白亜の都市(三)
俺たちは、その巨大な箱を眺めていた。
返事もできずに。
「え? どうしたの? なぜ悩む? 私のこと、殺したかったんだよね? 私が許可してるんだから。やりなよ。ほらほら」
箱は執拗に訴えてくる。
殺せ?
なぜ?
フェデリコさんが溜め息をついた。
「なるほど。これは知識の箱ということか。それも、記憶魔法による手法が確立する前の、古典的で、おぞましい代替物」
箱は笑った。
「そうだよ、フェデリコくん。君が機械人形を操作しているのと同じ方法で動いている。まったく、凡愚というのは残酷なことをするよねぇ。まだ生きている状態から脳を摘出して、機械につなげるだなんて。世が世なら人権問題だよ」
人の脳を?
機械に?
フェデリコさんはなんとも言えない顔で黙り込んでしまった。
幻惑のフェデリコ。
詩人はそう歌っていた。
だが、機械人形を魔法で操作しているわけではないらしい。実際は科学で動かしていると言っていたが……。
箱は老人のようなしわがれた声を出した。
「とにかく、ここへ部外者を入れるのに苦労したぞい。わしらはもう終わりにして欲しいのじゃ。機械につながれたまま計算だけを繰り返すなんぞ、とうてい文化的とは言えんわい。もはや拷問じゃぞ、拷問」
アルトゥーロさんは剣を納めなかった。
「なるほど。いいんじゃないか? 話を総合すると、こいつら、俺たちをここに誘導するために頑張ってたんだろ? その頑張りの中には、魔族をけしかけて人類を殺すプランも含まれていたはずだ。そのせいで、俺の仲間たちはみんな死んだ。お返しするにはいい機会だ」
本気で言っているのかは分からない。
だけど、ただのジョークではないだろう。
彼は最前線で戦い続けていた男だ。
ソフィアさんがコツンと軽く壁を殴った。
「なに? じゃあこいつらが戦争の原因ってこと?」
箱の返事は元気がいい。今度は少年の声。
「そう! その通り! 僕たちが原因なんだ! 殺したくなってきたよね?」
「……」
そうだ。
彼らはあらゆる秩序を壊した。
悪いヤツは、死ななくてはならない。
そして彼らが死ねば、母さんは助かるかもしれない。
フェデリコさんが、ようやく正気に戻った。
「教えてくれ。本当に人類を攻撃するのが最善のプランだったのか? ほかに手はなかったのか?」
「あったよ。でも、それを選択した場合でも、眷属は人類を攻撃しただろうね。それが彼らの慣習だから」
「慣習?」
「この計算機は、もう長いこと稼働してるんだ。いろんな計算結果を出したよ。それらは文書として記録されている。その記録によれば、人類と魔族は、バランスよく管理すべきということになっているんだよね。で、いまはバランスが悪いから、どっちにしろテコ入れが必要だったんだ。僕たちは、その混乱を利用しただけ。だから本当は、戦争の原因は昔の僕たちであって、いまの僕たちじゃない。でもそんな理屈通らないよね? だから殺していいよ」
イライラする。
死にたいからって、勝手なことばかり。
フェデリコさんは、それでも冷静だった。
「なぜそこまで地上のバランスを気にするのだ? 天界には関係のないことだろう?」
今度は大人の男の声が返ってきた。
「なぜ関係ないと断言する? 我々は彼らの攻撃を受けたのだぞ」
「攻撃を? いつ?」
「何千年も前になる。人類と魔族が結託し、天界を襲ったのだ。ゆえに我々は、人と魔族を互いに争わせることとした。二度と結託しないようにな」
「バカな……」
「その通り、バカである。争いたくないのであれば、我々も仲間に入れてもらえばよかったのだ。ところが、拒んだ。彼らを下等生物であるとバカにしてな。神の眷属は、他の生命とは格が違うのだと。かくして管理が始まった。時に人類に加担し、時に魔族に加担し……。それが今まで続いている」
人と魔族は、なぜ争うのか。
その理由がハッキリしてしまった。
もとは対立などしていなかったのだ。
なのに、天界の都合で対立させられてしまった。
いや、人間同士だって対立はする。だから魔族とも、自然に対立していた可能性はある。それでも、こんなに長く、まるで取りつかれたように続ける必要はなかったはずだ。
天界のせいなのだ。
