ポリューションとアンサラ―
「少しのんびりし過ぎたわね」
「あの、宜しかったのですか? なにもあそこまで邪険にしなくても……」
「人の事をさんざん罵っておいて、都合が悪くなると急に下手に出て……。ああいう奴らが私は一番嫌いなのよ」真斗は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。「それにね、救出なんかしているより元凶を叩いたほうがよほど早いわ」
「元凶、ですか」
「さっきの犬みたいな黒い影、見たでしょう? ああいうのを〝デミ〟って呼んでいるわ。デミはポリューションから生み出される分身……みたいなものかしらね。つまり、ポリューションを何とかしない限りデミは際限なく生み出される」
「分、身?」
「そう、分身。ポリューションは基本的に自身はほとんど動かずに、デミを動かすことで汚染範囲を広げる。まぁ連絡通路を閉鎖したところで西館までデミが侵攻するのは時間の問題かしら」
ふいに物影から黒い影が先行していた真斗に飛びかかる。しかし真斗は特に慌てる様子もなく湾曲した刃を持つネイルを一閃させそれを薙ぎ払う。
「見ての通りデミに明確な実体はないわ。散発的に銃弾を撃ち込んでも無意味だから、これを掃除するときは弾を集中させるか、今みたいに一気に切り払って散らすかね。爆風で吹き飛ばすのも良いかな」
「…………」
煙のように散っていくデミの残滓を見ながら、幹耶はいったい自分が何に巻き込まれてしまったのかを考える。冗談のような異常事態。まるで認識が現実に追いつかない。頭の中がかき回されているような錯覚に陥る。
「何が何だか解らないって顔ね。それで良いわ、今は流されていなさいな」真斗がやさしく微笑む。「どれだけ訓練しても実戦を経験しないと物にはならないわ。命が掛っていないもの。まぁ無駄に死なせはしないつもりだから安心していいわよ」
真斗はそう言うが、もちろん幹耶は安心などしない。荒廃した外の世界で、自分の身は自分で守るものだと嫌というほど心と身体に叩き込まれてきた。ましてや目の前にいるのは幼い外見の、しかも女性。その戦闘能力の高さは今しがた見せつけられたが、自分の命を他人に委ねるような無様は晒さない。無法地帯と化している外を生き抜いてきたのだ、その程度の矜持は幹耶にもある。
生臭い匂いのする空気を深く吸い込んで意識をはっきりさせ、刀の鞘を払う。初めは必要ないとまで思っていた頼りない臨時の相棒を強く握りしめる。
連絡通路を抜け薄暗い東館に入り、二人は立ち止まって辺りを見回す。幹耶は防衛線の惨状を見てある程度の予測をしていたのだが、実際にその惨劇を目の当たりにすると目の前が更に暗くなるような思いだった。
あれほど賑やかだったショッピングモールは、もはやその面影もなく廃墟のような有様だった。いや、まだ廃墟のほうがましだ。そちらには助けを求める悲痛な叫びは響かないし、人間の死骸を貪る影の獣も存在しない。肉を引きちぎり咀嚼する不快な音は聞こえないし、どこか酸っぱさを感じさせる臓腑の臭いも無い。
最悪と最低は、全てこの場に揃えられている。
「はーちゃんも言っていたけど、本当に数が多いわね。いつもの倍は居るんじゃないかしら」
真斗の言う数が多いとはもちろんデミの事だ。館内にいるデミのほとんどは〝食事〟に夢中だが、真斗達に気が付いた何体が遠巻きにこちらの様子を伺っている。非常灯の明かりが届かない暗闇の中からも多数の気配を感じ、幹耶は思わず刀の柄を更に強く握りしめる。
「真斗さん、まだ悲鳴が聞こえます。早く助けに――」
「行かないわよ? さっきの会話聞いていなかったの?」
その言葉に幹耶は信じられないものでも見たかのように目を見開く。
「な、何を言っているんですか! 助けないと、あんな……あんな風に喰われてしまうんですよ!? そんな死に方、あんまりだ」
「確かにね。食べられるなんて死に方、およそ人間の死因の中ではいっとう酷いと思うわ。屈辱的だし、冒涜的だと思う。遺族だって最悪の気持ちになるでしょうね」
「それなら――」
「一人助けて、それでどうするの? その間に二人死ぬかも知れないわ」真斗は立ち止まり、じりじりと距離を詰めてくるデミに注意を払いながら続ける。「二人を助ければ四人。四人助ければ八人喰われるかもしれないわね。キリがないのよ、そういうのは調査部隊か警備部隊あたりに任せておけば良いわ」
「それができていないから言っているんですよ! 見殺しにするんですか!」
