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アゾットシリーズ  作者: 白笹 那智
アゾット ー女神創造計画ー
22/46

女神創造計画

 二週間後。

 空港のフロアマップを前にして千寿幹耶(せんじゅみきや)は困り果てていた。待ち合わせ場所はエリアD―3の出入り口。そして前と同じくそれが見つけられない。いわく、迷子である。

 もう認めなければならない。自分は極度の方向音痴だと。


 左腕を根元から失うという大怪我を負った千寿幹耶(せんじゅみきや)は、医療研究に特化されたアイランド・ツーに渡り、再生手術を受けていた。そしてしばらくリハビリを受け、改めてアイランド・ワンに帰ってきた所だった。


 ()()(うみ)の背中について歩いた道順を何とか頭の中から引っ張り出し、目的地を目指す。しかしそれができるのであれば最初から迷子になどならない。結局見知らぬ場所にたどり着き、元来た道を引き返し、また別の道を行く。


 そのような事を五回ほど繰り返し、いい加減焦りが諦めに変わり始めたころ、見覚えのある少女が目に入った。いつかと同じ白いワンピースに空色のカーディガンを羽織った(あま)白雪(しろせつ)(りん)が壁を背に立って居た。


「あっ、やっと見つけたー。やっぱり迷子になっていたのね」

(せつ)(りん)さん。迎えに来てくれたんですか? ……やっぱりって?」


「ダンナがね、迷子になっているかもしれないから中まで迎えに行ってやれって」

 ありがとうダンナさん。貴方、真斗(まと)さんの言うとおりやっぱりイケメンです。と幹耶(みきや)は心の中で感謝を捧げた。


 雪鱗は手にしていたカップの一つを幹耶に渡し、歩きはじめる。幹耶もそれにならい並んで歩き始めた。ちなみに、カップの中身は文字が書けそうなほどに濃いブラックコーヒーだった。


「雪鱗さん。あれから……どうなりました?」

「そうだねぇ、色々あったけれど……。モノリスタワー最上部の増電施設への被害は思いのほか軽微(けいび)でね、すぐに増電が再開されてこちらは大きな混乱も無く解決した。次に武力によるマザーアゾット強奪未遂、その再発阻止って名目でアイランドに軍隊を駐留(ちゅうりゅう)させようって流れになったんだけど、どの国もあれこれ理由をつけて自国の軍隊を少しでも多くアイランドに派遣したいって引かなくてねぇ」雪鱗は甘い香りを放つ液体を口に流し込む。「アイランドでの実行支配力を持てば大きなアドバンテージになるしね。だから今アイランドは(みにく)い権力争いでドロドロだよ」


「そうなると、スピネルの立場はどうなりますか」

「基本的には変わらないけれど、先の混乱で各部隊が大きく減少しているからね。当面の所、治安維持はエリアごとに担当国を決めて、それぞれが派遣した治安維持部隊に協力してもらう感じになってるよ。でも、アレだけは私たち清掃(スイー)部隊(パー)の管轄」


「アレ……。ポリューション、ですか」

「そそ。そっちも一つ問題があってね。ほら、アイランド全域で同時多発的に発生したでしょう?」

 幹耶の脳裏にあの時の惨状が蘇る。ポリューションを示す赤い点はモノリスタワーを囲う様に多数出現していた。あのような地獄がそこかしこで繰り広げられていたに違いない。


「流石に印象操作も情報規制も限界でね、今まで都市伝説レベルだったポリューションが人々の脳裏に明確な形を持って刻まれてしまったよ。これから発生するポリューションはほぼ全てランクA以上になるだろうって予想してる。そしてその予想は今のところ大正解」(せつ)(りん)が首を傾けて苦笑いをする。「あの事件の直後は、ポリューションの二次発生で大変だったね。ダンナにもだいぶ助けられたよ」


 それから二人はしばらく沈黙したまま空港内を歩く。そしてセキュリティゲートを超えたあたりで雪鱗が幹耶(みきや)に「飲まないの?」と手にしたカップを指さしてそう言った。


「……これはただの予想ですけれど、雪鱗さん、早い段階で気が付いていたのではないですか? 私が、その、裏切り者だと」


 カップに視線を落としたまま幹耶が言う。幹耶がナチュラルキラーの《(デュラ)(ンダル)》だという事実を知る者は、真斗(まと)と一緒に幹耶を病院に担ぎ込んだ雪鱗だけだ。

 ちなみに怪我の原因は磯島(いそじま)の部隊によるもの、となるように雪鱗が細工をしたらしい。隊長が部下の腕を吹き飛ばしたとなれば、考えるまでもなく大問題だからだ。


「うーん、というか新人はとりあえず全員疑うよ。管理部も案外そこの所は甘いし、ピンキーもみんなその辺りは無頓着(むとんちゃく)というか危機感が無いというか、ノーガードも良い所だからさ」


「もしも間者(かんじゃ)(たぐい)だったら、どうするのですか?」

「事故死、病死、戦死に失踪」雪鱗が指を一つずつ立てながら言う。「私はとーっても優しいので、どれか一つを自分で選ばせてあげるのです。大体は失踪を選ぶね。どこに連れて行かれるかも聞かないで」


 やがてエントランスのような広い場所へたどり着いた。灰色の都市迷彩を施した戦闘服を着込んだ施設警備隊員が数名見受けられた。その一角にあるソファーに雪鱗が腰かけたので、幹耶は戸惑いながらもそれにならい、テーブルを挟んで正面にあるソファーに腰かけた。


「抹茶ラテ。覚えてる?」雪鱗が突然そんな事を言い出す。「あれをきちんと飲んだ時点で幹耶くんへの疑いはだいぶ無くなっていたね」

「あの激甘ですか……。それを飲んだ事と、疑いが晴れた事がどう関係するのですか?」

「そのコーヒー、一口も口をつけていないでしょう。どうして?」

 雪鱗が黒い液体の入ったカップを指さし、幹耶は黙ったままそれを見つめている。


「こう思っているはずだね。〝自分が裏切り者だったと知られている以上、後顧(こうこ)(うれ)いを絶つために、自分は消されるかもしれない。このコーヒーにも何か入れられているかもしれない〟」