だけど彼らも、自分たちの身を守ろうとしてそれをやった。
愚かさはあれど……。
フェデリコさんは、やや震えた声を出した。
「もうひとつ疑問がある。貴兄らは……どうも神の眷属とは違うようだ。いったい、どこから集められた脳なのだ……?」
回答はシンプルだった。
「どこからでも。優秀であると認められれば、人間であろうと魔族であろうと、構わず摘出された。もちろん眷属からも摘出された。ゆえに私は、自分が何者なのかも分からない。死にたいと思っている自分と、死にたくないと思っている自分がいる。いろんな自分がケンカしている。そのせいで、計算に集中できなくなることもある」
限界にきているのかもしれない。
ソフィアさんがまた壁を殴った。今度は強めに。
「死にたいなら、評議会に命令しなさいよ。あいつら、あんたの言うことなら聞くんでしょ?」
「否だ。過去の文書と矛盾する計算結果が出た場合、その解釈は評議会が決することになっている。結果、常に彼らにとって都合のいい結論だけが採択される。私は象徴として生存することを強要されているのだ。私の声は届かない。文書に勝てない。つまり、昔の自分に勝てないのだ。いまの私にできることは、もうほとんど残されていない」
なんて虚しい存在なんだろう。
いろんな頭脳が結集し、世界の様々なことを、たぶん誰よりも高度に見通せていたはずなのに。
いまや、ただ箱に閉じ込められた大量の脳でしかない。
箱はつぶやくように言った。
「もう時間がない。人類は科学を発達させ、魔女は転移魔法を身に着けた。危険を感じた評議会は『大嵐』を起こすつもりでいる」
「大嵐?」
俺は思わず尋ねた。
魔女も、そのようなことを言っていた気がする。
「つまりは『浄化』のことさ。すべてを焼き尽くす炎の渦。地上を、修復不可能なレベルにまで追い込むのさ。人類も魔族も死滅するだろう。もし仮に生き延びても、天界に挑むだけの力を失う」
「それをまだやらない理由は?」
「あまりに巨大なエネルギーゆえ、被害がこの天界にまで及ぶからさ。評議会はいつまでも決定できずにいる。だが、危機感はじりじりと募っている。決定されるのは時間の問題だ」
「あなたを殺したら、大嵐は避けられるのですか?」
「残念ながら、その逆だ。時期はむしろ早まる。彼らの危機感を煽ることになるからね」
なぜだ?
なぜうまくいかない?
これじゃあ、殺せないじゃないか。
けど、ここで彼らを殺せなければ……。
未来は変わらない。
変えるためには、別の楔を始末しなければならない。
ソフィアさんが、こちらへ近づいてきた。
「マルコ、こいつに手を出さないほうがいいよ。なんか危険な感じがする」
「それは……」
おそらく彼女が正しい。
大嵐が起きてしまう。
俺たちの作戦は、まだまだ途中だというのに。
アルトゥーロさんも剣を納めた。
「クソ。なにが正しいのかちっとも分からねぇ。判断はお前たちに任せる。おい、フェデリコ。いつまでもぼうっとしてねーで、いつもみたいにゴチャゴチャ言って問題を解決してみせろ」
「ふん……」
フェデリコさんは元気がない。
この場は頼れそうにない……か。
「困っているの、マルコ? 私の力が必要?」
「えっ?」
声のしたほうへ目をやると、緑のローブをかぶった少女が立っていた。
ピチョーネだ……。
「そんなに驚かないで。天界は、もう特別な場所じゃなくなったんだよ。転移魔法さえ使えばいつでも移動できるんだから」
にこりと笑顔。
この子は本当に……。
ピチョーネの魔力に、箱も共鳴している。
「おお、緑の魔女……。いや、この輝きは……虹の力……」
「そうよ。私は虹の魔女を継ぐ存在なの。でも、べつに特別だなんて思ってない。私はマルコを幸せにできればそれでいいの。幸せを妨害するヤツには、不幸になってもらうけどね」
それはいいけど。
俺はついピチョーネに詰め寄った。
「なにしに来たの? 留守番してなきゃダメじゃないですか!」
「えっ?」
「心配してくれたのは、もちろん嬉しいけど」
「うん。心配してきたの。喜んでね?」
なんでこんなに簡単に言えるんだ。
神の眷属にバレたら大変なことになる。
いや、もうバレているかも?