「甘い事言ってるんじゃないわよ。目の前の人達だけ助けて、その裏で何人死んでいようと構わないって意味よそれは。小汚い自己満足だわ」
「そんなつもりでは。私はただ……」
「どんなつもりでも結果は同じことよ。ポリューションを除去すればすべて解決する、その役割は施設警備隊や調査部隊の彼らにはできない。デミですら持て余しているのはさっきも見たでしょう? その本体のポリューションなんて、あんな軽装備では相手にもならないわ。ランクAをまともに相手にするなら、戦車か戦闘ヘリくらいは必要ね」そう言って真斗は腰を落としてネイルを構える。「デミやポリューションにはアンジュのアーツか、サードアームによる攻撃が効果的よ。そして今それができるのは私たちだけ。欲張らずに自分にできる事をやりなさい。そうでなければさらに死体が積みあがるだけよ」
「…………。解りました」
真斗の正論の前に、幹耶は硬い表情でそう答えるのが精一杯だった。
「そう、それでいいわ。私たちの腕はそんなに長くない」そう言って真斗は目を細める。「納得なんてできなくても良い。ただ、何が最適かだけは常に考えおきなさい」
じわり、と暗闇からの圧力が増した。見ればデミの数が先ほどの二倍、いや三倍以上になって周囲を埋め尽くしている。すぐに飛び掛かってこないのは、真斗や幹耶に備わるアンジュの力を感じ取って警戒しているためだろうか。
「真ん中を突っ切って一階へ。中央ロビーまで一気に駆け抜けるわよ」細く息をついて真斗が言う。「本体はデミの何倍も大きいから、今のうちに覚悟しておきなさいな」
「何倍もって……。 りょ、了解です」
そう言われて幹耶は目の前のデミを頭の中で巨大化させてみたが、巧く想像がつかなかった。
「じゃあそろそろ良いかしらね……。行くわよ、遅れないように付いてきなさいな」
真斗が駆けだすと、獲物を逃すまいとデミが怒涛のように襲い掛かってきた。ネイルを振るい道を切り開く真斗の後ろで幹耶も手にした刀を構える。
するりと真斗との間に割り込んできたデミを左下段から右上方へ切り払う。まるで水面を切ったかのように手ごたえが無かったが、その一撃でデミは煙のように消え失せた。
「(いける、十分戦える!)」
超常の相手に借り物の武器でどこまで通用するのか幹耶は不安だったが、実際に刃を交えてみてその不安は杞憂だったと悟る。
不意に断続的な銃声がはるか前方から聞こえてきた。おそらくは取り残されていたという調査部隊だろう。
「ふぅ。まだ生きていたのね。無駄口叩いてデミを引きつけていた甲斐があるってものだわ」
真斗は肩を竦めてそう嘯く。
「どういう事ですか!?」
次々と襲いかかるデミを切り払いながら余裕のない幹耶が問いかける。
「デミやポリューションはね、よりエネルギーの多い場所目指す習性があるのよ。単純に人の多い場所だったり、アゾットだなんてエネルギーの塊を持ったアンジュのところとか、ね!」
真斗がひらりと宙を舞いエスカレーターを丸ごと飛び越えて一階へとたどり着く。それにならって幹耶も同じように宙を舞い、着地の衝撃など無かったかのようにすぐさま走り出す。
アンジュがその身に宿すアゾット結晶が増幅するのはアンジュの抱える強さのイメージばかりでは無く、その身体能力をも著しく高める。なればこそ、その身一つでデミやポリューション等と言う超常の存在と渡り合えるのだ。真斗が常人ならば肩が外れてしまうほどの反動であるソニックショットを、片手で放てるのもそのためだ。
大量のデミを引きつれながら、真斗達は薄暗いショッピングモールを駆ける。
おびただしい量の血だまりや、転がる遺体の一部に躓きそうになりながら走り続けていると、やがて一際広い空間にたどり着いた。
つまり、この混乱の中心。東館中央ロビーだ。
中央ロビーは高い吹き抜けになっており、天井に取り付けられたガラスから降り注ぐ光によってスポットライトが当てられているかのように浮かび上がっていた。ずっと薄暗い中に居たので忘れかけていたが、まだ昼過ぎなのだ。
二人はホールの中央まで一気に突入し、背中合わせになって周囲を警戒する。先ほどまで二人を追いかけまわしていたデミの大群は光の輪の外で真斗達を見つめている。光の中へ入ってこようとするデミは何故か一体もなかった。
「なにも、居ませんし、ありませんね……」
「そうね……。はーちゃんの話ではここらしいけど。ん?」
ふとした違和感に真斗が足もとへ視線だけを落とす。自分たちの周囲にだけ大きな影が落ちており、妙に暗い。
