知っているのか
廃墟にいるメンバーは、母さんを救いたいと思っている。
だけどその本人は、救われたいと思っていない。
世界でもっとも母さんのことを思っている俺でさえ、不満なのだ。
ピチョーネもだんだんそのことについて苦情を言うようになってきた。
黙っているのは、カエデさんとアルトゥーロさんだけ。この二人は大人だから黙っているのか、それとも最悪の結末を迎えても仕方がないと考えているのか……。それは分からない。
*
ピチョーネと一緒に森へ入った。
気分転換の散歩だ。
いや、気分転換というよりは、廃墟にいたらケンカになりそうだったからだ。神を召喚するかどうかについて、ピチョーネと母さんの意見は真っ向から対立していた。それがあの日だけでなく、数日経ったいまでもずっと続いていた。食事のときでさえ。
「マルコはどっちの味方なの?」
ピチョーネは怒ったようにこっちを見てくる。
選択肢などないといった顔で。
「なんでそんな質問を……」
「いいよ。分かってるから。どうせ先生の味方だって言いたいんでしょ? マルコっていつもそう」
「分かってるなら聞かないでください」
「でも、しつこく聞いてたら、何回かに一回は私の味方してくれるかも、なんて思ったりするの」
そんなわけないだろう……。
川の近くをトンボが飛んでいる。
暑くもなく、寒くもない。
過ごしやすい天気だ。
「マルコってさ、私のこと、どう思ってる?」
「えっ?」
どう?
そういえば、どう思っているのだろう……。
殺されそうになっていたから、思わず助けた。
その後、すぐに母さんと一緒にいなくなってしまった。
数年も!
帰ってきてからはずっとつきまとってくる。
そういう存在をなんというのか、俺は知らない。
ピチョーネはぐっと顔を近づけてきた。
眉をひそめて怖そうな顔をしているが、目がくりくりしていて子供みたいだ。
「え、じゃないの。答えて」
「ピチョーネはピチョーネだよ。ほかになんて言えばいいのか……」
「家族じゃないの?」
家族?
本当に?
もしそうだとしたら……。
「えーと、俺の娘ってこと?」
「違う!」
「じゃあ誰の娘なの?」
「誰の娘でもない」
「……」
返事のしようがない。
ピチョーネは距離をとり、盛大な溜め息をついた。
「ま、いいわ。そうやって余裕ぶってられるのもいまのうちだけだし」
「え、なにかしてくるつもりですか?」
「違う! 私はこれからもっと大人になるんだから。そしたらいろんな男が求婚してくるの。絶対にね。そのときになって私と結婚したくなっても手遅れだからね!」
「そうなの……?」
ピチョーネ、どこかへ行ってしまう予定なんだろうか。
戦力的に厳しくなるかもしれない……。
「あら? マルコ、残念そうな顔ね? どうして? 言ってみて?」
「いえ、こっちの問題ですよ。ピチョーネは自分の幸せを追及してください」
「……」
表情が消えてしまった。
誰か、結婚したい相手がいるんじゃなかったのか?
数秒して、ピチョーネはハッと我に返った。
「マルコ、誰かと結婚したいって思わないの?」
「そんなふうに思ったことはないですね」
「はぁーっ!」
びっくりするほど盛大な溜め息が出た。
そんなリアクションしなくてもいいのに。
俺は、結婚というものをしたことがない。
世間では、お互いのことが好きなら、結婚という契約に至るケースもあるらしい。だけど、どこの家庭を見ても、お互いを好きなようには見えない。
事実と説明が乖離している。
そこにはまだ俺の知らない情報が潜在しているのだ。すべての事実を理解しない限り、俺は結婚をすることができない。よく分からない契約を、よく分からないままするのは、きっと凡愚のすることだ。
母さんだって結婚していない。
しなくていいけど。
変な男とくっつくくらいなら一人でいて欲しい。
だけども、もしどこかにいい人がいれば……。まあ、結婚してもいいとは思う。できれば俺が死んだあとで。
まあそれは俺のワガママだと分かっているから、口を出すつもりはないけど。たぶん。そのときが来るまでは。
ピチョーネがパンパンと手を叩いた。
「マルコ! すぐ放心するのやめて! どうせ先生のこと考えてたんでしょ?」
「そうです」
「そうですじゃない! マルコは先生と結婚できないの! 分かってる?」
「分かってますよ。そんなこと、望んでもいませんし」
これはウソじゃない。本心だ。ただ、ずっと二人で暮らせればいいとは思ってる。親子なら普通のことだ。ひとつも変なことじゃない。
「マルコ、そんなんじゃずっと結婚できないよ?」
「そうかも」
「あきらめて私と結婚したら?」
「えっ?」
「気づいてる? 私も独身なの」
「でもまだ子供では?」
「はい?」
なぜか拳を握りしめ、ファイティングポーズになった。
戦う気なのか?
