを握り潰さないよう、そっと手に乗せ、地下へ降りた。
「どうやって出たんですか?」
(魔法です)
「あまりムリしないでください」
(そうですね。落下のダメージが予想より大きいようです)
「なら、もう二度とやらないでください」
(でもこの姿ではお酒……いえ、みんなと一緒に食事が……)
「母さんの食事って、鳥のミンチでしたよね?」
(マルコ、ロジハラはおやめなさい)
「ごめんなさい」
だけど、そうまでしてお酒が飲みたいのか……?
あんなの、頭がおかしくなるだけなのに。いったいなにが楽しいのやら。
「母さん、少し相談してもいいですか? 俺、なんだか最近、おかしいんです」
(最近……?)
「なにもする気がおきなくて」
(ええ)
「どうしたらいいのか……」
(あなたはとてもよく頑張りましたよ。私だけでなく、世界まで救ったのですから。あとはやる気が出るまで、ゆっくりしていればいいのです)
「本当に?」
(ええ。本当です。自慢の息子ですよ、マルコ)
母さんに、褒めてもらった。
何年ぶりだろう。
もう、いい大人なのに。
こんなに嬉しい気持ちになるなんて。
自分のしてきたことは、ムダではなかった。
「はい、母さん。ありがとう。俺……ちょっと元気が出てきたかも」
え、でも最近って?
前からおかしいと思われてたってこと?
いや、邪推はやめよう。母さんはそんなこと言わない。
*
上へあがると、ピチョーネが待っていた。
「先生とお話ししてたの?」
「うん」
やたらにこにこしている。
無邪気な笑みだ。
この子も、母さんの回復を素直に喜んでくれているのだ。
「ピチョーネ、例の犯人というのは、どうやって探すんですか?」
「探すっていうか……。もう誰か分かってるし、場所も特定できてるよ」
「え、いつの間に?」
「カエデさんに手伝ってもらっちゃった」
あの人、なんでもできるな。
なんでこんなところで使用人なんてやってるんだろう。
いや、まあ、過去の話は知っている。家族同然だった仲間の命を奪ったのだ。
「いまから行きたいって言ったら?」
「もちろん付き合うよ、マルコ」
俺はこの子に、感謝しないといけないのかもしれない。
ずっと俺の味方でいてくれている。
*
ハルバードは持ち歩かないことにした。
もし持っていたら、敵の顔を見た瞬間、振り回してしまうと思ったからだ。
「最初は、ビジランテのおじさんをカエルにしよ?」
「そうですね……。でも、ビジランテってなんなんですか? なにをしてる人?」
俺がそう尋ねると、ピチョーネは大きく首をかしげた。
「え、分かんない。でも悪いヤツだよ」
「うーん……」
*
ビジランテの溜まり場は、街の外にあるのだという。
大きめの家に、メンバーがまとまって暮らしているのだとか。
だが、屋敷に近づくにつれ、徐々に嫌な予感がしてきた。
予感というか、露骨に異変が起きている。
何匹かのカラスが、地面に落ちていたのだ。一羽や二羽なら見かけたことはあるが。こう何羽もバラバラに落ちているのは見たことがない。
「ピチョーネ、なんだか……」
「大丈夫だよ」
「でもカラスが死んでますよ」
「死んでないよ」
はい?
死んでない?
ピクリとも動かないのだが……。
遠くから見ても大きな屋敷だったが、近づいても大きかった。
といっても、たぶん一階建て。いや、二階部分もありそうか。とにかく敷地が広いのだ。
ドアも大きい。
俺がノックしようとすると、ピチョーネは構わず開けて入ってしまった。
「あ、待って。勝手に」
「大丈夫だよ」
「えっ? ピチョーネがなにかしたの?」
「してない」
なら、なぜこうも無防備なのか。
ピチョーネは、初めて来た家にもかかわらず、迷いなく進んでいった。長い廊下を進んで、ドアを開け、地下へ入ってゆく。
「遅かったね、二人とも」
先客がいた。
長い金髪の幼い少女……に見えるが、魔女だ。
黒の魔女。
「え、なぜあなたが……」
「本当に知りたいのかい?」
「いえ、大丈夫です」
「まあ聞きなよ」
聞くなという意味かと思って気を使ったのに。
俺はこんな簡単なやり取りにさえつまずいてしまうのか。
いったい、いつになったら普通の人間になれるのやら……。
「あんたの母親はね、私が殺す予定だったんだよ。なのにこの男、横から割り込んできて、勝手に殺そうとして……」
広場にいた男は、床に転がされていた。
両手両足を縛られ、口には布をかまされている。あのときの俺のように。
「外のカラスはあなたがやったんですか?」
「魔法でみんなの動きを止めたのさ。騒がれたら面倒だからね。そしたら、カラスまで巻き込んじまってね。ま、死んじゃいないだろうさ。魔法を解いたら、勝手にどこかへ飛んでくよ」
そういうことだったのか。
ピチョーネも、気づいていたのなら、教えてくれればよかったのに。
そのピチョーネは、さめた目で魔女に告げた。
「どうするつもりなの?」
「豚の餌にすべきか、魚の餌にすべきか、ずっと迷ってるんだ」
「できれば殺さないで欲しい」
「おやおや。あとから入ってきて、勝手なことを言うもんだね。魔女になにかを頼むんだ。代償はあるんだろうね?」
急に魔女みたいなことを言う。
いや、これが本心だったとして驚くべきではないんだろうけど。
ピチョーネは空いている椅子に腰をおろした。
「なにが欲しいの?」
この子はたまに怖くなる。
いまも笑みを浮かべているが、おそらく内部で魔力を集中させている。
黒の魔女も顔をしかめた。
「契約で人を動かすならともかく、初手から力でどうにかしようってのかい?」
そう。
魔女は契約を重んじる。
最初から力で奪ったりはしない。それが可能な力を持っていたとしても。
「なに、力って? 私は用件を聞いてるの」
「なら金を払いな」
「いくら?」
「5万リラだよ」
そう言った黒の魔女は、さっと飛びのいた。その頭上で空間が裂けて、金貨が雨あられと降り注いだ。ジャラジャラと、いつまでも。
「はい、5万リラ。拾って?」
「この小娘……」
え、なんだ?