ピチョーネはローブのフードをあげた。
「けど、つまんないね、ここ。リーダーがいないから、誰かを殺して解決するような感じでもないし。かといって全員殺すのは大変だし……」
「まさかそんなこと本気で考えてませんよね?」
「考えはしたけど、やらないよ。マルコはそういうの嫌いだもんね?」
「嫌いというか……」
なにかをするには理由が必要なのだ。
自分のことなら好きにすればいいけど。他人を巻き込むなら絶対に。
「ピチョーネ、大嵐を発生させる装置は壊せますか?」
「うん。壊せるよ。けど、空間の狭間を制御する装置にくっついてるから、天界ごと壊れちゃうかも。そしたらすぐ脱出しないとね」
それは天界の人間を皆殺しにするのと一緒だ。
けど、天界の人間は、地上の人間を皆殺しにしようとしている。
条件は対等。
これは、戦う「理由」にはなりそうな気がする。
損得だけで考えれば、装置を壊して、天界ごと破壊してしまうのがいい。
問題のひとつが片付く。
箱も消滅するわけだから、未来を変えることもできるし、俺たちは地上の問題に専念することができる。
「フェデリコさん、どうすれば……」
「私もソフィアくんと同意見だ。手を出すべきではないと考える。立ち去った場合の予想はいくらでも立てられるが、命を奪った場合の予想は立てられない。だが、一方でこうも考えている。もし立ち去った場合、すでに予見された未来を回避できないであろう、ともね」
予見された未来。
魔女が見せたあの未来だ。
母さんは民衆に頭部を粉砕される。
そして俺は見ていないが、どうやら地上は大嵐で焼かれるらしい。
フェデリコさんはこう続けた。
「つまり、箱をそのままにして帰れば、大嵐の到来は先延ばしできるが、いつか必ず起こる。絶対に避けられない。では、命を奪った場合は? 大嵐の計画は早まるが、必ず起こるとは言えなくなる。だからといって回避できるとも限らないがね。ま、可能性がゼロでなくなるだけマシかもしれない」
状況が彼を殺せと言っている。
俺はピチョーネに尋ねた。
「ピチョーネ、さっき、自分なら天界を破壊できるって言いました?」
「そうなるね」
「だったら、なおさら疑問なんです。魔女が一人でこれをできるなら、なぜ魔女だけでやらないのか……。なにか理由があるんですか?」
そうだ。
魔女は、俺たちを誘導はするが、自分たちではなにもしない。
なにか考えがあるのだろうか?
ピチョーネは静かに首を振った。
「うん。たぶん、どうでもいいから」
「えっ?」
「世界がどうなろうと、どうでもいいの。あの人たち、たぶん大嵐くらいじゃ死なないと思う。そして世界が滅んでも、これまでと同じ生活を続けるんじゃないかな。魔女ってそういうものみたいだし」
「……」
なら、俺に情報をくれたのはなぜ?
ただ善意か?
まあ母さんとは長い付き合いみたいだし、後継者のピチョーネのこともあるから、ヒントをくれたのはただの気まぐれかもしれない。
つまり、自分たちで未来を決定しろということだ。
俺たち自身の意思で。
(つづく)