 幹耶は沈黙してその言葉を聞いている。正しくその通りだったからだ。


「潜入した直後なんて特にそう。自分が疑われてはいないかと、他人全てを疑ってかかる。そんな時に何を入れられていても解らないほど激甘で、匂いも強い飲み物を渡されて飲むスパイなんて居ないんだよ。きっと飲むふりすらしない」自分のカップの(ふち)を指でなぞりながら言う。「でも幹耶くんは胸と胃にダメージを負いながらもそれを飲みきった。実に普通な、一般人の反応だね。〝せっかく頂いたのだから、飲めるなら飲んでしまわないと〟と。そうなると、これは普通に問題ないか、そうでなければ警戒心のない阿呆のどちらかと言うことになる。どちらにしても、そう心配をするほどではないって事だよ」


 おもむろに(せつ)(りん)幹耶(みきや)の目の前にあるカップを手に取り、半分ほど一気に口に流し込んだ。


「心配しなくても、真斗(まと)が仲間と認めた人に私は何もしないよ」

「……頂きます」

 そう一言おいてから、幹耶(みきや)も返されたコーヒーで唇を湿らせた。


「そうそう裏切り者と言えば、磯島(いそじま)の事なんだけれど」

「輸送ヘリの墜落現場からはそれらしい死体が出なかった、とハナさんから聞きましたが」

「結論から言うと見つかったよ。ヘリ墜落の翌朝に見つかった、港の謎の肉片と血痕。鑑定の結果、あれが磯島だった」


 あの事件の翌朝、アイランドの北端で全身を先端の尖った何かで幾度となく貫かれ、あげく四肢を引きちぎられたかのような、たとえ悪魔でもここまではしないだろうというほどに凄惨(せいさん)を極める死体が見つかった。その周辺にはその死体とは別の血痕や薬莢(やっきょう)などが残されており、その場で戦闘行為が行われていたという事だけは判明していた。


「ヘリと一緒に墜落して、よくそこまでたどり着けましたね」

「あー、イージスだっけ? あれのおかげじゃないかな。身体に装着できるような小型の物もあったみたいだし。本家よりもカッコいい名前を付けるなんて、腹の立つ話だよねぇ」

 何かに抗議するように雪鱗が唇を尖らせる。


「我々……いや、ナチュラルキラーを支援していた国の部隊が磯島を脱出させようとして、そこを何者かが襲撃。結果、磯島は殺害され、部隊は撤収……という所ですか?」

「うん。だいたいその通りだろうね」


「例のミュータントプログラムは、引き渡されたのでしょうか」

「さーてねぇ。現場にも、磯島が出入りしていた全ての研究施設のほうにも何も残されていなかったから、どちらかが持ち去ったと見るのが妥当だね」


 どちらか、とはすなわち磯島とナチュラルキラーの支援をしていた国家か、脱出を阻んだ襲撃者だ。いずれにしても第三者の手に渡ってしまった事は疑いようもない。


「一体どこの誰でしょうね。あの段階ではミュータントプログラムの存在を知る者はそういなかったはずですが」幹耶は腕を組んで唸る。「解らないと言えば、ずっと気になっていたのですが……。スピネルにバルミダ機関の情報をリークしたのは、本当にナチュラルキラーなのでしょうか?」

「ん……、どういう事かな?」


「ナチュラルキラーは、それを支援するいずこかの国家とは繋がっていましたが、バルミダとは一切関わって居なかったはずです。だからどうやって混乱を引き起こし、その隙にマザーアゾットを持ち出す計画だったのかまでは知らされていませんでした。もし解っていたのなら、私にも何かしらの情報が与えられていたはずです。事に成否に直結しますから」幹耶は大仰に肩を竦める。「情報はない。しかし、万一の時の為に保険は欲しい。だからこそ私はあんな風に捨て駒のように扱われ、私もそれを受け入れざるを得なかった」


「つまり、ナチュラルキラーはバルミダ機関の存在を知らなかったはずだ、と?」

「ええ、少なくとも私の知る限り、バルミダ機関と言う名前は(せつ)(りん)さんに聞くまで耳にしたことがありません。それにあの日、アイランドの外周にスピネルの実働部隊を釘付けにしたのはナチュラルキラーで多分間違いないです。そう人数の多い組織ではありませんから、ほぼ総力戦だったはずです。もし自分から情報を流したのなら、そこまでするでしょうか……。所詮はクライアントに頭が上がらない立場ですからね。求められてしぶしぶ応じた、という所でしょう」


 ふむ、と小さくうなずき、雪鱗はよく磨かれた床に視線を落とす。


「第一、ナチュラルキラーの目的はアイランドの壊滅(かいめつ)です。ならば磯島の研究が完成すれば、労せずしてその目的が達成されたはずなのです。もしその研究内容を知っていたのなら、わざわざ情報をリークしてそれを邪魔するような真似をするでしょうか……? むしろ守るべき立場のはずです」


「じゃあ消去法で、リークしたのは支援していた国の方かな」

「いや、流石にそれはないでしょう。リスクばかりでリターンがない。元々、対空兵器のないアイランドへ、ヘリによる低空侵入での強襲という作戦だったようですし、磯島の話では地上の混乱を招く工作も作戦の一部だったようですが、それもミュータントプログラムの完成を待てば済む話です。わざわざ計画の尻尾を掴ませる理由がない」


 雪鱗は黙ったまま、幹耶の話を聞いている。


「残された可能性は、磯島が存在をチラつかせた〝協力者〟ですが、そっちの調査は進んでいますか?」

「いや、まったく進んでいないね」


「そう、ですか」幹耶は闇のように濃いコーヒーで唇を湿らせ、数瞬の後、意を決したかのように再び口を開く。「情報のリークに関して、ずっと気になっていることがあったんですよ。雪鱗さん、貴方は確かにこう言った」



 ――今回の件でバルミダが怪しいって例の情報を流してきたのは、他ならぬナチュラルキラーだったんだよ――



「あの時から疑問に思っていたんです。いくら非常時とはいえ、テロ組織からの情報を元に部隊を動かすなど、ありうるのだろうかと」

 雪鱗をまっすぐに見据えたまま、幹耶は言い募る。


「実際、不確かな情報に踊らされ、アイランドを危機にさらしたとして高官が数名、責任を取る形で更迭されましたが……みな一様に〝そんなはずはない。あれは確かに出所の確かな、信頼のおける情報だった〟と主張しています。しかし、ではどこからの情報だったのかと問うてみれば、不思議なことに誰もが違う証言をし、まるで一致しません。第一、あの情報がナチュラルキラーからものだとスピネルが断定したのは事件後一週間がたってからです。ではなぜ、貴方があの段階でその情報を知りえたのか、説明していただけますか?」


