左利きのクジラとバルミダ機関
抜けるような青空の下、深緑の高機動装甲車が軽快に街を駆け抜けていく。その後部座席で幹耶は、予想以上にハードなトレニーンングで鉛のように重くなった身体をシートに深く沈めていた。
「おい真斗。退院したてのルーキーに何したんだ? 既にへとへとじゃないか」
「なにって、別に。軽くリハビリを兼ねてトレーニングをしただけよ」
「軽く、ねぇ……。やたらと新人に無茶させたがるよな。真斗なりの歓迎の仕方なのか?」
火蓮の言葉に真斗は「いいじゃんー」と頬を膨らませた。
「いや、私は大丈夫。大丈夫ですから……」幹耶は身体を起こし、二人の会話に入る。「それよりさっき気が付いたのですが、トレーニング中に真斗さんはなぜスリップしたのですか?」
「うん? どういう事よ」真斗が不思議そうな顔で振り返る。
「いくらリアルとはいえ、武器も防具も光も風も……全てバベルを通して脳内に送られた情報に過ぎないのですよね? であれば、実在しない血だまりに足を取られてスリップなんてするはずがないと思いまして」
「はん。目の付け所が鋭いな。お前よりよっぽど優秀なんじゃないのか? 真斗」
「いーっだ! うっさいやい」茶化す火蓮に真斗は歯をむいて見せ、そして幹耶に向き直る。「ネタばらししちゃうとね、天井とか壁とか床に小さい穴がたくさん開いていたの、気が付かなかったかな」
「うーん、言われてみれば、確かに……?」
幹耶は首をひねって思い出す。確かに、床に転がされたときにそのようなものを見た気がする。
「その穴から空気を押し出して風を作り出したり、液体を出して雨や水たまりみたいなのを再現したり……。そんな小細工で脳への負担を減らしているのよ」
「はぁ、また何ともアナログですね。しかしまたなんでそのような事を?」
「さっき自分で言っていたじゃない、実在しないものに足を取られるはずがないって」小鳥が囁くように真斗が笑う。「より実践に近い環境を作り出す為と、脳への負担を軽減して事故を防止するためって所かしらね。どんな最先端技術にもできない事はある。まぁ役割分担みたいなものね。人間だってそうでしょう?」
確かに真斗の言うとおりだ、と幹耶は頷く。たとえば、一皿の料理でもそれが完成するまでにどれだけの人の手が加わっているのか。まず素材、それの輸送、そして調理……。
要するにすべては組み合わせだ。いかに優れていようと一つの技術、一人の人間にできる事など限られている。
やがて深緑の高機動装甲車が路地に入り、ゆっくりと停車した。
「お前らついたぞー」
そう言って火蓮がまだ長い煙草を灰皿に無理やり押し込む。
「あれ、良いんですか? 煙草って高級品でしょう」
文明後退による税金の財源減少により価格を際限なく引き上げられ、加えて単純に煙草の葉の生産量が大きく減少した事で、今や煙草は一部の愛好家のみが嗜む高級嗜好品になっていた。
「ああ、中は禁煙だしな。店内で吸ったらダンナにミートパテにされちまう。それに吸いかけの煙草にまた火をつけても味が悪いからな」
「少しもったいない気はしますがね……」そう言って幹耶は真斗と共に車外へ出る。「ん? ここを降りるんですか?」
幹耶の視線の先には〝左ききのクジラ〟という看板と地下へ通じる階段があった。入り口の装飾からも、その先にあるのはアルコールをメインで出す飲食店だと思われる。昼間にランチを出す店もあるとは聞いたことがあるが、そんな雰囲気にも見えなかった。
「ささ、早く降りて」
そう真斗に促され階段を降りる。今時珍しい天然木のドアを開け店内を覗き込むと、やはりまだ準備中の様子でかなり薄暗かった。
「おじゃましまーす……。うん? なんだあれ」
幹耶が店内に入りあたりを見渡すと、うず高く山積みにされた食器が目に入った。不審そうにそれを眺めていると、その脇からひょっこりと雪鱗が顔をだし、手招きするようにスプーンを振ってくる。
「おいすー。先に頂いているよー」
「いつも通りの食べっぷりよねぇ」
真斗はそういうと雪鱗の隣に腰かけた。火蓮と幹耶もそれにならって同じテーブルにつく。
