銀と毒
『目標は順調にルートを進行中。前後に戦闘車両……って、聞いてるのか? 姫ちん』
コンクリートブロックの上に放り出された軍用無線から、年若い男性の声が流れる。
「はいはーい。ちゃぁんと聞いてるって、ともちー。テクニカルだって? 武装と数は?」
応える声の主はパーカーのフードを目深に被り、イヤホンから流れる軽快な音楽に合わせて身体を揺らしている。顔は隠れて見えないが、悪戯好きな猫が鳴くようなその音色は瑞々しい少女のものだった。
『市販のワンボックスを改造した粗雑な代物だ。どこかで拾った鉄板を括り付けて、頭には軽機関銃を乗せている。それが前後に各一両づつ』
「えー? 頭になんだってー?」
『ミニミだ。やっぱ聞いて無ぇじゃねぇか。作戦中に音楽聞くなっていつも言ってんだろう』
男がため息交じりに言う。しかし少女はまるで気にもしていないようだ。
「だぁーって暇なんだもん。あ、ともちー。今日のお昼はポトフ作ってよ。いいでしょ?」
『あぁ、この作戦が終わったら遠征もお仕舞だからな。余った材料全部ぶっこんでコンソメで煮ちまうか』
「凄い量になっちゃいそうよねぇ」
くすくすと楽しそうに少女が笑う。
『ほらほら、お喋りはここまでだ。目標がアルペンコースに入った。巧くやれよ』
「だぁーれに言ってんのよ、誰に」
少女はにやりと口元を歪め、イヤホンを本体に巻いてウォークマンをポケットに突っ込んだ。
やがて、あちこち舗装が剥がれた道路を走る車列が見えて来た。
一般車を改造した戦闘車両が二両。それに挟まれるように、銀色の大型コンテナを背負ったトラックが一つ。それらが打ち捨てられた廃ビルに挟まれた、片側四車線の目抜き通りを走っている。
「あぁ? なんだこりゃ」
先頭車両の助手席に深く腰掛けていた中年の男が、フロントガラスに額を付けんばかりに身を乗り出す。その眼には倒壊し、行く手を塞ぐビルが映っていた。
「どうなってんだ。てめぇ、ルートはきっちり下調べしたんだろうなぁ!?」
中年男が、ハンドルを握る若い男の頭を拳で殴りつけた。
「す、すいません! いや、ちゃんと俺は確認しましたよ! 昨日まではこんな事は……」
「ちっ、仕方ねぇ。おい、ちょっと止めろ」
苦虫を噛み潰したような顔で中年男が言う。ゆっくりと車列が停止し、ダッシュボードに据え付けた無線で「待機してろ」と吐き捨てるように指示を出して車外へ出た。
前方に広がる瓦礫の山を睨みつける。砕けたコンクリートの断面が真新しい。まるで、ついさっき倒壊したばかりのように見えた。
「あ、兄貴。瓦礫の上に誰かいますよ」
中年男の後について出て来た若い男が、前方上方に指を突き出して言葉を放つ。
「てめぇは辺りを警戒してろ。〝積荷〟を狙った待ち伏せかも知れねぇ」
「え、じゃあ危ないじゃないすか」
「馬鹿野郎。こういうのはビビったら負けなんだよ」
若い男が車に戻り、軽機関銃を構えるのを確認してから中年男が視線を戻す。そして瓦礫の山に腰掛け、口元を歪めて肩を揺らす人影を睨みつけた。目深に被ったフードで顔は見えないが、背格好から若い女性と思われた。
「おいそこの! こりゃどうなってんだ!? てめぇ何もんだぁ!」
あらん限りの大声で怒鳴りつける。その声は廃ビルたちを揺らして反響し、道路を満たす。しかしフードの少女はそよ風のようにそれを受け流し、変わらず肩を揺らしている。
苛立ちを隠さずに大きく舌打ちをし、中年男は拳銃を取り出して銃口を前方の少女に向けた。
「答えねぇなら、こいつで聞くことになるぞ!」
中年男が再度恫喝する。しかし反応は変わらない。
「ビビりもしねぇか……。舐めやがって!」
中年男が引き金を引き、爆竹が破裂するような軽い音が上がる。放たれたその銃弾は、少女の足もとにあるコンクリートに小さな穴をあけた。
「ふふ。なぁに? それ」
少女がフードに指を掛け、脱ぎ去る。艶めく長い銀髪が零れ出た。次いで露わになった瞳の色も、同じく輝く銀色。
「そんな安物の改造拳銃で、この私をどうしようって?」
荒廃した大地に降り立った月の女神の様な少女が、悪戯な笑みを浮かべて楽しげにそんな事を言う。
「やはり、アンジュか……。髪と瞳の両方に色が出てるなんて、珍しいじゃねぇか」
中年男はそう言うと、軽機関銃を構える若い男に指示を出す。
