拾参 予幻
三島さんが広げた紙には、細かく地図が描かれていた。
「ここで何年も暮らしてるからね、それでも出口は見つからなかったけどね……ところで、君たちは二人でその子を探しに来たの? まさか君たちもここから出る道が分からないなんてことはないよね?」
「それは大丈夫……だと思います」
三島さんに聞こえないように小声で付け足す、何しろ俺も境界については何も知らないのだ、むしろ数年ここを彷徨っている目の前の男の方が詳しいかもしれない。
気付くと、西条が上空を見上げていた、釣られて俺も上を見ると上空をいくつかの蛍光色の光が飛んでいくのが見えた。
「あー……どっかで事故でもあったんだろうな」
「事故?」
「知らないのか? あれは死んだ人間の魂、人魂ってやつだな、この空間についてずっと取材していた時の事なんだけどな、俺らが住んでいた世界で大きな事故があってから一定時間経った後にここをアレが大量に通過するのが何度か確認できたんだ、ここが人の魂の通り道になってるって話は何度か聞いたけど、きっとアレがここを通り道にしている魂たちの姿なんだろう」
「妙に詳しいんですね」
「そりゃあ何年もここに居れば詳しくはなるさ、と言ってもここには日没も日の出も無いから本当に何年も暮らしているかどうかすら分からないんだけどね」
三島さんはそう言って笑う、しかしよく考えるとそんな場所に体感で何年も閉じ込められてたとなると並の精神では保たないだろうなと感じる、常に薄暗い周囲に、濃く立ち込めた霧、どこを歩いても似たような景色の路地、普段俺が通っている境界はもうちょっと分かりやすいものだったが、こんな場所もあるとなるとうっかり迷い込んだ時が怖くて次から境界に入るのを躊躇ってしまいそうだ。
「で、話は変わるけど君たちが探してるっていう子かもしれない人影はこの辺で見たんだ」
三島さんが地図の一角を指差す、人型のマークがついている。
「そんで、ここが今俺たちがいる場所」
地図の真ん中辺りを指差す、思ってたより入り組んだ道をしていたようだ、そしてもう一つわかったことは誰かがいたかもしれない場所はここからだいぶ遠くのところにあるようだ。
「あの人が本当に生きてる人なら俺みたいに何年も彷徨うことになるとかわいそうだし、探すの手伝うよ」
三島さんはそう言うと持っていた赤のボールペンで地図に線を引いた。
「とりあえず探すならこのマークのとこからになるんだろうから、とりあえず最短距離で行こう、この線の通りに行くと最短で素早く行けるはずだよ」
地図を広げたまま立ち上がり、三島さんが先導して新崎さんがいたかもしれない場所まで行くことになった。
* * * * *
上空をオレンジ色の光が飛ぶ、他に飛んでいる黄緑の蛍光色に光るモノと違い、一際目立って見える。
よく見る他の光と違って、そのオレンジ色の光はフラフラと彷徨うように飛び回っていた。
右眼の奥がズキズキと痛む、ここに迷い込んでからたまに起こる痛み、この痛みの後は決まってアレが視える、フワっとした感覚に包まれ、視界に薄く靄がかかったような感覚に陥る、視界がハッキリしてきたかと思ったら、目の前は今までいた場所とは違う場所になっている、これは自分が移動したワケではないことは今までの経験からよく分かる。
目の前を大きな荷物を背負った男と自分と同じぐらいの年齢の二人、合計三人の男が走っていく、その三人組の後ろを巨大なバケモノが追う、大きな物音がし、バケモノがブロック塀を吹き飛ばした、男たちは袋小路に追い込まれ、そのうちの一人が何やら叫んでいる、その一人の視線の先に目をやると道の先に不思議な模様の和服を着た女性らしきヒトが倒れている、周囲には血溜まりができていて、そのヒトはピクリとも動かなかった。
辺りが強い光に包まれ、気付くと私は元の路地へと帰ってきていた、今見た光景はここ数ヶ月の私の身に起こった変化が確かなものだとすると、これから起こる出来事である、それも今から私が出会うはずの人たちの未来だ。
背後から物音がする、ビクっとして振り向くとそこには狼のような頭をした人のような何かがいた、この霧が濃く立ち込めた空間に度々現れるバケモノの仲間に違いない。