ピチョーネ、お金持ちだったのか?
それとも魔法で作った偽のお金?
ピチョーネは満面の笑みで応じた。
「こいつの金庫にちょうど5万リラあったの。あなたにあげる」
「あんたの金じゃないだろう……」
「私のこと、泥棒だって言いたいの? これからこの男のすべてを奪うんだから、いまさらでしょ?」
「一理あるね」
いや、泥棒ですよ。
黒の魔女は、一枚ずつ拾ったりはしなかった。魔法でさっと消し去ってしまったのだ。
「手放す前に、少し鳴かせてやろうかね。人の言葉を話せるのも今日で最期だろうからね」
男の口の布が解かれた。
「ま、待ってくれ! 金はやる! だから殺さないでくれ!」
「……」
ここに、返事をしてやる親切なものはいない。
「な、なにが望みなんだ? あんたら、魔女なのか? 誤解だ! 私は……私は利用されたんだ」
「誰にですか?」
俺は思わずそう尋ねた。
もっと悪いヤツがいるなら、そいつにも同じ思いをさせないといけない。
「お、女だよ! そいつが、魔女の居場所を私に教えてきたんだ! もちろん興味なんてなかったよ? ただ、やれば金を支払うというから……。い、いや、金だけが目当てじゃない! その女は、魔女が戦争の原因だと言ったのだ! だから私たちは刑を実施した。もちろん違法じゃない! ちゃんと評議会からの許可は得た! 私たちは、純粋に社会秩序を守りたいだけの市民団体なのだ!」
もしかすると事実なのかもしれない。
話の筋も通る気がする。
自分の都合ばっかり述べて、謝罪のひとつもないのは許せないけど。
ここで暴力をふるっても、話は進展しないだろう。というか、全力でやったらたぶん殺してしまう。かといって手加減もできない。なにもしないほうがいい。
ピチョーネはうなずいた。
「うん。その話は私たちも知ってるんだ。その女の正体もね」
「えっ……?」
「ほかに言いたいことはない?」
「違うんだ! 助けてくれ!」
「ほかには?」
「ほ、ほかって……?」
男は、絶望したように目を見開いた。
きっと喋れば喋るだけ時間を稼げたかもしれない。だが、言葉に詰まった瞬間、終わりが来てしまう。そのことを直感したのだろう。
「じゃ、カエルにするね」
「あぷっ」
なにかを言いかけたが、手遅れだった。
男の体は一瞬で縮んでしまい、いぼいぼのヒキガエルになった。かと思うと、その体がふわっと浮いて、ピチョーネの持っていたガラス瓶に入ってしまった。
黒の魔女は顔をしかめた。
「なんだい? ずいぶん寛大な『報復』じゃないか。私は好きになれないね。いかにもあの魔女の弟子って感じがするよ。育ちのいい女は、魔女になんかならないで欲しいね」
言いたい放題だ。
だけどこの人は、母さんを殺さない気がする。
まあ気がするだけで、実際にやるかもしれないけど。そのときは俺が全力で止めるだけだ。
ピチョーネは不審そうな目だ。
「なに? お金は払ったでしょ?」
「ふん。そういう汚いところは悪くないよ。行きな。あとのことは私がやっておくから」
「大好きよ、黒の魔女」
「私は嫌いだよ、緑の魔女。特にその名前がね」
「知ってる」
*
「続きは? 明日?」
外に出てから、俺はそう尋ねた。
まだ日は高い。
やろうと思えばやれそうだけど。
ピチョーネは「うーん」と空を見上げている。
爽やかな空だ。
春だけど、かすかに夏の気配がただよっている。
農家の人たちが植えた麦はまだ青い。
「行っちゃおうか?」
「遠くなければ」
「大丈夫。そんなに時間かからないから」
「そう?」
ピチョーネも、やっぱり魔女っぽいところがある。
なにか考えているのに、教えてくれない。
「どうしたの、マルコ。私の顔見て。好きになっちゃった?」
「いえ、なに考えてるんだろうなって」
「ふふん。私のことが気になってきた? マルコもついに私の魅力に気づいちゃったね」
「……」
魅力、とは……?
笑顔だったピチョーネは、すぐ素に戻った。
「ま、全然違うって分かってるけどね! だってマルコだもん。私のこと、イヌかネコくらいにしか思ってないんだから」
「それはさすがに言い過ぎですよ」
「フォローになってない。いいから行くよ。二匹目のカエル捕まえなきゃ」
カエルを増やすのが目的になっているような?
まるで子供の遊びみたいだ。
でも……。
あんなに痩せていて、腹を空かせていた子が、こんなに元気になっている。
それは素直に嬉しい感じもした。
子供の成長を見守る親って、こんな感じなのかもしれない。
(続く)




