赤(二)
廃墟に戻ると、酒盛りが始まっていた。
母さんと、カエデさんと、アルトゥーロさん。やけに楽しそうだ。
「そしたらにゃ、そいつはこう言ったんだにゃ。『余の顔を見忘れたか』なんて。見忘れるもなにも、最初から知らねーのに。で、意味分かんねーから、正面からバッサリやってやったんだにゃ。そしたら次の日、領主が別のヤツに代わって……。でもあたしのせいじゃねーにゃ。あたしは無実にゃ」
「まー、かわいいネコちゃんだこと」
完全に酔っ払っている。
「あ、あの、ただいま戻りました」
俺がそう告げると、母さんも笑顔で応じてくれた。
「あら、お帰りなさい、二人とも……。いえ、三人?」
「未来を変えに来たわ」
魔女はそうつぶやくと、母さんの近くに腰をおろした。というか顔が近い。
「あら、赤の魔女。ごきげんよう。なんなのです? 来るにしても、昼間にして欲しいのですが」
「こっちは朝から虹の魔女に呼び出されて大変だったの。あの老いぼれ、緑の魔女にずいぶんご執心みたいね。後継者にするですって? この私じゃなくて、あの小娘を?」
「その話は、もう答えが出たはずでは?」
「あなただったらまだ納得できたのに」
「そうね。私は天才ですもの……」
母さんも、たまにフェデリコさんみたいなことを言う。
俺は水瓶の水を飲んだ。
「母さん、いまお酒入ってるから、明日にしたほうがいいと思いますよ」
だが、赤の魔女は不満そうだ。
「明日は明日でやることがあるの。だからいましかないの。暇じゃないの。忙しいの。分かる?」
「はぁ……」
「緑の魔女! いえ、いまはタダの魔女ね。聞きなさい。私は未来を変えに来たのよ。頑張って考えてきたから、二つの中から選びなさい。一、いまここで私に殺される。二、あとで誰かに殺される。さあどっち?」
最悪だ。
どっちにしろ死ぬんじゃないか。
もう帰って欲しい。
母さんは深い溜め息をついた。
「相変わらずですね、あなたは……」
「なにがよ?」
「確かに、変えられる未来もあるでしょう。しかし変えた場合、同程度の、別のなにかが起こるのですよ? 予測不能な事態が。そちらに備えるほうがリスクではありませんか? 変えたところで、よりよい未来になるとも限りませんし」
俺は、未来を変えれば必ずよくなると思い込んでた。
だけど、そうとは限らないのだとしたら……。
いや、それでも母さんに死んで欲しくない。
別の問題が起きるというのなら、その問題にも対処すればいいだけの話だ。
赤の魔女はしかし引かなかった。
「私も未来を見たの。でも変わらなかった」
「あきらめて受け入れるべきね」
「うるさい。黙りなさい。未来の私も、独り身だったのよ? こんなに美人なのに。白馬に乗った王子さまが迎えに来ない。おかしいと思わない?」
「……」
母さん、気絶したフリ。
究極に面倒なときにやる表情だ。
俺もあまり見たことがないレア顔。
赤の魔女は、それでも黙らなかった。
「私、思ったの。どうやらこの世界において、あなたの命が大きな要素となっている。だったら、そこを変えたらどうなると思う? そう。そのとき初めて未来が変わるの。いまここであなたの頭を粉砕すれば、変わるのよ」
ホントに自分のことしか考えていなかった。
アルトゥーロさんが下品な笑みを浮かべた。
「なんだい、姉ちゃん。結婚相手を探してんのかい? 奇遇だな。じつはいま、俺も探してるところでね」
「黙りなさい、下郎」
「……」
アルトゥーロさんの持っていた木のカップが、魔法でパァンと爆ぜた。
周囲がビールまみれだ。
「私は、ただ結婚したくて言ってるんじゃないの。あらゆる情報が、あなたの死に帰結している。そこを変えない限り、未来は変わらない。それを指摘しに来たの。あとお酒ももらいにきたの」
やはり自分のことしか考えていない。
「お酒は錬金術でなんとかしなさい」
「知ってるでしょ? 錬金術は苦手なの」
「私は、未来を変えるつもりはありません。もし変えれば、予見できない別の事態が起こりますから。現状のほうが、予見できているだけマシですよ」
「頑固ね。ラチがあかないわ」
俺は未来を変えたい。
母さんは変えたくない。
どうすれば……。
ふと、赤の魔女が、カエデさんのカップをつかんだ。
いったいどうするつもりだ……?
