ポップコーンと灼熱の昼下がり 前編
「うわ。嫌なのに出くわしちゃったなぁ」
そう言って真斗が口元を歪める。真斗と幹耶の数百メートル先にある大通りを、モノリスタワー方面に向かって左手側から右方向に流れていく人の流れがある。その誰もが口々にアンジュを呪う声を発しながら行進していく。
「反アンジュ運動のデモ隊、ですか」
幹耶が言い、真斗が低く唸る。
「困ったなぁ。まさか、こんな所で遭遇しちゃうだなんて」
真斗はバベルを操作し、周辺の地図を呼び出す。やはり、モノリスタワーへ帰るには現在デモ隊が行進を行っている大通りを行く必要がある。そうでなければ、大きく遠回りをしなければならない。
行進が途切れるのを待てば良い話ではあるが、何かしらのトラブルに巻き込まれる可能性を考えると、それも多少憚られた。
「それにしても、不思議ですよね」
幹耶のそんな呟きに、真斗が顔を上げる。
「私がアイランドに帰って来た時に、雪鱗さんから〝アンジュとポリューションの近似性から、アンジュに対する世間の目が微妙な感じになっている〟って話は聞いていましたけど、反アンジュ運動が目立つようになったのは、それから一月半以上も経ってからですよね。タイミングがおかしいな」
そうね、と真斗が応じる。
「事件直後の混乱の方は、〝セルゲイ・ヴォルチェノフ〟ってロシア国籍のアゾット研究者が騒ぎ出したのが切っ掛けかな」
アイランド・ワンに多大な被害をもたらしたマザーアゾット強奪未遂事件。その人的被害の殆どは、アイランド・ワン全域に発生した公害獣、ポリューションによるものだ。
元より反アンジュ論者であったセルゲイは、これを機とばかりにアンジュとポリューションの近似性を世に触れて回った。
それまで都市伝説レベルでしかなかったポリューションを目の当たりにし、恐怖に戦く人々はその言葉に耳を傾けた。そしてアンジュを危険な物として、何かしらの隔離処置を行うべきであると言う声が上がる。しかし、それも一時的な物であった。
「流石に見た目からして化物なポリューションとアンジュを同列に見るのは無理があるだろうって話になって、そんな騒動はすぐに収まったのよ」
「そうでしたよね。そんな騒動も流行の歌謡曲みたいにさっぱり忘れ去られて、アイランドの人々も結構図太いな、だなんて思ったのを覚えています」
少し前の記憶を懐かしむように、幹耶が応える。
「でも騒動は再燃した。それも、更に大きなうねりになって。しかも今回は扇動者も解らない」
「そのセルゲイって研究者ではないのですか?」
「それは無いわね。だって、セルゲイは行方不明だもの」
第一次反アンジュ運動とでも言うべき騒動は、その主導者であるセルゲイの行方不明により二週間と持たずに収束した。
「その過激な言動に反感を持ったアンジュ二人組が、セルゲイの自宅を襲撃したわ。結果、その妻と娘が殺害され、セルゲイ本人も行方不明。まぁ土の下か海の底か。どちらにせよ、雲の上でしょうね」
「その程度は朝の挨拶みたいなものですね。外もアイランドも、そういう所には違いが無い」
ため息交じりに幹耶が言う。
「そうね。朝日が昇ると共に、ゴミ置き場に死体が転がるのは珍しい事じゃない。けれど、アンジュがセルゲイを殺害したとなれば、新しい火種になりかねない」
「だからスピネルはそれを公にしていない……と。セルゲイの行方は襲撃犯のアンジュに聞いたのですか? まさか逃してはいないですよね」
「聞ければ良かったんだけどね。逮捕時に抵抗したもんだから、お雪がどデカいミートパテをこさえたわ。こう、ホワイトスケイルと壁の間に挟んで……ペチン、と」
真斗が音を立てて、両の手のひらを拝むように合わせる。
その光景を想像してしまった幹耶は、ため息をついて頭を振る。あの人なら、きっと顔色一つ変えずにそれを行うのだろうと思えた。とにかく、あの火蓮と雪鱗のペアはオーバーキルが過ぎる傾向にある。
