カルマ(二)
「どうした? なにかあったのか?」
ヤスミーンさんの声で、俺は我に返った。
強烈な日差しの差し込む、夏の、焼けた森。
俺は機械人形のコアに触れていた。
「あ、いえ……。少し……ぼうっとして……」
いまのは、俺の気のせいだろうか?
コアをなでまわしてみたが、もう妙な景色は見えなかった。
あの機械だらけの都市――。ただの幻覚とは思えない存在感があった。
*
ロープでコアをグルグル巻きにして、引きずりながら帰った。
当初、背負うつもりでいたのだが、両手で抱えるほどの大きさだったため断念した。
おかげで、廃墟につくころには、もう日が傾いていた。
「ただいま戻りました」
「……」
母さんは露骨に顔をしかめていた。
説明するまでもなく、それがなんだか理解したのだろう。
その代わり、カエデさんが近づいてきた。
「なんだなんだ? スイカ泥棒か?」
「違います。機械人形のコアですよ」
「なんだよ。朝早く出てったと思ったら、そんなもん拾ってたの?」
「フェデリコさんが欲しがるかと思って」
そのフェデリコさんは、まだ廃墟に来ていない。
このところ街から帰ってこないところを見ると、かなり忙しいのだろう。
俺は水を飲み、ふうと呼吸をした。
「ところで母さん、コアに触ったとき、なにか見えたのですが」
「見えた?」
ぐっと眉をひそめた。
怒られるのだろうか?
いや、考え事をするときの顔かも。
どちらなのかは、いまだに分からない。
「なにが見えたのです?」
「機械だらけの都市で、機械が作られてるような夢です。だから、もしかしたら機械人形の記憶かなって」
「ああ、なんてこと……」
母さんは、予想外にしょげてしまった。
これはかなり珍しい。
レア顔だ。
「なにか、いけなかったですか?」
「いえ……それは……。あなたはなにも悪くありませんよ、マルコ。言い訳せず、白状します。それは、私があなたにかけた記憶魔法のせいでしょう」
「魔法のせい……」
俺が生まれた瞬間を記憶しているのは、記憶魔法のせいだと以前も聞いた。
それがいまだに続いているのか。
カエデさんは空気を読んだのか、味噌汁の鍋の様子を見に行った。といってもすぐそこの暖炉だけど。
母さんはなんとも言えない表情だ。
「マルコ……。じつは事故なのです」
「事故?」
「以前、あなたに記憶魔法をかけたと言いましたね? ですが、本当はあなたにかけたのではないのです」
「えっ? 母さんでも、魔法を失敗することがあるのですか?」
「ええ。私が魔法をかけた相手は、あなたの本当の母親です。彼女の記憶を留めておいて、あなたが大人になってから事実を知ってもらおうと……。ところが、彼女にかけた魔法が、腹の中にいたあなたにまでかかってしまった」
ん?
それじゃあ、俺に恩を着せるためというのは、ウソなのでは?
悪魔の眷属が、子供にウソをついたのか?
「母さん、それじゃあ俺のために……」
「勘違いしないでください。自衛のためです。契約によって彼女の命を奪ったことを、ほかに証明する手段がありませんでしたから」
「分かりました。そういうことにしておきましょう」
母さんは目を細めてしまった。
「もう、マルコ……。いえ、いいのです。あなたが、出生時の記憶を有していると知ったとき……。私は自分のミスに気付きました。そして解除することも考えましたが……。脳に蓄積された記憶というものは、基本的に消せませんから。そのままにしておいたのです。それが、まさか機械人形のコアにまで反応するとは」
原因が分かったのでスッキリした。
だけど、別の問題がある。
「母さん、さっき大人になったらってどうこうって言ってましたけど、まだダメなのですか? 俺、もう大人ですけども……」
すると母さんは、極限まで目を細めた。
「お、大人……」
「土に埋まっているもう一人の母さんに触ったら、記憶をもらえるってことですよね?」
「理論上はそうですが……。いえ、いまはそのときではありません。状況が落ち着いてからにしたほうがいいでしょう」
「落ち着きますか? これからもっと悪化するんですよね?」
たくさんの機械人形が動き出す。
戦争も起きる。
一番平和なのは、いまだ。いましかない。
「マルコ、落ち着きなさい。あなたのお母さんは逃げませんから」
「まあ死んでますからね……」
「だいたい、墓をあばく必要があるのですよ? 心の準備がいるでしょう?」
「ぐちゃぐちゃしてなければ平気です」
すでに骨だけの状態だろう。
怖くはない。
母さんは斜め上を見たまま固まってしまった。
俺を見捨てるかもしれないときの顔!