「何してんだ! 撃て!!」
「で、でも兄貴、すげぇ上玉ですよ! 上手い事とっ捕まえりゃ――」
「馬鹿野郎、一人で待ち伏せかますような奴だぞ! 余計な事は考えんな!!」
若い男は「へ、へい!」と返事をし、慌てて引き金を引いた。
世界を埋め尽くさんばかりの銃声と、薬莢がぶつかり合う甲高い音に辺りが包まれた。少女の腰かけていた場所には銃弾が殺到し、灰色の土煙で何も見えなくなった。
「お、おいやり過ぎだ! やめろ馬鹿!!」
中年男がそう叫んでからもしばらく発砲は続き、やがて軽機関銃が弾切れをしてから、ようやく銃声が途切れた。
「撃ち過ぎだてめぇ! アゾット結晶に傷がついたらどうすんだ!? 弾だってロハじゃ……」
中年男が振り返りながら叫ぶ。怒りに満ちたその表情は、しかし驚愕と恐怖に塗りつぶされる事となった。
車上で軽機関銃を構えていた若い男の頭部は、綺麗に失われていた。引き金を引いたまま身体は痙攣し、首の断面から時折思い出したように血液が噴き出していた。
「なぁっ、なっ、な、なん……なぁ!?」
中年男は、目にしたものが信じられないと言う様に後ずさる。その視界に、ひらりと銀色の何かが閃いた。
瞬間、軽機関銃は十数もの屑鉄に切り分けられ、次いでそれを構えていた男性の身体も、いくつもの肉塊に変り果て車内に落ちて行った。湿った音と共に、戦闘車両のガラスが内側から赤く染められる。
「ひっ、ひぃぃあぁぁぁあぁ!?」
「あらぁ。見かけによらず、良い声で歌うじゃない」
あまりの光景に腰を抜かし、悲鳴を上げる中年男性を眺め、少女は満足そうに呟いた。
「おい、前の方で何かあったみたいだな!」
「あぁ、ちょっと様子を見に行くか。ミニミの準備しとけ!」
車列の後方に控えていた戦闘車両で声が上がる。そして大型トラックの真後ろから外れ、それを追い越そうとした時、駆動する前輪が深く落ち込み車体が大きく前のめりになった。
「ぬぉぅわ!?」
軽機関銃を構えていた男が、たまらず車外へ転げ落ちた。そして水に大きなものを投げ入れたかのような音が上がる。
「いってぇ……って、なんだこりゃ。泥……?」
転げ落ちた男が、淡い紫色をした泥を掬い上げる。そして指の隙間から泥が落ちると同時に、〝指の肉〟も纏めて滑り落ちた。
次の瞬間、男を襲ったのは脳髄が痺れるほどの激痛。
「ゆっ、指が! 俺の指、あぁがぁぁ!」
異変は指だけに留まらなかった。次いで手のひら、手首、腕の肉が滑り落ちる。
それだけではない。身体ごと泥の中に落ちているのだ。その〝毒〟は、柔らかい腹部を侵食し、内臓にまで達していた。
やがて男は激しい苦悶の表情を浮かべたまま、生きながらに腐れ落ちた。その顛末を車内で見届ける羽目になった運転手の男が、今にも発狂せんばかりに震えている。
「どっ、毒!? 毒の……沼」
「その通りだゴミ野郎」
運転手の男は弾かれた様に、声の飛んできた助手席側に視線を向ける。
そこには、一人の男性が毒の沼地に平然と立っていた。
深い紫の髪と瞳。そして頬には大きな傷跡。
「貴様らは世界のゴミだ。ゴミはゴミらしく、毒に沈め」
傷の男が指を鳴らすと、車体が更に沈み込み始めた。車内に侵入した紫の泥が、運転手の脚を侵す。
「ま、まて。待ってくれ! 〝積荷〟なら全部やるから、やるから! なぁ!」
「悪りぃ。ゴミの言葉は解んねぇや」
傷の男が背を向ける。悲痛な悲鳴の尾を残し、車体は完全に紫の毒沼に飲み込まれた。
「なぁ、なんだこりゃ……」
傷の男の前方には赤黒い血の海が広がっていた。その源を辿って視線を這わせると、一人の男が吊るし切りにされていた。頭をがっちりと鋭い爪の生えた銀色の腕に掴まれ、宙づりにされている。
そしてその前方には銀髪の少女が佇んでおり、その周囲には銀色に鈍く光る液体金属が、幾筋も空中に漂っていた。
「ふふ。あっははは。すごぉい! まだ生きてる! しぶといのねぇ」
少女が楽しそうに哄笑している。その笑い声に反応するように、周囲に浮かぶ液体金属が踊り狂い、男の肉体を少しづつ削り取っていく。銀色が一つ閃くたびに、その口から声とも付かない苦悶の悲鳴が溢れ出ていた。
「おい姫ちん! なにやってんだ!」
「ひぅ!?」