「あの人らに辞書に手加減って言葉は無いのですかね」
「あの二人に、犯人確保なんてデリケートな仕事を頼むほうが悪いのよ」
雪鱗と火蓮のコンビは近接戦闘、特に対人戦においては敵無しだ。だが、できる事と言えば〝殲滅〟のみであり〝制圧〟などと言う上等な芸当は望むべくもない。
「セルゲイの行方は調査部隊も追っているし、反アンジュ運動の主導者に関しては、はーちゃんが情報を集めているわ。そう掛らずに出荷直前の子牛よろしく、耳にタグつけて寄越してくれるはずよ」
はーちゃん。萩村雲雀。清掃部隊専属のオペレーターであり、超が付くほどのハッカーであるらしい。お痛が過ぎて数百年の懲役を背負わされ、その減刑の為にアイランドでの仕事に従事している、と幹耶は聞いている。
超級ハッカーと言われてもイメージがしにくいが、こちらを襲撃に来た無人攻撃ヘリの軍用AIを軽々と乗っ取り、意のままに操る程度と思って貰って相違ない。ちなみに、少しも誇張は無い。幹耶は実際にその手腕を目の当たりにしている。
得体の知れない彼女だが、その手に掛ればたとえ地球の裏側でベットに包まって居ようが、たちどころに白日のもとへ引きずり出される事になるだろう。ネットワークに繋がっていれば、世界の全てが彼女の庭だ。
「ともあれ、どこかで時間を潰さないといけませんね。流石に、あの行列に混ざる勇気は無い」
「そうねぇ……。あ、良い場所発見」
真斗の視線の先を追うと、そこには外壁をこげ茶に塗装された一棟のビルがあった。他よりも背が低く、横に平べったい。
その壁には今時珍しい紙媒体のポスターが頑丈そうなケースに納められ、数枚掲示されていた。
何かの商店のようにも見えるが、よく解らない。幹耶は首を傾げた。
「あれは?」
「最近流行のムービーボックスよ。放置されているビルを勝手に拝借して、昔の映画を上映しているらしいわ。クーラーも効いているでしょうし、時間つぶしにはもってこいね」
そう言うと、真斗はさっさと歩きだしてしまった。仕方なしに幹耶はその背中に付いていく。
潜り込んだビルの中は、まさにカオスという言葉に相応しい有様だった。
様々な人種の集うアイランドにおいて、多種多様な人間たちが一所に集う事自体は珍しくない。それを差し引いても、手狭なムービーボックスと呼ばれるビルの中は混沌としていた。
まず、意外なほどに人が多い。そしてそれ以上に物が多い。
本来は開放されていなければならない非常口への通路も、無数の段ボールやスチール棚で塞がれている。消火栓などは扉とホースを取り除かれ、ポスターを掲示するスペースに作り替えられていた。
「子供のおもちゃ箱って感じの場所ですね」
それだけは期待通りであったひんやりとした空気を肌に感じながら、しきりに首を巡らせて幹耶が言う。ガラスケースが至る所に設置され、あちこちに何かの映画グッズと思わしき品々が大切そうに、かつ誇示するように展示されている。オーナーの「どうだい? 凄いだろう、俺のコレクション」という声が聞こえてきそうだ。
「趣味人の為の趣味スペースって感じよねー。アイランドの住人は娯楽に飢えているから、そういう層には堪らないんじゃない?」
興味深そうに首を巡らせながら、真斗が呟く。
「でも良いんですか? 映画なんて見ていたら、午後の勤務に食い込みますよ」
「消防法に抵触している違法占拠物件の視察をしているだけだもの。なーんにも問題は無いわ」
数々のポスターを眺めながら二人は薄暗い通路を歩いていく。その姿を、あちこちの天井に取り付けられた監視カメラが追っているのには気が付いていなかった。
ちょっとトイレー、と真斗が言い、幹耶の元を離れて駆けて行く。