 雪鱗は黙ってうつむいたまま、ピクリとも動かない。沈黙に耐えかねた幹耶が再び口を開こうとしたその時――


「ふっ、ふふふっ。くっ、うふっふふふ」突然、雪鱗が地の底から響くような笑い声をあげた。「いやー、参ったね。あの時は話に信憑性を持たせようとしてつい言っちゃったけど、やっぱり嘘はつく物じゃないねぇ。あんな小さな嘘一つでここまでやられるだなんて……」

「……雪鱗さん?」


 ドロリとした気配が急激に湧き上がる。雪鱗のその急変に幹耶は背中に冷たいものが伝うのを感じた。


「下手な言い訳をしても無駄そうだ。流石に真斗のお気に入りなだけはあるね。良い、凄く良いよ、幹耶くん」雪鱗はゆっくりと顔をあげ、氷のように微笑んで見せた。「私も君の事が気に入っちゃったよ。だから、一つお話をしてあげようかな」


 幹耶は足もとがグラつくのを感じた。胃のひくつきと冷たい汗が頬を伝うのを感じながら思う。自分が軽い気持ちで開けてしまったのは、パンドラの箱ではないのかと。


「ある所に、桃髪のとても可愛らしい女の子が居た。その女の子は不老不死という、特殊の中でも際立って特殊な能力を持っていて、そのせいで今まで人一倍酷い扱いを受けてきた」困惑する幹耶を放置して雪鱗が語り始める。「やがてアイランドに送り込まれ、化け物と文字通り命を懸けて戦う日々を、何度も命を落としながらそれでも懸命(けんめい)に耐えてきた。そんな日々の中、ふと女の子は考えた。〝自分はなぜ戦っているのだろう〟と」


 身じろぎする事もできずに、幹耶はただ黙ってその声を聴いている。指の一本ですら動かしてはいけないような、そんな気持ちになっていた。


「やがて少女は思い至る。アイランドを守り、やがてアゾット結晶の研究が進めばいつかアンジュが特別な存在ではなくなる日が来るかもしれない。それでも差別は無くならないだろうけれど、少なくともアンジュ狩りなどの悲劇は減らせるだろう。だから〝自分のこの命はアイランドに捧げよう〟と」雪鱗はいったん話を区切るように、ゆっくりと甘い香りを放つ液体を口に流し込む。「その言葉を聞いた私は感動した。なんて健気なのだろうと。もし可能であれば、そんな世界を自分も見てみたい……と。自身も相当に酷い目にあわされて、世の中全てを恨んでいてもおかしくないような境遇で、それでも他人のために命をかけようとまっすぐな瞳で語る女の子に、何かしてあげられる事は無いかと思った。

しかし、同時にこうも思った。理想は素晴らしいが、まるで具体性も実現性もない夢物語だ。仮にアンジュが特別な存在でなくなったとして、果たして〝対等〟な存在になれるだろうか。私はそうは思わない。アンジュを対等の存在と認めさせるには、何か強いインパクトが必要だ」


「インパクト……?」

 絞り出すような声で幹耶(みきや)が言う。


「そう。一度生まれた差別意識は長い年月をかけても消しきれるものじゃない。真斗(まと)は不老不死であるから気長に待っていられるのだろうが、私はそれではいけないと思ったんだ。一撃で立場をひっくり返すような、強い何かが必要だと」


 もう四月だというのに、幹耶は肌寒い思いをしていた。この場の気温がどんどん下がっていくような錯覚に(おちい)っていた。


「ある晩、今にも星が落ちてきそうな冬の夜空の下で、色々と考えたがコレという物が見つからず、疲れ切った私は天を仰いだ。そして目に入ってきたのは、モノリスタワーの最上階に鎮座(ちんざ)するマザーアゾットが放つ淡い桃色の光だった。そして一つの疑問が頭をよぎる。

その身に宿すアゾット結晶が破壊されればアンジュは能力を失うか死に至る。つまり、アゾット結晶は第二の心臓だ。だというのに、不死の女の子は私の目の前で全身を潰されても焼かれても、何事もなく再生した。あの子のアゾット結晶は、その小さい身体のどこにある?」


 言われてみればその通りだった。

 ()(れん)はアンジュとポリューションは似たようなものだと言っていた。そしてその言葉に照らせば、ポリューションがコアを破壊されれば消滅するように、アンジュがその身に宿すアゾット結晶が損壊すればただで済むはずが無かった。であるならば、秋織真斗(あきおりまと)の不死性は非常に(もろ)い。アゾット結晶を破壊されればその力を失う。しかし――

 幹耶は、真斗のアゾット結晶を見たことが無かった。


「私は考えた。アンジュはその身に宿すアゾット結晶の色が身体のどこかに必ず現れている。大体は髪の色だよ。幹耶くんは珍しく瞳だけどね。ちなみに私は白いとおばあちゃんみたいだから、青く染めているだけだよ」(せつ)(りん)はこほん、と一つ咳払いをした。「さて、問題の少女の髪の色は桃色、マザーアゾットの色も桃色。これは偶然かな? そこで私は不死の少女を徹底的に調べ上げて、そして一つの事実に行き当たった。秋織真斗、その秋織という苗字は真斗の居た孤児院で適当につけられたものだった。幹耶くんもそうだったね」


 幹耶は小さくうなずく。


「まぁ子供ってのは、自分の下の名前だけは良く覚えているんだよね。で、秋織真斗の本当の苗字は……佳賀里(かがり)だった。おそらく間違いない。聞き覚えあるでしょう?」

「き、聞き覚えも何も……」


 佳賀里。それはアイランドにおいてはもっとも有名な日本人の名前だろう。七つのマザーアゾットを突如世に表し、世界を震撼(しんかん)させた謎に包まれた偉大なる科学者の名だ。


「そして佳賀里博士には実子は居なかったけれど、七人の養子が居たんだよね。しかし実験中の事故で佳賀里博士が無くなられた後、その消息が突如途絶えた。そこで私はある予測を立てた。七つのマザーアゾット、それらにはそれぞれ対応したアンジュが居て、真斗(まと)はその一人なのではないかと。そしてその不死性でなんとか生き延び、巡り巡ってアイランド・ワンに流れ着いたのではないか、と」

