白亜の都市(二)
俺たちが黙ると、遠くからうっすら聞こえる機械的な連続音だけが際立った。
フェデリコさんは神妙な表情。
「一般常識について。先に結論から言っておく。それは、具体的に存在しているものではない」
「えっ?」
「それは幻想なのだ。誰もが根拠なく、一般常識だと思い込んでいるものが、一般常識なのだ」
「……」
なんだ?
じゃあそんなものは「ない」と言っているのか?
フェデリコさんは肩をすくめた。
「だが存在しないかというと、それも違う。あるにはあるのだ。あることになっている。みんなが同じ幻想を抱いている場合、それはまるで物理法則のように機能する。人が死んだらどうする? 葬式をして埋めるだろう。だが、そうしない文化もある」
「埋めないんですか?」
「焼いてから埋める」
「焼く?」
戦争中ならまだしも、なぜわざわざそんなおぞましいことを……。
「だが、彼らにとってはそれが常識なのだ。つまり、常識というものは一定ではない。文化が異なれば常識も異なる。複数の文化が融合すれば、常識も変化する。だから常識というものは、中身を定義することができない。かろうじて定義できるのは外側だけ。いわば水とカップのような関係だ。カップの中には、水でないものも入るだろう。すると人々は、中身だけを見て、こう言うのだ。『自分と違う』と。『間違っている』と。同じカップを手にしていても、だ」
俺は母さんから森を追い出されて、街に入り、いろんなことにびっくりした。
なにもかもが違った。
なんで自分だけこうなんだろう、と……。
そう感じていた。
「マルコくん、君が悩んでいたのもムリはない。街に来るまで、君は森の中で魔女と二人きりで暮らしていたのだからな。そして君は街に出て、こう思ったはずだ。自分は間違っているかもしれない、と」
「思いました」
「結構。事実上、この手の話は、数の多いほうが正しいかのように幻想されている。私はそれを異様だとか間違っているとか言いたいわけじゃない。事実として、そういう性質のもの、というだけの話だ。さて、ここで質問をしよう。もし君の家族が、街の人口より多ければ、実態はどうなっていたと思う?」
俺の家族が?
街の人口より多ければ?
「えっとそれは……」
「あくまでモノのたとえだから、思考実験として聞いてくれ。正解はこうだ。君は自分が間違っているとは考えず、街のほうが間違っていると考える。だから、重要なのは数だけだ。それだけで価値観が逆転する。そういう性質のものなのだから、中身に正しさを求めているうちは、なにもつかめない」
本当に?
数だけなのか?
まあ確かに、街の人の言うことにも納得できないことはあった。正しいと思えないこともあった。
自分がバカだから理解できないだけかと思っていたけど。
「でも……。じゃあ、俺はどうすれば……」
「簡単だ。選択肢は二つしかない。街になじみたければ、街の常識をひとつずつマネることだ。どうでもいいなら、特に変えることはない」
「それだけなんですか?」
「それだけだ。言っておくが、街の住民だって、すべてを理解した上でそうしているわけじゃない。彼らも巨大な異文化に飲み込まれたら、君と同じ気持ちになるだろう。間違っているのは自分のほうかもしれない、と。少数派になってから初めて考えるのだ。すでにこの問題に向き合っている君のほうが、いくらか先を行っているぞ。胸を張りたまえ」
「はい……」
自分が劣っているのではないかと思っていた。
でも、必ずしもそうではなかったのかもしれない。
「だが、いちおう念を押しておくが、常識というものは、くだらなくはないぞ。機能としては素晴らしいものだ。凡愚に頭を使わせず、うまいこと生活させることができるのだからな」
なんかいい話っぽかったのに、最後はこれだ。
フェデリコさんらしい。
「私の話は以上だ。つまり、最後の授業だ。質問は?」
この問いに、ソフィアさんが挙手をした。
「勝手に最後にしないでください」
「それは質問ではないな」
「じゃあ言葉を変えます。なぜ終わらせるんですか?」
ソフィアさんはいささかムキになっていた。
だけど、止めたいとは思わない。
俺も知りたい。
フェデリコさんは肩をすくめた。
「言っただろう。君たちはもう大人だ。生徒という歳ではない」
「契約書にはそんなこと書かれてませんでした!」
「ほう。契約書の内容を記憶しているのか? ならば、こうも書かれていたはずだ。いつ授業をおこなうかは、私が決める、と」
「……」
契約書なんてあっただろうか?
定期的にお金をとられていただけだった気もするが。
ソフィアさんが反論しないところを見ると、事実なんだろう。
「ソフィアくん、残念なことに、感情が先に来ているぞ。生徒でなくなったら、次にどうなるのか、少しは予想を立てたのか?」
「えっ? 次って?」
「君たちは生徒としての課程を終え、私の共同研究者になるのだ。同輩だぞ。私と並ぶことになる。こんな些細なことでつまずかれては困るのだが」
「せ、先生……。ホントに? 共同研究者? 私が?」
ソフィアさんは固まってしまった。
「これから我々は、おそらく人類として初めて天界を視察することになる。その研究を私ひとりにやらせるつもりか? 優秀な仲間が必要になる。どこかの凡愚ではなく、私の授業を受けて成長した、優秀な仲間がね」
「は、はい! 私、頑張ります!」
ソフィアさんは感極まって泣いてしまった。
感動的なシーン……なのか?