空間が大きく裂けた。
かと思うと、赤の魔女はその中に入り、カップを持ったまま消え去ってしまった。
最初からそこにいなかったかのように。
カエデさんは目を丸くした。
「えっ? なに? あいつ帰ったの? あたしのビールは? なんで?」
会話が成立しないとみて、ビールだけ奪って逃げたようだ。
母さんは溜め息だ。
「放っておきなさい。どうせ彼女も虹の魔女のお使いですから」
前に来た黒の魔女も、虹の魔女のお使いだった。
虹の魔女は、未来を変えたいという考えなのだろうか。
ピチョーネが心配そうな顔で母さんに近づいた。
「先生、未来って変えちゃダメなの?」
「変えないほうがいいでしょうね」
「でも……」
「もう夜ですよ。早く寝なさい、ピチョーネ」
*
その晩、夢を見た。
黒々としたワタリガラスが、開け放たれた窓枠にとまり、こちらへ話しかけてくる夢だ。
「さて、どこから話そうかね」
「……」
返事をしようと思ったが、声が出なかった。
そいつは老婆の声をしていた。
「あんた、未来がどうなるかを見たね? だが、残念だね。あんたは途中で見るのを辞めちまった。ピチョーネもそうさ。一番大事なところを見ていない」
なんだ?
いったいなんの話をしている?
「あんたの母親が頭をかち割られるのは……。あんたにとっては重要かもしれないが、他の誰かにとっちゃどうでもいいことさ。赤の魔女が結婚できないのもそう。誰も困らない」
赤の魔女のことはどう言ってもらっても構わないが、母さんを侮辱するのだけはやめて欲しい。
俺は自分の命を賭けてでも母さんを守るつもりでいるのだ。
「困るのは、このままだと、地上から人類も魔族も消滅しちまうってことさ」
消滅する?
なぜ?
「人類は、神の想定を超えて力をつけすぎたんだろう。それで『浄化』のレベルが最終段階まで進んじまった。いずれ神は、本気で人間を処分しにくるよ。もちろん魔族も死ぬ。巻き添えでね。どちらか一方だけが滅んだら、バランスが悪いからね」
意味が分からない。
人類が強くなりすぎると、神は怒るのか?
「連中はね、この地上を剪定する庭師なのさ。人類が増えすぎても減らすし、魔族が増えすぎても減らす。ところが今回、そのコントロールがうまくいかなくなっちまった。だから仕切り直すつもりでいるのさ」
本気なのか?
人の命を刈り取っておいて、なにが庭師だ!
「結論から言えば、未来は変えられる。ただし、変えまいとする力も強い。ありとあらゆる命、あるいは命でないものすべてが、ありうべき未来を規定せんとするからね。まるで楔のように、強固にね」
世界のすべてが絡まり合って、未来を決める。
それはなんとなく分かる。
カラスはカクッと頭部を動かした。
「だけど、すべてが平等ってわけじゃない。大なり小なり影響力に差はあるものさ。今回の場合、特別に四つの楔が問題となっているね。正確には四つどころじゃないんだが。いまは考えなくていい。ややこしくなるからね」
四つの楔?
そいつをどうにかすれば、未来を変えられるのか?
「楔のひとつは、フェデリコさ。あれは……まあ人間の中では賢いほうだろう。自分が行動した結果、未来がどうなるかも計算して動いている。虚栄心も、あるようで、ない。無茶はしない男さ。ただし無邪気なところがあってね。できることを、そのままやる。ただの人間ならいい。だがあれは……科学を使うからね。科学というものは、個人の力を超えるものだ。誰かの思いつきを、世界を変えるほどの力にしちまう」
フェデリコさんが?