「……いくらなんでも、突拍子もなさすぎではないでしょうか」


「そうかな? まぁそうかもね」(せつ)(りん)がくつくつと笑う。「でも真実はどうでもいい。問題なのは〝そうかも知れない〟と思わせるだけの事実が揃っているか、だよ。真実は事実で作り出せる」


「……それで、その事実が今回の件とどう繋がるのですか?」

「そう、ここからが本題だよ。アンジュを対等な存在として認めさせるには何か強いインパクトが必要だった。そして真斗がマザーアゾットのアンジュかもしれない、と思わせるだけの事実。私はこれを利用しようと思った。つまり――真斗に〝女神〟になって貰おうと思ったんだ」

「め、女神?」

困惑した表情で幹耶(みきや)が聞き返す。


「そう。アイランドの要石(かなめいし)たるマザーアゾットのアンジュとして、全てのアンジュを導く象徴になって貰おうと考えた。しかし……少女が女神になるには、解りやすい理由が必要だった」雪鱗が幹耶をまっすぐに見据えたまま淡々と言葉を紡ぐ。「アイランドが未曾有(みぞう)の危機に見舞われその存亡が脅かされた時、見事敵を打ち倒しアイランドを危機から守る。そしてそれがマザーアゾットのアンジュ、しかもその能力が伝説の不老不死とくれば、救世主としてこれ以上解りやすい素材も無い。周囲が盛り上がってくれれば、後は少し後押しするだけで英雄化させるのも簡単だよ。あの可愛らしい外見も一役かうだろうね」


 幹耶はゆっくりと頭を振る。


「解りませんね。よしんばその計画が功を成したとして、何かが変わるとは思えませんが」

「そんな事はないさ。全ての寄る辺なきアンジュに、集うべき旗印を掲げる。それだけでいい」

 両腕を軽く広げて雪鱗が言う。


「アンジュが弱者の立場に甘んじているのは、数が少ないからだよ。集い、団結し、このアイランドに我らアンジュの旗を立てる。正面から争えば、普通の人間はアンジュにかなうわけがない。数の不利さえ克服すれば、私たちアンジュに平伏するしかないんだ」


 演説をする為政者のような雪鱗の姿を見て、すとんと幹耶の胸に落ちるものがあった。ずっと感じていた違和感、その正体にようやく気が付いた。

 真斗と雪鱗はその性質は決定的に異なるが、根っこの部分がとてもよく似ているのだ。

 真斗が表なら、雪鱗は裏。

 陽と陰。 

 太陽と月。

 星降るあの夜、異口同音に理想を語った二人の少女たち。それを聞いた時から感じていた。この二人はよく似ている。しかし、何かが明らかに違う。


 秋織真斗が光であるとすれば、天白雪鱗は闇だ。

 アンジュと普通の人間との共存を目指す真斗。

 アンジュによる一方的な支配を目指す雪鱗。

 同じアンジュの平和を目指しながら、見ているものがまるで違う。歩む道が全く違う。


 正反対のようで、しかしとても近しいもの。

 それが、二人の少女のあり方だった。


「貴方は情報を流して事態を混乱させたのではなく、原因そのもの……なのですか?」

 胸のつかえを無理やりに飲み下し、幹耶が言葉を吐き出す。


「というか、作戦を練るための前準備として私は磯島にとある研究を依頼した。つまり、ポリューションの人造だよ。倫理(りんり)と監視の目に阻まれ、思う様な研究ができなかった磯島に機会と材料を与えた」


 どこか場違いな明るい声で、飛行機の発着を知らせるアナウンスが流れてきた。

 残響が完全に消えるのを待って、雪鱗が続ける。


「まぁ、かくして研究は成果を生み出した。しかし、磯島は暴走を始めた。その研究成果を私に引き渡さず、それを餌にどこかの国家と取引を始めたんだ。流石に私も戸惑ったけれど、逆にこれは利用できるのではないかと思い始めた。真斗に散々酷い事をしてきた磯島はいずれ始末するつもりだったし、最後に役に立ってくれるなら申し分ない。つまり、磯島に〝アイランドの敵〟になって貰おうと考えた」

「……それから、貴方は何をしたのですか?」


「いや? 特には何も」(せつ)(りん)が大げさに肩を(すく)めてみせる。「しいて言えば、研究の進んでいた〝イージス〟の作成に協力したくらいかな。頼れる盾があれば、後は少し煽ってやればあのプライドと自己顕示欲の塊のような男は必ず最前線に立つ。そこを真斗(まと)に始末してもらうつもりだった」


 一応イージスのほうにはいくらか細工をしたけれどね、と雪鱗は肩を揺らす。


「後は楽なものだった。黙って見ているだけで事が進んだねー。色々仕事は忙しかったけれど。しかし私は甘かった。磯島はやはり天才で、そして予想以上に狂人だった。気が付けば、ミュータントプログラムは予想以上の脅威になっていた」

「ランクAのポリューションを生み出すほどに……ですか」

「そう、それもある」神妙(しんみょう)な面持ちで雪鱗が(うなず)く。「だけどもっと問題だったのは、そのプログラムをバベルに乗せてばら撒こうとしていた事だよ」


 幹耶は思い出す。確かに、隠れてモニターしていた真斗との会話で磯島はそのような事を言っていた。


「私は焦った。本当に焦った。急いで調べてみればもう完成は目前だった。もしミュータントプログラムが完成して、バベルに乗せてばら撒かれたらアイランド・ワンが崩壊する。それでは何もかもが台無しだ。とはいえ、派手に動いてこの件に私が一枚噛んでいると誰かに疑われるのもまずい。

 そこで私が取った行動は、情報の一部をスピネルにリークして、更にリークされたという情報を磯島に流して計画を早めさせた。つまりは計画を誘導し、さらに妨害して失敗に導くというものだよ、でも、それぞれが結局がどう動くか読み切れなかったし、正直かなりギャンブルだったね。最悪の場合は磯島を自分で始末して、ミュータントプログラムだけでも回収するつもりだった」