はて、同じつくりの西館中央ロビーの天井はどうだったか。たしかガラス張りでドーム状。このような影を作り出すような物は何も無かったはずだが……
「……っ! 上よ!」
真斗がそう言い終わるが早いか、即座に二人は飛び退る。ほぼ同時に黒く半透明で巨大な塊が重い粘着質な音を立てて落下してきた。
その半透明のヘドロな物は徐々に形を変えて行き、やがてデミと同様に狼の様な姿形になった。違いを上げるとすればその大きさだ。その巨体は真斗の言うとおりにデミの数倍はある。体高はおよそ五メートルから六メートル。全長は更に大きい。
「う……。これは……」
目の前の巨躯が放つ圧倒的な威圧感に、幹耶は思わず一歩後ずさる。
これが、この惨劇の原因。
これが、ポリューション。
「ガアアァァァァァ!!」
酷い異臭のする黒い粘体を撒き散らしながら巨獣が吠える。
咆哮は周囲の空間を砕かんばかりに重く響き渡り、その衝撃は幹耶の身体と心を激しく揺さぶる。
胸が締め付けられたように苦しい。手足の感覚は宙に浮いたように怪しくなる。動悸が激しくなり視野が狭まる。顎は震え歯の根が合わなくなる。浅い呼吸を繰り返しながら幹耶は思わず膝を折りそうになった。
幹耶を襲ったのは恐怖。圧倒的な強者に対する根源的な、本能からの恐怖だ。
ポリューションというものが一体何なのかは幹耶には解らない。ただ一つ理解出来る事は、人間風情が生身で対峙してよい相手ではないという事だ。
『ひゃー。結構大きいわねぇ、予想以上だわ。幹耶くん生きてる?』
どこかに飛んでいきそうになっていた幹耶の意識を引き戻したのは、脳内に響く真斗のそんな気の抜けた言葉だった。
流石に正面に居続けるのは得策ではないと判断した幹耶は、まだ感覚の戻らない足を引きずりながら側面に回り込む。ポリューションはその様子を観察するかのようにゆったりと首を動かす。
『これが、こんなものがポリューションですか! ど、どうすれば……!』
圧倒的な存在を前に幹耶が絶望的な声を上げる。
『もちろん除去するのよ。びびっちゃ駄目よ? 刃が鈍るわ。大丈夫、勝てない相手じゃない』
『そ、そうは言っても……』
幹耶は未だ首をこちらに向けている黒い巨獣を見上げながら言う。その身体は水面が揺れるように常に波打ち微妙に形を変えているが、そのなかでも形を変えていない、見るからに硬質な部分がある。牙と爪だ。
その牙は一本一本が杭のようで、爪に至っては丸太のように太い。幹耶の身体など一瞬で引き裂き、噛み砕き、散らしてしまうだろう。仮にそれらを受けなくても、その巨体で殴打されれば身体中の骨など簡単に粉々になってしまうはずだ。
「ポリューションを除去する方法は二つ。コアを破壊するか、身体から完全に引きずり出すかの二択よ」いつの間にか幹耶の隣にまで来ていた真斗が言う。「この狼みたいなタイプのポリューションは〝ガルム〟って呼んでいるんだけど、この場合は……あった。胸の中心。見える?」
目を細めて睨む真斗の視線の先には、握りこぶしよりも一回り大きいくらいの暗い輝きを放つ宝石のような結晶があった。本物の狼であれば、心臓のある場所に近いだろうか。
「あれをどうにかすれば良いのですね? しかし……」幹耶は言葉を詰まらせる。「うかつに仕掛ければ、二秒で挽肉です。正面から行くのは流石に無謀すぎます」
ポリューションのコアは地上から四メートルほどの高さにある。当然刃は届かない。真斗のソニックショットであれば打撃を与える事ができるかもしれないが、分厚い粘体を超えてはたしてどれだけのダメージを与えられるだろうか。
「攻撃を加えて削りつつ、隙を突いて直接叩くしかないわね。まずは足を狙いましょう。行くわよ!」
そう言って真斗は駆けだす。桃色の疾風は一瞬でガルムに肉迫し、すれ違いざまにその右後ろ足を深く切り裂く。黒い粘体が飛び散り、後ろ足はその半分以上が抉られた形になった。
足の一つを失いバランスを崩すと思われたガルムだが、しかしその前にボコリと泡が浮かび上がるように傷口が大きく膨張した。そして次の瞬間には、まるで何事も無かったかのように元の姿に戻ってしまう。
「随分と優秀な再生能力ね」真斗がなぜか嬉しそうな声で呟く。「でも、あんたのそれは無限じゃないわ。必ずいつか崩れる」
真斗がガルムの足もとを駆けまわり、次々に攻撃を加えていく。しかしそのたびにガルムの傷口は大きく泡立ち、一瞬で元に戻ってしまう。そしてガルムもただ黙って斬られているわけではない。その巨大な爪をもって真斗を引き裂こうと、大木の様な前足を振り回す。