「ごめんなさい、母さん。やっぱりもう少し待ったほうがいいと思います」
「そうですよ、マルコ。それがいいでしょう。冷静になれて偉いですよ」
「はい、母さん」
ほっとした顔を見せてくれた。
俺は母さんを困らせたくない。
墓をあさるのはあとにしよう。
カエデさんが半笑いで近づいてきた。
「えーと、食事は……出しても大丈夫かにゃ?」
「食べます! お願いします!」
「うい……」
なぜか引いている。
ちゃんと母さんを納得させたのに。
なにかおかしいだろうか?
*
数日後、フェデリコさんが帰ってきた。憔悴した顔で。
「終わりだ……」
第一声がそれだった。
カエデさんが水を渡すと、半分だけ飲んでテーブルについた。
「王都からの帰還命令が出た。戻らねばならない」
もっと先かと思っていたのに、急に。
カエデさんも困り顔だ。
「えっ? あんた、どっか行くの? この家は?」
「君に任せる。こんな廃墟、どうせ売っても値がつかんだろうしな」
「そりゃ助かるけど……」
本当に?
本当に行ってしまうのか……。
俺は部屋の端に置きっぱなしだったコアを引きずり出した。
「フェデリコさん、これ、前に言っていたコアなんですけど……」
「ああ、悪いな。ここまで運ぶのは大変だったろう。だが、研究している時間はない。運べる重さでもないしな。すでに王都でもいくつか確保しているらしい。せっかくだが、それは持っていけない」
「そうですか」
少しは研究の役に立てればと思ったのだが。
きっと想像以上に忙しいのだろう。
フェデリコさんは、母さんに近づいた。
「短い間でしたが、研究へのご協力感謝いたします。お母上の存在は、決して誰にも口外いたしません。それだけはお約束します」
「配慮に感謝します」
もし王都の人間に母さんの存在が知られたら、大変なことになるだろう。
いや、王都だけではない。
誰にも知られてはいけない。
カエデさんが小さな袋を渡した。
「これ、メシだよ。もう行くんでしょ?」
「メシ……? ありがたく頂戴しよう。いくつかの資料を回収したら、すぐにでも行かなくては。王都も予断を許さぬ状況らしくてな」
「この家はあたしがばっちり管理しておくから、安心して行ってくるにゃ」
「任せた」
*
フェデリコさんは行ってしまった。
それだけではない。
街の様子も急速に変わっていった。
まず、街の商店の品ぞろえが悪くなった。
外から来る商人の数が減ったとかで、仕入れが減ったせいだ。食べ物はサイズが小さくなり、値段もあがっていった。
しかも領主が、いきなり税金をあげた。
街からは人が減り、めっきり寂しくなった。
代わりに、農民たちが集団で抗議に来るようになった。
まだ武力での弾圧には至っていないが、城の警備兵たちはずっとピリピリしていた。
外から攻められるまでもなく、勝手に壊れそうな気がした。
フェデリコさんの私塾がなくなったから、ジョヴァンニさんも、ソフィアさんも、どこに行ったのか分からなくなってしまった。
人の縁はもろい。
あっけなく消え去ってしまう。
「マルコ、うちに顔を出してくれるのはあんただけだぜ」
「安くしてもらえます?」
「ああ、タダ同然で売ってやるよ」
ペテロさんはそんなことを言う。
だけどこの人は、値下げしたフリをして、そこそこの値段で売ってくるのだ。
俺もさすがに分かっている。
「このハルバードは?」
「やっぱりそれに目を付けたか。なあ、マルコ。俺たちの仲だから安く売ってやりたいんだが、この不景気だろ? 60リラはもらわないとな」
前に買ったときの倍だ。
本当にそんなにするんだろうか?
