白亜の都市(四)
だが、それを言い出せなかった。
知識の箱は、敵だ。
これを破壊することは、敵の戦力を削ぐことにもなる。
俺たちにとってはメリットしかない。
だけど……。
いまだに、最初の殺人が頭に残っている。
その男は、山賊の砦にいた料理人だった。
それまで生きていたのに、殺した瞬間、人間以外のなにかになってしまった。命を奪うという意味では、動物と同じはずなのに。そいつは悪人だったのに。
理由はある。
それでも忘れられなかった。
いまでもたまに、あの光景を夢を見る。
俺は箱に問うた。
「あの、計算機の人、ひとつだけ計算してください。あなたを殺したら、このあとどうなります?」
若い女の声が返ってきた。
「知識の箱を傷つける行為は、天界においては重罪となります。本来であれば、評議会の許可なくこの部屋に入ることさえ許されません。しかし天界の法が及ぶのは、あくまで天界のみです。私を殺害したあと、ピチョーネの魔法で脱出すれば、誰も罪には問われません」
それはあくまで法律上の話だ。
命に関わる話だから、重要ではあるけれど。
「その後の世界はどうなります?」
「じつは計算済みです。評議会が開かれて、大嵐の計画が決定されるでしょう。しかし決定から実施までには時間があります。装置だってひとつしかありませんから。最初に焼かれるのは白の領域。続いて赤、黒、緑と続き、その後の攻撃は他国にも及びます。実行までに一ヵ月。ひとつの領域を焼くのにかかる日数は推定で七日。その短期間では、人類は手を打つこともできず焼かれることになると思います」
「じゃあ、大嵐は回避できないと……?」
その問いに、箱は静かに応じた。
「なぜできないと思うのです? さっきそこの魔女が、可能であると断言したばかりでは?」
そうだ。
できることと、できないことがハッキリしている。
なにをすべきか、すべきでないかも。
俺が勝手にひとりで悩んでいるだけだ。
「マルコが望むならやるよ?」
ピチョーネもそう言ってくれた。
ここまでお膳立てされて……俺は断るのか?
*
母さんと二人で暮らしていたころ。
俺は文字を教わった。
まずは自分の名前「マルコ」をおぼえた。
それから「母さん」。
この二つを読み書きできるだけで、幸せだった。
ああ、なんて。
なんて幸せなんだろう。
誰も来ない森で、大好きな母さんと二人。
味はともかく、食べるのにも困らない。
小さいけれど、風雨をしのげる家がある。
ベッドもある。
遊ぶところもいっぱい。
本もあった。
子供向けの物語だけでなく、少し難しいものも。
俺はそれらを読みながら、分からないことがあると母さんにしつこく意味を尋ねた。戦争、陣形、騎士、英雄……。華々しい活躍がそこには記されていた。
いつか俺もたくさんの兵士を動かして、英雄と呼ばれてみたい。考えるだけで胸がいっぱいになった。
ああ、なんて。
なんて幸せなんだろう。
だけど大人になってみて分かった。
本はウソばかりだ。
いや、ウソではないのかもしれないが、都合のいい部分しか書かれていなかったのだ。
実際に戦争が始まると、華々しい活躍はどこにも見当たらなかった。食うに困った人々が、貸与された武器を手に、命じられるまま前進した。前方の敵に怯えながら、後方の味方に押されながら。敵と衝突した瞬間、大半が死んだ。
英雄として知られる人物は、後ろから命令をするばかり。
前進せよ。
前進せよ。
戦いが終わったあとも地獄だった。まともな食料がない。眠れずに喚く。泥酔する。仲間から盗む。ケンカする。死体が増える。
朝、また貸与された武器で前進。
大半は、武器を運搬するだけの作業員みたいだった。
逃げるものもいた。だけど、行き場がなくて戻ってくるものも多かった。
英雄譚には、基本的に傭兵は記載されない。
大群のひとつとしてしか描写されないのだ。
では、本から学ぶべきことはひとつもないのか。
そんなこともなかった。
歴史は勝者が紡ぐものだという。
そして勝者は、自分たちがどれほど苦労して勝ったかを記載する。それが汚い手であっても。
ある陣営で、夜襲が提案された。
夜襲のみならず、敵陣へ火矢を射かけるべきだと。
だが将はその提案を突っぱねた。
下品な戦法であると。
その後、彼らはどうなったのか?
敵の夜襲を食らい、火矢を射かけられ、壊走した。
下品な戦法が勝利したのだ。
*
その話もウソかもしれない。
だけど、教訓にはなる。
これは生存を賭けた戦いなのだ。
相手を可哀相だなどと思っていたら、こちらが同じ目に遭わされるかもしれない。
フェデリコさんは、いつも未来を予想して行動する。
実行した場合はどうか、しなかった場合はどうか。
「ピチョーネ、お願いできる?」
「分かった」
この考えは間違っているかもしれない。後世に選択を責められるかもしれない。
だけど、それを承知で俺は手を汚してもいい。
俺だって、なるべく平和に解決したいと思っていた。だけど、いまじゃない……。相手を獣だと思うしかない。
ピチョーネが空間を開いた。
「みんなは先に帰ってて」
「分かった」
箱を破壊する必要はない。
天界が滅べば、箱も自動的に消滅する。
*
秋の夕焼け。
大きな空を、鳥たちが飛んでいる。きっと巣へ帰るのだろう。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
薄暗い廃墟で、母さんは待っていてくれた。
これで未来が変わる。
たぶん。
「どうしたのですか、マルコ。浮かない顔をして。なにかイヤなことでもありましたか?」
「いえ、なんでも……」
俺は水を飲んだ。
飲んだ順に身体に染みわたる。生き返るような感じがした。
「今日はポテトのピザだにゃ」
カエデさんがそう言った瞬間、フェデリコさんが顔をしかめた。
今日は、というか、今日も、が正しい。
だけど、食べ物があるだけ幸せと言える。
これから滅ぶ人たちもいるというのに。
*
夜になってもピチョーネは帰ってこなかった。
母さんは心配いらないというけれど。
自室のベッドで横になっていると、窓枠にワタリガラスがとまっていた。
また夢?