ガルムが足を振り下ろすたびに轟音をあげて床が割れ、地響きと共に細かい破片が舞い上がる。その巨人対小人の様な戦いを前に、幹耶はただ茫然と立ち尽くすのみだった。
戦いたくない。逃げ出したい。あのような怪物を相手にして無事で済むはずがない。しかし……逃げる? 本当に? 名も知らぬ他人を助けようとしておいて、そのくせ目の前の少女を見捨てて逃げ出そうと言うのか。否、断じて否だ。
それに、周囲をぐるりとデミに包囲されてしまっている。あの分厚い壁を突破して逃げ切る事は不可能に思えた。初めはなぜデミが追いかけるのをやめたのか解らなかったが、今ならばはっきりと解る。自ら狩場に飛びこんだ哀れで愚かな獲物を、決して逃がさないようにするためだ。
勝てない相手ではない、そう真斗は言った。可能かどうかは差し置いて倒し方も知っているようだ。そして実際に、果敢にもあの怪物に挑みかかっている。ならば自分もやるしかない、あの化け物を打ち倒さない限り明日は無い。そう頭では理解しているのに最初の一歩がなかなか踏み出せないでいた。
情けない。本当に情けない。少女一人だけを戦わせおいて、自分は何もできずに立ち尽くしている。自らの命を他人に委ねるような無様は晒さないと、そう誓ったはずなのに。
「ちくしょう……。やるしか、ないか」
もうこれ以上あれこれ考えていても仕方がない。戦って、勝って、生き残る。それしかない。
それしかないんだ。
幹耶は焼けたゴムの様な匂いのする空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そのまま息を止め、目を閉じる。手足の先に血が巡るのを感じられ、浮ついていた精神がその輪郭を取り戻す。
刀の柄を強く握りしめる。足の指先に力を込める。大丈夫だ、戦える。刀を低く構えて幹耶は駆けだした。
離れていても相当な大きさだったが、間近で見るとガルムの存在感は圧倒的だ。しかしもう恐れることは無い。幹耶は速度を緩めずにそのままガルムへと突撃し、大木の様な足を切りつけた。
砂の塊に打ち込んだような鈍い感触が手のひらに伝わる。その予想以上に重い手ごたえに幹耶は思わず刀を取り落としそうになるが、勢いに任せてそのまま振り切った。
「随分待たせるじゃない! さ、やるわよ!」
「はい!」
真斗と幹耶は巨木の様な四肢の間を縫うように駆け廻りながら、少しずつその体積を削り取っていく。手数は二人になったことで倍以上になっていた。
人数が増えたことにより、ガルムから狙われる確率もまた分散していた。それにより攻撃の機会をより多く得られるようになったためだ。
絶え間なく加えられる猛攻にガルムの再生能力も徐々に衰え、再生の速度が落ち始めていた。
「せあっ!」
幹耶の気合を込めた一撃が大きくガルムの左前足を横一線に両断する。ぐらり、と初めて大きくガルムの姿勢が崩れた。真斗と幹耶の攻撃がついにガルムの再生能力を上回ったのだ。
「ナイス! 今なら……!」
真斗がネイルの銃口をガルムの胸に向け、引き金を引いた。放たれたソニックショットの衝撃波によってガルムの身体ははじけ飛び、暗く輝くコアが剥き出しになった。その傷口は塞がることなく、半身を失ったガルムは泥の塊のような音を立てながら崩れ落ちた。
「はぁぁぁ!」
真斗は螺旋状の刃を持つネイルで、全身全霊を注いだ突きをコアに向けて放つ。
その攻撃はコアを破砕し、この惨劇に終止符が打たれる――はずだった。
ガァァァン! と巨大な金槌で鉄塊を思い切り叩いたような音が辺りに響き渡る。
真斗の渾身の一撃は、コアを完全に破壊するには至らなかった。
「なっ!? ……はぁ!?」驚きと困惑が混ざり合った表情で真斗が叫ぶ。「くっ! もう一撃……!」
しかしその追撃を放つことはできなかった。再生能力を取り戻したガルムが粘体でコアを包み込み、覆い隠してしまったからだ。形を取り戻したガルムの頭に噛みつかれそうになった真斗は、悔しそうに舌打ちをしながら大きく後方に跳躍した。
「真斗さん、どうなったんですか!?」
混乱気味に幹耶が問う。
「ごめん! 失敗したみたい……」そう言って真斗は歯ぎしりをする。「流石ランクA、硬いわね……」
「よく解りませんが、まずいって事ですかね?」
「ふん、さっきまでと変わらないわ。向こうの限界が来るまで攻撃を続けるだけよ。半分くらいまで亀裂が入っているから、後一撃加えれば……、つっ!?」