「そもそもピチョーネは、結婚したい相手がいるのでは?」
「いたらなんなの? いま私かなり傷ついたんだけど」
「いや、冷静に考えてみてください。俺たち家族なんですよね? 家族って結婚します? しませんよね?」
「ムカつくわね。なんだかフェデリコみたい」
論理的に説明したのに怒られてしまった。
理不尽だ。
「結婚する必要があるとも思えませんし」
「本気で言ってるの? そろそろ殴るよ?」
「ダメですよ。対話で解決できる問題を、暴力で解決しようとするのは、凡愚のすることですよ」
「やっぱりフェデリコみたい。あんなヤツから勉強を教わるからバカになるのよ」
「フェデリコさんの悪口はやめてください。あと俺の悪口も」
「ごめんなさい」
すぐ謝ってくれる。
こういうところは素直でかわいい。
「母さんとケンカしてムシャクシャしてるのは分かるけど……。いちど冷静になったほうがいいですよ」
すると彼女は、一瞬、不快そうな顔をした。
だが、それをすぐ笑顔に変えた。
「じゃあちょっとズルしていい?」
「なんです? ダメですけど、いちおう聞きますよ」
本当に邪悪な顔をしている。
魔族の尻尾も隠していない。それどころか愉快そうに煽ってくる。
「こないだ、また未来を見たの。もちろん変わってなかった」
「はい」
分かっている。
聞きたくない。
どうしても言いたいなら、変わったときに教えて欲しい。
「でも、変える方法がある」
「神を召喚するとか言わないでくださいよ」
「別の方法よ。未来の私とマルコは、結婚してなかった。その事実を変更したらどうなると思う? 未来も変わると思わない?」
「な、なんだって……」
未来が変わる?
結婚するだけで?
「どうなの、マルコ? 選びなさい。私と結婚して未来を変えるか、結婚せずに未来を受け入れるか」
「ちょっと母さんと相談してもいいですか?」
「はぁぁぁぁ!? なに? なんなの!?」
いきなり怒られた。
それどころか肩口をぽかぽか叩かれた。
「やめてください、ピチョーネ。暴力は最低な人間のすることですよ」
「残念だったわね! 私は人間じゃなくて魔族なの! マルコ! あなた、どうしようもないダメ男よ! 結婚するかどうかも自分で決められないなんて! 母親に相談? 信じられない! 最低のマンモーニよ!」
「いや、でも結婚するとなると、寺院に申請しないといけないんですよ? それも、人間と魔族の結婚ですから。怪しまれて調査が入るかもしれないし。簡単には決められないでしょう」
「そんなリアルな話聞きたくない! 最低男! マンモーニ!」
「それはもう聞きました」
「わーっ!」
叫びながらどこかへ走り去ってしまった。
母さんを救いたいのは分かるけど、寺院を巻き込むのはマズい。
そこまで考えられなかったのだろうか。
まあ、まだ子供ということなんだろう。
*
一人で廃墟に戻ると、こっちでも問題が起きていた。
いや、問題というか。
「まさか忘れたのですか? あなたは私の騎士になると宣言したのですよ?」
「記憶にないね」
なんとも言えない空気の中、母さんと白の魔女が会話していた。
母さんは白の魔女を見つめているが、魔女はよく分からない方向を向いている。
「おや、マルコ。戻ってきたのですか。ピチョーネは?」
「結婚話を断ったら走って行ってしまいました」
「マルコ……」
簡潔に状況を報告したのに、なぜか憐れむような目で見られてしまった。
だけどこの目で見られるのも久しぶりだ。
「二人はなんの話を?」
俺がそう尋ねると、白の魔女がふんと鼻を鳴らした。
「なんでもない。君には関係のない話だ」
だが、母さんはにぃっと愉快そうに笑みを浮かべていた。
「この方は昔、私の騎士になると誓いを立てたのです。私を守りたいと」
「言ってない!」
「いいえ、言いました。まだ修行中のころ、私が魔女たちにいじめられて一人で泣いていたとき。私を抱きしめて慰めてくれたのです。『君のことは私が守るからね』と。ああ、なんて頼りがいのあるお姉さま。おかげで私は挫折せずに済みました」
は?
