カルマ(三)
自宅と街を往復するだけの日が続いた。
手ごろな仕事はない。
ギルドのおばさんも完全にやる気をなくしていた。
街ではスリや置き引きなどの泥棒が増えているらしく、歩行者の数も減ってしまった。
ジョヴァンニさんにも、ソフィアさんにも会えない。
モノの値段はあがる一方。
お酒を買って帰る余裕もなくなってしまった。
「おい、てめぇ、よく堂々と街を歩けるな」
仕事ももらえず帰ろうとしたそのとき、男に呼び止められた。
闇ギルドのヘビ男だ。
一人に見える。
「なんですか? 堂々と歩いちゃいけませんか?」
「いや、おかげで見つけられてよかったぜ。なあ、前のことは水に流してやるからよ、また俺たちと組まねぇか?」
「えぇっ……」
「カネが欲しいだろ? カネがよォ」
「欲しいです」
だけどまた捨て駒にされるのはゴメンだ。
フェデリコさんもいないから、騙されていてもたぶん分からないし。
「お前の強さはよぉく知ってる。そんなお前を見込んで、頼みてぇ仕事があるんだよ。かなりウマい仕事でよ」
「合法ですか?」
「ばっか、てめぇ、いい加減、理解しろよ。そんなワケねーだろが!」
「そうですよね」
非合法なのだ。
そういうのは、やらない。
ウソは好きじゃない。
「けど、いいのか? お行儀よくルールを守ってても、街はそう長くはもたねぇぞ? ここの領主サマは、腕っぷしは強ぇが、政治はからきしだ。こんだけ街が疲弊してるってのに、また税金をあげるって言ってるぜ? 庶民を苦しめるだけ苦しめて、まだ足りねぇと来た。そんなバカの作った法律を守るのか? ん?」
「そ、そう言われてみれば……」
人を苦しめるのが法律だなんて、そんなの間違っている。
タマゴのパンもついに5リラになった。
意味が分からない。
街の人たちもみんな領主の悪口を言っている。
兵隊だけウマいものを食って、市民は薄いスープで空腹をしのいでいる。みんな痩せた。
「おい、悪党。有望な若者に絡んで、暇なのかい?」
後ろから急に声をかけられた。
マティルダさんだ。クロスボウを担いでいる。
ヘビ男はぎょっとした表情。
「お、お前……。なんの用だ?」
「用? そうだね。闇ギルドの構成員が悪だくみしてるから、衛兵に通報しようかどうか迷ってたところなんだ」
「おいおい、誤解だぜ。俺ぁこいつと世間話してただけで……。な? そうだよな、マルコ?」
どうして平気でウソをつくのか。
俺は返事をする気にもなれなかった。
マティルダさんが手で追い払うフリをすると、ヘビ男は舌打ちして行ってしまった。
「気をつけなよ、マルコ。あいつは他人を食い物にすることしか考えてないんだから」
「ありがとうございます、マティルダさん。助かりました」
俺がそう告げると、彼女はなんとも言えない笑みを浮かべた。
「ホントにお人好しだね。なんでまだこの街にいるの?」
「えっ?」
「えっ、じゃないよ。見りゃ分かるだろ? ずいぶんシケた街になっちまっただろ? だからみんな自由都市に行ったよ」
自由都市と呼ばれる場所は各地にあるらしい。
ここの隣の街もそうだ。
「自由都市には仕事があるんですか?」
「ここよりはね。けど、そこもどれだけもつか……。私は家族がいるから行けないけど」
「え、結婚してたんですか?」
「してない! オヤジがいるんだよ。足が悪くてね。置いてけないからさ」
マティルダさんも、そうだったのか。
「じつは俺の母さんも、足が……」
「そうだったのかい。お互い大変だね。いや、大変なんて言っちゃいけないね。生きてるだけでもありがたいモンさ。せめてもう少し食べ物が安きゃいいんだけどね」
少しじゃダメだ。
タマゴのパンは1リラでなければ。
考えただけで空腹が募る。
マティルダさんは、ふと、遠くを見た。
「マウリツィオも、アルトゥーロも、どっか行っちまった。冒険者と言えば聞こえはいいが、結局はその日暮らしの自由人だからね。稼げるところで稼ぐだけさ」
そうか。
あの二人はもういないのか……。
「そういえば、ジェラルドさんは?」
「さあね。この混乱に乗じてどっかの領地をせしめようとしてる、なんて、キナ臭い噂なら聞いたけど……」
「領地を!?」
「元貴族だからね。いや、いまも貴族だったかも。とにかく、なにが起きてもおかしかないよ。こうなっちまった以上はね」
そう。
なにが起きてもおかしくはない。
あとは、それがいつ起きるかでしかない。
残酷なことに逃げ場もない。
「マティルダさん、もし……もし誰かが街に攻めてきたら、どうします?」
「どうって? 戦うしかないよ」