それから十分程の時が立ち、見るともなしにネットニュースを眺めていた幹耶の元へ帰ってきた真斗の腕には、大きなポップコーンと二つのコーラが収められたトレーが抱えられていた。
「満喫する気満々かっ!」
「メロンが言っていたわよ? 映画にはポップコーンとコーラが付き物だって。ホットドックもあればもっと良かったわね」
思わず突っ込みを入れる幹耶の声に、真斗がカラカラと笑う。
バベルを介して料金を支払い、上映時刻の一番近いシアターに入る。上映されるのは、大昔の世界大戦を題材にした曰く戦争映画と言われる類の物のようだ。
「随分と大きな液晶パネルですね」
「今は空中投影スクリーンが主流だからね。ああいうジャンク品は結構あちこちに転がっているらしいわよ」
ボックスの名に相応しい小さなシアターの前面には、昔に街頭ディスプレイにでも使われていたような大型液晶パネルが据え付けられていた。そこからコードが伸び、四角い再生機器に繋がっている。更にそこからスピーカー等の音響設備に繋がっているようだ。
「映画と言えば、スクリーンに投影される物だと思っていました」
「手に入る機材でとりあえず環境を整えたんでしょ。このいかにもジャンク! って感じも嫌いじゃないわ」
やがて照明が落とされ、静かに上映が始まった。
普段から鉄火場に身を置く二人には、少々刺激不足という所だ。事実、初めの三十分は眠気との格闘だった。しかし真斗は映画の内容とは関係なく、終始嬉しそうに微笑んでポップコーンを摘まんでいた。
やがて物語が進むにつれて、主人公たちが絶望的な状況に追い込まれていく。
壊滅する部隊。動かない友軍。迫りくる敵の追手。次々と凶弾に倒れていく仲間たち。
果たして主人公たちは、敵の包囲網を潜り抜けて無事に自軍の支配するセーフゾーンに辿りつく事ができるのであろうか。
幹耶は自分でも気が付かないうちに、固唾をのんで見入ってしまっていた。息をも忘れる、とは正にこの事である。
ふと隣を見れば、真斗も同じような状態であった。ポップコーンを指に掴み、それを放り込もうとしていた口を開けたまま、食い入るように画面を見つめている。
その様子が何とも可愛らしくて、阿呆らしくて、愛おしくて、幹耶は思わず吹き出してしまった。それに気が付いた真斗が頬を膨らませ、半目で幹耶を睨む。
けたたましく唸るエンジン音に、二人は前方へ視線を戻した。今となってはそう耳にする事も無い、ガソリンエンジンの音色だ。
夜陰に乗じて敵の車両を奪い取った主人公たちが、鉛玉をばら撒きながら敵陣を突破しようと駆けて行く。
そこへ、敵が放った対戦車ロケットの砲弾が迫る。
映像がスローモーションになる。
徐々に迫るHEAT弾。完全に直撃コース。回避は間に合わない。まともに喰らえば、主人公たちの乗る軽装甲車両など紙風船のように吹き飛んでしまうだろう。
もはや絶体絶命。主人公は必死にハンドルを切るが、横合いから迫る砲弾の射線から逃れられない。
やがて、砲弾の先端が無情にも車両を捕え――
幹耶たちの視界が、〝本物の〟炎で埋め尽くされた。
突如、シアターの大型液晶が炎を噴き出したのだ。炎が噴き出したのは一瞬の事であったが、あちこちに燃え移った小さな火種が薄暗いシアターを紅く彩っていた。
呆けた様な一瞬の間。そして、絹を裂くような悲鳴がそこらじゅうで湧きあがった。
「みーくん!!」
がばっ、という擬音が聞こえてきそうな程の勢いで、真斗が幹耶のほうへ顔を向ける。
「すっっっっごいリアルね!! こういうの、3Dって言うのかしら!?」
目に星を宿らせて真斗が笑顔を弾けさせる。
「毛先を燃やしながら寝ぼけないでください!!」
見る間に炎は燃え広がり、もはや狭いシアターの中はオーブングリルの様な有様になっていた。一つしかない出口には人々が殺到し、罵声と悲鳴で溢れかえっている。
「私たちはビル火災に巻き込まれたんですよ!!」