 一息にそういうと流石に喉が渇いたのか、雪鱗は自らのカップに残った甘い香りを放つ、余計に喉が渇きそうな液体を一気に飲み干した。


「結果として、大筋では私の予想通りに事が進んだ。作戦計画を盗み見た時点で仕込んでおいたバックドアから戦闘ヘリのAIを乗っ取ってもらって、失敗に追い込んだ。真斗に磯島を始末してもらえなかったのは残念だけど、まぁこんなものでしょう」


「……そんな」

 馬鹿な、と言いかけて幹耶は口をつぐむ。

 思い返してみれば――ヘリ部隊が飛来したとき、それらを何の情報もないのに敵性であると思わせる発言をし、部隊を誘導したのは誰だったか。

 雪鱗と、そして萩村だ。


 マザーアゾット防衛を雪鱗が提案し、即座に萩村が認可を伝えた。しかしそんな認可、本当は降りていなかったのではないだろうか。あの時にも感じたことだが、あの混乱状態であまりにも素早い認可。やはり不自然だ。


 それに、戦闘ヘリのAIハッキング、これも萩村によるものだ。バックドアの存在を知っていたと言うことは、やはり協力者なのに違いない。ほかにも色々と関わっているのだろう。


 雪鱗といつも行動を共にしている火蓮はこの事を知っているのか? 計ったようなタイミングで輸送ヘリを撃ち落とした華村は? 


 こうなると、誰も彼もが疑わしい。


 それに街中にポリューションが大量発生したとき、雪鱗は何と言った?

 思っていたよりも多い……と、確かにそういった。何を、どう思っていたというのだ。


 よくよく振り返ってみれば、怪しい言動はいくらでもあった。


「まぁさ、正直に言うと私は頭の良い人間ではないから、知略(ちりゃく)謀略(ぼうりゃく)の類を張り巡らすことなんてできるようなタイプじゃないんだよね」そう言って、雪鱗はいつものように大げさに笑って見せる。まるで昔の悪戯(いたずら)を語る子供のような表情で。「だからさ、私のしたことなんて船のかじを切るように少しばかり手を加えただけだよ。中々にスリリングだったけどね」


「望む成果は……得られましたか」


「そうだね、半々と言った所かな。アイランド・ワンを危機から救った立役者は確かにアンジュ達だけど、そもそも危機に陥らせたのはアンジュの近縁みたいなポリューションだからね。なんだか微妙な空気になってる」予想していた結果の一つではあるけれど、と雪鱗が小さく肩を竦める。「まぁ良いさ。そう簡単に行くとは思ってなかったし。また何か考えるよ。一つだけ良い事があったとすれば、スピネルが有事に備えた戦力の増強って名目でアンジュの保護と育成を始めてね。どう転ぶか解らないけれど、それだけは良かったかな」

「……ぜ、んぜん、良くないでしょう……。一体、何人死んだと……」

 絞り出したような声で幹耶(みきや)が呟く。


「んー? たしか、三百人くらいだったかな。もうチョイ多い? まぁ意外と少な――」

 雪鱗がそう言い終わる前に幹耶が腰を浮かせ、雪鱗に掴みかかろうとする。しかし、何か強大な力の圧力が頬をかすめ、その動きを制した。


 一瞬だけだったが、それの正体を幹耶の蒼い瞳は確実に捕えていた。雪鱗を包むアーツ《不貫(ホワイ)(トス)(ケイル)》の一部が突撃(ラン)()のように伸び、幹耶(みきや)の頬をかすめたのだ。


 揺らされて倒れた幹耶のカップからコーヒーがテーブルの上に広がり、その上に引きちぎられて宙に舞った幹耶の髪の毛数本が音もなく落ちる。それを無言で眺めながら幹耶は思い出す。脱出を阻まれ、殺害された思われる磯島(いそじま)の遺体がどのような状態だったかを。


 ――全身を尖った何かで貫かれ、四肢をちぎられた――


「拷問でもしましたか……? 手に入れたミュータントプログラムは、どうするおつもりですか。(せつ)(りん)さん」

 幹耶は力が抜けたように椅子に座りなおした。


「完璧だと思っても、もうひと押しすればおまけが手に入る」

「……なんのことですか?」

「トーマス・エジソンの言葉だよ。学ばなければね」くつくつと雪鱗が喉を鳴らす。「本当はあんな危険物、なくても良かったのだけれど……まぁせっかくだしね。解読キーを聞き出すのにがらにもなく少しばかり荒っぽい事をする羽目になったし、結局口を割らなかったから脳に直接聞くことになったけれどね」

 ま、使う気もないけど、とふざけたように肩を竦める。


「おまけと言えば、君の事もそうだよ。幹耶くん」

「おまけ? え、私が?」

 突然水を向けられた幹耶が戸惑ったような声を上げる。


「幹耶くんの正体、経歴、そして目的は知っていたからね。状況さえ整えてやれば必ず行動を起こすと思っていた。その後の事は風任せだけど、真斗に殺されないでよかったねぇ」

「……どうやって知りえたのですか?」


「思考を盗み見るプログラムを組み込んだ生体ナノマシンを、こう、ちょちょいとね」

「えっ」幹耶は言葉を失った。「え、ちょ。いつの間に」


「ほら、初めてゲートをくぐる前に金平糖を口に押し込んだでしょ? あれの中にね。あぁ、心配しなくてももうとっくに自壊してるから気にしなくて平気だよ」

「本当でしょうね」

 訝しむような目で幹耶は雪鱗を睨む。思考を読み取る? 冗談ではない。

 ん? 思考……?