突然の声に少女が身を強張らせ、液体金属の操作を誤る。縦に割られた男の頭部が、「がへ」という間抜けな声を最後に事切れた。
「あぁー……やっちゃった。丈夫なおもちゃだったのに」
少女が唇をへの字に歪ませる。
「なぁに遊んでんだよ。密売ルートを聞き出すから、最低一人は生け捕りにしろってオーダーだったろうが」
深紫の髪を掻き上げながら、傷の男が血の海を渡っていく。
「あーあー。ひでぇ有様。ゴミの最後とはいえ無残過ぎんぜ」
「ごめーん。意外と良い声で歌うもんだから、興が乗っちゃって」
傷の男は思わずため息を付いた。この悪癖がなけりゃ、結構良い女なんだがな。
「しゃーねぇ。車内を漁って何か情報を……。うわ、あっちもひでぇ」
内側から赤く汚された戦闘車両を見て、傷の男は眉根を寄せる。中の状況は見るまでも無い。
その時、ゴトリ、と音が鳴った。音のする方に二人が目を向けると、大型トラックの運転席で腰を抜かしている一組の男女が目に入った。
「あはっ。良いの見っけ」
「人間解体ショーをアリーナ席でご観覧とは運の悪い奴らだ。おい姫ちん! あれは殺るなよ!?」
「どっちかは良いでしょ?」
「駄目だ。二人ともに吐かせて情報のすり合わせをする。その方が確実だ」
「ふぁーい」
唇を尖らせて少女が返事をする。液体金属が鋭く二筋伸び、トラックの運転席へ向かう。それを見た男女は悲鳴を上げながら車外へ飛び出して逃走を図るが、手首と足首を液体金属に絡め取られ、地面に転がる羽目になった。
「舌を噛まれたら厄介だ。猿轡も頼む」
「はいはーい」
液体金属が男女の口を無理やり押し上げ、歯が合わぬように後頭部で繋がる大きなリング状になって固体化した。
「よし。まずはコンテナを調べよう」
少女と傷の男が、呻き声を上げながらもがく男女の横を通り過ぎ、コンテナの扉を開く。
薄暗いコンテナに日の光が差し込み、その内容が暴かれる。
そこには、色とりどりの髪と瞳を持つ、アンジュの子供たちが所狭しと押し込まれていた。
「わぁ綺麗。これだけ集まってるとお花畑みたいね」
少女が嬉しそうに目を細める。
『パッケージ確認。目立った外傷なし。迎えを頼む。……あぁ、敵戦力は排除済み。土産も二つある』
傷の男が腰から軍用無線を手に取り、どこかへ連絡を取る。
「う、うわあぁぁぁぁぁああ!」
突如、一人の子供が叫びながら銀髪の少女に向かって駆け出す。その手には、拾った鉄屑を削って作り出したようなナイフもどきが握られていた。
「姫ちん!」
傷の男が手を出す間もなく、飛び出した子供が身体ごと銀髪の少女にぶつかる。しかし、手にしたナイフは少女の身体に突き刺さることは無く、チョコ―レートのように〝溶け〟てしまった。
「なになに? 過激な愛情表現かしら! あぁんもう、可愛い!!」
何が起きたか解らないという表情の子供の頭を抱え込み、銀髪の少女が愛おしくてたまらないと言う様に撫でまわす。
元ナイフの液体金属がふわり、と宙に浮かび、羽を広げた鳥の形になって固体化する。それを子供の手に握らせ、少女は柔らかく微笑んで見せた。
「怖がることは無いの。貴方たちは保護され、アイランドで人権と教育を受ける権利を与えられるわ。生活はまぁ安全、とは言えないかも知れないけれど、ここよりはずっとマシなんだから」
アイランド・ワンで起きたマザーアゾット強奪未遂事件。その再発防止案の一つ、アンジュ戦力増強政策の一つして始まったアンジュの保護と教育。そのために銀髪の少女と傷の男は、捉えられて密売される寸前だったアンジュの子供たちを助け出したのだった。
「今回の遠征任務はこれで終了だな。やっとアイランド・ワンに帰れるぜ」
「そうねぇ。あぁ、早くマトお姉ぇちゃんに会いたいわぁ」
傷の男が言い、銀髪の少女が口端を歪める。
突然、少女が「そうだっ!」と手を叩く。何事かとコンテナの奥で震えて固まっていた子供たちの視線が銀色の瞳に集まる。
「みんなでお昼ご飯食べましょ! 今日はともちー特製のポトフなの!」
少女が嬉しそうに笑顔を弾けさせる。それを聞いた子供たちは「ポトフ?」と首を傾げた。
傷の男が、再び軍用無線を手に取る。
『すまん追加注文だ。適当に肉と野菜を大量に、それとコンソメスープの素だ。支払いはスピネルに……いや、アイランド・ワンの清掃部隊隊長、秋織真斗にツケといてくれ』