「前に買ったのは折れちゃったんですけど」
「その代わり、安かっただろ? うちは安かろう悪かろうがウリなんだ。そりゃ不満があるならムリにとは言わねぇが。けど、よそじゃ倍はするぜ」
120リラ?
本当に?
「いまはどこも苦しいからな。あー、分かった分かった。そんな顔すんなよ。55でいいから。これならどうだ? ダメか? なら50! これ以上はさすがにまからんぞ!」
苦しいのは事実だろう。
食料もほとんど倍近くなっている。
以前は1リラでタマゴのパンを買えたのに、いまでは2リラだ。しかも量が減らされている。
倍という値段は大袈裟ではない。
「50なら買います」
「よぉし、いい子だ! 分かってくれ、マルコ。俺だって値上げなんてしたかねぇんだ。安かろう悪かろうがウリだったのに、高かろう悪かろうになっちまうからな。なんもかんも戦争が悪いのよ」
「はい。分かってます」
ホントに安く売ってくれたんだろう。
だいたい、店の数そのものが減っているのだ。ここで買えなくなったら、もっと高いところで買うしかなくなる。その分、質もいいかもしれないけど。
「ペテロさん、お店、続けてくれますよね?」
「ああ、続けられる限りはな。もちろん買ってくる客がいてこそだが。だからマルコ、うちでたくさん買ってくれよな? 潰れたら恨むぞ?」
「はい」
ハルバードが折れたら。
もし長持ちすれば来ないし、長持ちしなければすぐにでも来る。皮肉な話だ。
*
廃墟に帰ると、カエデさんが大鍋で豆を煮ていた。
「ただいま戻りました」
「ちょうどよかった。マルコも手伝えにゃ」
「なにしてるんです?」
「味噌の仕込みだよ。作れるうちに作っておこうと思って」
暑いのに、汗だくになって火を焚いている。
「わあ、豆がたくさん」
「こいつが発酵して味噌になるんだよ。ま、しばらくかかるけどにゃ」
だが、母さんは浮かない顔だ。
「できればお酒も仕込んでおいて欲しいのですが」
「ふざけんにゃ。そんな余裕どこにあんのさ?」
「はぁ、戦争が憎い……」
そうです。
俺も戦争が憎いです。
タマゴのパンも、ハルバードも、イヤになるほど値上がりしています。
母さんはチラとこちらを見た。
「そして孝行息子のマルコは……今日はずいぶん身軽ですね……」
「そうですか?」
ハルバードを買ったのだから、むしろ重くなったと思うが。
カエデさんは溜め息をついた。
「マルコ、あんたお人好しだにゃ。この女は、酒を買ってこなかったことを皮肉ってるの。表向き、お金は受け取らないとか言ってるけど、あんたの貯金ほとんど食いつぶしてるからね」
「お黙りなさい、使用人。借りているだけだと何度言えば分かるのです?」
またケンカしてる。
子供みたいに。
そんな母さんも悪くないけど。
「ごめんなさい。次から忘れずに買ってきます」
「あら。余裕のあるときでいいのですよ、マルコ」
かすかに笑ってくれる。
俺にとってはこの上なく嬉しい瞬間。
次は絶対に買ってこようと思う。
ただ、あまり資金の余裕もなくなっていた。
ギルドの仕事もずいぶん変質してしまったのだ。ほとんどが街を脱出する金持ちの護衛。もし引き受けたら、何日か街を離れることになる。
母さんとも会えなくなる。
世界が平和ならよかったのに。
平和だったら、なにも悩まなくて済んだのに。
街はまだ機械人形の攻撃を受けていない。
魔族からも攻撃されていない。
城壁はひとつも傷ついていないのに。
中身だけがボロボロだ。
(続く)