「ま、さか。タワー最上階の時も覗き見て……?」

「あぁ、まるであなたは太陽のようだ、って? 意外とロマンチストねぇ」

 うぷぷぷ、とわざとらしい笑い声をあげて雪鱗が茶化す。


 幹耶は恥ずかしさで顔を上げることができなかった。本当に顔から火が出るのではと思えるほどに頬が熱い。


 なぜ雪鱗はいつまでたってもやってこないのか。マザーアゾットの前で真斗と対峙した時、確かにその疑問は幹耶の頭の中にあった。しかしすぐにそれどころではなくなり、気に留めていなかった。

 雪鱗は待っていたのだ。おまけが、真斗の手に落ちるのを。


 混乱する頭を抱えて、幹耶は今回の件を一から整理してみようと試みる。




 まず、雪鱗は〝真斗が解決するための危機〟を作り出す為に、磯島にポリューションを生み出す技術の研究を依頼する。おそらく、初期の段階で生み出されたポリューションは雪鱗自身が始末していたに違いない。


 そしていくらか研究が形になったころ、磯島はポリューションを生み出す技術〝ミュータントプログラム〟を餌にして、どこかの国家へ亡命を要求する。この国を仮にA国とする。


 初めからそのつもりだったのか、あるいは磯島の話を聞いて思いついたのかは不明だが、A国はミュータントプログラムを利用して混乱を生み出し、その期に乗じてマザーアゾットを奪取する計画を立案する。そのためにはプログラムの完成が必要不可欠。磯島の研究は新たなパトロンを得て更に加速する事になった。


 しかし、研究を進めればどうしてもポリューションが生み出される。そしてそれを処理しなければならない。とはいえ、雪鱗に除去を任せれば磯島が亡命を画策している事を気取られる恐れがある。それはA国にとっても不都合だった。確実に妨害されるからだ。だが通常戦力で除去しようにも大規模な火力が必要になる。秘密裏に処理する事は難しい。


 そこでA国はポリューションを清掃(スイー)部隊(パー)に除去させるために、ポリューション大量発生のカモフラージュとしてテロ組織を利用する事を思いつく。

 A国は〝反アゾット〟を掲げるナチュラルキラーをアイランド内に招き入れ、武器や情報を与えた。そうしてアイランドはテロと大量のポリューションの脅威に晒される事になった。


 白羽の矢が立ったナチュラルキラーとしては願ったり叶ったりの展開ではあった。しかし彼らとて暴れるだけの無能集団ではない。突然もたらされた支援の裏には何があるのか、一体何が目的なのかを探り、マザーアゾットの奪取が計画されている事を知る。


 当然、ナチュラルキラーとしてはこの計画に茶々を入れる必要はない。むしろ手助けしてしかるべきだ。だが、万が一にも失敗するような事があれば、警戒が強化され同じチャンスは二度と巡っては来ないだろう。保険をかける必要があった。そうして、A国の協力と《迷い(ミス)の(トブ)(ルーム)》の記憶改竄により送り込まれたのが《(デュラ)(ンダル)》、千寿幹耶だ。


 アイランドでテロを繰り返すのには、もう一つの目的があった。計画の成功率向上のため、アイランドを管理するスピネルの実働部隊を疲弊させ、戦力を削ぐという物だ。事実、連日のテロとポリューションの発生でアイランドの防衛力は大きな減少を見せる。


 急激に勢力を増したナチュラルキラーと大量発生するポリューションに違和感を覚えながらも、あまりの多忙さに忙殺され、雪鱗は裏側にある物にこの時点ではまだ気が付いていなかった。

 しかし、ショッピングモールでの一件で事態は急変する。


 同じ姿形をしたポリューションが複数同時に現れた。普通なら〝珍しい事もあるものだ〟で済ませてしまう所かもしれないが、雪鱗は違った。意図的にポリューションを生み出す研究を始めさせたのは他ならぬ彼女自身なのだ。関係を疑うのは当然だった。


 それに加え、幹耶に仕込んだ思考を読み取るプログラムを組み込んだナノマシンからの情報で、ナチュラルキラーとそれを支援するA国が何を狙っているのかを知った。


 自身もそう言っていたが、雪鱗は相当驚いたに違いない。全く知らぬうちに大事になっていたのだ。大急ぎで萩村と共に探りを入れ、計画の全容を把握したに違いない。


 そして雪鱗が何をしたかといえば、特に何もしなかった。ほんの少しだけ情報を操作し、A国や磯島達の計画を丸ごと利用する事にしたのだ。


 アイランドに壊滅的な被害が出ぬよう、かつそれなりの危機を演出できるように計画を半端な形で前倒しさせた。そして頃合いを見計らって計画の要である戦闘ヘリのAIをあらかじめ仕込んでおいたバックドアから乗っ取り、計画を破綻させた。


 おまけとして、真斗がモノリスタワーへ向かう人選をしているときにそれとなく幹耶を連れて行くことを提案し、まんまとマザーアゾットの前へ連れ出した。そして真斗と戦わせ、望む結果を引き出した。

 万が一真斗が敗北するような事があれば、その際は自らがケリをつけるつもりだったのだろう。


 そして、アイランドから逃げ出そうとしていた磯島からミュータントプログラムを奪い取った――


 何もかもが手のひらの上。 想定外の事態すらも利用して、見事に事を成し遂げた。


 もはや幹耶は目の前の少女に対して、畏怖とも恐怖ともつかぬ感情を抱き始めていた。

 この人は、一体何者なのかと――




 居心地の悪そうな幹耶をにやにやと眺めていた雪鱗だったが、やがて満足したのか「そろそろ行きましょうかと」言い、出口に向かって歩き出した。幹耶もその背中に少し遅れて付いていく。


「一つ、聞いても良いですか。とても大切なことです」

「いいよ。頭の中を覗いたお詫びに答えてあげよーう」


「今回の件、真斗さんは知っていたのですか」

「全然。真斗はこういう(はかりごと)は好まないだろうからねぇ。何も伝えていない」


「ではあなたは、本人が望みもしていない女神なんてものに真斗さんを仕立て上げようと? そんなの――」

 間違っていると、決然と幹耶は言い放つ。しかし雪鱗はそんな様子を気にも留めないように肩を揺らすのみだった。


「正しい? 間違っている? 誰がそれを決める? お綺麗ごとを並べたところで意味はないよ。でもまぁ。そのまっすぐな正義感、私は嫌いじゃないかな。そりゃね、そういうの昔はうざーいって思っていたけれど、いざ自分がこういう立場になってみると、それの(とうと)さがよく解るっていうか……。それに、さ」

「それに?」

「真斗はきっと、死にたがっていると思うんだ」

 寂しそうに目を細めて、雪鱗がぽつりと言葉をこぼす。


「何度も苦しい思いをしながら、死ぬたびにもう終わりかも知れない恐怖と戦って。そのくせ、無計画に敵に突っ込むし、あげく自爆までするし」

 そう言われて幹耶はハッとした。確かに、痛い、苦しい、怖いと言いながら、あの少女はまるでそれを望んでいるかのように死へと向かっていく。自らの足で。


「人の世はもはや黄昏。きっとあの娘には見えているんだろうなぁ。誰も居なくなった広い世界で、ぽつんと一人取り残された自分の姿が」

「そう、かも知れないですね」

 寂しいのは嫌だと、真斗は確かにそう言った。もはや自らの死すら望めぬ少女の、唯一の願いだ。


「ああ見えて、あの子は繊細でね。楽しい事があるたびに、嬉しい事があるたびに、笑顔の後に必ず、一瞬だけ悲しい目をするんだ。いつか一人取り残された時に、この思い出を抱えて生きていくことを考えずにはいられないんだろうね。ちょっと、見ていられない……かな」