幹耶は何ともなしに積み上げられた食器類を数えていくが、その数が二十を超えたところで数えるのをやめた。もしこれらの料理を一人で平らげたのだとしたら、雪鱗の小柄な体格よりも体積が多いのではないかとさえ思えた。
「来たなお前ら。悪いが少し待っていてくれ、ユキの奴が一人で全部食っちまいやがった」
店の奥から色黒で禿頭の男性がキッチンからその大柄な体を晒す。その見覚えのある姿に幹耶は首をかしげる。
「あれ、貴方は……、たしか空港で」幹耶は頭を下げた。「あの時はお世話になりました」
「お? おぉ、やはりまた会ったな。千寿幹耶くん、だったか。話はユキから聞いたよ」
「んー? なによ、もう知り合ってたの?」
スプーンを幹耶と禿頭の男性を交互に向けながら雪鱗が言う。行儀が悪いどころの話ではない。
「ええ、空港で迷子になっているところを助けていただきました」
「ほぉー。あ、奥さんを空港にお見送りに行ってたんだね。医療特化のアイランド・ツーに行くんだっけ」
禿頭の男性を見ながら雪鱗が言う。
「あぁ。最近ここはきな臭い事ばかりで、生まれてくる命に優しくないからな」
禿頭の男性が難しい顔でいう。確かに、アイランド・ワンはどこか張りつめた雰囲気に満ちている。
「自己紹介をしていなかったな。石花海だ。だがあだ名はダンナだからな、そちらで呼んでくれ。ピンキーの決まり事だろう?」
「ちなみにダンナもピンキーのメンバーだったんだけど、奥さんが妊娠したのをきっかけに除隊したんだよー。それで、今はアンジュ歓迎のバーのマスターってわけ」雪鱗がオムライスを解体しながら言う。「ちょー強かったんだから。〝鋼の海王〟なんて言われるくらい、近接戦闘では敵無しだったんだよ」
「鋼……ですか」
「一言で言えば肉体強化だね。肉体を鋼の様に硬質化させるんだよ。身体能力も他のアンジュのそれよりも大幅に強化されていてね、戦場を蹂躙するその姿は、まさに人型戦車って感じだったよ」
「なるほど。シンプル故に目立った弱点もないといった所ですか」
「ところがそうでも無くてね」くつくつと雪鱗が笑いを漏らす。「体毛までは硬化させることができなくて、敵の攻撃に焼かれて全身つるつるになっちゃってね。そのせいでダンナを〝海坊主〟だなんて呼ぶ人も居るよ」
石花海は「やめてくれ、昔の話だ」と照れくさそうに言いながらキッチンへと姿を消してしまった。
「そうだ真斗。来週は定期健診のはずだけど、日程わかってる?」
「あ、忙しくて忘れていたわー……。面倒ねぇ」
そういって真斗がうなだれる。
「定期健診?」
「そうか、幹耶くんは初めてだよね。まぁ詰まる所、アンジュのデータ取りだよ。私は一度もまじめにやった事はないけどねぇ」
そういって雪鱗は悪戯っぽく笑う。
「そういえばハナとメロンはどうした。まだ来てないのか」火蓮は店内を見回す。「まさか、また緊急の呼び出しか?」
「うん……、ご明察」雪鱗が指を払うような動作をする。「言葉で説明するよりも、まずはこれを見てほしいな」
幹耶たちは送られてきた映像ファイルを展開する。そこに映し出されていたのは、夢遊病のようなおぼつかない足取りで歩く一人の不審な男性だった。周りの様子から察するに、場所はどこかの商業施設のようだ。
「何よこれ?」真斗が細い顎に手を当てて不審そうに目を細める。「昨日のショッピングモール……?」
「ま、見ていてよ」そう雪鱗が言う。
真斗、火蓮、幹耶の三人は言われた通りに黙って映像に意識を集中させる。変化はすぐに表れた。歩き回る男性に、通報を受けて駆け付けたと思われる灰色の戦闘服を着た人影が話しかける。腕には調査部隊所属を示す、首からライフルを下げたペガサスの部隊章。その下の数字は二七。シャルムが隊長を務める調査部隊の第二十七番隊だ。
問題はそこからだった。話しかけられた男性が急に頭を抱えて苦しめはじめ、身体のあちこちから黒い炎を吹き出し――調査部隊の隊員を巻き込んで爆発するように激しく燃え上がった。同時に画面はホワイトノイズで覆われる。次に映し出された映像には、先日幹耶を襲った悪夢、ガルムの巨体が砂嵐のようなノイズの向こうに現れていた。