「うおっ! 人間!? 本当に居たぞ!」
狼頭の男はそう言うとこちらに近づく、逃げなきゃ、こいつらはもれなく私に危害を加えようとしてくるんだ、早く逃げなきゃ。
* * * * *
「ってワケで、俺はここから出られなくなっちまったってわけさ」
10分ほど話しをしていたが、要は調子に乗ってこの境界を隅々まで調べていたら入ってきた場所が消滅して出られなくなったらしい、ウツシヨ側の境界へのつなぎ目は割と簡単に消えてしまうから俺もたまに帰る時に苦労する。
大きな荷物を背負った三島さんがこちらに向き直り、後ろ向きに歩きながら話の続きを切り出そうとしたときの事だった、彼の背後から何かが飛び出して、三島さんの大きな荷物に激突し、ぶつかってきた何か共々三島さんは派手に転んでしまった。
「痛えな、誰だよこんな場所で」
三島さんが文句を言いながら立ち上がる、彼の背後で尻餅をついていた人物に目をやると、何やら見覚えのある顔をしていた。
「あ、この人新崎さんじゃね?」
西条が思い出したように言った、ひどくやつれてはいるものの確かに神田さんに見せてもらった写真の人物そっくりだ。
彼女を助け起こそうと手を差し伸べると、新崎さんはそれを拒否するかのように手を振り払った。
「近寄らないで! あなたたち死にたいの!?」
「ずいぶんな言い草だなぁ、それより、何だか急いでるようだけどどうかしたの?」
三島さんの問いを受け、新崎さんはチラリと自分が走ってきた路地を見返した、つられて路地を覗き込むが、何があるわけでもなく、この境界で一番よく見るパターンの路地だった、これが多すぎるからここで迷う人が出てくるのだろう。
「逃げてるのよ、私に関わったらあなたたちも危ないわ、出口への道順は教えるからこの霧の街から出て行く事をお勧めするわ」
「出口知ってるのに君は出て行かないんだね、僕の数年は一体何だったんだろうか」
複雑な表情を浮かべて三島さんがぼやいた。
神崎さんが自力で立ち上がり、服に付いた土を払い始めた時だった、数メートル離れた路地の奥からカイが顔を出し、こちらの一団を発見して驚いた表情をした。
「何だよアイザワ、もう合流できてたのか、ってかそのオッサン誰?」
そう笑いながら近づくカイを見て俺と西条以外の二人が思わず後ずさる、カイと既に面識のある西条ですらも息を飲んで俺の影に隠れる形になっているようだ。
「ここまで怖がられるとちょっと傷つくな、まぁアヤカシとしては本来あるべき姿なんだろうけどさ、とりあえず俺はナナセたち呼んで来るからその子とそのオッサンと一緒に待っといて」
そう言うとカイは塀の上に飛び乗り、霧の向こうへと姿を消した。
「あなた一体何者なの……? あのバケモノとあんなに仲良さそうに……」
「まぁ妖にもいろいろあるんだよ、それより、君は神田さんの友達の新崎さんで間違いないよね?」
「……桐花が何か関係あるの?」
「えっと……まぁ色々あってね」
説明を始めようとすると、突如として背後から轟音が響く、振り向くと長い手足に巨大な爪、真っ赤な身体に頭から大きく前に突き出したツノを持ったバケモノが建物の影から出てきた、様子がおかしい、どうやら悪鬼となった妖のようだ。
「ごめん、桐花には戻れないって伝えて、あなたたちも私から離れてて」
新崎さんは震える声で言いながらバケモノと反対方向の道へと進もうとする、それを三島さんが腕を掴むようにして止めた。
「待てよ、ここから出る方法を知ってるなら出て行けばいい話だろ、あのバケモノもそうそうここからは出られやしないんだしよ」
「それができたらここに居ないわよ、それに、私と一緒にいたらあなたたちが死ぬのは間違いないことなの」
悪鬼が自分で作り出した瓦礫を押しのける音がする、このままじゃ間違い無く死ぬなんてことは見ればわかることじゃないか、しかし彼女が言っていることはそれとは違ったニュアンスに聞こえた。
「信じてもらえるなんて思ってないけど、私には未来が見えるのよ」
背後で響く悪鬼の咆哮が、周囲の空気を震わせた。