「雪鱗さん、貴方は……」

 幹耶の言葉を遮るように軽く手を振る。


「勘違いしないでよ。私はね、いつもしかめっ面でつまらなそうな正義のヒーローよりも、いつも何かを(たくら)んでニヤついている悪役でいる事を選んだんだよ。そっちの方が……」雪鱗は不意に振り向き、幹耶に月明かりのように柔らかい、しかしどこか怪しさを感じさせる微笑を向けた。「そっちの方が、楽しそうじゃない?」


 きっと雪鱗の中には、善や悪といったものは、もはや存在しないのだろう。あるのは、ただ一つの理想のみ。そして、善意の残り香。


 雪鱗の行ったその行為は紛れもなく悪だ。しかし、自分とて元とはいえテロリストの一員、雪鱗の行為を批判する事も咎める事も、ましてや裁くことなど到底できはしないのだろうと、幹耶はそう思った。


 それでも幹耶にできる事があるとすれば、また今後、雪鱗が同じような謀をした際に被害が拡大しないよう眼を光らせ、立ち回る事くらいだろう。


「あーっ! やっと来た! 遅すぎるよ二人ともー!」

 二人が空港を出ると、すぐさま非難の声を浴びせられた。

 幹耶が声のする方向に視線を向けると、桃髪の少女が両腕を振り回して抗議の声をあげている。


「ごっめーん! 幹耶くんが迷って二ヴルヘイムまで行っちゃっててさー」

 いきなり何を言い出すんだこの人は。


「神話の世界にまで!? どれだけの方向音痴なのよ、みーくん!」

 あなたもあなたで乗るんじゃない、と幹耶は心の中で突っ込みをいれた。


「みーくん? あだ名かそれ」

 運転席から()(れん)が首を向けて真斗に問いかける。

「あっ。あー、うん。そんな所」

 ふーん、と火蓮は何かを察したような顔で微笑み、小さくうなずく。


 三人は火蓮が運転する高機動装甲車に乗り込み、空港を後にする。助手席は雪鱗、後部座席に真斗と幹耶。それといつか見た、ピンク色をした猫のぬいぐるみという形だ。


「久しぶりだなルーキー。腕のほうは大丈夫なのか」

 火蓮がハンドルを握ったまま幹耶に問いかける。


「ええ、自分でも意外なほどに何ともないです。現代医療はまるで魔法ですね」

「そ、そう? それなら良かったけれど……」

 幹耶の言葉に真斗が心配そうな顔で幹耶の左肩を見つめている。


「そういえば幹耶くん、例のショッピングモールで君が切り倒した時計塔の件で、管理部が始末書書けってさ。それと、減俸(げんぽう)だって」

「えっ!」

 雪鱗が昨日の天気を話すような気軽さで、衝撃的な事実を幹耶に告げる。


「大丈夫だよ! 始末書の書き方は私がよーく解っているし、減俸だって心配ないわ、下僕の一人くらい私が養ってあげる!」

「「「えぇっ!?」」」

 突拍子もない真斗の発現に驚く三人の声が重なった。


「お前ら、やっぱりそんな間柄(あいだがら)になったのか? やるなルーキー。恋人通り越していきなりヒモかよ」

「いや! いや違いますよ!?」

 茶化すような火蓮の言葉を幹耶は必死に否定する。その様子を雪鱗が驚いたように口元を手で隠して見つめていた。「貴方は事情を知っているだろう!」と幹耶は一言言ってやりたかったがそれどころではなかった。あの手の下は、きっとこれ以上ないほどにやけているに違いない。


 真斗がウィンドウを下げると、うっすらと花の香りを孕んだ春の風が舞い込んできた。包み込むような優しい陽光を受けて、真斗が目を細める。

「あぁ、平和ねぇ」

「私のお財布は世界恐慌なのですが」

「平和ねぇ¬」


 幹耶の言葉を聞き流して真斗が再度繰り返す。既に関心事ではないらしい。というか、なぜ自分だけ……と幹耶は内心でいじけた。

 まさか、雪鱗さんが一枚噛んでるんじゃ……とも一瞬思ったが、流石に考え過ぎだろうと頭を振る。


 ちなみに幹耶の予想はあるいみで大正解だ。

雪鱗にしてみれば、ほんの軽いジョークのつもりだった。それを幹耶があまりにもあっさり信じ込むので、むしろ逆に困惑したくらいだ。

 戦闘中における破壊をいちいち責任問題にしていては部隊が機能しない。第一、あれくらいで減俸になるのなら、病院を石窯のようにしてしまった火蓮などはとうに破産している。しかし、その事を幹耶が知り、胸を撫で下ろすのはもう少し先の話であった。


 やがて高機動装甲車が長い橋を渡りきり、アイランド・ワンに入る。

 遥か前方には天を二分するかのような巨大な建造物、モノリスタワーが見える。その雲の向こうに霞む最上部から、桃色の光が溢れでていた。


「結局、アゾット結晶って一体何なのだろうな……」

 マザーアゾットの神秘的な光を眺めながら、誰に問うでもなく幹耶が呟く。


「この星の、命の結晶じゃないかって私は思うのだけど」

 その言葉に答えたのは真斗だった。真斗はさらに言葉を紡ぐ。


「マナ、エーテル、オド……。そういった、超自然的な力と言われる物が形になって現れたものなんじゃないかって思うんだよねー」

「でた、ロマンチスト」

 助手席から雪鱗が茶化す。


「でもまぁ私もそれに近い意見を持っているよ」

「何よ。聞かせなさいよー」

 頬を膨らませて真斗が言う。


「私はね、今や失われた石油資源は、地球の血液なんじゃないかって小さいころに思ってたんだよね。そしてそれが枯れ、次に現れたのがこの星の命そのものであるアゾット結晶なんじゃないかと」

