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ペルソナ・ノングラータ  作者: 不覚たん
第四章 神曲(ディヴィナ・コメディア)

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白亜の都市(二)

 俺たちが黙ると、遠くからうっすら聞こえる機械的な連続音だけが際立った。

 フェデリコさんは神妙な表情。


「一般常識について。先に結論から言っておく。それは、具体的に存在しているものではない」

「えっ?」

「それは幻想なのだ。誰もが根拠なく、一般常識だと思い込んでいるものが、一般常識なのだ」

「……」


 なんだ?

 じゃあそんなものは「ない」と言っているのか?


 フェデリコさんは肩をすくめた。

「だが存在しないかというと、それも違う。あるにはあるのだ。あることになっている。みんなが同じ幻想を抱いている場合、それはまるで物理法則のように機能する。人が死んだらどうする? 葬式をして埋めるだろう。だが、そうしない文化もある」

「埋めないんですか?」

「焼いてから埋める」

「焼く?」

 戦争中ならまだしも、なぜわざわざそんなおぞましいことを……。


「だが、彼らにとってはそれが常識なのだ。つまり、常識というものは一定ではない。文化が異なれば常識も異なる。複数の文化が融合すれば、常識も変化する。だから常識というものは、中身を定義することができない。かろうじて定義できるのは外側だけ。いわば水とカップのような関係だ。カップの中には、水でないものも入るだろう。すると人々は、中身だけを見て、こう言うのだ。『自分と違う』と。『間違っている』と。同じカップを手にしていても、だ」


 俺は母さんから森を追い出されて、街に入り、いろんなことにびっくりした。

 なにもかもが違った。

 なんで自分だけこうなんだろう、と……。

 そう感じていた。


「マルコくん、君が悩んでいたのもムリはない。街に来るまで、君は森の中で魔女と二人きりで暮らしていたのだからな。そして君は街に出て、こう思ったはずだ。自分は間違っているかもしれない、と」

「思いました」

「結構。事実上、この手の話は、数の多いほうが正しいかのように幻想されている。私はそれを異様だとか間違っているとか言いたいわけじゃない。事実として、そういう性質のもの、というだけの話だ。さて、ここで質問をしよう。もし君の家族が、街の人口より多ければ、実態はどうなっていたと思う?」

 俺の家族が?

 街の人口より多ければ?

「えっとそれは……」

「あくまでモノのたとえだから、思考実験として聞いてくれ。正解はこうだ。君は自分が間違っているとは考えず、街のほうが間違っていると考える。だから、重要なのは数だけだ。それだけで価値観が逆転する。そういう性質のものなのだから、中身に正しさを求めているうちは、なにもつかめない」

 本当に?

 数だけなのか?

 まあ確かに、街の人の言うことにも納得できないことはあった。正しいと思えないこともあった。

 自分がバカだから理解できないだけかと思っていたけど。


「でも……。じゃあ、俺はどうすれば……」

「簡単だ。選択肢は二つしかない。街になじみたければ、街の常識をひとつずつマネることだ。どうでもいいなら、特に変えることはない」

「それだけなんですか?」

「それだけだ。言っておくが、街の住民だって、すべてを理解した上でそうしているわけじゃない。彼らも巨大な異文化に飲み込まれたら、君と同じ気持ちになるだろう。間違っているのは自分のほうかもしれない、と。少数派になってから初めて考えるのだ。すでにこの問題に向き合っている君のほうが、いくらか先を行っているぞ。胸を張りたまえ」

「はい……」


 自分が劣っているのではないかと思っていた。

 でも、必ずしもそうではなかったのかもしれない。


「だが、いちおう念を押しておくが、常識というものは、くだらなくはないぞ。機能としては素晴らしいものだ。凡愚に頭を使わせず、うまいこと生活させることができるのだからな」

 なんかいい話っぽかったのに、最後はこれだ。

 フェデリコさんらしい。


「私の話は以上だ。つまり、最後の授業だ。質問は?」

 この問いに、ソフィアさんが挙手をした。

「勝手に最後にしないでください」

「それは質問ではないな」

「じゃあ言葉を変えます。なぜ終わらせるんですか?」

 ソフィアさんはいささかムキになっていた。

 だけど、止めたいとは思わない。

 俺も知りたい。


 フェデリコさんは肩をすくめた。

「言っただろう。君たちはもう大人だ。生徒という歳ではない」

「契約書にはそんなこと書かれてませんでした!」

「ほう。契約書の内容を記憶しているのか? ならば、こうも書かれていたはずだ。いつ授業をおこなうかは、私が決める、と」

「……」

 契約書なんてあっただろうか?

 定期的にお金をとられていただけだった気もするが。

 ソフィアさんが反論しないところを見ると、事実なんだろう。


「ソフィアくん、残念なことに、感情が先に来ているぞ。生徒でなくなったら、次にどうなるのか、少しは予想を立てたのか?」

「えっ? 次って?」

「君たちは生徒としての課程を終え、私の共同研究者になるのだ。同輩だぞ。私と並ぶことになる。こんな些細なことでつまずかれては困るのだが」

「せ、先生……。ホントに? 共同研究者? 私が?」

 ソフィアさんは固まってしまった。

「これから我々は、おそらく人類として初めて天界を視察することになる。その研究を私ひとりにやらせるつもりか? 優秀な仲間が必要になる。どこかの凡愚ではなく、私の授業を受けて成長した、優秀な仲間がね」

「は、はい! 私、頑張ります!」

 ソフィアさんは感極まって泣いてしまった。


 感動的なシーン……なのか?

