変わらなかった未来
「ただいま戻りました」
フェデリコさんは用事があるというので、俺は一人で廃墟へ戻った。
ひっそりしている。
それはいつものことだけど。
ここまで静かだっただろうか?
まるで俺以外、誰もいないかのような。
「あれ? 母さん? カエデさん? ピチョーネ? 誰かいませんか?」
呼びかけたのに、返事がない。
どこかへ出かけているのか?
それとも……。
首の後ろに、チクリとしたものを感じた。
虫にでも刺されたか?
いや、違う……なんだか……意識が……。
*
俺は、眠っていた……のだろうか?
気づいた時には、周囲がずいぶん騒がしくなっていた。
ここは街?
広場だろうか?
民衆が、俺を取り囲んで、なにかを喚いている。
「魔女を殺せ!」
「ぶっ殺せぇ!」
えっ?
動こうとするが、手足は拘束されて、声が出ないよう口にも布を噛まされている。
どうやら俺は、柱に磔にされているようだ……。
視線をおろすと、俺の足元には母さんがいた。
小さな台に、首だけが雑に置かれている。
見知らぬ男が叫んだ。
「怒れ民衆! 一連の災厄は、この魔女によって引き起こされたもの! 見よ、このおぞましき姿! 首だけになってなお死なぬ! 人の理に反する怪物! 到底許される存在ではなぁい!」
すると聴衆も叫んだ。
「そいつを知っているぞ! 西の森の魔女だ!」
「死んだと思ったのに、首だけで生きてやがったのか!」
「怪物を殺せ!」
ああ、なんて愚かなんだ。
まったく関係のない話まで、なにもかも母さんのせいにして……。
「さよう! この邪悪な魔女は、人の手によって粉砕すべきである! この女は、魔族をそそのかし、人の街を襲わせた! 戦争の元凶なのだ! 諸君らの家族を奪ったのも魔女! 家を奪ったのも魔女! 物価の高騰も魔女! 頭痛、腹痛、関節痛、その他あらゆる体調不良も魔女! すべてこの魔女の仕業である!」
これはもう凡愚でさえない。
平凡な人間は、ここまで愚かではないからだ。
並大抵のバカではない。
そうは思うが……市民たちまで同調しているところをみると、どうやら同じレベルなのだろう。
やはり凡愚と呼ぶべき存在なのか。
「処刑人、前へ出よ!」
男が命じると、ハンマーを手にした屈強な男がやってきた。
市民は熱狂している。
「これより、市民団体『ビジランテ』の名において、魔女への処刑を執行する!」
「待て待て! なに勝手なことやってんだ! 中止しろ! 中止!」
血相を変えてアルトゥーロさんが走り込んできた。
そうだ。
いまこの街を管理しているのはアルトゥーロさんだ。
彼の言葉なら聞いてくれるはず。
だが……。
「魔女をかばうのか!?」
「お前も魔女の味方なのか!」
「引っ込め! 偽善者!」
市民たちからは、あらん限りの罵声を浴びせられた。
アルトゥーロさんはそれでも引かない。
「おい、そこの兵士! こいつらを止めろ!」
「ですが、これは正式な申請がなされたものでして」
「なんだと? 俺は受理してないぞ?」
「評議会が許可したと……」
評議会は、各自由都市の代表で構成される機関。
必ずしも総統より高い位置にあるわけではないが、互いに違った権限を有している。魔女の処刑は、評議会の管轄だったのだろう。
ビジランテの男はニヤリと笑みを浮かべた。
「これは法にのっとった正式な活動である! 副総統といえども妨害は許されん!」
「おい、やめろ!」
逆にアルトゥーロさんが兵に抑えられてしまった。
こうなってしまっては、もう誰にも止められない。
男はふたたび声を張った。
「上にいるデカブツの名はマルコ! この魔女の息子を自称するものである! 魔族ではなく、人間だ! 人間の身でありながら、この魔女を崇拝している! 邪教徒である!」
「殺せ!」
「まとめてぶっ殺せ!」
まるで血に飢えた獣のようだ。
たとえば戦場の兵士は、上から戦うことを強制されている。やらなければ自分の身が危うい。やむをえず他者の命を奪うこともあるだろう。
だが、彼らは?
誰かに強制されたわけでもないのに、血を求めている。
いったいどちらが怪物なのだろうか?