「何よ、おゆきも十分ロマンチストじゃない」


「いや、そうじゃないな」火蓮が横から口を挟む。「ユキはこう言いたいわけだろう? つまり、この星は既に瀕死の状態を通り越しかけていると」

「では、そのアゾット結晶を身に宿すアンジュは、一体何者だとお考えですか?」

 純粋な興味を顔に浮かべて幹耶が問う。


「はいはいはい!」真斗がピシッと右手を上げる。「天使だと思います!」

「あ、その意見には私も賛成」

 また茶化すかと思えた雪鱗だが、以外にも真斗の意見に同調した。


「地球の命を最後の一滴まで搾り取ろうとする人類から、この星を守るべく命を分け与えられた者たち。それがアンジュだって思ってる」


「よくそんな恥ずかしい言葉がポンポンでてくるな」

 火蓮が苦笑いをしながら煙草を咥える。


「女の子はこういうの好きなんですー。若さを忘れた火蓮には解らないんですー」

 唇を尖らせて雪鱗が抗議する。


「でもさ、アンジュはなんで〝アンジュ〟って呼ばれるの? 何か語源でもあるのかな」

「へへー。知りたい?」

 真斗の言葉に、助手席から雪鱗がニヤリと顔をのぞかせる。


「説は二つ。〝異形なるもの〟を表す〝アンユージュアル〟を略して〝アンジュ〟って言うのが一つ」

「もう一つは?」

 幹耶が続きを促す。


「フランス語で、天使って意味らしいよ」

「「「へぇ」」」

 わりとどうでも良かった。


 長大な橋を深緑の高機動装甲車が走り抜ける。幹耶の視界の端に、ふと桃色の欠片が(よぎ)る。桜の花びらが春風に乗って、蒼く澄み渡ったアイランド・ワンの空にもう一つの彩りを添えていた。


「桜ですか……綺麗ですね」

「ここは日本の領海内だからね。日本と言えばやっぱり桜でしょう」(せつ)(りん)が窓の外を、嬉しそうに目を細めて眺める。「そうだ、幹耶(みきや)くんの快気祝いもかねてお花見しようよ。このまま買い出しに――」

 雪鱗の言葉を遮るように、真斗(まと)たちのバベルへ緊急通信が割り込んできた。


『緊急ですー。JーN二六地区、蓄電施設のすぐそばで大型ポリューションが発生、推定規模ランクA+か、それ以上ですー。ランクSに相当するかもですねぇ。あっ、幹耶さんお久しぶりですー』

『えっ、あ、はい。お久ぶりです』

 相変わらず危機感の無い萩村(はぎむら)の声に引きずられて、幹耶も間の抜けた言葉を返す。


『ランクSねぇ……。はーちゃん、映像出せる?』

 真斗が言う。

『はいはーい。衛星の映像を送りますねー』

 送られてきた映像ファイルを展開し、四人は目を見張る。しかしその表情はそれぞれ違うものだった。


「これって……」

 驚愕(きょうがく)と困惑に表情を曇らせる千寿幹耶(せんじゅみきや)


「はーん。まぁ、中々面白そうな奴だな」

 たいして興味も無さそうな穂積(ほずみ)()(れん)


「ポリューションのくせに堅そうな鱗だね。良いね、真っ向勝負してみたいなぁ……」

 揉み手をせんばかりに乗り気な様子の(あま)白雪(しろせつ)(りん)


「わー羽! って言うか翼! 飛んだりするのかな!?」

 見た目相応の子供のようにはしゃぐ秋織真斗(あきおりまと)


 送られていた映像に映っていたのは、巨大な体躯(たいく)に捻じれた角と雄大な翼を生やし、鋼鉄よりも頑強(がんきょう)そうな黒い鱗に全身を包み、全てを焼き尽くしてしまいそうな紅蓮の炎を牙の間から漏れださせている――

 紛れもなく、伝説上の怪物、ドラゴンだった。


『ハナさんとメロンさんも既に現場に向かっていますー。連携して即時除去。周辺施設への被害を防いでくださいー』

『了解、急行するわ』真斗は幹耶へ視線を向ける。「残念だけどお花見は少しお預けね、みーくん」


「仕方がないですね。私の剥離(はくり)(びゃっ)()はありますか?」

座席(ざせき)の下に持ってきているわよ」

 幹耶はシート下から(さや)の新しくされたサードアーム、剥離白虎を引きずり出し、その感触を確かめる。


 これから伝説の怪物が待ち受ける死地へ赴こうというのに、不思議なほど心は落ち着いていた。

 新調された(さや)に刻まれた、海上実験島アイランド管理機構スピネル、その清掃部隊ピンキーの所属である事を示す部隊(ぶたい)(しょう)を指で撫でながら思う。


 やはりアイランドは好きにはなれないと、今でもそう思う。金と欲にまみれた、この世の掃き溜めのような街だという印象は今でも拭いきれない。

 しかし、そんな場所にも希望を見出す者がいる。命を懸けて理想を掲げる者がいる。


 沈まぬ太陽のような、眩しいほどの生き様の我が隊長――

 自分の理想はなんだろう。何を願い、何を思ってこれからを生きればいいのか、未だに解らない。


 だから、それが見つかるまでは、隊長殿の途方もない理想に乗っかってみようと思う。いずれ、自分も何かしらの理想を抱ける日が来るかもしれない。


 雪鱗さんのやり方は――やはり賛同しかねるが、綺麗ごとだけでは回らぬ世界だ。頭から否定する事はできない。

 どうせ既に汚れきった我が人生。少しくらいなら手伝っても良いかとは思う。もちろん、真斗から怒られない程度に、だが。


 ふと、幹耶の脳裏に幼い日の記憶がよみがえる。

 幼少時代の一時期を共に過ごした少女。その忘れようとして、それでも忘れられなかった悪夢が、少しづつ大切な思い出へと変わっていくのを感じた。

 そして思い出は、未来へと繋がっていく――


 「さぁ、お仕事開始よ! ムーブムーブ!」

真斗(まと)が前列の座席の間から身体を突きだし、まっすぐにフロントガラスを指さして宣言する。

その細い指が示す先にあるのは、一体どんな未来だろうか。


「スピネル実働部隊、清掃(スイー)部隊(パー)《ピンキー》――。クリーニングを開始する!!」


                                                                        完


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