「街に残るんですか?」
「言っただろ。オヤジがいるって。見捨ててはいけないよ」
ああ……。
そう遠くない未来、死んで欲しくない人が、確実に死んでしまう。
いや、人の心配をしている場合ではない。
俺たちだって……。
*
そのうち街へ顔を出すのも億劫になってきた。
公認ギルドはろくな仕事をくれなくなったし、闇ギルドの連中は堂々とそこらを闊歩している。
街で買い物をするくらいなら、廃墟でカエデさんの手伝いをしているほうがマシだ。
まだ暑いある夜――。
俺たちはテーブルで食事をとっていた。
誰も神に感謝を捧げない。
食事をとるのは、ただ生きるために。
パスタと味噌汁。それと紐みたいな芋。
すぐになくなってしまわないよう、ゆっくり食べる。少しずつかじる。味わって飲み込む。
そして俺たちは、ドォンという地響きのような音を聞いた。
轟音ではない。
ただ、遠くから響いてくるような音だった。
落雷かとも思った。
「ちっと見てくるにゃ」
この廃墟には、見張り用の石塔がついている。
カエデさんは軽妙な動作で、するっと部屋を出て行ってしまった。
俺も食事どころではない。
「いまのは……」
「私たちも行きましょう」
「はい、母さん」
*
石塔からは、街の様子がよく見えた。
いや、夜だから全体は見えないが。
無数の白い光が、街の周囲に集まっていた。俺の勘違いでなければ、おそらく機械人形だろう。
鐘が乱暴に打ち鳴らされた。
かと思うと、火の手もあがり始めた。
街が燃えている。
「ついに始まりましたね……」
「はい……」
街なんてどうでもいい。
守る必要はない。
そう思っていたはずなのに、それでもやはり哀しい気持ちになった。
街の住民たちは、どうなっているだろうか。
兵士は勝てるだろうか。
いや、勝てたところで……。
機械人形とは別の動きもあった。
松明を手にした集団が、山のほうからぞろぞろと街へ向かっていたのだ。
魔族だろう。
機械人形の動きに呼応して、人類への攻撃を開始したのだ。
「失礼! 誰かいるか!?」
階下から声がした。
魔族はこの廃墟も見逃さなかった。
*
「静まりなさい。私は西の森の魔女。この人間たちは、私を世話するための下僕どもです」
母さんはそう説明した。
武器を手に、もはや尻尾を隠そうともしない魔族たちは、次々と膝をついた。
「失礼いたしました。かの高名なる緑の魔女でございましたか。かすかに魔力の気配がしたため、よもやとは思いましたが」
「やむをえず体を失ってしまったため、ここで療養していました。それより、何事です?」
「お喜びください。ついに浄化が始まりました。我ら魔族の宿願が果たされます。人間による支配が終わるのです」
「それは結構……。私は戦えませんが、皆の健闘を呪うことといたしましょう」
「おお、心強い。ぜひ世界に呪いの歌を響かせましょう。お休みのところお邪魔いたしました」
満足したのか、彼らはぞろぞろと去っていった。
*
広間に戻るころには、味噌汁もさめていた。
「母さん……」
「もうその呼び方はおやめなさい。表向き、主従という関係にしなければ。これよりは先生とお呼びなさい」
「はい、母さ……先生……」
たぶん慣れない。
カエデさんも「めんどくせーにゃ」とご立腹だ。
「これからどうなってしまうのでしょうか?」
「どうもこうも……。以前、説明した通り、人間と魔族の立場が入れ替わるのです。ただ……」
母さんは目を細めた。
考えているときの顔だ。
「ただ?」
「王都が、この状況を黙って見過ごすとは思えません。彼らはこうなることを知っている。なんらかの手を打ってくるでしょう」
「どうなるんですか?」
「前回の戦争は七年続きました。それが十年になるのか、十五年になるのか……。いたずらに持ちこたえることになるでしょうね。あるいは……」
「人類が勝利する?」
俺の言葉に、母さんはつまらないジョークでも聞かされたような顔になった。
「ええ。その通り。その可能性もゼロではありません。人類は魔法の才に恵まれませんでしたが、代わりに科学の研究を進めてきました。もし魔族が、神の力だけを頼りに行動するならば……。歴史上はじめて、神は敗北を味わうことになるでしょう」
もし魔族が勝利した場合、タマゴのパンはいくらになるのだろう?
人類が勝利した場合は?
なにも分からない。
ただ、こんな俺にも分かることは、この戦争が長引けば長引くほど、モノの値段もつりあがっていくだろうということ。
どっちが勝ってもいい。
早く終わって欲しい。
七年も戦争して欲しくない。
(第一章 完)