真斗の手から零れ落ちたネイルが重い音を鳴らす。
「だ、大丈夫ですか!?」
手首を抱える真斗に幹耶は駆け寄った。
「あー、うん。ヒビがはいっているかもだけれど、しばらくしたら治るわよ」
「いや無理でしょう!」
思わず突っ込みを入れる幹耶を放置して真斗はガルムを睨みつける。
「まぁ向こうも無傷じゃないわ。これでも十分――」
その刹那、ガルムの身体に異変が起こった。ひび割れたコアが輝きを増し、粘体が激しく波打つと、ガルムの身体からいくつもの、先端に棘の様なものを持つ触手が伸びた。全身は赤黒く変色し、その形状も幾分か細くなったようだ。
「ゴオオオオオォォォォオオオオオガアアァァァァァァ!!」
ガルムが激しく咆哮する。その衝撃波で二人は吹き飛ばされそうになりながら、風圧に目を細める。その視線先には、無数の触手を翼のように大きく広げる変異したガルムの姿。その鋭い先端は全てこちらを向いている。
「……本気モードって奴かしら? 随分と元気そうじゃない」真斗は眉をしかめて、やっとその言葉を絞り出した。「幹耶くん。君のアーツ……アンサラーだっけ? 威力、射程、それと発動の条件は?」
「え、あ、はい」突然水を向けられた幹耶は面食らいながらも答える。「切断をどれだけ明確にイメージできるかによります。集中する時間が長ければ長いほど、切断力と射程が増します。ただ……その間は動けないのですが」
「ふぅん。ようするに〝溜め〟が必要って事ね。単純といえばそうだけど……」真斗が短くため息をつく。「なんだか使いやすいのか使いづらいのか解らない能力ね。じゃあ、ここからガルムのコアに一撃を加えるのにどれくらい時間が必要かしら」
「真斗さん、まさか」
「そ。囮になるわ。あのわらわらとしたの見えるでしょう? 戦い慣れている私ならともかく、幹耶くんなんて十秒掛らずにアート作品みたいにされちゃうわよ」
幹耶はガルムから伸びる無数の触手に目をやる。先端の棘はどれもがガルムの牙と同等の大きさに見える、どれか一つでも直撃すれば、その瞬間に勝敗は決してしまうだろう。
それに目に見えているもので全てとは限らない。切断しても再生しそうだし、捉えきれないと解ればさらに数を増やしてくるかもしれない。長さも自在な可能性がある。接近戦を挑むのはあまりに無謀に思えた。
「……三十秒も頂ければ」
「昼寝でもするつもり? 十五秒でお願い」螺旋状の刃を持つネイルを拾い上げ、腰のケースにしまいながら真斗が言う。「流石に守りながらは戦えないわ。私もあまり長くは注意を引けるとは思えない」
真斗のその言葉に幹耶は一瞬迷い、そして小さくうなずいた。
アゾットにより力のイメージを増大させ、現実に引きずり出して奇跡を起こす。そのアンジュの能力をアーツと呼ぶ。
幹耶の持つ切断のアーツをもってすれば、離れた場所からポリューションのコアを両断する事も不可能ではないだろう。しかしそれも条件が揃えばの事だ。
現実を大きく捻じ曲げるアーツの発動には、何らかの条件や代償が必要な場合がほとんどだ。アンジュによってその内容は様々だが、幹耶のアーツ発動の代償は〝時間〟だった。
一瞬の判断が生死を分ける戦いの場において、一秒という時間は一掴みの黄金に等しい。しかもそれが敵と真正面から相対している状況ならなおさらだ。その貴重な戦場の時間をダース単位で消耗する幹耶のアーツは、強力でありながらも使いどころが難しい。世界を両断する神の剣と言えど、振るえなければ意味はない。
手元にあるのは借り物で安物の刀。仲間は負傷した少女が一人。敵は規格外の化け物。
状況は絶望的だが、それでもやるしかない。まだ対抗する手段があるのなら。
幹耶は刀を鞘に戻し、居合の体勢を取る。
「タイミングは任せます」
「そう? じゃあ早速」真斗はそういうと、散歩でもしているかのような気軽さでゆっくりと歩き出した。「3……2……1……」
最後の数字を言う代わりに、弾かれたように真斗が駆けだす。ガルムは「グルァ!」を短く吠えると真斗に向けて触手を殺到させた。
次々と降り注ぐ死の雨を真斗は踊るようなステップで避けていく。触手のいくつかは真斗の身体を浅く切り裂いたが、その足を止めるほどではなかった。
放たれたソニックショットの衝撃波でいくらかの触手がまとめて吹き飛んだが、幹耶の予想通りにすぐさま再生し、ふたたび真斗に襲い掛かる。しかし真斗はガルムの懐に潜り込む事もせず、あえて触手の届く危険な位置でその全てを迎え撃っていた。ガルムの注意を引くために。そのような蛮勇を続ければ結果がどうなるかなど考えるまでも無い。