 いや、共同研究者とか言われても、俺にはなにも……。

 知識もないし。


「マルコくん、そんな不安そうな顔をするな。きっと力仕事もあるぞ」

「あ、そっちですね。はい」

 そんなことだろうと思った。


 アルトゥーロさんは渋い顔だ。

「なるほど。あんた、ちゃんと授業してたんだな。ただ偉そうにしてたわけじゃなく、ホントに先生だったってワケだ」

「そういえば、君からは授業料を受け取っていなかったな」

「安心してくれ。なにも聞いてない」

「結構」

 この二人は仲がいいのやら悪いのやら……。


 *


 しばらくすると、外から声がした。


「失礼します。入ります」


 談話室のドアを開き、一人の若者が入ってきた。

 相変わらずの無表情だ。

 服装もみんなと同じ白の前掛け。

 区別がつかない。


「なんだね? 夕食の時間にはまだ早いと思うが」

 フェデリコさんのジョークに、彼はにこりともしない。

「私はアルファと申します。これから施設をご案内します」

「おやおや。やはりそうか。我々を自由に歩き回らせるつもりはないようだな。そちらの用意した巡回ルートだけを見て回れと?」

「それは一部は正解ですが、全体としては誤解です。私は計算機から直接の命を受けて行動を開始しました。本件は、代議員たちにも知らせていません」

「ほう?」


 計算機――。

 たしか、彼らは言っていた。

 神のことなのだと。


 *


 罠だとは思わなかった。

 仮に罠だとして、好奇心のほうが上回っただろう。


 談話室を出て、入り組んだ通路を進んだ。

 どこまでもまっしろな通路だ。

 小型の箱のような自動人形があちこちを移動していて、どうやら掃除をしているようだった。箱から短い脚の生えたカニのような姿だ。かなりかわいい。


「代議員たちは、あとでこの件を知って問題にしないのか?」

 フェデリコさんの問いに、アルファ氏は無表情のまま応じた。

「計算機が決定したことです。代議員が問題にしたところで、意味がありません」

 計算機の決定は絶対ということか。

 ならば、たしかに神なのだろう。


 *


 巨大な門に突き当たった。

 いくつかの球体がはめ込まれている。


「計算機よ、客人をお連れしました」

 アルファ氏がそう告げると、球体が様々な順番で、様々な色に発光した。まるでなにか……言語でも発しているかのような……。


 ゲートが、縦と横に割れ、四方向へゆっくりと開いた。


「私はここまでです。あとは客人だけで中へ」


 ここへ来る前、フェデリコさんは言っていた。

 もし俺たちを殺すつもりなら、ほかにいくらでもやりようはある、と。

 だから命を奪うつもりではないだろう。


 だが……なにかイヤな気配がした。

 命を奪われる以外の、なにかひどいことが起きそうな……。


 *


 暗い通路だった。

 だが、俺たちが歩を進めると、まっしろな光で道が照らされた。


 ゲートは閉じてしまった。


「さすがに罠っぽくねーか?」

 アルトゥーロさんの言葉に、フェデリコさんは「ふん」と鼻で笑った。

「だとしても行くしかあるまい。大きな流れにはあらがえん」

「死んだら恨むからな」


 アルトゥーロさんの不満も一理ある。

 俺も死んだら恨むことにしよう。


 *


 ひときわ巨大なホールに出た。

 最初、俺たちはそれを壁だと思った。だが、箱だった。白い箱だ。それがホールの中央に据えられていた。


「ようやくだな」


 知らない男の声がした。


「待ちましたよ、下等生物たち」


 今度は女の声。


 フェデリコさんが剣を抜いた。

「姿を現せ」


 すると今度は、大人数の声で笑い声が起きた。

「姿なら、もう現しているではないか。ほら、目の前の箱だよ。凡愚たちは知識の箱と呼ぶがね」

 凡愚?

 フェデリコさんみたいなこを言う。


 いや、注目すべきはそこではない。

 箱が喋っている!


 フェデリコさんが顔をしかめた。

「なるほど。これが計算機か。まさか、敵の大将がみずからお出迎えとはな」

「なぜ敵だと思うのだ?」

「思う? 個人的な感想ではない。貴兄の思想がどうであるかにかかわらず、戦闘すべき陣営の大将は敵と規定するほかなかろう」

「頭でっかちの凡愚め。理論だけで考えるから、その程度の発想しかできんのだ」

「……」

 フェデリコさんが黙らされてしまった。

 いや、会話を放棄したのかもしれない。


 箱は、今度は子供の声で言った。

「いい? こうなるまでいっぱい準備してきたの。台無しにしないで!」

 準備とは?

 フェデリコさんが返事をしなかったので、代わりに俺が尋ねることにした。

「なんですか? 俺たちになにかして欲しいことでもあるんですか?」


 箱はいろんな声でこう応じた。

「マルコくん。君にとっては朗報だぞ。私はね、君が会いたがっていた存在なのだ。ほら、四つ目のくさびだよ。そして依頼はごく簡単。私を殺して欲しい。君、こういうの得意だよね?」

「えっ……」


 四つ目の楔――。

 未来を変えるためのキーとなる人物。


(続く)

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