科学を使って未来を決定しているのか?
「ああ、私は科学が悪いって言ってんじゃないよ。ただ、今回問題になってるってだけでね。分かるかい?」
「……」
分からない。
返事のしようもない。
「もうひとつの楔は、先代の、緑の魔女。あんたの母親だね。あれも……魔族の中では賢いほうだね。賢いだけでなく、魔法の素質もある。首だけになったいまもね。なにを考えているのかは……誰にも分からない。昔からそうさ。ともかく、あの子も未来を規定する楔のひとつさ」
母さんが?
けど、母さんを「あの子」と呼ぶこのカラスは?
もしかして、虹の魔女じゃないのか……?
「さて、お次は三つ目。皮肉なことに……。本人にそこまでの資質はないのに、楔として機能しちまうヤツがたまにいる。分かるかい? あんたのことだよ? それが三つ目の楔さ」
俺?
「あんたの場合は、ちょっと特殊だね。大きな楔をつなげる役割を果たしちまってる。母親とフェデリコを引き合わせただろう? この二人の影響力は大きいよ。楔がひとつならまだなんとかなるが、ふたつとなると厄介だ。強大な力となって未来を規定しちまう」
分からなくはない。
あの二人には、並外れた才能がある。
「問題は、あんたが四つ目の楔まで引きつけちまうってことさね。四つ目……。正体はまだ言わないほうがいいだろうね。言ったら悪い方に転がりそうだ。ただまあ、こいつも特殊な存在でね。あんたがどうこうできる代物とは思えない」
俺にはどうにもできない?
なら、先に挙げられた三つの楔から選ぶしかないのでは……?
「とにかく、この四つの楔が未来を強固に決定づけてる。未来を変えたければ、どれかを潰すしかないね。全部じゃなくていい。ひとつで十分。さ、どれを選ぶんだい?」
俺が死ぬ。
母さんが死ぬ。
フェデリコさんが死ぬ。
あるいは、まだ見ぬ四人目が死ぬ……。
許されるなら、四人目の誰かに死んで欲しい。
向こうにとっては迷惑な話でしかないと思うが。
「いまにして思えば、赤の魔女の提案はそれほど悪いものでもなかったね。もし未来を変えるだけならね」
その方法だけは絶対にダメだ。
母さんを救えない。
「ああ、分かっているともさ。あの子には死んで欲しくないんだろう? 代わりにあんたが死ぬんでもいいよ。ただし、それで未来が変わるとして、どう変わるかまでは保証できないけどね。そんなのはあんたも望まないだろう」
母さんを救えるならそれでもいい。
だが、もし俺が命をなげうっても、母さんを救えないのだとしたら?
その選択肢は選びたくない。
「なら、フェデリコに死んでもらうかい? オススメはしないね。あれは楔としての役割をほぼ終えちまってる。科学ってのは、発明された時点で、他の誰でも使えるもんだからね。あれを殺しても効果は薄いだろう」
もちろんそんなことは考えていない。
考えてはいないが、四つの中からどれか選べと言われたら……。
「分かったよ。なら、四つ目の楔に会うといい。けど、残念ながらそいつは地上には存在しない。空間の向こう側にいるからね。だから結局のところ、あんたらの作戦を進めてもらうしかないんだろうね。地上で力をつけた上で、神域に挑むのさ。そしたらいずれ会うことになるだろう。会ったところで手に負えるかは……」
そこは神の眷属が支配する領域――。
やはり当初の目的を果たすことになりそうだ。
「ただし忠告だ。楔を潰したところで、あくまで未来が変わる『可能性を得る』だけ。あんたの母親が言うように、必ずしも都合のいい結果になるとは限らない。むしろ悪化する可能性だってある。全滅より悪い結果ってのは想像しづらいけどね」
だけどなにもしなければ、未来も変わらない。
四人目に会わなくては。
「ま、考えは変えてもいい。浄化が始まる前に、どれかひとつでも潰してくれりゃあね」
状況は最悪ではない。
いつでも消せる命が、ひとつだけあるのだから。
それだけでも十分だ。
(続く)