真斗の遥か後方で幹耶は小さく息を吐き、ガルムのコアを見据えて集中する。視界が狭まり、他の物は目に入らなくなる。真斗の姿さえも。
強く、強くイメージする。頭の中にガルムをコアごと両断する瞬間を、何度も何度も描き出しては重ねていく。
刀の柄に添えられた幹耶の手元が青白く光る。その光は少しずつ広がっていき、やがて刀を包み込んだ。
切る。斬る。両断する。その明確なイメージが、今まさに溢れ出して現実に現象を上書きしようとしていた。
『真斗さん!』
『了解!』
バベルを通して幹耶がそう叫ぶと、真斗は帰りがけの駄賃とばかりに再びソニックショットを放ち、ガルムの身体を大きく抉った。そしてその反動を利用して大きく飛び退る。
触手の幕が破れ、ガルム本体も大きく抉られて一瞬だけコアが露出した。
そして、その一瞬で十分だった。
「せぇぇぇぇぇぇぇあぁぁぁぁぁぁ!!」
全身全霊を込めて刀を抜き放つ。青白く輝く刀身から放たれた光の刃が十数メートル先のガルムを捕え、するりと抜けた。
数瞬の間の後、甲高い金属音が鳴り響く。
そして、ガルムの身体はコアごと引きずるような音を立てて斜めにずれ――次の瞬間、その全身は砂のようになって崩れ落ち、そして舞い上がった。
「……。お、終わった……のか……?」
全身から力が抜けてしまった幹耶が膝をつく。焼けたゴムの様な臭いは未だに消えないが、見渡す限りにはデミの姿も確認できない。本体であるガルムと共に消滅したのだろう。
「おっつかれー」
全身を砂まみれにしながら真斗が幹耶に歩み寄る。ガルムの最後に巻き込まれたようだ。真斗が猫のように頭を振ると、陽光の中に砂煙が舞い上がる。
「なんとかなりましたね……。ああ、全く。本当に死ぬかと思いましたよ……」
「いやぁ本当にね。私もここまでの相手とは思っていなかったわ。倒せたのはまさに奇跡ね」
そう言って真斗は楽しそうに笑うが、幹耶は引きつった笑顔を作るので精一杯だった。
不意に真斗の背後、つまり先ほどまでガルムの居た方角からずるり、と異音がした。二人は野生動物の様な鋭い反応を見せて、即座に戦闘態勢を取る。
「「……へ?」」
図らずも二人の声が重なった。その目の前にあったのは元々中央広場に備え付けられていた大型のカラクリ時計だ。いや、だったと言うべきか。
時計には斜めに一本の線が入っていた。そして石臼をひくような音を立てて、ゆっくりとずれていく。
口を開けて間抜けな顔を晒す二人の目の前で、ついにカラクリ時計は轟音を上げて倒壊した。巻き上げられた砂嵐が真斗と幹耶に襲い掛る。
砂嵐がやむのを待って、幹耶はげんなりした様子で言う。
「あれって、私がやっちゃたんですかね……」
「うーん。そうでしょうねぇ」
「えーっと、その、弁償とかは」
「……。まぁそこはお雪が巧く交渉してくれるわよ」
「彼女にそんな能力があったとは驚きですね。確かに交渉ごとは向いていそうですけれど」
「ちなみに、お雪の好きな言葉は〝ごまかし、もみ消し、金で解決〟よ」
あ、なんか駄目っぽい。
「しかしとんでもない威力ね。借り物でそれだもの、サードアームを持ったらどれほどになるのかしら」
二人のバベルに萩村雲雀からの強制通信が入る。戦闘は終わったはずだが、未だ通常モードには切り替わっていなかった。
『どうもー。 雲雀でーす。お疲れ様でーす』
『はーちゃんおっつー。こっちならついさっき片が付いたわよ。大きいゴミが一つ出来上がっちゃったけれど』
そういって真斗は幹耶に意地悪な視線を向ける。幹耶はそれに対して困ったように頭を掻いた。
『大きいゴミ? まぁそれは置いておいて、ノイズが弱まって一つ解った事があるので聞いてくださいー』
『んー? なにかしら』
『ポリューションなんですけれど、どうもそこには二体居るみたいなんですよねぇ。つまり、もう一体いますー』
ぴしり、と空気が凍りつく音がした。
『……萩村さん、そ、それは間違い無いのですか?』
声を詰まらせながら幹耶が問う。
『はい、間違いないですー。もっと言うと、すぐ近くにいるみたいなので気を付けてくださーい』
『……これ以上の戦闘は危険だわ。悔しいけれど、一回外に出て態勢を整えましょう』
そう言って真斗が歩き出そうとした瞬間、陽光を反射して輝く砂煙の向こうから先端に棘を持つ何かが一直線に伸び、背後から真斗の喉を貫いた。
見間違えようもない。先ほどよりは幾分細いが、紛れもなくガルムの触手だ。
「がほっ……!?」