この魔女、俺の母さんに手を出したのか?
白の魔女は溜め息だ。
「落ち込んでいたから、少し励ましてやっただけだ。だいたい、私は君のことが嫌いなんだ。守るわけがないだろう」
「あら? ではウソをおつきになったと?」
「だいたい、君から頼ってきたんじゃないか。姫には騎士が必要だなんて。だから話を合わせてあげたんだ。勘違いしないで欲しい」
「勘違い、ですか。哀しいことを言うんですね」
「君はトラブルの種でしかない。昔からそうだ。魔女に叱られたのだって、君が偉そうに演説してたからだろう。魔女が世界を変えるんだ、なんて」
「言ってません」
「言った」
「言ってません」
子供のケンカか?
もしかすると母さんは、俺が思っているほど大人じゃないのかもしれない。
「あの、俺、ちょっと用事があるんで」
「ええ」
外に出ることにした。
聞いていられない。
*
庭では、カエデさんが草履を編んでいた。藁で靴を作るのだ。カエデさんがいなかったら、俺たちはなにをするにも苦労していたことだろう。
少し離れた場所では、アルトゥーロさんが剣の素振りをしていた。
「よう、マルコ。ピチョーネとのデートはどうだった?」
「泣きながら逃げてしまいました」
「は?」
不審そうな顔。
また説明を失敗したかもしれない。
もはやどう説明すべきか分からない。
「城の様子はどうですか?」
俺が話題を変えると、アルトゥーロさんは気まずそうに頭を掻いた。
「それなんだがな……。俺の予想では、とっくに陥落してるはずだったんだが、まだ粘っててな」
「なにか問題が?」
「赤鼻の野郎、機械人形は突破できたらしいんだが、魔族の仕掛けた魔法のトラップに苦戦してるらしくてな。きっとお前の母親の入れ知恵だろうぜ。意外と、現場の指揮官に向いてるかもな」
「イヤですよ。母さんを戦争に巻き込まないでください」
母さんを戦場から遠ざけるならともかく、戦場に投入するなんて。
「そう怒るなって。冗談だよ」
「冗談でもダメです」
「悪かった。だが、こうなってみるとだな……。また長引きそうだぜ、この戦争は。和平協定もきれいさっぱりなくなっちまったしな」
なぜ戦争をやめられないのか。
せっかく物価の高騰も落ち着いてきたというのに。
またバカみたいな値段でパンを買うハメになる。
アルトゥーロさんはおどけるように肩をすくめた。
「ただ、神の眷属は、もう無尽蔵に機械人形を持ち出せねぇ。人間側が勝利するのも時間の問題だろうぜ」
「本当にそう思います?」
俺がそう聞き返したのには理由がある。
アルトゥーロさんが、どこか浮かない表情をしていたからだ。
「いや、違うな。今回、神の眷属は、自分たちの生存を賭けて戦ってる。それがあんな間抜けな籠城戦で終わるとは思えねぇ。まあ、そもそも戦がヘタだって話は脇に置くとして」
「なにか考えがあると?」
「あいつら、頭はいいんだろ? だったらなんか用意してるはずだぜ」
「なんか?」
「なんか、な……。おい、俺に聞くなよ。分からないで喋ってんだから」
「はい」
ずっと最前線で戦ってきたアルトゥーロさんが言うのだ。
確かになにかあるんだろう。
カエデさんも近づいてきた。
無表情のまま。
「知りたいかにゃ?」
「えっ?」
なんだ急に?
知っているのか?
(続く)