「おい、待て! そいつは魔女に操られてるだけだ! 殺す必要はない!」
アルトゥーロさんは抑えつけられながらも、俺を助けようとしてくれる。
けど、もういいのだ。
きっと母さんは殺される。
そのあと、俺だけ生きていても仕方がない。
一緒に死ねるのなら、そのほうが幸福かもしれない。
ビジランテの男は「ほうほう」と演技じみた様子でうなずいた。
「なるほど? では先に魔女の頭部を粉砕し、魔法が解けるか見てみるとしよう。処刑人、やりたまえ」
「了解した」
大きな金属のハンマーだ。
あんなので叩かれたら、母さんの頭部は一撃で粉々になるだろう。
「殺せ!」
「木っ端みじんにしちまえ!」
「鉄槌をくだせ!」
市民たちは、こんなに凶悪だったろうか?
俺が気絶している数時間で、このビジランテに説得されてしまったのか?
いや、説得の必要さえなかったのかもしれない。
市民たちは、もともと怒りを溜め込んでいたのだ。戦争と、それにともなう不利益、物価の高騰などを、分かりやすい誰かのせいにしたかったのだ。それも、攻撃しても心の痛まないターゲットに。
彼らにとって、魔女はうってつけの存在だったのだ。
処刑人がハンマーを持ち上げた。
ああ、いますぐこいつを殺してやりたい。
こいつだけでなく、ビジランテの男も、バカみたいにうかされた市民も。
前に魔女狩りが起きたとき、街の住民を皆殺しにしておくべきだった。自分のアマさが憎い。人間社会にほだされていた。こんな社会、少しもいいものではない。
ハンマーが、ゆっくりと、しかし加速しながら振り下ろされた。
聞きなれない音がした。
歓声と悲鳴がこだました。
俺の足に、なまぬるい液体が飛び散った。
母さんの頭部は……頭部だったものは、形容しがたい肉片となって四散してしまった。
観衆は興奮した顔で、満足そうにそれを眺めている。
こいつらを殺せるなら、俺は悪魔と契約してもいい。
いや、だが……。
肝心の悪魔は……そう……。
そいつこそが、俺のもっとも殺したい相手なのであった。
俺にはすがるべきものさえないのだ。
なにひとつ……。
早く俺のことも殺して欲しい。
母さんと同じところに行きたい。
「お待ちなさい! お待ちなさぁい!」
剃髪した男が駆け込んできた。
僧衣を着ているから、寺院の人間だろう。
書状を手にしている。
「何事だ! まだ処刑の最中であるぞ!」
「評議会から追って通達があったのだ! 魔女の処刑は許す! ただし、関係者の処刑は許可できないと!」
「なんと……」
男は書状をぶんどり、震える手で中身を読んだ。
まさか、俺は死ぬことも許されないのか?
この世界に、神だか悪魔だか分からないヤツはいる。
いるのに、そいつは俺を救わない。
「クソ。では処刑は終わりだ」
不満そうな表情。
市民も声をあげた。
「ふざけんな! そいつも殺せよ!」
「途中でやめるな!」
「腰抜け!」
「黙れ黙れ黙れ! 評議会が許可せぬと言っているのだ! このまま殺せば、私が犯罪者になるのだぞ! もしどうしてもやりたいなら、自分たちでやれ! 犯罪者となって、あの柱にくくりつけられる覚悟があるならな!」
「……」
市民たちは急に黙り込んだ。
他人が苦しむのはいい。
だが、自分は苦しみたくない。
簡単な話だ。
解放されたアルトゥーロさんは、兵士の腰から剣を抜いた。
「借りるぞ」
「あっ」
そして柱にやってきて、俺のロープを切ってくれた。
「いま助けるからな」
「……」
声が出ない。
出たとして、俺はどう返事していたのだろうか……。
もし自由になったら、アルトゥーロさんから剣を奪って、できるだけ多くの市民を殺そう。
そうして最後は母さんのところへ行くのだ。
(マルコ……)
母さんの声が聞こえる。
(マルコ、聞きなさい……)
はい。母さん。
悪い人間を殺します。
(驚かないでくださいね。母は生きています)
はい。
永遠のときを一緒に生きましょう。
(着地するときに踏まないように)
はい。
はい?
(すべての力を使い、眼球に生命を宿しました。着地したら、その目を拾って家へ戻りなさい)
はい?
え、母さん?
生きてる?
この状態で?
だが、下を見ても……視界に入るのは、頭部の残骸だけ。
頭蓋骨は割れてしまい、母さんのぷるぷるの脳が……。
(マルコ、踏まないで! 目ですよ、目! そっちじゃなくて、もうひとつのほう!)
「これですか?」
「どうした、マルコ? なんか言ったか?」
「母さんを連れて帰らないと」
「は? お前はなにを……」
アルトゥーロさんには聞こえていないらしい。
いや、いい。
俺には聞こえているのだ。
この際、幻聴でもいい。
(マルコ、優しく握りなさい! 潰れてしまいますよ!)