それともこれは現実なのか?
「マルコや……。あんた、愚かな選択をしたね……」
カラスは老婆の声でそうつぶやいた。
えっ?
どういう意味だ?
「私は楔のひとつを潰せと言ったんだ。その手でね。でもあんたは、緑の魔女に任せちまった」
ピチョーネのことか?
あの子は無事なのか?
「ああ、あの子は無事だよ。計算機もね。なぜなら、どちらも私が保護したからねぇ」
保護?
どういう意味だ?
「あの計算機は便利な道具さ。まだまだ使い道がある。あんたが捨てた以上、こっちで好きに使わせてもらう。ああ、浄化の心配はしなくていい。天界は閉鎖されたからね。神の眷属は、人知れず滅んだのさ。地上にいた少数を除いてね。できれば天界も残しておいて欲しかったが……いまとなっては終わったことさね」
母さんは?
「浄化の心配はなくなったが、あんたの母親の運命は変わってない。制限時間内に楔を破壊できなかったからね。言っておくけど、いまからフェデリコを殺しても意味がないよ。あいつはもう用済みさ。そして? そう。あんたも用済み。そもそもあんたは、母親とフェデリコをつないでいたから意味があった。そのフェデリコが価値を失った瞬間、あんたの価値も消えたのさ」
つまり?
母さんの運命を変えるには、計算機を破壊するか、母さんを殺すしかない、ということ?
「そうさ。あらゆる事象が積み重なって、変更不能なところまで来ちまったのさ。ま、あんたがいまから魔女の本拠地に乗り込んできて、計算機を壊すってんなら事情も変わってくるが」
場所は?
「ご希望とあらば、いつでも招待するよ。以前と違って、転移魔法さえ使えば一瞬で移動できるからね。ただし、ここが魔女の領域だということを忘れるんじゃないよ」
いますぐに。
「バカ言うんじゃないよ。せめて朝になってからにしな。みんな寝てるんだから」
魔女も寝るのですか?
「そうだね。眠らない魔法もあるにはあるが、露骨に命が削れるからね。普通は使わないよ。とにかく、ここへ来るかどうかは、母親とよく相談して決めるんだね」
絶対に行きます!
「……」
カラスはカクカクと首を動かしてから、夜空へ飛び去ってしまった。
*
いつの間にか朝になっていた。
俺は飛び起きて、階下へ向かった。
母さんは眠っていた。
首だけだけど、ちゃんと横になっている。死体みたいだ。肌も、血が通っていないかのようにまっしろ。
「母さん! 母さん! 起きてください!」
「んっ……。なんです、マルコ。騒々しいですよ……」
うるさそうな顔。
なつかしい。
子供のころ、早く遊んで欲しくて起こすと、よくこんな顔をした。
「母さん、俺、魔女の領域に行きたいんです!」
「寝なさい」
「いま起きたばかりです!」
「うるさいですね……」
実際、うるさいと思う。
俺は興奮していた。
母さんをムリに起こして、俺はテーブルについた。
「夢を見たんです。夢というか、例のカラスが……」
「はい」
「箱を壊さないと、未来が変わらないって」
「そうですか」
そうですか?
やっぱり母さんは、未来がどうなろうと構わないのか?
「真剣に考えてください! 俺、母さんを救いたいんです!」
「それは嬉しいけれど……」
「計算機を壊したければ、魔女の領域に来いって」
「賛成できませんね」
「なぜです?」
「常識の通じない相手だからです。黒の魔女みたいなのがごろごろいるんですよ」
「ごろごろ……」
そんなにたくさんいるのか。
あの人は……いちおう恩人ではあるけれど、確かに話の通じない感じがした。
「命を奪われることはないでしょうけれど。でも姿をカエルにされたまま数年放置されるなどザラです。あなたもそうなりたいのですか?」
「魔族は契約を重んじるんですよね? 勝手にそんなことするんですか?」
「ええ。契約書に記載した上で、そうするのです。ちゃんと隅から隅まで契約書を読まない人間は、簡単に引っかかるでしょうね」
俺のことか……。
「どうしても魔族の領域に行かせる気はないと?」
「そうです」
「分かりました。では、俺にも考えがあります」
「……」
母さんは聞いてくれない。
目を細めている。
どうせくだらない案だとでも思っているのかもしれない。
「俺、強くなって、母さんを守ります」
「もうそこそこ強いのでは……」
「もっと強くなります! どんなヤツが何人来ても勝てるくらい、強くなります! 見ててください! 母さんには、絶対に手出しさせませんから! 国王軍が来ても、俺が追い払います!」
「あまり私のためにムリしないで欲しいのですが……」
「ダメです! やります!」
母さんが協力してくれないなら、もうそうするしかないのだ。
体を鍛えて強くなる。
機械装甲ナシでも、誰にも負けないくらい強くなる。
*
数週間後、信じられない一報が舞い込んできた。
赤の領域が、謎の炎に焼き尽くされたのだという。
都市は全壊。
領主も死亡。
見た人によれば、それはまるで炎の柱のようだったという。
大嵐だ。
浄化のための装置が使われたのだ。
いったい、なぜ?
誰がなんの目的で?
(続く)