いや、共同研究者とか言われても、俺にはなにも……。
知識もないし。
「マルコくん、そんな不安そうな顔をするな。きっと力仕事もあるぞ」
「あ、そっちですね。はい」
そんなことだろうと思った。
アルトゥーロさんは渋い顔だ。
「なるほど。あんた、ちゃんと授業してたんだな。ただ偉そうにしてたわけじゃなく、ホントに先生だったってワケだ」
「そういえば、君からは授業料を受け取っていなかったな」
「安心してくれ。なにも聞いてない」
「結構」
この二人は仲がいいのやら悪いのやら……。
*
しばらくすると、外から声がした。
「失礼します。入ります」
談話室のドアを開き、一人の若者が入ってきた。
相変わらずの無表情だ。
服装もみんなと同じ白の前掛け。
区別がつかない。
「なんだね? 夕食の時間にはまだ早いと思うが」
フェデリコさんのジョークに、彼はにこりともしない。
「私はアルファと申します。これから施設をご案内します」
「おやおや。やはりそうか。我々を自由に歩き回らせるつもりはないようだな。そちらの用意した巡回ルートだけを見て回れと?」
「それは一部は正解ですが、全体としては誤解です。私は計算機から直接の命を受けて行動を開始しました。本件は、代議員たちにも知らせていません」
「ほう?」
計算機――。
たしか、彼らは言っていた。
神のことなのだと。
*
罠だとは思わなかった。
仮に罠だとして、好奇心のほうが上回っただろう。
談話室を出て、入り組んだ通路を進んだ。
どこまでもまっしろな通路だ。
小型の箱のような自動人形があちこちを移動していて、どうやら掃除をしているようだった。箱から短い脚の生えたカニのような姿だ。かなりかわいい。
「代議員たちは、あとでこの件を知って問題にしないのか?」
フェデリコさんの問いに、アルファ氏は無表情のまま応じた。
「計算機が決定したことです。代議員が問題にしたところで、意味がありません」
計算機の決定は絶対ということか。
ならば、たしかに神なのだろう。
*
巨大な門に突き当たった。
いくつかの球体がはめ込まれている。
「計算機よ、客人をお連れしました」
アルファ氏がそう告げると、球体が様々な順番で、様々な色に発光した。まるでなにか……言語でも発しているかのような……。
ゲートが、縦と横に割れ、四方向へゆっくりと開いた。
「私はここまでです。あとは客人だけで中へ」
ここへ来る前、フェデリコさんは言っていた。
もし俺たちを殺すつもりなら、ほかにいくらでもやりようはある、と。
だから命を奪うつもりではないだろう。
だが……なにかイヤな気配がした。
命を奪われる以外の、なにかひどいことが起きそうな……。
*
暗い通路だった。
だが、俺たちが歩を進めると、まっしろな光で道が照らされた。
ゲートは閉じてしまった。
「さすがに罠っぽくねーか?」
アルトゥーロさんの言葉に、フェデリコさんは「ふん」と鼻で笑った。
「だとしても行くしかあるまい。大きな流れにはあらがえん」
「死んだら恨むからな」
アルトゥーロさんの不満も一理ある。
俺も死んだら恨むことにしよう。
*
ひときわ巨大なホールに出た。
最初、俺たちはそれを壁だと思った。だが、箱だった。白い箱だ。それがホールの中央に据えられていた。
「ようやくだな」
知らない男の声がした。
「待ちましたよ、下等生物たち」
今度は女の声。
フェデリコさんが剣を抜いた。
「姿を現せ」
すると今度は、大人数の声で笑い声が起きた。
「姿なら、もう現しているではないか。ほら、目の前の箱だよ。凡愚たちは知識の箱と呼ぶがね」
凡愚?
フェデリコさんみたいなこを言う。
いや、注目すべきはそこではない。
箱が喋っている!
フェデリコさんが顔をしかめた。
「なるほど。これが計算機か。まさか、敵の大将がみずからお出迎えとはな」
「なぜ敵だと思うのだ?」
「思う? 個人的な感想ではない。貴兄の思想がどうであるかにかかわらず、戦闘すべき陣営の大将は敵と規定するほかなかろう」
「頭でっかちの凡愚め。理論だけで考えるから、その程度の発想しかできんのだ」
「……」
フェデリコさんが黙らされてしまった。
いや、会話を放棄したのかもしれない。
箱は、今度は子供の声で言った。
「いい? こうなるまでいっぱい準備してきたの。台無しにしないで!」
準備とは?
フェデリコさんが返事をしなかったので、代わりに俺が尋ねることにした。
「なんですか? 俺たちになにかして欲しいことでもあるんですか?」
箱はいろんな声でこう応じた。
「マルコくん。君にとっては朗報だぞ。私はね、君が会いたがっていた存在なのだ。ほら、四つ目の楔だよ。そして依頼はごく簡単。私を殺して欲しい。君、こういうの得意だよね?」
「えっ……」
四つ目の楔――。
未来を変えるためのキーとなる人物。
(続く)