「――は……?」今見たものが信じられずに幹耶は大きく口をあけている。「え、ちょ。なんですかこれ。人間が爆発して……。これは、ガルム?」
「あれ、誰も幹耶くんに説明してなかったの?」雪鱗が首をかしげる。「ポリューションは人間がダストで変異した存在よ」
「え、いや、しかしポリューションは公害だと」
「そうだ、公害の定義からは外れてはいないぞ。もしあれが自然発生したものなら、呼び方は災害ってところかな」火蓮が言う。
「んで、次にこれ」狼狽える幹耶を放置して雪鱗がまた映像ファイルをよこしてきた。「まったくの同時刻に、別のカメラに収められていたものだよ」
そちらの映像もほぼ同じような内容だった。違いがあるとすれば、不審者の性別が女性だったという点くらいか。
「同時刻? ありえるのかしら、そんな事。そういえば、そもそもガルムが二体と言うのがおかしいわね」
真斗が腕を組んで首をひねる。
「私にしてみれば、何もかもがあり得ない内容なのですけれど……」混乱が収まらない頭を抱えて幹耶が真斗に問いかける。「あえて聞きますが、これのどこがおかしいのですか?」
「ポリューションは負の感情が顕現したのもだって話はしたわよね」そう真斗が言う。「でね、私たちアンジュのアーツがそれぞれ違う様に、怒りや妬みといった名のある感情でもみんなその内容は異なるわ。それに、それらに対して明確な姿形のイメージを持っている人は少ない」
「……つまり?」幹耶が問う。
「姿が似る事はある、それで系統を作って分類分けをしているわけだが……、それでも全く同じ姿形のポリューションはあり得ないって言ってるんだ」横から火蓮が答える。「真斗の視界データを見たが、二体とも全く同じガルムタイプだったな。大抵は巨大なスライムみたいな形になるもんだ。そもそも明確な形をとるポリューション自体が珍しいんだよ」
「それに加えてタイミングもできすぎているね。通常、ポリューションに転じるほど激しい負の感情なんて、その原因見舞われている最中か、もしくは直後にしか湧き上がらないものなんだよ。あるいは長い年月をかけて成長し熟成した負の感情がある日突然溢れ出す、とかね」オムライスを咀嚼しながら雪鱗が言う。「でもこれは違う。同じ場所で、男女が、同時刻に同じだけの負の感情を爆発させてポリューションに転じる。しかも寸分たがわぬ姿で」
「まるでプログラムされたみたいに……、ですか? 誰かがこの状況を仕組んだと」
「おっ、良い感をしているねぇ」雪鱗がスプーンを幹耶に向ける。「その線で調査部隊が不眠不休で駆けずり回っているみたいだよ」
「なによそれ。あり得ないでしょう」たまらずと言った様子で真斗が言う。「ダストの正体すら全く掴めていないのに、人為的にポリューションを生み出すなんて……」
「ところが、そうでもないみたいなんだよねぇ」雪鱗がテーブルに肘を載せ、組んだ指で口元を覆い隠す。「確かにダストの正体は解らないけど、アゾット結晶と似たような性質なのは確か。そしてポリューションが発生する原因も大方は解っている。じゃあその元となる人間側を何とかすれば、人為的にそれを生み出すことは可能なんじゃない?」
「それは……そうかも知れないけれど」
「実はね、ポリューションの体内にコア……、つまり粗製アゾット結晶が精製される点に着目して、人為的にポリューションを生み出す研究をしていた研究所があってね。アイランド内でその研究が継続して行われているって情報があったんだ。クレイジーだよねぇ」
「研究って……。え、人体実験って事?」真斗が眉をひそめる。ダストは人間に対してしかその働きを示さない。ならば、その研究となれば使用される被験体は決まっている。「なんていうか、流石〝魔女の釜〟よね。なんでもありありだわ」
「というか、ポリューションのコアってアゾット結晶なんですか?」
真斗と雪鱗に会話に幹耶が割り込む。