「ごめんなさい」
周りの市民は気味悪そうに見ている。
こっちだって好きで母さんの眼球を握っているわけではない。
愚かな人間たちのせいで、そうせざるをえなくなったのだ。
(では、急いで家へ向かいなさい。地下室に溶液がありますから、そこへ入れるのです)
「はい、母さん!」
分からない。
俺の頭がおかしくなって、母さんが生きているという幻想を捨てられないだけかもしれない。
それでも、確かに聞こえるのだ。
*
自宅につくなり、俺は地下へおりた。
ひんやりとした作業場だ。
食材などが置かれている。
(マルコ! それはお酢の瓶ですよ! 別の棚の!)
「別ってどれですか!」
(上の棚!)
「これですか?」
(それです!)
俺はいったん眼球を置き、瓶を開けた。
(もっと丁寧に扱いなさい)
「ごめんなさい。瓶の中に入れますね」
(ええ)
透明な液体だ。
そこへ、とぽんと眼球を落とす。
(ふぅー。助かりました。さすがに死ぬかと思いましたよ)
「……」
本当に?
これで助かったのか?
「母さん、幻聴じゃないんですよね?」
(ええ。ちゃんと語りかけていますよ)
「生きていますよね?」
(生きていますよ。だいぶギリギリではありますが……)
「ど、どうやって?」
(私は魔女なのですよ。魔法を極めれば、このくらいは可能です。いえ、成功するかは自分でも分かりませんでしたが。ほら、ピチョーネが帰ってきましたよ。続きはあの子から聞いてください。私は少し疲れました)
「はい……」
眼球だけでも疲れるのか?
俺が強く握ったせいかも。
*
「マルコ、ごめん。私、知ってたんだ。知ってて未来を変えなかった」
ローブ姿のピチョーネは、申し訳なさそうな顔でそう切り出した。
「今までどこに……」
「魔女の集会所。でも、信じて? 先生を助けるためだったの。私が理解したのは、もやが消えたあとだけど。先生は最初から分かってて、ずっと備えてたみたい。すべての能力を、目に移動させて……」
「え、じゃあ……」
「そう。未来を変えて欲しくなかったのは、それが理由。もし変わっちゃうと、高確率で別の災厄に見舞われて、なにも準備できないまま対処することになるから。だから、マルコにも黙ってた。マルコに言うと、未来への影響が出ちゃうみたいだし……」
なんてことだ。
未来を変えたくなかったのは、それが理由だったのか。
しかもその事実は、俺に知られてはダメだった。
正直、納得はいかない。
だけど、ほっとしている。
未来は変わらなかったが、変わらないまま最悪の結末を回避できた。
俺はどっと椅子に腰をおろした。
「はぁ。これまでしてきたことは、なんだったんですか……」
「大変だったね」
神の眷属を滅ぼし、戦争のループを断ち切った。
自由都市を解放した。
国王軍を止めた。
世界が浄化の炎に焼かれる未来も、一部以外は回避した。
すべては母さんを救うために。
だけど、最初からなにもしなくても、大丈夫だったのだ。
「あれ? カエデさんは?」
「集会所に閉じ込めてる。あの人も強すぎるから。放っておいたらぜんぶ台無しにしちゃう。けどすぐに戻すよ」
「そう。無事ならよかった」
ああ。
俺は、なにに対して、いったいどんな感想を抱けばいいのか……。
頭がまっしろだ。
ともあれ、母さんは無事だった。
それは間違いない。
いや、無事というには……あまりに変わり果てた姿だけれど。お話ができるなら、それで十分だ。
ピチョーネも椅子に腰をおろした。
「でも、まだ終わってないよね」
「えっ?」
「先生の居場所を密告した犯人と、ビジランテの人たち、お仕置きするでしょ?」
「そうですね。悪い人間には、報いを受けさせないと」
彼らの命を奪うことに躊躇はない。
他の選択肢はない。
可能であれば、街の住民をすべて始末してもいい。
ピチョーネは、こちらの顔を覗き込んで来た。
「んー、でも先生は、なるべく殺さないようにって言ってたよ」
「はい?」
「でも、殺さなければなんでもいいと思う。あいつらカエルに変えて、瓶にしまっちゃおうよ?」
「……」
ふざけているのか?
俺は絶対にあいつらを殺したいのだ。
殺したいが……。
まあ、カエルにしたまま、ずっと瓶に閉じ込めておくのは……魔女らしくていいかもしれない。
幸いというべきか、こちらにも死者は出ていないわけだし。
少し落ち着いたら、今後どうするべきなのか、もういちど考えてみるか。
(第四章 完)