「真斗さん!」
駆け寄った幹耶は触手を引き抜こうと力を込めるが、粘体で指が滑り、ろくに掴むこともできなかった。その間にも真斗の喉からは悪い冗談のようにとめどなく血液があふれ出てくる。呼吸をしようとすると空気が入ってしまうのか、ごぼごぼと音を立てていた。
そして巨人が足踏みをするような地響きと共に、砂煙の向こうから巨大な黒い影が、ゆっくりとその姿を現す。
「ガルム……! あれが二体目か……!!」
幹耶の顔に絶望の色が差す。
全身全霊を込めたアーツの一撃で既に幹耶は大きく消耗しており、加えてこの場にいる唯一の仲間である真斗は瀕死の重傷。いや、もはや致命傷か。
二体目のガルムから静かな殺気が確かな圧力を持って伝わってくる。その足元には大量のデミが付き従っている。ガルム一体だけでもどうにもならなそうだと言うのに、デミの大群までもが真斗と幹耶の肉を食いちぎろうと牙をむき出しにしている。
『これは、無理、ね……』真斗の言葉がバベルを通して幹耶の脳内に響く。『私が気を引いている間に幹耶くんは逃げなさい。西館に戻るルートなら手薄なはずよ』
「何言っているんですか! そんな事できる訳ないでしょう!」
『私たちの手は、誰をも救えるほど長くないって言ったはずよね? 何が最適かを常に考えるようにとも。私の言っている事、解るわよね』
真斗が首に刺さった触手を切り払い、よろめきながらガルムに向き直る。そして一歩前に出て、ネイルをかろうじて構える。
「無茶です! 私も――」
その言葉の続きを真斗が聞くことは無かった、ガルムの背から伸びたもう一つの触手が更に真斗の細い首に突き刺さり、肉を引きちぎる嫌な音を立てながらその首を刎ねあげた。
ボーリングの球が地に落ちるような鈍い音を立てて、幹耶の目の前に丸い何かが落下する。しかしそれは当然、ボーリングの球などではなく――
「う、あああぁぁぁぁぁああぁぁ!」
その光を失った瞳と目があった瞬間、幹耶は刀を握りしめて走り出していた。その行き先にあるのは西館ではなく――ガルムと、デミの大群だった。
頭の中は真っ白だった。制止しようとする萩村の声もまるで頭に入らない。次々に襲い掛かる触手やデミを避け、あるいは切り払いながらガルムのコアに向かってがむしゃらに突き進む。
しかしそのような蛮行が功をなすはずもなく、触手の一つが幹耶の右肩に深々と突き刺さった。そしてそのまま身体を持ち上げられ、まるで埃を払うかのように投げ出される。
「がはっ……!?」
背中を壁に強く打ちつけ、肺から空気を絞り出す羽目になった。刀を床に突き刺し、何とか立ち上がろうとした幹耶はその動きを止める。
顔を上げた幹耶の目の前にガルムの鼻先が付きつけられていた。その黄色く濁った瞳に見竦められ、身じろぎもできない。
しかしその瞳が宿す光は獣らしい闘争の炎ではなく、意外なほどに穏やかなものだった。
諦めろ、無駄な抵抗はするな。いかに異能の力を持とうとも、力が及ばなければ死すのみだ。敵わないのは十分解っていたはずだ。ならばなぜ自ら苦しむような真似をする。なぜ足掻く。
諦めろ。諦めろ。諦めろ。
ガルムにそう言われた気がした。しかし、本当にそうなのか。弱った自らの心が聞かせた幻聴ではないのか。もう諦めたいのは自分自身なのではないのか。
音もなく巨大な咢が開かれる。焼けたゴムのような臭いのする風を受けて幹耶の前髪が跳ね上がった。
このまま喰われれば全てが終わる。もう痛みも辛さも苦しみも感じなくて済む。
思えばくだらない人生だった。何も成さず、生み出さず、救わず。ただ生きる為だけに生きてきた。
上等な人生など想像する事もかなわないが、それだけは解る。自分の人生はくだらない。
このまま死ねばきっと楽になれる。もうつまらない思いもしなくて済む。
だが――、本当にそれでいいのか。
――否。断じて否だ。
くだらない人生をくだらないまま終える。何者にもなれずにただ土へ還る。そんな人生は御免だと、絶対に嫌だと、それだけを思って今まで歯を食いしばってきたのではないのか。
だからせめて、唯一の願いだけは叶える。それを邪魔する障害は全て切って捨てる。自分の道は自分で切り開く。そう、そのはずだ。そうでなければならない――
「うおぉあああぁぁぁぁぁ!!」
魂を振り絞って叫ぶ。凍り付いていた血液が一瞬で沸騰して全身を駆け巡る。傷口から血が噴き出すのも構わずに刀の柄を強く握りしめ、無理やりに切断のイメージを作り出す。
全身から青白い光がわき上がり、次の瞬間には刀を包み込んだ。