「そうよ。あれ、言っていなかったっけ」真斗が幹耶に言う。「といっても〝粗製アゾット〟なんて呼ばれるほど品質が低くて、エネルギー源としては使い物にならないのだけど。だから主に使い捨て目的で弾頭なんかに使われるわね。私のソニックショットにも使われているわよ。ちなみに、粗製アゾットもスピネルが一括管理しているけどね」
なるほど、と幹耶は思う。それならばあの異常なまでの破壊力も納得がいく。
「そうなると、アンジュとポリューションってなんだか似ていますね」
幹耶のそのふとした発言に、真斗と雪鱗が困ったように眼を合わせる。
「アンジュには先天的と後天的が居る。前者は言うまでも無く〝生まれつき〟って奴だが、問題は後天的のアンジュのほうでな」
火蓮が幹耶に向かって不意にそう切り出した。
「その質に差はあれど、後天的アンジュもポリューションも体内にアゾットを宿して変異する。それが何を意味しているのかは解らないが……、二つは同じようなものと思われているみたいだな。私たちにしてみれば業腹な事だが」
火蓮が腕を組んでつまらなさそうに言う。
アンジュには生まれつきその身にアゾット結晶を宿して生まれてくる〝先天的アンジュ〟と、何らかの原因によりアゾット結晶をその身に宿し、超常の存在となった〝後天的アンジュ〟が存在する。
先天的アンジュには能力、つまりアーツを持たないものも多く、また持っていてもその力は非常に弱い場合がほとんどである。年若いものほどその傾向は顕著で、幼少の頃よりアゾット結晶を狙ったアンジュ狩りに怯える生活を強いられる。
後天的アンジュは何らかの原因――多くは命の危機――により、アゾット結晶をその身に宿し、アーツを獲得した者の総称である。
必要に迫られて獲得したアーツは強力なものが多く、戦闘などの荒事に従事する者の大半は後天的アンジュである。
「それで、その人体実験をしていた研究機関というのは?」
話題を切り替えるように真斗が言う。
「バルミダ機関ってところだよ。研究所自体はとっくに無くなっているけれどね」雪鱗が空になった皿を積み上げる。「バルミダ機関の元研究員が所有している私設研究所がいくつかアイランドにあってね。ハナとメロンはそこの調査に駆り出されたってわけ」
「バルミダ?」
「そこに入れられた被験者は二度と出てこられないって噂にちなんでつけられた俗称だね。正式名称は〝アゾット結晶応用技術総合研究所〟って無味乾燥な名前だよ」
幹耶の質問に雪鱗が軽い調子で答える。
「バルミダ、ね……。」真斗が顔をしかめる。
「聞き覚えがありますか?」
「……いや、なんでもないわ」
幹耶の言葉に真斗は首を横に振る。
「しかし、何も清掃部隊まで引っ張り出さなくても良いだろう。人使いの荒い事だ」
「ほら火蓮、昨日のテロで動ける人間が足りないのよ」
火蓮が「あぁ……」と呻く。
「しかし、ポリューションを生み出す、かぁ……。まさか、ここ最近の急なポリューションの増加ってそれと関係しているのかしら」
「どうかな。今までのは、大半がスライムタイプだったでしょう? 昨日のガルムタイプみたいなのは、あんまり無かったよね」
真斗の言葉に雪鱗が答える。
「もし今までのが失敗作で、昨日のが成功例だとしたらどうですか?」
「あるいは、被験者に犬好きを選んでポリューションに仕立てた、とかね」
幹耶のその言葉を、雪鱗が笑えない冗談で返す。
「なーに難しそうな話をしていやがる。お前ら、頭を使う様なタイプじゃないだろう。そういうのは他の部隊に任せて飯を食え、飯」
石花海が大きな浅い鍋をテーブルの中心に置いた。かぐわしい香りを放つ黄金色の炊き込みご飯。パエリアだ。
「「「「おぉー」」」」四人が声を合わせる。
「って私からは食器に阻まれて見えないんだけど」
雪鱗は調子を合わせただけのようだった。
「食い終わった食器くらい自分で片せよ。うちはファミレスじゃないぞ」
石花海のその言葉に雪鱗は唇を尖らせながらも従う。
「ま、とりあえず食うか。あたしたちにもいつお呼びがかかるか、解らないからな」
火蓮がそういうと、三人の遅い昼食が始まった。