幹耶は床に突き刺さったままの刀を掬い上げるようにして一息に振り上げる。光の刃がガルムを捕え床ごと深く切り裂いた。しかし、威力の足りない光の刃がコアに届く事はなかった。
「ゴオォォォォォガアアァァァァ!」
頭部を両断され、怒気を孕んだ唸り声をあげながらガルムが後方に跳躍する。幹耶は追撃を放とうとするが、その意思に反して膝が折れた。アーツを短い間隔で、全力で使用したことによる体力の消耗。それに加えて、肩からの失血による貧血でもはや自らの足で立つこともままならなかった。
幹耶は刀を支えになんとか立ち上がろうとするが、手元まで伝ってきていた血で滑ってしまい、無様に床に倒れ伏した。
「ぐっ……! うっ……。くそっ!」
幹耶は思い通りにならない自分の身体に歯噛みする。動け、動かなければ終わりだ。このままでは今日この場で失われた数多の命、その一つに加わる事になる。数字を一つ増やすだけの、何の意味もない死だ。
「い……、嫌だ! 絶対、絶対に……! 冗談じゃない……! まだ死ねない!!」
しかしそんな想いをあざ笑うかのようにガルムの傷はみるまに再生し、幹耶を取り囲んだ多数のデミがその喉を食いちぎらんと構えている。
そしてデミの一体がついに駆け出し、幹耶に襲い掛かろうとした瞬間――その姿が突如掻き消え、一拍遅れて凄まじい炸裂音が轟いた。
その炸裂音は一つでは終わらず、次々とデミを打ち抜きその形を散らしていく。それが大口径の対物ライフルによる狙撃だと理解するころには、幹耶に襲い掛かろうとしていたデミの大半はただの黒い煙になっていた。
『リロード。フォロー』
『了解』
そんな短い会話が幹耶の脳内に響き渡った。戦闘モードになったバベルによる思念通信だ。しかしその声は真斗の物でも萩村の物でもなく、聞き覚えの無い二人の男性のものだった。
「……は? え、あれは」
突如として、空中に網目模様を持つ緑色の球体が幾つも現れた。いくらかデフォルメされているものの、それは果物のメロンそのものだ。
脈絡のない突然の現象に幹耶は面食らう。しかし本当に驚かされたのはその直後だった。空気を読まないジョークのようなその果実が、次々に爆発してデミを消し飛ばした。
「うおぉぉ!?」
次々に襲い掛かる熱波と爆風に幹耶は伏せて耐える。やがてそれも静まり、恐る恐るあたりを伺うと見渡す限りにはデミはもう一体も存在していなかった。そして一際大きいメロン爆弾がガルムの目の前に何の前触れもなく現れ、ガルムは困惑したかのように一歩後すさる。次の瞬間に訪れる光景は明らかだ。
あわてて両手を頭の前に回して、床に頭がめり込むのではないかという勢いで地に伏せた。しかしその努力もむなしく、強烈な爆風にあおられた幹耶は床の上を転がる羽目になった。
呻き声をあげながら幹耶が顔をあげると、そこには半身を吹き飛ばされコアをむき出しにして崩れ落ちるガルムの姿があった。
『クリア。ショット』
『了解』
二度目の短いやり取りの直後、先ほどと同じ対物ライフルの銃声がショッピングモールに響き渡った。先ほどと違うのは、その弾丸が黒い光の軌跡を描いていたという点だ。
黒い弾丸がコアに命中し大きくヒビが入る。しかし一撃で破壊するには至らなかった。
『チッ。硬いな』
『ハナ。連射を』
『ああ、了解』
黒い光の線、としか表現しようのない軌跡を描いて弾丸が二発、三発とコアに命中し――、甲高い金属音をあげてついに砕け散り、ガルムの身体は砂になって崩れ落ちた。
「助かった……のか?」
空中に舞い、天井から降り注ぐ太陽の光を反射して輝く砂嵐とコアの欠片を呆然と眺めながら、幹耶が信じられないといった様子で呟く。
『よぉ新人。まだ生きているな。間に合ったようで何よりだ』
おそらく対物ライフルの射手であろう〝ハナ〟と呼ばれた男性の声が幹耶の脳内に響く。
間に合った。生きている。その言葉を聞いた幹耶は自分が生き残った事を今更ながらに実感し、大きくため息をついた。床に手を突き立ち上がろうとするが、未だ力の入らない腕は身体を支える事ができずに、またも幹耶は地面に倒れ伏した。
ああ、なんて情けない。結局自分の力では何も成せず、大勢を見殺しにして、しかしこうして生き残った。くだらない。本当にくだらない。
だが、生きている。情けなくても、みっともなくても、誰も守れなくても、生きてさえいれば、きっと……。
外傷からではない強い胸の痛みを感じながら、幹耶の意識は深い闇の中へと落ちて行った。




